1-3. 王城の朝(Ⅰ)




 西の大陸内部では、いつもどこかで大小問わず争い事が起きている。自治領地同士の戦争という規模のものもあれば、盗賊やゴロツキ、部落同士の諍いが殺し合いに発展するといった規模のものもある。絶え間なくどこかで何かしらの戦いは起こっていて、その度に尊い命が一つ、また一つと失われていくのだ。

 しかし、そうした外部の焦燥から最も遠い位置にあるのが、西の大陸最大の領土を持つウェルズ王国の中心地、王都カルディナと言っても良いだろう。王国領の内部や外縁部でも、そうした争いなどは発生することがある。領土内では自治領地の戦いは起こらないが、民を襲う悪党や派閥の異なる者たち同士の争いは、珍しいことはない。一方の王都カルディナは、そうした悲観的な側面からは切り離されたかの如く、毎日が平穏で賑やかで活気に満ちたもの。言うなれば、笑顔と希望の集まる、多くの人々にとっての夢そのものであった。だから手にしたい、その恩恵を授かりたいと思う人が多かったのだろう。その噂を耳にした異邦の民が、この地を訪れるように。

 王国は誰にでも開放的オープンな訳ではない。異民族の中でも外敵と認定した自治領地やその土地に住まう人々には閉鎖的クローズだったし、この国のこの都に住まうには対価として税金を支払い続ける必要があった。それが出来ない者には王の都にいる資格は無いとされ、他の王国領に流れていくことになる。もっともこれは、都の定める区画に住む者が対象であり、ここを訪れた目的が観光や行商などで、一時的な滞在を目的とする者に課税義務はない。それでも、多くの人々がこの都を目指し、努力をしている。それほどまでに、他所から見たこの都の輝かしさは特別なものだった。

 「こんな夜更けに誰………あ、アトリ殿ではありませんか。今お戻りですか?」

 「オルルドさん、お疲れ様です。今日は夜番なのですね」

 「ええ。次の安息日まではこの勤務シフトです。アトリ殿は、自治領地から帰還なさったのでしょう?」

 「はい。今しがた厩舎に馬を預けたところです」

 「此度もお疲れ様でした。もう夜更け、充分にお休みください」


 王都カルディナの中に在る、最も威厳のある高い建造物が、王の城である。城の周囲は広い池に囲まれ、すぐ傍には川が流れている。外壁は人の背丈の数倍の分厚い壁に覆われていて、正門は王都内のどの建物よりも大きい高さの大門で区切られている。基本的には正門が唯一の王城内への出入り口であり、城門には必ず王城直属の衛兵が警備にあたっている。どれほど城門や外壁が高かろうと、この城のシルエットはその外壁を大きく突き抜けていて、王都のどこから見てもその城の威厳が損なわれないような工夫がされている。王城と王都を繋ぐ一本の大きな橋は、無数の松明が置かれ常に明るさを放っている。アトリはその上を歩いて城門前までやってきた。城門は特定の時間を過ぎると決して開けさせないようにしている。今は夜中の1時。次に城門が開かれる時間は朝の8時であるため、正面から城に入ることは出来ない。しかし、城門前に設けられた検問所で衛兵が勤めていて、特定の身分を持つ者は24時間ここを出入りすることが出来る。

 「王国剣士団」に所属するアトリは、その身分に当てはまる。彼は他の人々と比べて階級が高い訳でもなく、誰かよりも偉いとか、そういったことは無い。彼は王都直属の剣士であり、普段はこの王城の中で生活をしている。そのため、仕事が終われば基本的にはこの城に戻って来るのである。集団生活なので、彼が持つ部屋は僅か6畳の石壁に囲まれた質素な空間だ。隣の部屋とは壁で仕切られているが、密閉されている訳でもなく、夜中に戻れば男たちの鼾が聞こえる。もう慣れたことではあるが。



 ――――――疲れた。今日はもう寝よう。

 昼夜問わず、休みを入れつつではあるが、ほぼ不眠でここまで戻ってきた。彼にそれほど急ぐ用事は無いのだが、早く戻れば次なる仕事の依頼も早く受けられるかもしれないし、城に戻れば戻ったで色々とやることはある。そのため、寄り道などせずに帰還する、というのが彼の習慣だった。

 6畳間にベッドなどと呼ばれる大そうな寝具は無く、石の床に敷かれた薄手の敷物と硬めの枕を置いて、そこに横たわるだけである。両手を頭の後ろに組んで、何の景色も無い石壁の天井を見上げながら、眠りにつく瞬間を待つ。身体は疲労を覚えている。重たく圧し掛かるこの感覚があれば、そのうち勝手に寝付くだろう。




