第8話 7


 僕がミネルヴァにあることを相談した数日後。

 僕はいつものように自宅でユイリーとともにリハビリに励んでいた。

「はいっ、今日の分はこれでおしまいですっ。悠人様、普通に歩いたり手を動かしたりする分には、不具合無いほどにうごかせるようになりましたねっ」

「そうだね、ありがとうユイリー」

「いえいえ、どういたしましてっ」

 そう笑い合って僕らはお辞儀をしあった。

 事実、僕の義手義足、ひいては体の動きは普通に動く分には一般の健常者と見た目では違いがなくなってきていた。

 突然手足が動かなくなったり、言うことを聞かなくなったりすることもなくなった。

 僕は手足を動かし、そのさまを見て独り言のように言った。

「これならもうリハビリもいいかな」

「でも、走ったりする激しい運動や細かい動作などがまだまだですよっ。これからは自宅だけではなく、義手義足用のリハビリ施設などで、そういう運動をする練習をしましょうっ」

「そうなんだ……」

「しかしそれも長くはかからないと思いますっ」ユイリーはそう言って笑った。「もしかすると、もう少ししたらレンタル終了の日時も決まるかもしれませんね、この調子だと」

 そう話すユイリーの口調はどこか寂しげだった。

 ……やっぱり、ユイリーもお別れするの寂しいんだ。

 なら、なおさらあの計画を実行しないと。

 えへんっ。

 じゃあ、いくぞ。

「ねえユイリー」

「なんですか悠人様」

「ユイリー、明日、動物園へ行こうか。君と僕との思い出にさ」

「え、本当ですかっ?」

 僕の突然の提案に、ユイリーはびっくりした表情を見せた。

 そうだもん。ユイリーには内緒で、色々計画立ててたし。

「ああ、本当だよ。動物園のネットチケット、朝取ったし」

「行きましょう行きましょう。わたし、生の動物を見るのが楽しみですっ!」

「なら決まりだねっ。ユイリー、明日楽しみだねっ」

「ええっ!」

 

 こうして、次の日、僕らは動物園へ行くことになった。


 というわけで翌日の朝。

 僕は温度調節機能付きのジャケット、ユイリーは白のワンピースというよそ行きの服を着て、自動運転車(ユイリーも制御するけど)に乗り込んで動物園へと向かうことになった。

 マンションの地下駐車場を出て、向かうは都心へ。

 レッツゴー動物園。

 夏の陽光はまぶしく、空は青くて高い。どこかに出かけるには一番いい日だ。

 車内は水素エンジンと外部給電が生み出す冷たい風があちらこちらから吹いてきて、真夏の暑さを忘れさせてくれるほどだ。ジャケットのひんやりとした感触も、丁度いい。

 目的の動物園までは時間があるので、早速脳内計算機のウェブブラウザを開いて、動物園の情報収集に当たろうかと思ったんだけど……。

 うーん。ここの動物園、いつも混んでいるからどこから行くか迷うんだよなあ……。

 人気の動物か、それともやや空いている動物からか、それとも動物園のおすすめルートか……。

 迷うなぁ……。

 迷いが思わず口から溢れる。

「まず動物何を見ようか……。あそこの動物園どこもいつも混んでいるんだよなあ……。うーん」

「どうしました悠人様っ?」

「これから行く動物園、どこから回ればいいのかわからなくて……」

「じゃあ、私が調べてみますねっ。まかせてくださいっ」

「うん、じゃあ調べてみて」

「調べ終わりましたっ」

「早いな!?」

 言い終わるが否や、目の前のウェブブラウザの新規タブが展開されて情報が表示された。

 ぱっと目前の仮想窓に展開される情報が心地いい。

 それとともに、ユイリーが朗らかに告げる。

「……この動物園ならば各動物の待ち時間はここはこうでここはこうでこうですから……。こうこうこういういう行き方で回れば早いですねっ」

「検索機能はやっ!?」

「動物園のサイトにアクセスして、現在の情報を調べておきました。どうです? すごいでしょっ」

 ユイリーの声には自慢げなものがありありと浮かんでいた。

 流石だなあユイリー。

 でも……。

 僕は即座に疑問が浮かび、ユイリーに問いかけてみた。

「webサイトにそんなこと載ってたかな……?」

「動物園のコンピュータですっ。ふふっ」

「……さらっと怖いことを言ってる!?」

 ハッキングしたのかよおい!?

「冗談ですよ。動物園のサイトの混雑情報に、ちゃんと載ってありましたよっ」

「そ、そうなんだ……」

「私のコンピュータが、いつも万能だと思わないでくださいねっ」

「……わ、わかったよ。ま、まあいいや、動物園、楽しもっか」

「ええっ。ここで動物園の予習でもしておきましょう。展示されている動物の一覧ですよっ」

 僕は小さくため息を付きながら、ユイリーがそう言いながら表示した動物園のウェブサイトページに目を通し始めた。


 まったく、ユイリーにはハラハラさせられるよ……。

 でも、ユイリーは僕のやろうとしていることを完璧にやってくれている。

 まるで僕の手足のように。

 そう、ユイリーは僕と一心同体になりつつあった。

 人間ひととオートマタ《どうぐ》は、一つになる。

 そんな時代が来るんだろうな。いや、もうそんな時代なんだ。

 僕は流れ行く景色を見ながら、唇を小さく歪ませた。


                         *


「えーっ!? オートマタにも入園料金必要なんですかぁー!?」

「はい、先月から料金が改定されて、そのようになりましたので……」

「聞いてなかったよそんなの……」

 たくさんの動物が描かれた動物園ゲートで、僕はちょっとだけ途方に暮れた。

 八月の動物園は夏休みだけあって子供連れやカップルで混んでいて、入り口で園員アンドロイドと話している僕らは栓づまりを起こしている。

「なんでオートマタにも?」

「はい、オートマタやアンドロイドを持ち込むお客様が多くなって、その分の環境整備や他のお客様のクレームもありまして……。電車やバスの運賃にもオートマタ運賃が必要になりましたし……」

