1-8. 『マホトラス』




 彼女がそのように注意を促したのには意味がある。無論、彼の身を案じてのことではあるが、自分たちを取り巻く状況が変化し、より危険な状態が差し迫っていることを彼に伝えたかったのだ。

 「我が王よ。カルディナとその周囲は今も健在、毎日が活気に満ち溢れております。しかし遠方の地にあってはその理想の生活も脅かされており………」

 「分かっている。長い間沈黙していた彼奴らが動き始めたのだろう?」

 「はっ。叛徒どもの目的は火を見るよりも明らかです。ここを目指す以外はあり得ません」

 王族と七人の騎士が集まる『円卓会議』。国政を司る王族と国政に関与し、あらゆる政策や軍備の整備を行う権限を持つ七騎士が一堂に会する場。この狭い空間の中で行われる内容が、時にこの国に住まう民たちの生活を大きく左右することになる。この国は絶対王政に近い政治体制が取られていて、王族の決定が何より優先される。だからといって現在の国王は、国民に一方的な負担を強いるような圧政を施したりはせず、時に民たちから意見を取り纏めさせて、それを反映できるかどうかを協議することもある。しかしその場に市民が介入することは決してない。元々七騎士の存在も国政に深く関わることはせず、あくまで軍の最高幹部として、あるいは尊厳の象徴的存在として在り続けていたのだが、あることをキッカケにそれが激変してしまったのだ。

 「報告の続きを頼む。アルゴス卿」

 「はい、陛下。数週間ほど前、北東部のシンシア地区に配備されている部隊との連絡が取れなくなりました。定時報告が無いため、シンシアの南部にあるタンベリーから状況把握の為に部隊が送り込まれましたが、その部隊とも連絡が取れておらず、シンシアは何者かの襲撃を受けた可能性が高いと思われます。」

 「アルゴス卿の情報を裏付けるものもあるのでしょう?ガライア卿」

 「はい。先刻、タンベリーの南部にあるレスコー地区から、救援要請が届きました。読み上げます」

 西の大陸最大の自治領地であるウェルズ王国は、その規模に相応しい軍備を備えていることは各所で有名な事実である。その力を頼って救援要請をする自治領地は数多く、時にはキエロフ山脈を越えた先の自治領地からそれらの要請が届くこともある。無論、それに応えられる距離には限度があるが、今回の要請は彼らにとっても重要な意味を持つものであった。曰く、恐ろしく武術に長けた勢力が侵攻中である、と。その救援要請自体は単純な内容であり、依頼としては接近しつつある強力な勢力を排除するのを支援して欲しい、というものであった。ここだけの情報を抜き取れば、ただの救援要請とも取れなくはない。だが、周辺の事情が重なり合った時に、ここで起きている現状がそう簡単なものでないことが窺える。

 「というものです。この北方より来たる強大な勢力というのは、間違いなくマホトラスの陣営でしょう」

 「…………嘆かわしい。再び平地に乱を起こすつもりか」

 「マホトラスの加担は自治領地の争いの比ではない。しかも王国に直接かかわる由々しき事態だ。放っておくことも出来ぬであろう」

 「ですがアルグヴェイン卿。北東部に増援を送るにしても、現在の兵力配置では満足に動かせないのではありませんか。それに、まだマホトラスと確認できた訳ではありませんから、先走りも禁物でしょう。その点、アルゴス卿は如何お考えか」

 「――――――――――。」

 西の大陸最大のウェルズ王国が各方面に軍備を整えている、というのは外見のみで語る者たちの定型文であり、内情を知る者からするとそれは正解とは言えないのが現実である。確かに大きな街や小さな村が点在する地区には、彼らの軍を駐留させている。しかし、と呼ばれるように、幾つもの自治領地やかつての同胞を吸収して一大勢力となったマホトラスは、全体の総数として見ればウェルズ王国の正規兵には遠く及ばないが、局地的な数集めとしてはウェルズ王国のそれを上回る。彼らはある程度まとまって行動し各地を侵攻して来るだろう。それに対応できるウェルズ王国の部隊があったとしても、一部分では彼らに劣るのだ。ウェルズ王国の懸念はまさにそこにある。一度にすべての戦力を集めることは絶対に不可能であるため、局地的な戦闘においては彼らに分があることが多くなるのだ。

