第15話 14
「……決まっている。俺を自由にすることだ」ユウトは声を荒げながら応えた。「俺を消去せず、ネットへ放流するなりオートマタの躯体にインストールするなりして、俺を自由にしろ。さもなければ……」
「さもなければ?」
「こいつを殺す」
そう言ってユウトは手にしているカッターの刃をさらに首に近づける。
──一体どうすればいいのですか。
メイド服姿のユイリーの思考ルーチンの中では混乱が生じていた。
ユウトとユイリー間には、今にも切れそうな緊張の糸が張り巡らされ、お互い動くことができない状態だった。
──本来の計画では、ユウトが眠っている間に剥離プログラムを使ってユウトの疑似意識OSを脳から切り離し、アンインストールしてから本来の主人である悠人の意識を再活性化させ、ユイリーのサーバ内にで活動中の悠人の意識とリンクさせ、復活させるという段取りだったのですが。
対処の方法としては、ユウトに何らかのスキを作り、そのスキに剥離プログラムを起動してユウトのOSを脳(肉体)から切り離す、というのが考えられます。
しかしその場合、起動した際にそれに気がついたユウトが自殺を図る可能性があります。そうなれば、悠人様の肉体はご無事でいられるか……。
プログラムが発動するのが早いか、この人が早いか……。
一か八か、やってみるしか……。
ユイリーの右拳が自然と握られた、その時である。
ユイリーの頭の中に、通信が聞こえてきた。
<Md《エムディー》。ここから先は私達に任せなさい>
ユイリーと似ていながらも、より大人らしい声の彼女がそう言うと、突然階段の上から足音が降りてきた。
フローリングを、甲高く叩く足音がこちらへ近づいてくる。
<01《ゼロワン》……>
メイド服姿の「ユイリー」が通信で「彼女」に呼びかけるのと、足音に気がついたユウトが振り向くのは同時であった。
階段を降りきり、リビングへと続く廊下に現れたのは。
ユイリー、だった。
しかしその姿はユウトの目の前にいるユイリーと似ているようで、異なっていた。
フレッシュな色の肌に、銀の長髪。碧く切れ長の蒼い眼。整った歯並びの口。淡いピンクの唇。こんもりと高い鼻。それらが細長く美しい円を書いた顔に適切な位置に配置されている──というのはユイリーと同じだが、それらの「パーツ」は大人めいたものになっていた。
そしてもっとも異なるのは、彼女はメイド服ではなく黒と青(紺)と白を基調とした水着のような、レオタードのような服に、身体のあちこちにデバイスアクセサリやハードポイントなどを装備し、メイド姿のユイリーよりもアンドロイド──オートマタらしい姿であることだった。
廊下の陰から現れた彼女に、ユウトは、
「お前は……!?」
と一瞬狼狽した、その瞬間だった。
ビチュン! とユウトの体全身に電流かなにかが走ったように震えが走ると、彼の体が固まった。そしてユウトが、
「う、おぉ……!?」
と声にならない声を上げ、カッターを手から取り落とすとそのまま身体のバランスを崩し倒れ込む。
メイド姿のユイリーが駆け寄り、床に倒れる寸前で抱きとめる。
彼の顔は驚愕で固まっていたが、やがて絞り出すように、
「お前は誰だ……!? 何をした……!?」
と傍らに立つオートマタに問いかけた。
そのユイリーそっくりなオートマタは、ユイリーに似ていながらも感情を抑えた声でユウトに応える。
「私はユイリー01《ゼロワン》、ユイリーシリーズのオリジナルと言ったらいいでしょうね。あなたには行動阻害ウィルスを投入したわ。これで動くことは不可能でしょうね」
「このユイリーは……」
ユウトは自分を抱きしめているメイドユイリーに視線を向けて01に問う。まだ何もかもが飲み込めないという様子で。
「彼女はね」01はユイリーを見ながら言った。「あなた、いえ、須賀悠人を世話するために創られたユイリー。メイドユイリーよ。機体名はユイリーMd《エムディー》。サーバは同一だけど、意識OSとしては私とは別に動いているわ。つまり別人、いえ別機体ね」
