1-7. 王女と少年(Ⅰ)




 昼間の仕事を終え、大食堂で夕食を済ませ、自由な時間がやってきた。最近は王城の中で自由な時間を過ごす機会が無かった。依頼があればそこへ赴き、大抵は戦いに入り込みその地に住まう者たちを救う。そんな生活が彼にとって当たり前のものであったから、根城であるはずの王城も時々違和感のようなものを感じることはあった。本来そのような生活が当たり前、というのはあまりに過酷な現実だと思われるに違いないだろう。他の兵士たちからは、彼はとても無欲な人で無機質で表情もあまり表に出さない物静かな人間、と思われることが多い。実際彼も他の人と交友関係を持つことは殆どなく、多くの人と事務的なやり取りをするばかりだ。幾人かそうでない人がいるが、片手で数える程度のものである。

 そんな彼は、王城で夜の自由な時間を過ごすことが出来る時に、よく訪れるところがある。王城内に併設されている「王立図書館」だ。

 「お久し振りですね、アトリさん。久々にごゆっくり本をお読みください」

 「ありがとうございます。フロイデル司書」

 王立図書館は王城の1階に併設されており、城門を通り抜け大広間から通じる出入り口を通って入ることが出来る。城門に入る前と図書館に入る前に必ずチェックを受けることになるのだが、兵士はそのチェックが免除されている。王立図書館は午前9時から午後6時まで、広く一般向けに開放された施設の一つで、午後6時から0時までの間は王城に勤める者のみが利用できる。あらゆる歴史書や創作物語、記録文書などを閲覧することが出来る、国内最大の書庫とも呼ばれている。彼はこの城に勤めるようになってから、長くこの施設を利用し続けており、王城内で時間を過ごすことが出来る時間で、特に夜の時間帯は読書のために利用する機会が多い。

 「――――――――――。」

 館内をウロウロしながら、本を探す。本を選ぶ基準はその時の気分だが、今日は文学小説を手にした。ありもしない空想物語。けれど、そんな物語でも確かに主人公がいて、仲間がいて、敵が居て味方が居て………彼らの物語がある。たとえ作り物であったとしても、本の中で描かれる人物たちの物語は、本という世界の中で生き続けている。彼は図書館の奥にある閲覧スペースに行き、腰を下ろす。夜のこの時間、疎らに人がいるだけで、場所によっては貸し切りのようなもの。それもそうだろう。今の時間は23時。既に就寝している人が殆どのはずだから。

 「………………。」

 いつもの閲覧場所で、久々ではあるがいつものように読書をする。物語に目を通し始めると、時間を忘れることが多い。そのせいか、受付にいたフロイデル司書に時間が来たことを告げられて退館することが多い。世話を掛けているのだろう。他の人の為に費やすことの多い人生の中で、彼の数少ない“自分の為の時間”だ。その点が彼にとって普通ではない。普通、人は誰しも自分を優先するものであり、他者を優先して自分を後回しにし続けられる人などそうそういるものではない。彼はそれをこの城に来て、この任を与えられるようになってから、ずっと変わらずにそうしている。この身は弱き立場となった誰かの為に役立てたい。その信念が彼の性質を徐々に模っていく。彼の場合、休みの日に何をしよう?ではなく、何をしたらいいのだろう?となるのが日常だ。いつしか彼にはそれが当たり前の考えとなり、それ以外の選択肢を持つことは無くなってしまった。別に余分なものだとか、不必要なものだとか、そういう否定的な念を持っている訳ではない。自然とそのように育ってしまったのだ。誰が止める訳でもなく、自らその道に進むようになったのだ。

 彼はこの読書の時間を自分の為の貴重な時間である、と思ってはいない。さらに言えば、こうして文学小説を読んでいる間ですら、ここでの物語の何かのキッカケが自分の仕事に繋がるのではないか、と考えている。彼の得るもの、手にするものの多くは、これから誰かの為に振るわれる為のもの。そう捉えている。そしてそれを知る者は少ない。そのようなことを考え着く人もいなかったし、気付く者もいなかった。何しろ彼自身が自然とそのような思考でいたのだから。

 読書に没頭すること30分。突然、背後に気配を感じた。目の前に集中していたので気付かなかったが、更に気配は近付き、彼の右後ろで、右の肩をトントンと優しく叩いてきた。