 ………………。




 『なぜこんな子供だけを寄越したのだ!!?』

 『結局我らは王国から見放されているだけではないか』

 『民一人護れないで、何が国だ!!』



 そんな声を聞いた。今回では無く、これまでの経験においてだ。その人たちの言い分は、分からない訳ではない。否定することも出来るのだが、彼はそれをしなかった。それをする立場に無かった、というのもある。その人たちの話すことが正しいか間違っているかは別にして、確かにそうなのだと思えるからである。助けを求める者たちからすれば、こんな子供一人が送られてきたのを見れば、より絶望するかもしれない。それでも、救われた命はある。



 『………そう。あの人は、亡くなったのね。………そう………。』


 『悲しいね。昨日まで隣にいた人が、今日にはもう会えなくなっているだなんて。』



 いつの日か経験した過去を、思い出す。

そこに住まう者たちにとって大切なものを、護る為の戦い。それが果たされず、死んでいった者と生き残ってしまった者。生き残った者たちの嘆き、悲しみ、慟哭する姿を、時折彼は思い出す。

 『王国の兵士だから強い』

 『正規兵ならきっと私たちを護ってくれる。』

 そう。そんな声にいつでも応えられるのなら、それはいい。だが現実はそうではない。応えられないことのほうが多いのだ。今回のように、間に合わないケースもあれば、どれほど善戦しようと結果を覆すことが出来ない戦もある。正直、誰でも護り通せるほど都合良く人間は作られていないのだ。どうしようもない時は、どうしようもない。本当はそう思いたくないし、それが現実だと受け入れようとすると、腹が立つ。この王国にとって、自治領地を護る義務はない。あくまで、護る義務があるのは、王国領に属する直轄地に対してのみ。当然と言えば当然のこと。王国が統治する直接領地を見放しておく訳にはいかない。その点、自治領地は王国には属せず、自分たちで生活を営んでいる。今回のように要請されれば派遣されるが、それは絶対の条件ではない。明らかに危険だと判断される例においては、要請を受けても派遣を行わないこともある。兵士が派遣されるという状況を考えれば、イコール戦いが発生すると言っても過言ではない。むしろ、派遣される理由は戦闘をしに行くから、と言ったところで不自然ではないだろう。

 結局自分とはちっぽけな存在で、この手に護れるものなど数少ない。それでも、諦めることはしたくない。彼としては、助けてほしいと言っている人がいるのであれば、相手がどのような人であれそれに応えたい、と思うのであった。

 ゆえに。過ぎたことではあるが、あのような結果となってしまったことが、申し訳なかった。だから力不足だと感じてしまうし、より一層強くなる必要があるのだと思ってしまうのだ。



 朝を迎える。時刻は6時。王城の朝が始まるのは、ほぼ決まってこの時間だ。

王の城に仕える兵士、鍛冶職人、石工大工、召使、料理番………職種によりそれぞれ時間が異なる場合も多いが、朝の6時を過ぎるとほぼすべての職種に勤める人たちが活動を始める。城の内部で仕事を始める時間が定められている訳ではないが、既に当たり前のように定着した活動開始の時刻がこの時間なのだ。

 そしてそれは、夜中に帰還したアトリとて同様である。満足に眠ることの出来ていない身体は空腹を訴えていた。せめて食事を摂って活力を得なくては、と。この城には城内に勤める人たちが気軽に利用できる食堂があり、6時には既に食事の用意が出来ている。朝昼晩この食堂で食事をすることが出来るので、ここに勤める人たちは基本的にここを利用し、食事に困ることはまずない。彼が自治領地の任務の為にこの城を離れると、一週間は帰って来なくなる。時と場合によっては1ヶ月近く王城を離れることもあり、離れる期間が長いとここで過ごす時間が少しばかり懐かしいと思えることもある。

 手早く食事を済ませると、一度部屋に戻り自身の装備を整える。午前中のうちに刃こぼれした剣を研ぐか、新しいものに替えてもらおう。



 「あっ、おはようございます、アトリさん。少し久し振りですね?」

 部屋を出た瞬間。彼のすぐ隣に立って、ぺこりと頭を下げつつ丁寧なあいさつをする少女が一人。王城勤務で召使が着用する服装を綺麗に身に纏い、色の濃い茶髪を頭の後ろで束ねて長髪を下ろしている。口と鼻元は白い布で覆っていて、肩から小さな作業用の収納鞄を紐で下げて、右手には箒が持たされていた。

