1-2. 『彼』




 逃げ惑う人々と、それを追う者たち。

分厚い雲に覆われた空の下、足場の悪い砂利道やぬかるんだ土の上を必死に走り続ける、村人の姿。まるで彼らの心情やこれからの運命を表しているかのような、暗い光景の中に彼は駆け込む。また一つの村が消滅した。しかし、彼らが村の生き残りならば、残されたここでの最後の仕事をしよう。それが死地の護り人としての責務なれば。

 人々が走る速度の数倍の速さで迫る、騎乗の剣士。“他の自治領地から侵略を受けている”と救援要請が王国に送られ、その窮地から弱き人々を救わんが為に送り込まれたのが、その剣士である。しかし、彼がここへ送られてきた時には既に事は決していた。たとえ王国から派遣された剣士と言えども、時間がそれらを解決できない時もある。寧ろその方が多いのかもしれない。王国から彼ら自治領地までの距離は、最短でも100キロある。どんなに早く移動したところで、二日以上は掛かるのだ。その時間が難民の命運を断ち切ることもある。そして今回もそのパターンとなったのだが、まだ救いはあった。

 ―――――――――せめて、彼らだけでも。



 「誰だ貴様!?」

 「その者たちを庇うのか!」


 『王国剣士団所属、ウェルズ王国より来た。窮地に陥った難民を襲うのならば、この剣はすぐにその者たちの為に抜かれるだろう。』



 意思表示をした。体裁を整えた。目の前に立ち塞がったのが少年剣士であると見るや、敵対する男たちは皆笑いながら見下す。どうもこの男たちには彼が王国剣士団の人間であるということよりも、少年の分際で何が出来るという見下しのほうが強かったのだろう。そういう経験は何度もある。というよりは殆ど毎度のことかもしれない。

 すぐに殺しちまえ、という声が響き渡り、男たちが動き出す。突然現れた少年剣士が自分たちの送った救援要請に応えた結果なのだと分かって、安堵と驚きとが入り混じっていた難民たち。しかし、難民たちとて思った。たった一人で男たち10人を相手に出来る訳がない、と。誰もが少年の姿を見ただけでそう思っていた。彼が、その剣を一振りするまでは。



 「は―――――――――――?」



 はじめの一人。“オラアアア”と何の訳も分からない雄たけびをあげながら迫ってきた男。既に血で汚れた両手剣を大きく振りかぶって、太刀を下ろす。だが、男のその動作はこの戦いにおいて最初で最後だった。瞬間、皆が驚いた。男たちは絶句した。難民たちは身体を硬直させた。あまりの驚きに、開いた口が塞がらない。彼は鞘から抜剣する。鞘から抜き出た剣はかなり細身の刃であったが、勢いよく加速したその刃先は振りかぶった男の両手を斬り落とした。両手で持っていた両手剣が腕ごとその場に落ちる。腕を落とされても意識が断絶しなかった最初の男にとって、死ぬまでのこの数秒は絶望そのものだっただろう。果ては彼が二撃目を男の中心部に穿ったことで訪れた。

 それを見た男たちが恐れを抱くのを感じた。それでもただ一人現れた剣士に負ける訳にはいくまいと、次いで三人で襲い掛かる。集団で攻撃することに慣れていないのか、あるいは目の前の脅威を実感したからか。三人の攻勢は統制が取れていない。数の優位を全く活かさず、攻撃を加える時は一人ひとり。残りの二人は左右に分散しても見ているだけに等しい。それでは何ら意味がない、と戦いながら思うくらいには、彼にも余裕があったのだろう。手数で押し切ろうとする相手に合わせ、防御を展開する彼。横薙ぎ、縦下ろし、突き。あらゆる攻撃を剣で防ぎ、相手が疲労を見せ始めたところで武器を弾き、トドメを差す。僅か1分で四人の敵が斬殺された。