 「こんにちは、アトリくん。今日もここにいたんだね?」

 あ、でも久々かな?と、明るい透き通った声色で話す女性。彼は本を開いたまま驚きつつ後ろを振り返った。そこに立っていたのは、落ち着いたブロンド色のミディアムヘアで、上下一体の白いドッキングワンピースを綺麗に着こなし、首からは控えめに装飾品を下げている。黒のおしゃれな靴を履いて、彼女は手を後ろに組んで笑顔を見せていた。少女のそれでありながら、気品を感じられる佇まい。

 「え………エレーナ、王女………!」

 「あれ~、王女は正しいけど、いつもそう呼んでもらってたかなぁ」

 「あ、あぁいや………え、エレーナ。なぜこんな時間にこんなところへ」

 「なんでって?私も私で自由を満喫しているのっ」

 にこっと、屈託のない笑顔を彼に見せる少女。そう、彼の言うように、彼女は王女エレーナ。現在の国王の一人娘にして正当な王の血筋を引く者である。年齢はアトリと同じ16歳。柔らかで親しみのある笑顔からは少女らしさを、身体の育ちやその佇まいからは、王家の者として相応しい気品さを感じられる。そして、彼女自身はそのどちらの立場も使い分けることが出来、彼の前では自然と前者の姿になることが多い。

 「そ、そうか………しかしもう皆眠っているんじゃないか?」

 「うん。こうしているのも、いつもと変わらないよ。」

 「………まあ、エレーナがそれで良いなら、良いのか。」

 「そ!」

 「しかし良いのか?司書が上の人に報告するかもしれないぞ?」

 「大丈夫大丈夫。フロイデルさんは私と親しいから、ね!」

 “ね!”と自慢げに話す彼女。どうやらある程度の対策は取っているらしい。アトリやフロイデル司書の他にも、彼女の姿を見て王女エレーナであると分かる人はいる。たとえひと気のほぼ無い閉館間際の図書館でも、彼女の姿を見た者はいるだろう。しかし、この図書館の中にいる人で、王家と直接面識のある人、あるいはその機会を得られる者は限られており、フロイデル司書はその可能性の一人なので予めお願いをしているという訳だ。因みにその機会を得られる者の一人に、アトリも含まれている。それはなぜか?



 ――――――――――二人と、ごく一部の人しか知らない、二人の関係性。

現国王エルラッハ・フォン・ウェルズと王妃フリードリヒ・フォン・ウェルズの間に生まれた、ただ一人の子供エレーナ。王家の正当な血筋を引く者として、王族の一人として、彼女は生まれた時から王家の周りでの生活を送った。そして、物心つき学びを得ることが出来る年齢に達した頃から、エレーナは王家の人間としてあるべき人になるために、王族のための教育を受けることになった。王家の人間なのだから、当然といえば当然だろう。城下町で暮らす同じ年代の子供たちとは一線を画し、一緒に行動することは無かった。時々王国の祭事に国王と共に顔を出すことはあっても、彼らと共に何かをすることは無かった。人には人に相応しき生き方があるように、王家には王家として相応しい道のりがある。それを辿らせるのは当たり前のことで、それ以外のことを望んだとしても、それが現実になることは無かった。街で走り回る少年少女たちを見て、羨ましいと思ったこともある。自分もそうなりたいと願ったこともあった。しかし、それは今もなお叶えられてはいない。彼女は基本的に城の中で生活をして、外に出る機会は限られているのだ。“自分は王家なのだから、他の人と同じでないのは当然なんだ”という認識は、彼女にもあった。他の人たちと同じようなことが出来たらとも思ったが、彼女は自らの意思でその思いに蓋をした。それでは、王家の者として、何もかも取りこぼす、と。

 国王エルラッハと王妃フリードリヒも、その方針は今も曲げずにいる。だが、両親という立場として考えるのなら、あまりに閉鎖的な空間で過ごしたこの十数年は、彼女の人となりのカタチづくりに大きく影響してしまった。それが色濃く表れ始めたのが、8歳を過ぎた頃からだろう。街には沢山のおてんば娘がいる。やんちゃな子供たちもいる。そういう人たちを見ても、何も思わなくなったのはこの頃だ。自分は王家の人間であり、他の人とはどうあっても違う存在である。その意識が彼女のあらゆる興味を失わせた。まるで本当にただそこに規則正しく佇む銅像かのように、子供とは思えない冷静な人になり始めたのだ。両親として望む姿には、遠くなってしまった。この現実を知る者は、王族と王家に仕える最高級の剣士、七騎士しかいない。12歳の頃になると、彼女は両親に何を言われずともあらゆる物事を卒なくこなせるようになった。それはまさしく王家の者として相応しい、王家の人間としての威厳さを持つ存在だった。今の彼に向けているような、無邪気に近い笑顔は全く無かった。そう、彼女は彼女の為にも、また他の誰かの為にも笑うことは、殆ど無かったのだ。そんな状況が好ましくないと遅すぎながらも気付いた両親は、ある一人の少年と彼女を顔合わせることにした。