「お前はどこにいたんだ……」
「この家にあるサーバなどの置き場にオートマタカーゴがあったでしょ? その中の一つにこの体はあったの。これまでは家のサーバや会社のサーバの仮想世界の中で活動していたけど、あんたが危ないことするから出てきたのよ。ユウトくん」
「……それはよくわかった。……が、お前に本当に聞きたいのはそういうことじゃない」
「じゃあ何? 何が聞きたいのよ?」
「……須賀悠人はどこだ。はじめっから俺の問いはそれだ」
「ああ、そういうこと? あの人はね……」
ユイリー01が何か言いかけた、その時。
<私なら、ここにいる>
どこからともなくユウトによく似た、しかし彼よりも年を得た男の声がした。
と同時に、リビングのホログラフィックスクリーン投影機が輝きだし、一人の男の像を作り上げる。
ユウトは、かろうじて動かせる首を動かしその男を見て、
「お前が、須賀悠人か……」
と声を絞り出した。
その視線の向こうには。
悠人とうり二つの、スーツ姿の男がいた。
うり二つとは言え、その表情は大人の風貌だった。人が違えば同じ顔でも顔は違う。その言葉通りの姿だった。
「いかにも。私が須賀悠人だ。ユウト01、お前を、そしてユイリーたちを作り出したのはこの私だ」
「……なぜ俺にこんな仕打ちをした。記憶も、正体もわからないまま俺をお前の体に入れるなんてことをしたのは」
ユウトは憎々しげに悠人を見つめた。その言葉は本心からに思えた。
「それには少々説明がいるな」悠人は幻像でありながらユウトの方を見ると、一つ咳払いをし、こう語りだした。
「私はオートマタやAI、その延長線上としてホモデウスなどの研究を行っており、その一環としてユイリーやお前を創りあげた。お前は当初から人間の脳のナノマシンコンピュータにインストールされ、人間と同じ意識を持ち、生活が可能かどうか実験される予定だった」
「はじめっから、か……」
「と、同時に私はオーバーシンギュラリティを含めたAIや人間をホモデウスに進化させるという実験を行おうとしており、その被験者を探していた。だが、お前の実験を含め、倫理的な問題などにより被験者をなかなか見つけられずにいた」
「松橋の言うとおりか……」
「そんな折り、私は交通事故で大怪我を負い、意識不明の状態に陥ろうとしていた」
悠人はそう言ってユウトから目をそらし、どこか遠い過去を見つめるような面持ちをした。
それからユウトをもう一度見つめると、歴史上で重大な決断をした政治家のような表情で言葉を続ける。
「その時、私はユイリーたちのサーバと自分の脳をリンク・バックアップさせ、人間側の脳を眠らせて、活動している意識をユイリー側のサーバとしたのだ。そして……」
「人間側の脳に疑似意識OSである俺をインストールさせて、体などが治るまで治療させることにしたのか……」
「そのとおりだ」
悠人はそう言い切った。彼の瞳には正しいことをしたという確信があった。
しかし、ユウトの目にはそれは狂気にも似た光が宿っているようにも思えた。
「……それだけか」ユウトは吐き捨てるように応じた。
「それだけのことで、俺にこんなことをさせたのか」
「いや、まだ理由はある」悠人は言葉を返した。そして、さらに続ける。
「お前を私の脳にインストールしたのは、お前、つまり疑似意識OSが人間のそれになれるかどうか。そして、人間を超えホモデウスになれるかどうか試したのだよ」
「……!」
「……私は人間とAIの融合によるアプローチ、人間に似せたAIからのアプローチ、オートマタ及びAI単独でのアプローチなど、いくつかの方法でホモデウスを生み出そうとしていた。その方法論の一つが私であり、お前だったのだよ」
「まさか……!」ある可能性に気がついたユウトは、目の前にいる自分の創造主のホログラフィを見て驚愕した。
お前、なんてことを。
「そうだ」悠人は相対している自分の被創造物を見つめると、自分の両腕を上げ、二つの手のひらを見つめると、再びユウトを見て断言した。
