1-6. 『王国』とは




 カルディナはいつでも活気に満ち溢れている。たとえこの王都から離れた土地で内乱が起きようとも、外縁部で激しい戦争が勃発しようとも、この都だけは華やかさと活気に満ちている。ここに住まう者たちにとってここでの生活が現実であり、健全な時間を送ることが出来ている。まるでそうでない王国領があることを忘れてしまっている、いや、意図的に忘れようとしているかのように。朝の10時を過ぎる頃には、既に城下町一番の街道には大勢の人々が行き交うようになっている。この街道には決まって商人たちが店を開き、そこに売っている商品を求める民たちで溢れんばかりの様相となるのだ。食糧や衣料品、装飾品や武具、まじないや宗教に関わるもの、人間対人間に行われるサービス、その種類は豊富にある。商人たちにとって日中のこの時間はあらゆる物々販売を行うことで収益をあげている、重要な時間である。今日の彼の任務は、この城下町で何か異常が発生しないかを確認する、というものなのだが、カルディナに住まう、また訪れる人々は悪しき気質を持たないのか、それほど大事になることはない。

 「なあ、兵隊さん。ちょいと聞いて欲しいことがあるんだが………」

 「どうしたのです」

 「実は今一緒に生活している彼女と…………」

 アトリも王城に戻っている時には、この街を利用することがある。もっとも、個人的に時間を与えられたとしても、王城の中に生活に必要なものはすべて揃っているので、興味が無ければ城から出なくとも生きていくうえでは困らない。アトリはどちらかといえばその気質が強く、それほど街に興味を示すことはない。しかし仕事となれば話は別だ。彼はたとえ自国の領土の中心地であっても、警備を任された場合には武装して街を出歩く。民たちにとって兵士とは頼れる存在でもある一方、脅威の対象として見られることも多い。それは、兵士の格好であったり、彼らが持っている武器の存在にある。特に王国剣士団として携えられている剣は、それが剣士であることの証であることが明確なため、時に民たちを恐れさせるのだ。何か悪いことをしようものなら、あの剣士に斬られるかもしれない、と。この街のみならず、王国領の至るところにある町には王国軍の正規兵が駐留しており、彼らが町の治安維持に勤めている。治安維持の任務を命じられた兵士は、悪事を働く民や手配されている罪人たちを自分たちの権限で取り締まることが出来る。場合によっては見過ごせない事案が発生すれば、その場で武力を使って排除することも出来るのだ。つまり、この場合アトリも治安維持の任務を持ち、彼にもその権限が与えられていることになる。

 しかし、実際にはそういう機会は殆ど無いし、彼は自国の民たちにその剣を向けたことは殆ど無い。

 「私にはよく分かりませんが………お互いにきちんと向き合う時間を作れば良いのではないでしょうか」

 「そうですよね………至極単純なことだけど、それが一番大事ですよね」

 時に彼にもよく分からないような話も舞い込んでくる。民たちすべてではないが、彼ら王国の兵士の存在を何にでも頼れる存在のように思う民がいる。こうして、時に個人的な事情の相談をされることもあるのだが、彼からすればどう回答して良いのか分からないものであった。何にでも役に立つ存在、便利屋のように思われている節もあるのだろう。畏怖の念を抱かれることの方が多いのに変わりはないが、こうして妙なところで頼られるというのも、容易ならざる立場であった。頼られるのは構わないが、それらすべてに応えられるような器用な人の集まりではない。そう理解される日はいつ来るのだろう。

 彼は騎士アルゴスからの直属の命令により行動をするため、アルゴスの下した命令の範囲での仕事を行う。しかし王都警備の任は実際には曖昧で、“何かのイベントがあるから警護する”とか“特定の場所を集中して監視する”という指示がなされていないため、その範囲は王都全域に及ぶものとされる。現実的に一人の目で王都の全域を見ることなど不可能なので、彼と同じような役割を担う兵士が幾人も街の中を歩いていることになるのだ。中には前述のように、特定の場所を集中的に警護する役割を持つ者もいるのだが、彼にはある程度の自由な行動が許されている。逆に言えば、特に制限もなく自由に街の中を歩き回れるということだ。

 「どうだい兵士さん!?中央大陸の国が原産の果実だ!旨いぞ~?」

 「美味しそうですね。ですが自分は職務中の身、またの機会にしましょう。」

 「なんだよお堅い兵士さんだなあ!まあわかったよ」

 街道は幾つもあるが、そのどれもが繁盛していて多くの人々が行き交うものとなっている。あらゆる商売が盛んにおこなわれ、人々は日用品から物珍しい流行り物など、様々なものを求める。カルディナは常にこの国の経済の中心地であり、最も物流が集まり、最も繁盛する商業地区とも言えるだろう。だからこうして道を歩くと、積極的に勧めてくる商人たちがいる。一人や二人ではない。通りがかる度に。しかし仕事中はそういったものは求めず、ただ反応、会釈して通り過ぎるのみである。