 「――――――――王はどうお考えですか。」

 「いや、はじめに卿の考えを聞きたい。」

 「………、ノルディリアス卿の懸念は充分に聞き入れる必要がありましょう。不確かな情報だけで多くの地方の軍勢を動かす訳にもいきますまい。正確な情報を入手し伝達する必要がありましょう。賊軍が王国領を蹂躙する可能性もありますが、周辺の自治領地をも巻き込む可能性もある。だからといっていたずらに軍を動かせば、かえって他の自治領地や賊軍を引き付けることにもなりかねません。侵攻の可能性のある周辺地域の民たちには避難指示を。地域ごとの部隊を統括して、集団で対応できるように配置換えをすること。それに、外縁部で接敵の可能性がある自治領地に、情報収集の出来る人材を送り込み、それを統括された部隊に情報を渡すことが必要かと思います。」

 「………ふむ、我もアルゴス卿と同意見だ。ほかの騎士はどうか」

 七騎士のうち、騎士アルゴスは国王エルラッハの最も側近にいる。騎士に席次というものは存在しないが、あらゆる物事の決定にあたって、王はアルゴス卿を最も信頼する騎士の一人として扱っており、個人的に彼を頼ることも多い。他の騎士と区別している訳ではないが、実質的な立場の違いがあるのは騎士の誰にも明らかであった。そして次に騎士であり秘書官でもあるアルグヴェインが近い距離にある。ほか、ガライア卿、ノルディリアス卿、ヘルダーシュタット卿、ディルク卿、エミール卿が名を連ねる。王がそう言うのだから、と各々は言葉にはせずとも異論をはさむことはしなかった。

 「賛成ですが、外縁部の自治領地には誰を送り込むのです。相当困難な任務になるように思われますが」

 「僕がいきましょうか?戦闘になる可能性もあるのでしょう?」

 「戦いたい気持ちは分かるが七騎士が出るものではない、エミール。」

 「そうですか。それでは仕方ありませんね」

 七騎士で最も若く好戦的な立場を示すのが騎士エミールで、彼は25歳。次に若い騎士がディルク卿の34歳であるから、七騎士の存在としては異例なほど若い。最年長はアルゴスになり、似たような年代にヘルダーシュタット、アルグヴェインがいる。自分が出向いて仕事をしてこようかと笑顔を見せながら話すエミールを、ヘルダーシュタットがおさえる。

 「アトリを行かせては如何でしょうか。アルゴス卿」

 「アトリ、か。」

 「はい。彼は先日この自治領地からそう遠くない東の地に出向いています。ある程度の土地勘はあるでしょう。それに、自治領地に軍を派遣することが出来ない以上、実戦経験が豊富な兵士が色々と役に立ちましょう」

 「しかしガライア卿。“死地の護り人”としての任を貫くあの少年に、マホトラスの動向を探れと言っても従うものなのか。」

 「心配には及びますまい、ヘルダーシュタット卿。彼にとって重要なのは、その土地に住まう民たちに危機が迫っているかどうか、です。そのためならどこへでも行くことでしょう。自治領地の救援要請を受けさせつつ、接触する可能性のあるマホトラスの動向も探らせる。一石二鳥です」


 円卓会議の中で取り上げられた、アトリの名前。実は彼がこのような会議に名前を出されるのは珍しいことではなく、七騎士にとっても彼の存在はよく知られているものではある。ほぼ関係を持たない騎士も居れば、アルゴスのように直接彼の上官として振る舞う者もいる。そして、王族も含め、その場にいる誰もが彼を死地の護り人としての立場を知っている。その異質さも含めて。ガライア卿の言葉は、彼の心情を利用した辛辣なものであるのは明白であった。しかし彼自身皮肉を込めて嫌味のように話しているのではなく、本心で彼に適任であると判断しての提言であった。いつものように、彼ならその任をまっとうできるだろう、と。