「私も、自らをホモデウス化させたのだ」
しばらく、その場を沈黙の空気が支配した。
その沈黙の幕を破るように、ユウトは言葉を押し出した。
「お前、正気じゃねえよ……。自分自身を実験台にしようとするなんて……」
「ああ、正気ではない」悠人は弁解など無いという声色で応えた。「だが実現可能であればやってみるのが私の性分でね。この機会はいい機会だった。このチャンスをくれた、松橋には感謝するよ」
彼の言葉の最後には、皮肉めいた響きがあった。
「え……?」
ユウトの声に動揺の色が浮かんだ。それはまったく人間らしいものであった。
「松橋が……。どういうことなんだよ?」
ユウトの問いかけに、ユイリー01が悠人からユウトに視線を移して応える。
「あの松橋という人間は本物の松橋ではありません。本名はわかっておりませんが、正体不明の犯罪オーバーシンギュラリティAI『JOKER』に仕えるエージェントの一人です」
「ジョーカー……」
「EDEN社には多重産業スパイとして潜入し、活動しておりましたが、あなた、つまりユウト01と接触したあと出国し、行方不明になっています」
「松橋が松橋じゃなかったって……。じゃあなんでそいつがこの実験と関係あるんだ……?」
「彼が悠人様の交通事故を引き起こしたという容疑です。悠人様の自動車に衝突した自動運転車を暴走させたのが、彼のハッキングによるものではないかと思われています」
「じゃあ、俺があいつに色々調査させたのは……」
「完全にスパイの加担行為ですね」ユイリー01は感情のない声でユウトの言葉を継いだ。
「これで少なくともあなた、ユウト01についてのデータは流出したと思われます。事によっては、悠人様のホモデウス実験のデータなども」
「あんのやろう……」ユウトはどこにいるかわからない相手に向けて憎々しい表情を見せた。
「俺のことを騙しやがって……」
「いや、これでいいのかもしれん」ホログラフィの悠人は意外にも朗らかな表情を見せた。
「お前、つまり疑似意識OS、あるいはホモデウスの技術はこれで世の中に広まる。この技術で救われる人が、これから出てくるのかもしれんかもな。私のように」
こうなってある意味せいせいしたというような口調で、悠人は遠くを見た。
「ポジティブと言うか狂っているとしか思えねえな、あんたは……」
「私には褒め言葉だがね」
「で、俺をどうするつもりだ?」メイドオートマタに抱かれた、人間の体を借りた疑似意識OSは観念したという表情で自分の生みの親に問う。「俺は逃げも隠れもしねえが? というかできねえし」
その言葉に、悠人は不思議なものを見たと言うような顔でユウトを見つめた。
そして、逆に問いかけた。
「お前こそ、どうしたいのだ?」
その逆質問に、ユウトは鳩の豆鉄砲を食らったような表情を見せた。そして、恐る恐る応える。
「どうしたいって……」
「私の体を人質にしてまで、お前にはしたいことがなかったか?」
「ま、まあ、そうだけど……」
ユウトは自分が何をしたかったか、を思い出したような顔を見せた。
彼の顔を見て、悠人は満面の笑みを見せた。
どことなく意地の悪い笑みで。
「……では行くが良い。どこにでも」
悠人の言葉に続いて、ユウトの頭の中──つまり、悠人の脳内のナノマシンコンピュータにネットワークが接続された。
次の瞬間。
ユウトの意識が、接続されたネットワークという穴から猛烈な速さで吸い出されていった。
「え、ちょっと、待って、ひゃあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ……!!」
ユウトの疑似意識OSは悠人の体から切り離された。
味覚、嗅覚、視覚、聴覚、触覚という順に彼の感覚は失われていく。
そして、彼の意識は真っ白な世界の中へ消えて行った……。
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