 「おはよう、メディナ。今日も早いな。」

 「いいえ。でも、食堂でアトリさんをお見かけしたので、久々にお会い出来ると思って、先に来てみました。」

 城の奉公人、召使という職を勤める少女は『メディナ』と言う。主にこの城のあらゆる雑務をこなす係りの人で、同じ召使の仕事を持つ女性たちは大勢いる。メディナは決まって、朝の食事が終わると仕事の為に居住区から離れた兵士たちの部屋の掃除をする。毎日必ず一回すべての部屋に入り掃除を行う。何人かで分担して行ってはいるのだが、この城に仕える人数は数百人規模であるから、すべての居住区を清潔に保つのは非常に大変な仕事である。

 「遠征お疲れ様でした。お身体の具合はいかがですか?」

 「大丈夫。心配しなくとも、その辺は弁えているつもりだよ」

 「あまりご無理なさらないで下さいね。アトリさんはその傾向が強いので」

 「そう、か。そう見えるのか?」

 「はい。だからこそ、アトリさんがいつ帰ってきても清潔に、そして満足にお休みできるよう、今日も綺麗に片付けて掃除しておきますね」

 「ありがとう。助かる」

 なんだか、そう真っ直ぐに言われると少し照れるな…………とは口にはしなかったが、感謝の気持ちを伝える。メディナは15歳。アトリの一つ年下であり、彼にとっては珍しい比較的年代の近い知り合いである。再びぺこりと頭を下げると、布越しでも分かる綺麗な笑顔を浮かべ、彼女は彼の部屋の中へと入っていく。そこから先はメディナの仕事だし、いつもメディナはこちらが何を言わずとも綺麗に仕事をこなしてくれる。あとは任せておいて良いだろう。

 「あ。そういえば、明日は安息日ですね。アトリさんはこちらにいらっしゃるのですか?」

 「たぶん。今日出てみて依頼が入っていなければ、ゆっくり身体を休めるとするよ」

 「それがいいですねっ。そうなるよう勝手ながら祈っています。」



 王国剣士団の一員であり国の為に仕える兵士のアトリには、直属の上官がいる。彼は自ら依頼を選定して自治領地へ赴くのではなく、上官からの進言や提案を受け、それを承諾して赴くという体裁を取っている。上官なら命令すれば部下たる彼はそれに従う必要はあるのだが、そういった命令系統は存在しない。必ず依頼主の存在を調べ、依頼内容を精査し、要請に応えられる中身であると判断された場合に、彼が派遣されることになる。無条件で彼を送り出すことは無い。

 それはなぜか?―――――――『死地の護り人』はこの国にただ一人、アトリだけである。彼がその任に就いてその任で殉職することにでもなれば、代わりが居ないのが現状である。事情は様々であるが、なぜ彼一人にそのような任務を与えるかと言われれば、それはこの国の立場に大きく関係している。自治領地に纏まった兵力を派遣することになれば、敵対する自治領地に強い反感を抱かせることになる。周囲の自治領地が結託して国を攻める可能性も零ではない。またそのような手段は、王国が他の自治領地と協力する一方で自国の領土を拡大するという主旨にも捉えられがちになり、その魂胆が見え隠れすることも好ましい状況ではない。王国は今ですら広すぎる領土を持ち、そのすべてを掌握するのに人員が足りない現状なのだ。ゆえに、最小限の派遣で事を済ませられる程度の依頼を受ける。彼が派遣されたところで何ら情勢を覆せないと判断された要請には、どんなに歯痒い思いを持っても応えられないのだ。

 そして、この仕事を単独で受け持つ彼は、必ず任務終了後に報告する義務がある。それも、この城に戻って来て朝を迎えた後の優先事項である。



 「失礼します。任を終え、戻りました、アルゴス卿」

 王城の上層階へ行き、城内回廊を暫く歩いた先に見える、やや大きな扉。扉前にいる衛兵に声をかけ用件を伝えると、先に衛兵が扉の中へ入り来訪者とその用事を伝える。許可が下りると、その扉を開けて中にいる者と面会することが出来る。そして彼が呼んだその男は、アルゴスという。自分の執務室の中だと言うのに、ヘッドヘルム以外の鎧を着込むガタイの良い男。彼は王の軍の立場を統べる代表格の一人であり、王国剣士団における最高階位の持ち主。




 そして、この国の国政に関与することを許される、王のほかに“七名”しか選ばれていない特別な存在―――――――騎士サーの称号を与えられる者である。





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