1-5. アトリ(Ⅰ)




 そう。かつてはそういう関係だったが、今はそうした関係にはない。互いよく知る間柄であり、他の人々や剣士たちに比べれば気を赦すことの出来る関係ではある。だが、それ以上のことはない。優れた師と優れた弟子。師を任されることになったクロエは、その立場に困惑しながらも彼女なりに弟子に気を遣いながら、己が剣の道を彼に伝えた。正しいかどうかなど分からない。彼女の剣が絶対である訳でもない。彼女はその時から彼によく伝えていた。“これは私のやり方だから、真似をする必要はない”と。しかし、当時の何も分からない彼からすれば、それは無理な話だっただろう。目の前に教本がいてそれを参考にしない手はない。その方が自身の成長も早くなると分かりきっていたからだ。師である彼女は最後までその言葉を貫いたが、剣士としてのカタチが出来上がるまでの間、彼は師である彼女の剣を参考にした。



 師が驚いたのは、正規兵そこに至るまでの時間が、あまりに短すぎたということだ。



 自惚れではない。決して自分の指導が良かったから、などと思うことは一度も無かっただろう。何しろ彼女にとって教示する立場は彼が初めてであったし、その性格に似合わず彼の居ないところで右往左往したものだ。どうすればもっと良く分かりやすく教えられるのか、と。だが、そんな不安や心配は必要なかったのだ。彼はあまりに早く順応し過ぎた。と思ってしまうほどに。

 彼がカルディナの王城に来たのは、彼が12のとき。“北方の連合組織”が猛威を振るい、王国の領土を蹂躙して支配勢力を強めていた頃のことだ。彼は自らの過去や素性を自分から話したがらない人で、いまだに彼のことがよく分からない、という上官もいるし、彼女自身分からないことは多い。初めてこの城に来た時の状況と、彼が少ない中で明かしてくれた自身のことを照らし合わせて、彼の過去が垣間見えるだけだ。一つ、ハッキリ分かっていること。



 アトリには、現在親権者が誰も居ない、ということ。



 そう。過去にはいた。彼を産む基盤が無ければ彼など産まれてくるはずもない。昔の伝説や言い伝えにあるような、竜や湖の妖精が作り出した子供、なんて幻想はこの世界には存在しないはずだから。12のとき、彼は一人でこの王都まで来た。彼は北からやってきた、という。雪の多く降る白銀の大地が彼の故郷だと言う。その話で幾つか想像できることがある。“北の連合組織”が周囲の自治領地との併合を続けながら勢力を拡大し、王国の領土を蹂躙するようになったのは、今から4年前。ちょうど彼が12のとき。この状況から、彼の親権者は戦いに巻き込まれ、命を落としたことが分かる。実際、彼も僅かながらの言葉でそういう意味合いを口にすることはあった。子供にとってはトラウマのようなものだっただろうし、思い出させるのも口にさせるのも、彼女には抵抗があった。だからあえて詮索はしなかった。王国には、6歳から18歳までの間、身よりのない子供や様々な事情で親権者を失い、路頭に迷う子供たちに学問を授ける機関『カルディナ孤児院』というものがある。カルディナとその周辺は豊かな生活を送れていたとしても、王国領全体として見るとそうでない地域も多い。そして残念なことに、そうした境遇の中で親を失う子供はいた。彼もまたその一人であったし、それならば孤児院で勉学に励んでもらい、将来この国の為に仕える人になってもらえれば良かった。それが“普通の時間”を奪われた者の行き付く未来の一つだ。ただ、彼は孤児院に行くことは無かった。




*



 ―――――――剣士になりたい。

 剣士として、今も戦いに巻き込まれて、苦しんでいるすべての人たちの為になりたい。それで、この手で護れるものがあるのなら。





*




 それがキレイなものに写らなかったのは、その未来がどのような結末になるかを想像した時、あまりに惨く残酷なものであるに違いない、と思ってしまったから。きっと少年の純白な正義は、自分の境遇と重ね合わせてそのような状況にある者たちを救いたい、という方向を示したのだろう。正義など人の価値観の押しつけでどうにでも変わる。何も清きものである必要もない。しかし彼のそれは、まるで穢れを知らない処女のようなもの。何人なんぴとにも侵されない確固たる信念であるかに思えた。彼には、その決意はキレイで輝いたものに見えたのだろうか。今とは違って。

