1-9. 死地への派遣




 ―――――それは、どうして?

 ―――――どうして、と言われてもな…そうしたいから、では駄目か?





 古い記憶を見ている。

彼の中だけで再生されている、記憶の中の情景。どれだけ月日が流れていたとしても、いまだ色濃く投影されている記憶の世界。その中に映し出されているものは、二人の人間。一人は子ども、もう一人は背の高い大人。その場所は家の中。暖炉に火が灯り部屋全体を明るくしている。外は一面が白銀の世界で、夜の月に照らされ夜が一層寒く凍えるような世界観を作り出している。それはそれで綺麗ではある。一人の少年が一人の男に問いかけている。少年は男の将来を問いかけていた。大人に向かって“将来何がしたいのか”などと問いかける少年など、はたしているものだろうか。大人であるその男も困惑した。子供らしい素朴な疑問ではあるが、それが子供らしいと思えない内容のものを指していることに。

 「そんな理由じゃ…納得できないよ」

 「はは、そうだな。無理もない。いつもここを空けているのは悪いと思っている。隣の娘さんとは仲良くしているか?」

 「…うん。それなりには」

 家と言うのも大きなもので、二人が今いる空間は居間と呼ばれる場所。一般的には「家族」の団欒するスペースのようなもの。一緒に食事をしたり会話をしたり、ともかく共有される空間である。が、今、その場にいるのは二人。いや、二人しかここに集まることが無い。

 「何故かと言われれば、それは単純なことだ。私は純粋に人の為になりたいと思っている。その選択肢が今の姿だよ」

 「え…?」

 「アトリ、この世の中には色々な人がいる。隣の娘やそのご家族だけでない。この町にも、町の外にも、この大陸中に沢山の人がいる。その人たちの暮らしは様々だ。しかし、その人たちがすべて幸せに暮らしていると思うか?」




 ―――――私はお前に、幸せを教えてあげられていると、思えるか?




 その時は、正直否定することが出来なかった。

その人の存在感が放った言葉が、どうにも頭の中に残ってしまう。自分の中では否定したい気持ちはどこかにあっただろう。だが、少年はその気持ちよりも、それが正しいことだという事実の方を受け入れてしまっていた。

 言葉が出なかった。

それを見たその男は、少しだけ微笑んで小さな子どもに言う。



 「であれば、彼らとお前は似た境遇の持ち主だ。馬鹿な大人のせいで幸せを奪われた、感じられない悲劇の者たち。それを引き起こしたのは人間。それを正せるのも人間。だから、私は―――――」



 ―――――そんな人たちを護りたい。彼らがいつの日か幸せになれるように。




 静かに雪の降る日、彼はその男の理想を知った。

古い話だ。時間にすればそう遠くない過去なのかもしれない。その時間は確かに存在していたし、今も彼の中で確かな時間として流れ続けている。過去という位置づけの中で生かされ続ける記憶の一片。それは、今いる場所より遠く離れた地にある、記憶と時間の残光であった。もうその男と会うことは出来ない。あの時、あの燃え盛る雪原の上で、男は命を落としたと言うのだから。 

 「暫く留守にする。ここを頼む、メディナ。」

 「はい。任されました。埃一つ見えないくらい綺麗にしておきますね」

 「そこまで厳密でなくてもいいよ」

 安息日の翌日。夜も明けて朝も早い時間帯。まだ6時を回る前だと言うのに、既に彼はこの地を離れる用意を整えていた。あとは厩舎に行き自分の愛馬を連れるのみ。誰にも会うことなく離れるつもりだったのだが、部屋を出てすぐにメディナと会った。彼女はいつも通り自分の仕事を始めようとしていたらしいが、偶然にもここを通りかかって、また偶然にも彼と会った。彼女は見るからに心配そうな表情を浮かべている。ああ、そんな姿だと今日一日乗り切れるかどうかが不安だ。アトリは言葉にはせず内心でそう思いつつ、