 「………よろしい。彼に頼むとしよう。諸侯には想定されるマホトラスの侵攻に合わせた迎撃案の立案を頼みたい」



 ――――――――我が国の内側より出た闇は、我らの手で払わねばなるまい。



 そもそも、マホトラスという存在は何なのか。

簡単に言ってしまえば、彼ら元々ウェルズ王国の重鎮的立場にあった者たちの集まりであり、国から離反した叛乱勢力である。この国が建国される前、西の大陸各地の自治領地に協力要請をしながら勢力を拡大させていた主導者たち。その時からの約束で、我らが事の成就に多大な尽力をし功績をあげた領主には貴族特権を付与し、国に参画することを許可する、というものがあった。フィリップを主導者として集う自治領地が、今後西の大陸最大の自治領地となるのは多くの人が見て明らかであった。最大規模の自治領地を運営するための権限。名のある自治領主たちもそれに参加し、挙って成果のために尽力した。大陸最大の自治領地の中で大きな権力を持つことが出来る、と。そうして王国が誕生した時、その誕生に多大な功績があった自治領主を貴族とし、『貴族連合会』が誕生した。また、王族と王国の施政について討議が出来る環境を王国議会とし、貴族として選ばれた諸侯は王城に入ることになった。はじめは戦乱の時代が開けたとあって、国の内外は非常に不安定な状態になっていた。国の象徴として王都を建設することが決定し、そのための労働力も多くの自治領地から集められた。一つの国が出来上がる過程で、貴族連合会は大きな功績を挙げたと言っても良いだろう。その貴族の中でも上下関係があり、上級貴族などと呼ばれる部類があれば、下級貴族といって、同じ王城や王都内で過ごす貴族といえ上級貴族に膝をつかなければならないような境遇を受ける貴族も居た。貴族の階級制度を王が認めたこともあり、多くの貴族たちが王のお膝元に居られるよう努力した。その過程、血生臭い惨劇を起こしたこともあり、貴族連合会という存在が決して華々しいものではなかったのだ。

 王は国の領土にかかるすべての人々が、平等に平和を手にする権利があると言う。それは王の個人的な理想であり国としてもそのカタチを目指したいというものに変わりはなかった。その理想のもとに結束していた。だが、その結束に罅を入れた貴族がいる。



 ――――――――私見は国の理想に非ず。




 そう言って、貴族連合会の中でも最も権威を持っていた貴族が、王国からの離脱を宣言した。サイナス・フォン・マホトラス。併合された自治領地で、王都から北方の遠方地域に自身の領土を持っていたサイナスは、フィリップ王が自らの理想に賛同する者を集い始めた初期からその計画に関わっていた。北方地域から多くの協力を受けられたのは、当時から自治領地の中でも権威と強い支配勢力を有していた、サイナスの尽力があったからだ。周辺の諸侯からすれば、単独でサイナスが領主の自治領地に対抗できるとも思えず、またサイナス自身がフィリップ王の企てに参画するのなら、自分たちもこれに賛同しよう、と考えを改めたのだ。そのため、当時力のあるサイナスが他の領地に組み込まれることを良しとしたことが、周囲の自治領地からは驚きを持って見られたのだ。サイナスは貴族連合会の中でも高い地位と権限を持つ男であり、彼が多くの下級貴族を従えていると言っても過言ではなかったほど。無論、それらを統括するのが王の役割であるのだが、フィリップ王が亡くなった後に求心力を失った王家は、貴族連合会の動きに右往左往することになった。議会の中でもしばしば王家と貴族連合会のメンバーが対立する構図が見られるようになり、王国の施政は少しずつ翳りを見せるようになった。

 また、貴族同士でも利権の争いで血生臭い内乱状態をもたらすこともあった。幾つかの名のある諸侯がそれで潰されたり、逆に力の無い貴族の主を封じたりと、貴族連合会の内部でもそうした動きがみられるようになり、王国の暗い一面を、王家も、またそれに仕える者や民たちもが見ることになった。近年ではその最たるものが、マホトラス陣営の離反と言えるだろう。王国からの離脱と同時に自治領地の復権を高らかに宣言したサイナスは、当然王国からの制裁対象とされた。サイナスが統括する土地は王国領の北部にあたり、王都からは遠く離れている。そうした地理的要因もまた、彼が自らの基盤を再び整えるのに効果的だった、ともいえるだろう。さらに、サイナスは当時王国に力を貸すために声をかけた有力な自治領主たちを再び巻き込み、マホトラス陣営に参加させようとした。今の国王にそれほどの力は無く、また国を維持するだけで次なるものを打ち出す能力も無し。ならば自分たちの領地に戻り、自分たちのしたいようにするだけだ、と。王家は自治領主たちの野心を封じることはせず好きにさせていたが、自分たちに反抗する勢力には黙っていなかった。