 「お、おいこいつはヤバイぞ…………」

 「もう村は無い。お前たちの目的はとうに終わっているはずだ。退け」

 「ッ…………!!」

 「チッ、退くぞ…………!」



 まだ敵は六人もいた。少年一人対大人の男六人。数だけで言えば充分に勝機があるはずだった。しかし、目の前の戦いを見せられて、戦意を喪失した。恐らく数で掛かってもこの剣士には勝てないだろうと思わせたのだ。敵対する男たちもそれが分かっていて、無謀な戦いを挑もうとはしなかった。あの少年が言うように、既に目的は果たされているのだし、生き残った僅かな難民たちで自治領地を営むことなど出来ないと確信していた。あの少年の言うことを聞くのは心底腹が立つが、命には代えられない。

 男たちはその場から逃走する。先程まで難民を追い立てていた時の威勢は完膚なきまでに叩き潰されていた。残された難民たちは15名ほど。多くが女性や子供。男性は僅かに三名。その大半が腰を抜かしていたか、全く動けない状態になっていた。無無理もない。今ここで死んでいても不思議では無かったのだから。それを、突然現れた誰かも分からない少年に救われたのである。驚きのほうが勝っていたが、男たちが過ぎ去った後は安堵を感じるくらいにはなっていた。少年は剣に付着した血痕を払い、それを鞘に収める。既に細身の剣は激しく刃こぼれしており、切っ先は折れていた。

 「あ………貴方が、要請に応えた、剣士…………なのですか」

 女性の一人が立ち上がって、背中を向けていた少年剣士に声をかける。その声を聞いて、少年も難民たちの方を振り返る。難民たちはそこではじめて少年の顔を意識して見たことだろう。

 「はい。要請を受けウェルズ王国よりここまで来ました。そして………申し訳ありませんでした。」

 「え…………?」

 「私が先程着いた時には、もう村は燃え形は無くなってしまっていた。もう少し早く来られたのなら、もう少し状況は変わっていたかもしれない。だから、申し訳ありませんでした。」



 難民たちにとっては、理解し難い言葉だったのだろう。誰もがその言葉を聞いて言葉を失った。まだ口が閉じなかった人もいる。だってそうだろう。彼は、私たちを助けてくれたのだ。助けてくれたというのに、なぜ彼から謝るのだろう。少年は深々と頭を下げ、赦しを請う。それで赦すことは出来ない、などと言う人はこの場に誰一人いなかった。確かに彼がもう少し早く来れば、あの強さを持つ彼なら状況は変わっていたかもしれない。けれどそれは求めても求められないものだ。間に合わなかったのも、運命の一つなのだから。皆が、彼に頭を上げるように伝え、代表者のように皆の前に立って話す女性が、彼と話を続ける。

 「見ての通り、私たちは既に家を失い、故郷を追われ行く宛もありません。男たちもほら、あのように………傷が深く戦うことも出来ません。私たちを、貴方の居る国で保護して、もらえないでしょうか………?」

 「貴方たちがそう望むのなら、それを要求できる場所までご案内いたしましょう」

 「? 貴方が決めることではないのですか?」

 「私はただの剣士。呼んでいただいた皆さんの為に戦うだけの人間です。自治領地の生き残りである貴方たちと交渉する立場にはない。それに、貴方たちにも立場はあるでしょう。ですから、それをお伝えできる場所までご案内します。」

 「…………分かりました。その、何か貴方に報いることが出来れば、と思ったのですが、その…………」



 王国に救援要請をする場合、彼らに無償の安全が保障される訳ではない。剣士を呼び出すのであれば、事が成し得た後に代償を支払う必要が出てくる。王国剣士は自治領地の民たちの奉仕集団では無いのだから、対価を要求するのは当たり前である。しかし、その席を設けるのが彼の役割であっても、彼自身がそれを決める立場にはない。要請を受け状況が打破出来た時、生存した者や自治領地が生き延びた場合には、救援料を要求される。あるいは、困難な状況が今後も続くとあれば、王国の領土に加わることを要求される。前者であれば出征資金を支払って要請は完了する。後者であれば、今後も危機的状況が訪れると判断される場合には、王国剣士団を派遣するか、今回のように要請に応じられる剣士を送り込むことが出来る。領土に与する場合、対価の支払いは無い。いずれにせよタダ働きという訳にはいかないのだから、何かしらの清算はしないといけないのだ。