 行動範囲が限定されていない以上、王都の中をひたすら歩き回り、何か異常が発生していないかを確認する。街道、商業区画、住居区画、公園、公共施設。あらゆる場所に出向いては、問題ないことを確認してまた次へと歩いて行く。王都はとても広いのでそのすべては回れないが、今日も至って穏やかな一日だった。


 「…………さて。久々に来たな。」

 アルゴスには18時に報告するように言われているが、今は16時を過ぎたところ。指示された仕事の時間は終わった訳だが、18時まではまだ時間がある。そこで彼が見回りをしながら一つの目的地を定めて移動し続け、やってきたのがこの場所。王都カルディナは丘陵地帯の合間にあった広いなだらかな土地に作られている。今もなお王都は拡張が進められているが、丘陵の深くなる地域に建物は作れないため、やがてはそれも打ち止めになると言われていた。そんな人口密集地を一望できるような場所が幾つかあり、彼が来たその場所は最も近くから王都の全域を見渡すことの出来る、『王の丘』と呼ばれる場所だ。

 すでに日は沈みかけ、真っ赤な夕焼け空にカルディナは覆われる。王都の郊外、どこまでも続くかのように見える大地の先に太陽は沈んでいく。東に目を向ければ、微かな遠くに連なる山々が、西の先を見渡せば、肉眼で見ることは出来ないが大海原が広がっているだろう。そして目の前には王都カルディナ。夕刻の王都は少しばかり肌寒さも感じられ、澄んだ空気に肌寒い気温が、より綺麗な空を演出しているようだった。もうあと一時間もすれば、完全に陽は沈んで夜を迎えることだろう。

 王の丘の頂点には、こんな石碑がある。




 “すべて民が自由と平等のもとに。先々の未来には、この大地が協調と平和を具現する理想郷であることを切に願う。”


                 ―――――――フィリップ・フォン・ウェルズ



 その男こそ、この地に王都カルディナを建設すると決め、国を建国すると皆を主導した、初代の王である。当時フィリップ王はこの丘から広がるなだらかな平原を見て、この地こそ王都を作るに相応しいと考え決めたと逸話に残されている。丘陵地帯の中の平原。都が栄えるに相応しい環境が整い、比較的気候も穏やかで、周りが丘に囲まれているからこそ防衛しやすい。あらゆる条件が王都建設にプラスになり、ここに中心地を作るに至ったのだ。

 フィリップにとって、ここに至るまでの道のりはそう簡単なものではなかった。かつてこの西の大陸は、今と比べ何倍もの自治領地が混在していた。そして歴史で触れられるように、争いが続き吸収合併と肥大化を繰り返してきた。ある時は小さな自治領地の勢力が大きな勢力を負かしてしまうこともあったし、その逆は常にどこかで数限りなく繰り返されてきた。

 「このままいつまでも戦い合うようでは、いつまでも明るい未来は訪れない。」

 フィリップの決断は秀でたものではなく、凡人ですら思い付くような単純なものであった。争いが繰り返される度に犠牲者が増える。誰にでもわかる当たり前のことを危惧し、それを脱却したいと思い立ち上がった。その行動力は今の国が存立している原点とも言うべきだろう。彼は味方を集め、自分の意思に賛同してくれる協力者を方々ほうぼうから得た。相容れない勢力と必要が生じた場合には戦を持ちこみ、相手を封じ込めてきた。相手が自分たちに何もしてこないのであれば、こちらから封じることはない。だが脅威となることが明白な場合には速やかに処理する。それが自分たちの領土を、煽動される人たちを守る為に必要な、もっとも分かりやすい手段だった。フィリップは、自分たちの管理が行き届く場所においては、争い事が起こらず平和で平穏で家庭的で、誰もが幸せだと思える時間を自分たちで作ることが出来る自治領地を築きたい、と考えた。



 領地において、誰もが等しく幸せを得ることの出来る機会を作れる。

それが彼の思想。そしてその規模が大きければ大きいほど、その可能性は高くなると考えた。



 理由は至って単純だ。自分たちがその地方の中で最も強い存在となれば、それに対抗し得る勢力は限られて来る。大きな勢力となり得る脅威が確認出来た場合には、最も力強い勢力を差し向けてこれを排除する。それを繰り返すことで、最も肥大化し、最も強力で最も安全な領地を形成する。フィリップは、自らの思想を基に各地を転々としながら協力者を得た。手土産や持参金を用意し、また協力ののち事が成就した暁には、自治領地において権限を持つ『貴族』の特権を与えると約束した。当時、名のある自治領地ではこうしたフィリップの動きに反発する者も多かったが、幾つかの名のある諸侯がその意向に加わったことから、急速に勢力が拡大し始めた。彼の理想が国という形に顕現するまでの時間は、具体的に行動を起こしてから3年ほど。紆余曲折したものの、その期間で併合を繰り返し、西の大陸において最大の自治領地を形成することに成功した。