 それが、アトリだった。



 

*



 「………………。」

 「―――――――――――。」



 自分が王女と、王の一族と顔を合わせるなど、恐れ多いことだ。

 こんな、私と同じ歳の男の子も、戦場に出ているのね。




*




 初対面ファーストコンタクトの時は、彼と師弟関係時代に縁のあったクロエが同席し、対面して彼女と国王、王妃、そして秘書官でもある七騎士の一人アルグヴェイン卿が同席した。当時、アトリは既に死地の護り人としての任務を始めており、依頼があればすぐに出向くようになっていた。彼は自治領地のみならず、味方の剣士たちをも圧倒させるほどの強烈な力量を振るっていた時期でもある。彼もまた自らの感情を表に出すことが殆ど無い鉄の心を持った人間であり、自分を全く優先せず他者の為になることを率先する、という生活を送っていた。初めては奇妙な出会いだったが、二人がその日に多少なりとも会話をすることが出来たのは、二人を対面させる為に裏で色々気を遣って働いたクロエの尽力と、その場を穏やかに、かつ和やかにさせる王妃フリードリヒの気遣いがあってのことだっただろう。

 二人は共に無機質な性質を身に纏ってはいたが、この二人の出会いは確かに変化をもたらすことになった。特に顕著に表れ始めたのは王女のほうだっただろう。兵士である彼が王家のいる上層フロアに行くことは出来ない。王家の許しがあれば別だが、そのような特別な待遇を受けるつもりはなかった。一方の彼女も、自分の立場を活かして彼を招き入れようなどとは思わなかった。はじめは、月に何度か大人たちが設けてくれた座談会に彼が同席し、そこで話す機会を持つくらいだった。暫くすると、彼の数少ない………いや、唯一と言っても良い趣味の話を聞きだすことが出来た。彼はよく図書館で本を読むのだと彼女が聞くと、彼女は自分も一人でいる間は読書をすることが多い、と話した。これが二人の共通点であり、二人の距離感を縮め、二人の性質を少しずつだが穏やかなものへと変化させる要因になった。人は、自分のことを共感してくれる人に否定的な感情を抱くことはそれほどない。寧ろ好意的に思うこともある。互いに打ち解け合うキッカケが出来たことで、二人は大人たちが設定する場でないところで会う機会を持つことが出来た。それが図書館であった。それ以来、彼が王城にいて夜の時間図書館にいる間は、彼女もそこを訪れて、時に彼の隣で本を読んだり、ただ読書する姿を眺めたり、小声で本を読みながらその内容を話し合ってみたり、歴史を学んで意見を言い合ったり、とにかくお互いに“普通の人たちらしい”ことをする機会を得た。一般の子供たちと私用で接する機会のない彼女。彼女のほうが、またとない機会を得ることが出来たと自覚し、それを最大限活かそうと積極的になった。二人を比べ彼女のほうがより顕著に変化が見えたのは、そのためだ。

 ただ一人だけ、すぐ近くに自分とお話をしてくれる、同い年の友達がいるから。




 「いつ帰ってきたの?」

 「実は、今日の夜中。まだ戻って一日と経っていない。」

 「そうだったんだ………今回もお疲れ様。まずは無事で良かった」

 彼女から先に彼に興味を持ち始め、“アトリくんはどういう人なのか”“普段はどんな仕事をしているのか”“安息日には何をしているのか”という、様々な問いを彼本人ではなく、フリードリヒやエルラッハに聞くこともあった。多少のことは二人も彼女に教えたのだが、同時に大事なことも教える。知りたいことがあるのなら、彼と話す機会を持つと良いよ、と。両親には、彼女が自分から興味を持つことを覚えたことが自分の事のように嬉しく思えた。この時から、国王と王妃は個人的にアトリという少年剣士との縁を持つようになったのだ。それは不思議なことだった。民を統べる王という立場で、大勢いる兵士の一人と親しくなるという距離感が、王族には今まで殆ど無かったのだから。

 そして彼女は、彼がどのような仕事をしているのかをよく知っている。直接見たことはないし、彼自身そのことについて語る口は少ないが、立場はよく知っている。だからこそ彼の身を案じる。自治領地からの救援要請があれば、どれほど遠かろうとも駆けつける。そんなこと、並みの人間が出来るはずもないし、耐えられるはずもない。それを、彼はもう何年もこなしているのだから。