 「暫く経ったらまた帰って来る。だから信じて、ここを頼む。」

 と、彼らしく出来る限り励ましを込めてそう口にした。今にも零れ落ちそうな瞳の雫がうっすらと見える中で、少女は笑顔を取り戻した。どうかご無事で、と。祈るように、告げるように。生きてさえいれば、これが別れになるなんてことは無いだろう。危険な戦場に行くのは彼であるが、彼のほうが冷静だったとも言えるだろう。

 「分かりました。どうかご無事で。お帰りをずっと、お待ちしております。」



 ――――――――アトリくんの帰りを待ってる人がいるっていうのも忘れないでほしいなっ。



 ………きっと、こういう人のことを言うのだろう。そのためにも、俺は。




 王国領東北東部に位置するレスコー地区とその周辺の自治領地から発せられた救援要請。要請そのものは王国領ではない自治領地から出されたものであるが、隣接する王国領の駐留する正規兵部隊が消息を絶ったというのが、事態を複雑にしていた。彼は自治領地の救援要請に従い、レスコー地区から東側に広がる自治領地の中心地に向かう。任務はそこで発生している状況を改善すること。そしてマホトラスの介入が考え得ることから、その周辺地域での情報収集を行い、これを王国領の駐留する正規兵部隊に持ち帰ること。自治領地の救援要請以外の任務を同時に持つことは、彼には珍しい。近隣の王国領や自治領地がこのような状況に陥っていなければ、任務が重ねられることも無かっただろう。

 彼は厩舎で愛馬を受け取り、それに乗り込み静かに王都から離れる。街から離れ郊外に辿り着こうかというところ。

 「お、アトリじゃないか!久々だな。今から出るとこか?」

 「グラハム。そう、こちらはね。今帰り?」

 「そう!バンヘッケンから戻ったところだ。やっと王都だぜ」


 ――――――――――グラハム。

アトリと年齢が同じ16歳の剣士で、正規兵部隊の一員。互いに友人関係として認め合い、時に愚痴や相談をし合う仲である。彼らにしてみれば、同じ年代の剣士という存在自体が珍しいため、同年代の人がいるというだけで共感を持てるポイントにもなっている。グラハムは王都より40キロほど北にある街バンヘッケンやその周囲の、中央部を統括する部隊の一員として活動している。今日から暫くは王城での役割があるとのことで、久々に王都に帰ってきたのだとか。二人は騎乗しながら停止し、話をしている。アトリがかなりの軽装で防具という防具をつけない一方、グラハムは装甲の厚い装備を揃えている。見るからに剣士という具合だ。

 「な、これからあっちまで行くのか!めちゃ時間掛かるな………何日想定だ?」

 「目的地までは4日掛かる見込みで考えている。」

 「それ、結構飛ばしての話だよな………相変わらずお前さんは無茶するな~」

 「そんなにいつもと変わらないよ。」

 グラハムは彼にこれからの行程を聞いた。そして彼が北東地域へ向かうと聞いた時、一つの懸念を彼に打ち明けた。


 「アトリ、気を付けろよ。死地で戦闘が勃発してるのに変わりはないが、最近どうもきな臭い。なんでも、恐ろしく強い奴が北や東の地で暴れてるって噂だ。」



 そのことについて、アトリはグラハムからの情報提供を受けた。グラハムは北部地域に関わる部隊ではないため、その情報は直接彼が集めたものではない。伝え聞いたものであることを先にことわったうえで、グラハムは彼にその情報を伝えた。恐ろしく強いというのはあまりに抽象的な表現ではあるが、真に受けた印象から生み出された表現ということで言えば、無視できるものでもないだろう。それがマホトラス陣営の兵士であるかどうかもまだ分からないが、敵対する勢力にとって強い存在であることに変わりはない。