 事の成就の為に、多くの人を殺した。夥しいほどの屍を積み上げた。犠牲無くては成し得なかったモノがある。フィリップ自身も剣士の一人であり、自治領地と諸侯を束ねる長でありながら、戦争が発生した時には最前線の渦中で剣を振るう勇敢な剣士であった。そういった姿が民たちの心を惹き付けた、といっても過言ではない。そういった姿が名のある諸侯たちの心を躍らせ、と思わせたといっても過言ではないだろう。事実、フィリップという男が目指す理想の過程が自分たちの一族の権利拡大になると見込んだ諸侯たちは、彼の計画に積極的に参加したし、そのための資金も拠出した。強い兵たちも貸し出した。物資も調達した。あらゆる面で協力をした。事が成就した暁には、貴族と呼ばれる特権階級を与えられる。それは最も強大な自治領地の中で、数少ない権利を保有するまたとない機会だった。事の成就が早まったのも、こうした狙いが見え隠れしていたからであろう。

 フィリップは、こうした諸侯たちの野心的思想は取り締まらず、自由にさせていた。いつか自分を利用したがる人もいる。内通して他の自治領地に情報を渡す人もいるだろう。民たちに向けては最良と最善の姿を、その協力者たちにとっては必要分の利害関係を築く。そうすることで、計画に必要な物資や資金を手にすることが出来たし、兵力を集めて他の脅威と戦うことも出来ていた。つまり、フィリップ自身も彼らを大いに利用していた。干上がらせることはせず、水の本流から道を通し多くの支流を得たのだ。積もりに積もったものを最大限利用し、自らもその理想の地を築き上げる。諸侯たちを纏めながら自らの理想も築くその手腕は、まさに主導者に相応しいものであったし、彼に従う多くの民たちがそう思った。こうしてフィリップを主導者とした自治領地はこれまであった勢力図を覆し、最後には。



*


 「…………愚かな。すべてをその手中に収め得るものでない限り、この世界に争いは無くならない。未来は一つでは無いのだから。」




*



 王国を築く為に、どうしても戦わなければならなかった相手。キエロフ山脈の麓から山岳地帯を根城としていた、西の大陸で彼らと対になる強大な自治領地。互いに相容れない者同士、どちらかが滅びるまで戦いは続いた。多くの民を巻き込み、兵士を死なせ、孤独な人々を生み出した。それでも、その矛が収められることはなく。最後には、フィリップ率いる軍勢が討ち勝ち、西の大陸最大の自治領地となった。いまだすべてを手中に収めたのではなく、戦いは大陸から無くなることはない。それでも、彼の理想として目指す、自分たちの領土の中に、幸せを作ることの出来る機会を用意する土台が整ったのであった。

 その後、フィリップはこの地を訪れ、ここに王都を建設することを宣言。約5年の歳月を経て、王都カルディナはここに誕生する。王城の建設が完了し、城下町のカタチが整ったところで、フィリップは王国の建国を大陸全土に宣言し、ここにウェルズ王国が誕生する。大方の話は歴史書を見れば載っているし、彼も時代の流れを暗記しているほどこの辺りの歴史の変遷は読み漁っていた。



 「…………王が理想とした国は、本当にこのような現状ものだったのだろうか」



 誰に聞かせるものでもない、彼ただ一人の言葉をその場で口にした。客観的に見て、王の目指した理想の国はいまだ出来上がっているとは言い難い。何故なら、確かにこの王国の領土に住まう民たちは、どの自治領地よりも平穏な生活を送れているが、今も絶えずどこかで争いは起こっているからだ。それも、領土の内部で。誰もが等しく幸せを得ることの出来る機会を作れる土地。その理想に片足を、半歩辿り着いているのかもしれない。けれどその究極のカタチは何なのか。争いの無い世の中にするにはどうすべきなのか。彼はそのように考えていた。つまり、今も王国の中では大小争いが起きており、その外縁部でも昔と変わらぬ争いは続いているのだ。そのために多くの民たちが巻き込まれている。そんな人たちも救うことが出来るのなら、この上ないし望めないことだろう。彼もまた、この大地から争いが無くなれば良いと思っていたし、そのために出来ることはしていきたいとも思っていた。それが途方もない旅路であることを知りながら。

 こうして今の王国がある。かの王の理想に適うものであるかは、もはや確認する術もない。ウェルズ王国が建国されて直後、王は不治の病により他界した。王として君臨し統治を行っていたのは、建国して僅か1年という短い時間であった。




 「ご苦労だった。明日は安息日だ。依頼も無いし、久々にゆっくりするといい」

 「ありがとうございます。………?どこか行かれるのですか?」

 「私はこれから王を交えての円卓会議がある。北の連中が気になる動きをしているというからな。」


 「…………そうですか。」




 この現状が、かの王の目指したものなのか。

彼の抱くその疑念の象徴とも言うべき問題が、一つある。ウェルズ王国にとって、現在最大の障害であり、王国の内より出でた裏切り者の集団。それが北方の連合組織、北の連中、などと呼ばれる対象だった。




 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る