 そうして彼は孤児院ではなく、すぐに正規兵になるための訓練を受けるようになった。剣士になりたい、いずれは剣士としての最高峰である王国の騎士になりたい。そう志して養成所に入所し鍛練する者も多い。だが、剣士としての過程は決して簡単なものではない。過酷な訓練と難しい学問を学び、そして王国に、王に対し絶対に忠誠を誓う。いざとなればこの国の為に命を投げ出すことだってしよう。それが国に仕える、王に仕える剣士というものだ。自分たちはその駒になるのだから、それは分かっていて当然のことだった。そしてその時期、北方の連合組織との戦いが間近に控えているのを分かって、剣士になりたいと志す人はそうそういなかったのだ。国としては、出来るだけ多くの戦える兵士を集めて軍備を増強したいと考えていた。万が一にも彼らに不覚を取ることになれば、王国領が次々と脅かされることになる。それは避けたい。しかし現実は、どれほど物資をかき集めようと、どれほど軍備を整えようと、もっとも肝心なが出来ずにいた。彼の入所のタイミングも同様だった。だからこそ、だろう。彼がその中で異彩を放つものとして、誰もが注目したのは。

 彼は、はじめから剣の腕が備わっていたかの如く、圧倒的な技量を示したのだ。



*



 ―――――――へえ、いるんだね。そんなバケモノみたいなやつが。


 頼まれてくれるな?お前の優れたる剣腕とあの少年の意志とが合わされば、きっと良き未来をもたらす兵士となるだろう。


 あの子がどうなっても、私は責任持てないよ?それでもいいのか?


 だが、これはあの少年が望んだことでもある。その望みを叶えさせるのも、師の役目だ。あの少年が“アレ”を持つ者であることは、決して口外せず伏せるように。




*




 はじめ、彼は他の訓練生たちと同じ行程で修練を重ねた。しかし、明らかに周囲と異なる技量を持つと分かったのは、12歳にして身体能力がその時の教官を上回っていたこと。そして、木製の剣での鍛練を重ねていくうちに、一本取りの試合形式の初戦で、すべての対戦相手を負かし、初日で教官すらも戦って倒してしまったことだ。とんでもない訓練生が入ってきた、と話題になった。何しろ教官を退かせたほどの腕前を持つ者が、つい数週間前に入ってきた少年で、剣士ですらなかったのだから。

 その後も同じく訓練生たちとの鍛錬が続いたが、それ以来、他の子供たちが彼を見て恐怖を抱くようになった。あまりに強く、あまりに高い技量を前に、一緒の空間にいるだけで委縮してしまったのだ。それでは他の人たちも訓練出来ないし、何より成長過程にある彼の為にもならない。優れたる素質を持つ者であると分かったのなら、特別に分けて鍛練することを考えなくてはならない。その上官の判断により、彼は本来進められる剣士への行程から外れ、既に剣士としての立場にある者から直接指導を受け、その道に進ませることになった。剣士になるためには、人により期間は異なるが、最低でも1年以上は訓練所を出ることは無い。だが、彼はある意味異端児だった。その行程を大幅に縮め、しかも本来あるべき行程から外れてその道を目指すことになったのだから。

 その道を援助するのに充てられた人事が、クロエだった。ここから彼との師弟関係が始まったのだが、その関係は僅かに数ヶ月程度しか続かなかった。仲違いしたのではない。




 ――――――――なぜそこまで強いのか?

 “ある一つの事実”を知った彼女は、もう自分の教えなど必要ない。何故なら彼は元からある程度出来上がっている。ならば、ここで燻らせるよりもっと広い視野を身に着けさせるべきだ、と伝えた。彼女は七騎士と王家が参加する円卓の会議の中で、そう進言し方向性が定められた。そうして彼は正規兵としての認可を受け、剣士となった。

 これが、かつての師であった彼女――――――――クロエが自らを師匠と口にした、ほんの一部の過去である。



 「まあそれは冗談として、帰ってきたばかりなんだ。身体は疲れ切ってるだろうから無理はしなさんな」

 「分かっているよ。きっと、配慮してくれたんだろう。王都警備は久々だから」

 「分かってるならそれでよし。今日乗り切れば、明日は安息日だ。久々こっちに腰を落ち着けられるんだから、ゆっくりするといいさ」

 「ああ。ありがとう」

 「身体がぎこちないんなら、鍛練が終わったあとで私がほぐしてあげようか?」

 「クロエのそれは痛いから結構。」

 「けっ、それが良いんじゃないか。人の厚意は快く受け取っとくべきモンだよ」

 「次があったらな」

 そうして会話は終了し、クロエは修練場の前方に戻って行く。彼と彼女の会話はほかの子供たちには聞こえていなかっただろうが、その場の雰囲気を見る子供たちは多くいた。そして子供たちの中にも、アトリという剣士の存在を知る者は一定数いた。あの人がそうなんだ、と目を丸くする子供もいただろう。

 まだ仕事の時間までは早い。でも、早く出たところで何ら問題は無いだろう。そうして彼は1階まで下がり、関係者用の扉から出て正面の橋へと向かっていく。太陽は高く昇り、薄ら寒い空気と僅かな風が流れていく、朝の城下町。既にその様子は、遠くから見ても活気にあふれるものであった。




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