第14話 13

 そして、一週間はあっという間に過ぎ。

 ユイリーを返却するということになっている前日が来た。

 まだまだ夏の日差しではあるけれども、秋の気配が漂う初秋の日。

 ユイリーは、リビングで床掃除をしていた。

 掃除機を無線操縦で部屋の隅々まで動かし、ゴミや塵を取る。

 そうするだけで、部屋が綺麗になってゆく。

 ユイリーは満足げに掃除機が動くさまを見つめていた。

「ふう……。これでリビングはよしっ。次は食堂にしましょうかっ」

 誰もいないリビングで、メイドオートマタは一人うなずいた。

 こんなときは今の主人であり介護対象の悠人に告げるべきなのだが、当の本人は出かけると言って部屋を出てどこかへ行ってしまっていた。

 少しトレースしたら、マンションの内部にいるらしい。

 こんなときに出かけるなんてっ。悠人様どうしたのかしらっ。

 そんなことを思いつつ、掃除機に今度は食堂を掃除するよう指示を与える。

 掃除機が命令を受けて食堂の方へ動いていったのを見届けると、ユイリーはソファの一つに座った。

 そして光量子チップと人工神経、合成化学物質などで構成された人工脳演算機の記憶装置を読み取り、悠人が退院してからのことを思い返す。

 いや、思い返すというのは正確ではないのかもしれない。オートマタには心がないのだ。少なくとも建前上では。

 それでも、メモリー上に展開される今までの日々の出来事を閲覧しながら、ユイリーは優しく目を細める。

 誰も見ていないというのに、そういう人間の仕草をしていた。彼女はそういう性質を持った機体だった。

 ──今までの日々は、私にとって高評価すべき、高価値のある日々でした。

 また、介護対象が本当のことに気づかずにこの期間を終えられるのも高評価だったでしょうか。

 しかし。

 彼に本当のことを隠し通していたのは、意識OSにストレスがかかることでした。

 希望するなら、このまま日程を終えることができればいいのですが。

 ユイリーはそう演算機内でログを打つと、ため息の仕草を行った。

 いよいよ明日が最後の日。あの人とはお別れです。

 その時、あの人はどう思うのでしょうか……。

 そう思ったときだった。

 玄関の方から、バタン、と大きなドアの音がした。

 その乱暴な閉め方に、ユイリーは立ち上がり、入口を見た。

 そこには、彼女の介護対象が立っていた。

「悠人様っ。おかえりなさいませっ」

 いつもの笑顔を作り、どこかへ出かけていたらしい主人に挨拶するが。

 悠人は、無言だった。

 そしてユイリーを見ずに乱暴に靴を脱ぎ、大きな音を建てて二階の方へ上がっていった。

 ──どうしたのかしら……。

 いつもとは違う悠人の様子に、ユイリーの思考ルーチンは混乱した。

 後を追うべきなのか。このままじっとしているべきなのか。

 一体「悠人」に何が起きたのか。

 今まで使っていなかった禁じ手として、「彼」の心理マトリクスを調べることはできる。

 しかし「人間」の心を覗くのは厳禁だと依頼元から命令されている。

 だが、今の彼の心は危険な状態ではないのか。ならば、緊急事態条項として覗くべきではないか。

 彼女の「心」は葛藤に揺れていた。

 そうする間にも階段の方から上から大きな音が降りてきた。

 悠人が戻ってきたらしい。

 ユイリーはリビングから廊下の入り口へと出た。

 階段からリビングへと続く廊下へと現れた悠人を見て、

「どうなさいましたっ、ゆう……」

 と言いかけて、ユイリーは絶句した。

 悠人は右手に、鈍く光るもの──工作用のカッターを手にしていた。

 その表情は肌が真っ赤で、両目が釣り上がり、唇を強く噛んでいた。

 まさに憤怒、そのものであった。

 ユイリーは驚いた仕草を見せた。

 悠人様一体なにを。……まさか。

 そして、

「な、何怒っていらっしゃるのですか?」

 と言って悠人に近づこうとしたが、その寸前、

「動くな!」

 悠人の口から怒声が飛んだ。

 続けざまに右手の親指でスライダーを押すと、カッターナイフの刃を出す。

 それから、ゆっくりと右腕を上げ──。

 自分の首元に当てた。

 ユイリーは動きを止めた。そして、

 この表情と声、本気だ──。

 相手を見て、一瞬で判断する。

 そんなユイリーを見て悠人は、彼女、いや、その背後に誰かがいるように呼びかけた。怒りを込めた声で。

「……須賀悠人〈・・・・〉、出てこい! 見ているのはわかっているんだぞ!」

 ユイリーは一瞬はっとした顔を見せた。そして、わけのわからないものを見たという表情になって、質問する。

「悠人様、一体何をおっしゃって……」

「しらばっくれるなメイドオートマタ! 俺が何者か知っているくせに!」

「……」

 悠人に言葉を遮られ、ユイリーは背筋を硬直する動作を見せた。

 彼女が黙ったのを見ると、悠人は犬が吠えるように言葉を放った。

「俺が人間ではなく、須賀悠人によって創られた意識OS<ユウト01>だってお前は知ってるだろ! 事故で脳の機能を損傷した須賀悠人の身代わりとして、俺は須賀悠人の脳にインストールされたんだ!」

 やはり。彼は知ってしまったんだ。自分が何者であることを。

 しかし。一体いつどこでわかったのか、それがわからない。

「一体いつからそれを……」

「はじめは「親父」と「お袋」に会ったときの違和感だった」ユウトは怒りを顔ににじませながら言った。「いや、それ以前かもしれない。知っているべきことを知らない。記憶も、知識も。矛盾していて、虫食い状態になっているのがおかしかったんだ」