 「まあお前も他の人から見ればかなり強いだろうが、油断はするなよ。」

 「どうかな。強さはともかく油断しないに越したことはないな。」

 「そうさ。………今回も単独なんだろ?騎士連中は一体何を考えてるんだろうな」

 事情を知らないグラハムだからそう言うのも無理もない話だったが、アトリにかかる負担があまりに多いことを危惧するグラハムだった。剣士アトリは、多くの自治領地で戦闘を積み重ねている。外縁部での戦闘に王国軍が関与することが殆ど無いため、そこに派遣され戦いを積む彼は、今現在王国の中でもっとも戦地に近い男と言っても良いものだった。戦いは彼を強くするのかもしれないが、それにかかる負担も大きいことに違いは無い。負担をかける、そう分かっていながら適材適所だと判断して一人の少年を戦地へ送り込む。そこにグラハムは騎士たちの疑念を持たずにはいられない。

 しかし。

 「でもまあ、これも俺の望んだことだから。」

 「………………。」

 ある意味、その彼の発言、真意こそ危惧すべきものであったのかもしれない。


 「そうだアトリ。お前は“魔術”の存在を信じるか?」




 ―――――――――魔術。

 唐突に言われたその言葉に反応する。聞いたことが無い訳ではない。だがあまりに現実的でないものという認識が強いためか、思わずその言葉に強い反応を示してしまったのだ。彼にその知識は殆ど無く、見たことも無い。そもそも存在しているのかどうかすら怪しい存在だ。だが、聞いたことはある。人の身で意図的に起こすことの出来る、人ならざる行為。人知を凌駕した法外な奇蹟。それが魔術であると言う。人の理解の及ばぬ力が作用する神秘的な現象。ある時は神秘的に、またある時には邪悪なものとして現世に君臨する。魔力を使用して普通の人とかかけ離れたことを起こせるのが魔術であり、それをコントロールするのが魔術師と呼ばれる人だ。

 もし、そんなものが現実にあるとすれば、それはまさしく奇蹟と呼べるものだろう。少なくとも、何も知らない民からすれば。たとえどのような優れた力を持っていたとしても、物語上ですらその力は人の欲望を満たすものとして利用された。結局どれほど都合の良い設定があったとしても、根底にあるのは人々から利用され汲み取られるということである。

 「聞いたことくらいしかないけど………でも、それがどうしたんだ」

 「恐ろしく強い奴っていう噂を聞いた時に、単にその言葉が浮かんでな。幾ら鍛練を積み重ねても人間の能力には限界がある。それすら超えるものがあったとしたら、それはもう人間自身によるものではないんじゃないかってな」

 「………昔は存在してた、なんて話も、聞いたことくらいはあるが………どうも突然すぎるように聞こえるな」

 「はは、それもそうだな。そう思いたくなるくらいヤバい奴らってことかもしれん」

 それくらい警戒した方が良い、という一種の表現方法なのだろう。暴れ回っているという噂がどの程度のものなのか。無作為に人々を襲うような獣のことなのか、それとも何か意図するものがあって力を振るっているのか。そしてそれらと対峙した時、自分は果たして戦うことが出来るのだろうか。など、色々と考えを巡らせる。魔術が使える人が現世にいるのだとしたら、とっくに王国の正規兵部隊など倒されているのではないだろうか。彼は一瞬真面目に魔術師の存在を考えたが、すぐに思考の外に放り出した。

 この時は、まさかそれが現実にあり、しかも相当に近い存在であることなど知る由もない。



 北東の地へ向かう。

救援要請のあった自治領地は、王国領から300キロ以上離れたところにあり、彼の愛馬で移動すれば5日程度で到着するものと考えられていた。こうした、長い距離を走ることに彼はそれほど抵抗はない。何しろ既に幾度となくそうした経験を積んでいるからだ。時には王城に一ヶ月近く帰らない時もあるのだから。

 マホトラス陣営の介入が考えられるが、要請のあった自治領地に隣接する王国領レスコー地区から、マホトラスの本陣までは更に600キロ近く離れている。もし彼らが本当に王国領への侵攻を再度実行に移しているのだとしても、明日明後日に王都が襲撃されるということはまずない。しかし、その脅威が目前に迫る地域では、そうも言っていられないだろう。彼は出来るだけ足を早め、本来5日掛かる行程を4日に縮めた。まずは単独で要請を発した自治領地の中心地まで行くことになる。