 「明日は安息日だけど、次の依頼は?」

 「無い。明日はこっちに居られそうだよ」

 「あ、そうなんだ!良かった、明日はゆっくりできるね。」

 「ありがとう。そう言われても、何をすればいいのか」

 「街でも歩き回ってみるとか?色々発見があるかもしれないよ」

 「今日は王都の警備だった。散々歩き回ったよ」

 「違う。それは兵士としての見回り、でしょ?一人の民として、ということ!」

 もうあと1時間もしないうちに日を跨ぐが、いまだ何をしようか決められていない彼。せっかくの休みなのだから、普段と違うことをしてみたらいいのでは、と提案する彼女。自分の為の時間を費やしてこなかった彼に、彼女はある意味では助言をしているのだ。それが彼の為になると信じて。

 「………まあ、それもありか。ところで君は?」

 「明日は、お父さんが騎士たちと会合ついでにお食事会を開くみたいで、そのお手伝いを頼まれてるんだ。」

 「会合?円卓会議なら今日もしていたはずでは」

 「ふふ。王と騎士は密接な関係にあるから、話し合いの場は常にあるものよ。」

 「そうか。しかし、流石に王族は日程も過密で大変そうだな」

  事実、彼女には安息日であろうと王家の予定があり、その予定のもとに行動することになる。主に父である国王の付き添いをし、手伝いをするのが彼女の日課でもある。王はほぼ毎日予定をこなし、王妃もその補佐をする。国政を司る存在ともなれば、安息日であろうと公務をしなくてはならない日もあるのだと言う。それでも、明日はまだ食事会という華々しい催し物のようで、休みの日らしくはなるのだとか。一方で、騎士たちをよく見ているエレーナは“あんな堅物だらけの騎士たちが、お父さんの前で騒ぐはずがない”と、既に分かりきった雰囲気を思い浮かべ、はあ、と少し溜息をついていた。

 「だからこそ、かな。今のうちに自分のしたいことをしようってね」

 「それが、この場に来るということだったのか」

 「その通りです!アトリくんも居たんでちょうど良かった。」

 「ちょうどいい?」

 「お話相手にもなってくれるから。あ、それとも読書のお邪魔だったかな?」



 そんなことはない。久々にここに戻って来て、久々に顔を見られたのだ。それだけでもうれしいことだ。急に現れると驚きもするが、こうして話が出来るだけでもいい。



 「………いや、それは無い。読書ならいつでも出来る。」

 「はぁ、アトリくんも相変わらずの堅物ぶりね。らしいといえばらしいけどっ」

 もう少しで0時になる。アトリが考えているように、読書はこの城の中にいればいつでも出来る。書物の貸し出しも行われている。必要と思った時には借りて読めばいいのだから、こういう機会もたまには良いだろう。しかし0時になれば図書館は閉館となるので、お互いに自室に戻るのが常だ。流石に夜遊びまでは出来ない。すると時間と空気を理解したエレーナの方から彼に伝える。

 「さて、そろそろ帰りましょうか。楽しかった、アトリくんと久々にお話が出来て」

 「お安い御用で。俺も久々に話せて良かった」

 「良かった!また一杯お話できると良いな!…………」

 そう言った直後、突然彼女の表情が曇った。直前まで無邪気そうな笑顔を彼に向けていた彼女の目が据わり、急に頭の中に考えが否応なく入り込んできたかのようだった。彼にも、その場の空気が一変するのがすぐに分かった。それを承知で彼女にどうしたのか、と問いかける。すると彼女はこんなことを言い出した。

 「………アトリくん。勿論、これからも自治領地に行くんだよね?」

 彼女自身、分かりきっていることを改めて彼に問いかけていると自覚していた。アトリという人間はそういう仕事を与えられ、それをこなしてしまう。求められればそれに応えようとする。たとえそれが地獄のような世界であったとしても、そこで救えるものがあると信じて戦い続ける。それが今までの彼であったし、これからもその道は変わらないだろう。彼自身が降りない限り。だからこの問いは意味のあるものではない。

 「………無論。依頼があればすぐに行くさ」

 「そう…………」

 今度、彼女の目はどこか遠くを見るようなものになった。何かに想いを馳せるように。遠く、そして哀し気なものを思わせる。だがそれも一瞬。その表情を彼が忘れることは暫く無かったが、彼女はまた空気ごと切り替えるように、確かに“忠告”をした。それがせめて、その道に進むことを止められない彼の運命に、せめてもの助力であると信じて。



 ―――――――本当に気を付けてね。最近、の陣営が妙な動きを見せているそうだから。





 

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