 そうして起こってしまった、4年前の惨劇。

国は離反したマホトラス陣営を逆賊と認定し、離反した勢力を含むマホトラス陣営に制裁を加えることを決定した。その決定を受け、王国正規軍がマホトラスの領地へ向けられ、大規模な粛清が行われる、はずだった。マホトラス陣営は自分たちの領地とその周囲の自治領地の戦力を束ね、これに対抗した。数で言えば大規模な戦力で派遣された王国軍のほうが圧倒的に多かったはずなのだが、その軍勢は7割強が未帰還となった。王国の歴史の中で最大規模の戦乱と損失であったと言われている。



 「そうなると、いずれまた“あの人”と戦うのは避けられないですよねー」

 「―――――――騎士サーランズベルク。剣技の天才。」



 強い自治領地には強い兵士がいる。それは今に始まったことではなく、遥か昔の時代からよく言われることである。ウェルズ王国もその例にもれず、多くの戦いを経て強い軍隊を持つことが出来ている。しかしそれは他の自治領地にも当てはまることで、規模の大小は有れど、存在するというだけで脅威ということもあり得る。ましてそれがマホトラスの陣営ならば、意識するのも尚更であった。

 4年前、叛旗を掲げたマホトラス陣営を討伐すべく、多くの王国軍が列をなして北部方面に向かった。そして実際彼らと対峙することになるのだが、お互いに大勢の犠牲者を出すに至った。だが決定的に違うのは、動員された兵員の比率。互いに7割超えの犠牲を出したのだが、マホトラスが投入した兵員に対し、王国軍は10倍以上の数をもってこれを討つべく進軍したのだ。互いに7割強の犠牲を出したと言っても、動員された兵員の数が圧倒的に多い王国軍にとっては、致命的な被害であった。何故これほどまでの兵員差があっても多大な犠牲者を出したのか。“進軍行程を見抜かれて奇襲を受けた”“補給線が長くなり過ぎて餓死する兵士が多かった”など、王国軍の進軍経路やその距離が原因で疲弊した、という要因が主に挙げられている。だが、表には出て来ない要因もあり、寧ろ王国内部ではその存在にこそ悩まされた、と言ってもいい。

 マホトラス陣営に与した軍勢の中に、一人。かつてこの王国の重鎮として名を連ねた騎士ランズベルクがいる。北方よりやってきた、卓越した剣腕を持つ剣士。この国が自治領地時代に多くの戦闘を起こした中で、ランズベルクは剣技によって人並み以上の戦果を出し、貢献してきた。文武共に秀逸な人物であった彼は、王国建立後しばらくは王城勤務の代表的な剣士として軍務をまっとうしていたが、ある騎士が七騎士から離脱するということで、空白になった席次を埋めるために王国騎士に登用された。しかし彼はサイナスに見出され、彼のもとで名声を挙げた男でもある。そのため、サイナスが離反することを相談された末に、彼のもとに帰参することにしたのだ。そして王国とマホトラス陣営とが争うことになると、彼はマホトラス陣営のために剣を取った。たった一人の戦力が数十人分の兵力になる、とまで言われるほどの剣腕で猛威を振るい、結果として多くの王国正規軍が彼の前に敗れた。戦術的にも、戦略的にも。マホトラスには、そうした卓越した剣腕を持つ者が複数いて、それらの存在が敗因の一つともされている。

 「あの人が出てくるとなぁ………僕たちが相手するのならともかく、他の兵士たちは委縮しちゃうでしょうね。どうします?」

 「それも含めての情報集めだろう。」

 「でも………いや、まあいいでしょう。ですが王、いずれは間違いなくそうした仇敵と戦わなきゃいけないことになるでしょう。そういう時は僕たちの出番じゃないですか?」

 王は腕を組んで目を閉じながら、深く考えた。かつて自分の玉座の下で仕えていた剣士なのだから、王もよく彼のことを覚えている。彼に助けられたことも、彼のおかげで苦しめられたことも、よく覚えている。だからこそ倒さなければならないというのも分かっている。それでも王はこう言う。