 ―――――――――そうして王城を出発して4日目の朝を越える。

彼は馬に乗せる荷物の中に野営できる装備を一式積めており、あらゆる状況下でも野営が出来る用意を整えている。基本的には人の目がつかないところで休むようにしているが、いつどのような状況に陥るかも分からないので、あまり休まるものではない。それでも長い間の経験から工夫はしているのだが。その日の天候は、薄い雲に覆われてはいるものの、日差しが降りてきてぽかぽかと温かいくらいだった。風もほぼ吹かず実に穏やかだった。軍馬の駆ける音がほぼ規則正しく鳴り響き、愛馬は頼もしく働いてくれる。

 だが、その穏やかな情景が一変する場にやってきた。



 ――――――――なんだ、ここの空気は。



 まだ自治領地の中心地でない隣接した町ではあるが、そこは既に異質な空間であった。町の様子次第では武装を解き馬を離れに置くのがいつもであるが、そこはいつもとは全く異なる様子だった。彼の経験上よくない方向に舵を取った末のものである、と想像が出来たのだ。

 町からは生気を感じられない。目に見えないが漂う重苦しい雰囲気は、一歩ずつ前へ進める足を竦ませるようだ。人の気配もない、動物もいない、加えて静か過ぎるほどの天候。あらゆる感覚が研ぎ澄まされる。彼は、慎重に町の中を進んでいく。どことなく不気味な空気を感じるアトリ。本能が彼に注意しろ、と告げている。

 「気配も無ければ姿も形も何も無い………廃墟にしてはまだ新しすぎる」

 新しいという彼の表現は正しいものではなかったが、古びて棄てられたような廃墟と思うにしては、建物の外観もいたって普通で色褪せてはいなかった。それが逆に異質さを際立たせた。家の窓ガラスを覗いても、人の姿は見えない。生活感はいまだある。もしここが戦場となったのであれば、戦った痕跡が随所に見られるはずである。しかしそのような形跡も見当たらない。彼は一つの可能性を思い浮かべた。ここに居た住人はどこかへ連れていかれたのではないだろうか、と。

 無い話ではない。彼自身は連れ去られた経験は無いが、そういった人々を見たことはある。そう、彼にとっては苦い記憶の一つ。本当に苦しんでいる人々を救うことの出来なかった、幾つもの過去が蘇る。自治領地の中で戦闘力として数えられる人間は、敵対勢力からすれば脅威であり排除される対象である。一方、戦闘力として数えられない一般の民や子供たちは、その領地が占領されれば貴重な労働力となる。自治領地同士の争いではよくあることだ。一人でも多くの“奴隷”を手に入れて、領地の運営の為に酷使する。まるで道具のように。彼のやってきたこの町もその一つではないだろうか、と彼は考えを浮かべたのだ。しかし考えはそれだけではない。あるいは、ここに脅威が迫り、皆で集団疎開、もしくは自治領主のいる中心地へと避難したかもしれない。いずれにせよここの状況を知るためには、誰かと接触する必要がある。

 これ以上町の中を歩いても、収穫は得られなさそうだ。そう判断した彼は、歩きながら馬を連れて町の外まで向かう。その途上、大きな十字路に差し掛かったところで。

 「――――――――――。」

 一本の矢が、彼の身体のすぐ脇を掠めて行く。矢尻は激しく音を鳴らしながら飛翔するものだ。“相手”が手練れな狙撃手であるのなら、態々外す真似はしない。となれば、音の鳴った瞬間に回避が出来れば、そうそう当たるものでもない………などとな考えを浮かべつつ、その音の元凶の方角を見る。




 「何者だ貴様。一人ここで何をしている。」

 どうやら複数人の見張りと言うべきか、居残りと言うべきか。

ここに入る者を通すまいと、家の中から出てきた人が5名。恐らく狙撃手は別の家の二階に陣取っているのだろうが、ここからは見えない。なるほど。ちょうどいい機会だ。


 「………なるほど。ここで何があったかは、これで直接訊ねたほうが早そうだ」



 ―――――――彼の右手は、腰から下げていた剣に向かい、既に状態は整えられていた。



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