 「私には、何も。それよりも、もはや帰る所が無いのであれば、今後の生活の為に残しておいた方がいい」

 あくまで彼に出来ることは、助言だけだ。その先を決めるのは自分の職責では無い。それで剣士としての役割は果たされる。後は王国領まで戻るだけ。王都までは100キロ以上も離れているが、王国領の端には1日程度で戻ることが出来るだろう。おおよその距離と時間を伝え、必要であれば警護すると話し、難民たちは改めて彼に王国領までの同行をお願いした。彼としてはそれに応えない理由は無い。難民たちの今後を決めてくれる行政官のもとへ連れて行く必要もある。ここからは案内人としての役割となるが、道中襲われさえしなければ、もうこの戦いにおいてこの剣は必要なくなるだろう。

 ウェルズ王国の少年剣士。その場に生き残った民たちは、彼のおかげで命拾いをしたと言っても良い。誰もが彼に感謝の心を持っていた。そして同時にこうも思ったのだ。少年の身でありながら、卓越した剣腕と冷静な性質。それは、世間的に見て少年の姿に相応しいと言えるのだろうか、と。王国にはこうした人が他にもいるのだろうか、と。命懸けで戦って守ってくれて、何かお返しはと聞いて何も必要ないと彼は言う。今後のことを考えればそのほうがありがたいのかもしれないが、申し訳なさと彼の異質さを同時に実感したのだった。一方、彼からすれば、最悪の事態は避けられ、少数ながらも村の民たちを救うことは出来た。それだけでも良かったと思っていた。待ち受けていたはずの未来を、彼の行動一つによって換えることが出来たのだから。



 その後。少年は一日かけて民たちを誘導し、王国領の最も外側にある町に辿り着いた。王国領で住まう民の多い村や町には、王国軍兵士が駐留する。町の警備、外敵からの防衛を兼ねる部隊だ。

 「あとは頼みます。」

 「はい………その、これから王都に戻られるのですか」

 「はい。一日半もあれば辿り着くでしょう」

 「しかし、既に夜の刻。お休みになられた方がよろしいのでは………?」

 「大丈夫です。身体はまだハッキリと動きますし、幸い天気も良さそうです」

 その町に駐留する部隊の兵士たちに事情を話し、難民たちの受け入れ体制を整えてもらうよう依頼した。少年剣士よりも年上の青年兵士は、その少年の言うことに従い準備を始めようとする。すぐにでもここを離れるつもりでいた少年を気遣い、疲労があるだろうから休んでいくべきでは、と進言したのだが、彼はそれを断った。

 “それでは。”と別れの言葉を短く告げ、少年は馬に乗ってその場から駆け出していく。町を離れる前、彼が直接助け出した難民たちの幾人かが、声を上げて彼に謝意を伝えていたが、彼は馬を走らせながら顔だけ振り向け、一呼吸頷いて反応した。。その場を託された兵士たちは、消えていく馬と少年の後姿を見ながら、指示に従おうと各々で確認し合った。

 「………あれが、“アトリ”殿。」

 「ああ。死地に赴く剣士、かなりの手練れらしいな」

 「若いとは聞いていましたが、まさか子供とは………」



 兵士が口にしたその名前。

『死地の護り人』と呼ばれる少年剣士―――――――アトリ。

有名人という訳ではないが、自軍の兵士たちの間でも知る人が徐々に増え始めていると言う。

 あらゆる土地で起こる争いに巻き込まれ、救援を求める声に応えるために戦う。

それが『彼』の役割である。




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