 「諸侯らを投入するのは、この国の存亡が目前に迫る時。あくまでそれに変わりはない」



 そうして円卓会議の中で、マホトラスの動向をより深く探るための作戦が立案され、その任の一つにアトリが充てられることになったのだ。

 「エレーナ。ちょっといいかしら」

 「お母様。どうしたの?」

 「昨夜、アトリくんが戻ってきたのは知ってる?」

 「え、そうなの!?知らなかった。」

 「あら、そう。ちょっと頼まれて欲しいことがあって………」

 それは二人だけの話。母である王女フリードリヒとその娘エレーナ。フリードリヒは彼女に、彼と会って今日の円卓会議の一部の情報を先に伝えるように、エレーナに頼んだのだ。フリードリヒも王家の一人として、必ず円卓会議には参加するし、必要な時には発言もする。しかしエレーナにはその役割はなく、彼女は参加していない。

 「でも、意味あるのかな?後日アルゴスさんから話いくもんね?」

 「それはそうだけど、アルゴス卿が直接アトリくんに伝えるのと、事前に貴方の口からアトリくんに伝えるのとでは、言葉の威力が違うのよ」

 「………どういう意味、かな」



 ―――――――彼、危なっかしいでしょ?少しは自分の身も案じるかな、と。




*




 もう4年も一緒にいるので、お母様に言われることが無くても、そういう人なんだ、というのは分かってる。分かってて、止められないのもまた、分かってる。けど時々お母様はこうしてアトリくんのことを心配してくれてる。他愛のない話だけでも構わないけど、本当に大事なことも忘れさせないようにって、私に頼んできた。私が大事な役割を与えられてるみたいで、私自身がそうしたいってこともあって、ちょっと複雑な気持ちだけど、アトリくんに伝えられるかな。言葉の意味だけじゃなくて、その心意も。




*




 そして、会議の内容の一部の話を彼女が彼に伝え、彼女の言葉でそれ以上のことも伝えられた。その後の図書館で。



 「………なるほど。事情は分かった。アルゴス卿には、エレーナからこのことを聞いた、というのは伏せておいたほうがいいのかな」


 「うん、そうね………そうしてもらえると助かるかな。」


 「分かった。でもなぜこの情報をエレーナから?」


 「………なんていうかな、やっぱりアトリくん、私から見ると少し余裕無さそうに見えちゃうから。もっと今以上に気を付けて欲しいって言うか………その。戦場に出向いたら、そっちの人たちにばっかり気が向くでしょ?」



 彼の人となりと彼の理想と、彼の与えられた役割と………それらのことを考えると、彼が他人指向で誰よりも他の人を優先する、ということは彼女も理解している。もう長い間その生き方を変えずに生きてきたのだから、そうそう変えられるものでもないのかもしれない。だけど、今回の状況は今までとは異なる、かもしれない。だからこそ彼にはもっと自分の身を案じて欲しい。



 「いつもお話してるけれど、本当に大事な時には、他の人よりもまず自分自身だよ。そうでないと、本当に守りたい時に守れなくなるんだから。」


 「………そうだな。忠告ありがとう。」


 「あとはー、うん、そうね。アトリくんの帰りを待ってる人がいるっていうのも忘れないでほしいなっ」


 「誰だろう?」


 「さて?誰でしょーうね」



 彼女は多くを語らなかったが、彼女自身の言葉で母に言われたように、伝えることが出来た。それを伝えて彼が行動を変えるかどうかは分からない。何しろ彼女には確認のしようがない。それでもいつかの時に、その言葉の数々を思い出して何かの役に立てるのなら、どうかそれだけでも、と彼女は願うばかりだった。

 翌日。安息日ではあるがアトリはアルゴス卿に呼び出され、次なる任務を命じられる。彼は決して断ることはせず、微力を尽くすと伝えた。彼が救援要請の地へ行くのは、その次の日の日中になる。




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