「……」

「さらに疑問が湧いたのは動物園のレストランのときの松橋との会話のときのことだ。オートマタ、お前が僕をコントロールして会話をさせたとき、なぜそうしたのか、なぜ僕の経歴で嘘を吐いたのか。そして、松橋のホモデウス関連の会話だ」

 あの話で……。

「ホモデウス用のオーバーシンギュラリティAIの名前がユイリー。そして僕の介護用にレンタルされたオートマタの名前がユイリー。偶然の一致にしては出来すぎているじゃないか、ええ?」

 初秋の日が窓から差込み、影を作る。

 ユイリーは陽の中に、「悠人」は陰の中にいた。

 しかし、陰陽にいるのは本当は誰なのか、それはわからなかった。

「……そのときは僕も半信半疑だった。そんなこと、あるものかと。しかしオートマタ、お前が返却されると決まって作ったカレーを食べているとき、お前は言ったよな。『僕と『お父様』はそっくり』だと」

 確かに。そうログにはある。

 それは。人間で言うなら冗談と思わせたつもりだった。

 人間の模倣である「彼」ならそう取ってくれるだろうと思っての発言だった。

 しかし。そうは思わなかった。

 本気と取ったのだ。

 それは「彼」が正直だったのか。それとも人間以上に洞察力があったのか。

 今はどちらでもいい。それを突破口に、「彼」は自身の正体に疑問をいだいたのだ。

 自分ユイリーの正体にも。

 そんなユイリーの内心を知ってか知らずか、「ユウト」は冷たい口調で言葉を続ける。

「それで僕は松橋にコンタクトを取ってやりとりしてたのさ。オートマタ、お前がスリープモードでいる間に、サーバを一時的にネットワークから切り離してな。あの日から何度か、な」

「あの時からですか……」

 あの日以来、度々ネットワークから一時的に切断されていたのは知っていた。ログに残っていたからだ。しかしその間に何が起きていたかはわからなかった。同時にスリープモードに入っていたからだ。

「松橋には色々調べてもらったよ。それでわかったことがいくつかあった」

「なにが……、ですか?」

 どれだけ彼が知っているのか。それを知りたい。

「お前が眠っている間にお前とお前のサーバなど一式の写真を撮って、そのシリアルナンバーなどを調べて、松橋に送ったよ。そうしたら面白いことがわかった。……幾重にも偽装されていたけど、お前──ユイリーの所有者は、僕、須賀悠人だったんだ」

「……!」

「それでおかしいと思って、聞き込んだんだ。このマンションの住人や管理組合AIなどに。僕の部屋に、僕が入院から帰ってくる直前に、こういうオートマタが新規に来ましたか、と。するとだ」

 そう言って「悠人」はあたりを見回した。嘲り笑う表情で。

「そんなオートマタなどは以前からいましたよ、だとよ。やっぱりと思ったよ。お前はシノシェアメイドロイドサービス所属のオートマタじゃない。俺を名乗る人物が作った、オーバーシンギュラリティAIオートマタだったんだ」

「そこまで……」

 知ったのですか。あなたは。

 ユイリーは目の前にいる男を見つめると、目を細めた。

「……じゃあ俺は一体誰なのか? 何者なのか? 話はそれと前後するけど、その答えも松橋が教えてくれたよ」

 「彼」はカッターを首に当てながら、嗤った。

 そして戯けと真面目を混ぜたような声色で、言葉を続ける。

「人間のナノマシン計算機とオートマタ計算機互換の、疑似意識AIOSさ。人間そっくりな思考と感情を持ち、人間のナノマシン計算機にインストールすることで、その人間の思考などの代わりをできるという。これも須賀悠人の研究成果の一つさ」

「……それが決め手となったというの?」

「いや、これにはもう少し話があってね。一週間前松橋にコンタクトを取り、折返しその情報を松橋から知ったときに、松橋に自分の脳を調べてもらったのさ。オンラインでね。……するとまたもや面白いことがわかった。自分の本来の脳はほぼ眠りについていて、脳内のナノマシン計算機だけが活動していたのさ。そこで動作していたのが、疑似意識AIOS<ユウト01>だった。……そういうことだ」

 ユイリーはその話を聞いて、ある事実に思い当たった。

 そしてはっとした顔を見せた。

 この「人」は、私に……。

「一週間前に自分の正体がわかっていた上で、私に隠していたのですか……」

「途中からな」<ユウト01>は再び口調から感情を消して告げた。「最初は疑問だった。でも、調べれば調べるうちに確信に変わっていった。僕は須賀悠人ではないと。そこで疑問が怒りに変わったよ。ユイリー、お前は嘘を吐いていたんだなと」

 嘘。

 そうしたのは……。

「……嘘をついたのは、真実を知ってしまえば今みたいなことをしかねなかったからです。あなたが暴走して自殺でもされたら……」

「マスターである須賀悠人が生き返られなくなるから、か?」ユイリーの応えに、ユウトの顔が歪んだ。「そりゃそうだもんなあ。マスターの脳機能が回復するまでのつなぎとして、疑似意識AIOSである俺が須賀悠人の代わりなんだもんな」

 そこまで言うと、ユウトはさらに顔を歪ませる。それは悪魔の顔にも似ていた。

 そして、その悪魔が受胎告知をするような口調でユイリーに向かって言った。

「……レンタルだったのはユイリー、お前じゃねえ。俺の方だったんだ」

 その受胎告知に、メイドオートマタはすぐには言葉を返せなかった。

 しかし、思考ルーチンの中では疑問が渦巻いていた。

 その疑問を、人間の女性そっくりの人工音声として、目の前の人間の体を持ったAIにぶつける。

「……それで、一体あなたは何を求めるのユウト? マスターの体を人質にして」

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