「しょうがないなあ……。はい」

 僕はゲートの認証パネルに触れ、ユイリー分の入園料金を支払った。青い光が、まあまあ抑えて抑えて、と自己主張する。

 ゲートが開き、血栓のように詰まった人混みが水のように流れ出す。

 ふぅ……。

 しっかしむかつくなあ。人型のモノに入園料をかけるなんて。おかしいよなあ。

 超少子高齢化からの流れで、あれこれ頭がおかしくなっているんじゃないか日本人、いや、人間は。

 そんなことを思っていると、隣で歩いているユイリーがこちらに笑いかけてきた。

 少し苦い笑みだった。

「まあまあ、これも時代というものですよ」

「しかしなぁ……」

「少し見方を変えれば、オートマタにも人権というものが認められてきているとも言えますよ。義務には権利がつきものですし」

「そうかなあ……」

 そう訝しがる僕の腕を彼女は手に取ると、人が大勢いる方へ目を向けた。

「ほら、あそこが……」

 彼女の声は僕には届いていなかった。

 オートマタの人権、か。

 僕とユイリーが「ヒト」として結ばれる日が来るのだろうか。

 ……そうであったらいいな。

 僕はそう思いながら、ユイリーとともに動物を展示しているケージの方へと向かっていった。


                         *


「……というわけで、動物の赤ちゃんが子宮の中にいる期間は色々あるんですよっ。もちろん、生まれても有袋類のようにしばらくお母さんの袋の中で暮らすと言った動物もいるんですけどねっ」

「へぇー」

 僕とユイリーは動物の豆知識の話をしながら、動物園のあちこちのケージを巡っていた。

 日差しは暑かったけど、風は涼しくて爽やかで申し分なかった。

 それに温度調整機能付きのジャケットやシャツを着ているおかげで気分は快調だ。

 しかし……。

 僕がユイリーの思い出になるようにと動物園に行っているはずなのに、変だな、なんかユイリーに引率されているような気がする……。

 ユイリーがガイドアプリ機能で色々教えてくれながら回っているせいかなあ……。

 リードしようとしたつもりがリードされているんですけど。

 これどうにかなんねえかなあ……。

 と思っていると。

「これからどこへ行きます? 悠人様っ?」

 とユイリーが顔を傾けて問いかけてきた。

 薄く紅の入った白い肌が色めいて見えた。

 僕は少しドキッとして、

「ええと……」

 と言いながら現在地を確認する。

 おおよそ大体のところは回り終えているな。早い。早いよ。これもユイリーのおかげか。

 あとはちまちまとしたマイナー動物とか、日常よく見るペットとかが飼育されているところかなあ……。

 あるいは腹も減ってきたし、飯でも食うかなあ。

 さてと。

「ええと……」

 と言いかけたときだった。

「須賀、須賀じゃないか」

 少し遠くの方からそう呼び止められた。

 誰だ?

 足を止め、声をしたほうを見ると。

 僕と同じ年齢ぐらいのカップル──男は僕と同じように紺系のジャケットにスーツパンツを来ていて、女は白系のワンピースに水色のジャケット、それに紺のロングフレアスカートを着ていた──が、こちらを見ていた。

 誰だ?

 ああ、人間なんて嫌だなあ。

 顔を傾けていると、男のほうがこちらに駆け寄ってきて、

「忘れたのかよ? 俺だよ、松橋だよ」

 そう言ってきた。

「松橋くん……?」

 僕がそうつぶやくと、目前に仮想スクリーンが展開し、昔僕が通っていたという高校のアルバムの写真とクラス名簿が表示される。

 松橋浩次ひろつぐ。それが彼の名前らしい。

 写真の顔は目前にいる男よりもやや痩せていた。

 同時にユイリーの声が脳内で響き渡る。

<間違いありません。目の前にいるのは悠人様が高校二年のときにクラスメイトだった松橋浩次です>

 しかし彼女の声は氷のように冷ややかで硬かった。

 ユイリーが警戒している?

 なんでだろ?

 と思う間も無く、松橋くんは更に声をかけてきた。

「久しぶりだなー、須賀。高校卒業して振りか? 今何やって……」

 と言いかけて、突然顔が硬くなった。そして、恐る恐る、という声で尋ねてきた。

「お前、義手……?」

 なんでそう恐る恐るなんだよ。

 気持ち悪いな。

 そう思いながらも表面上は笑顔を見せて、

「ん、ああ。ちょっと自動車事故にあって、腕と足をね」

 言いながら袖をまくってみせる。

 僕の機械、と言うには人間的すぎる腕をじっと見て松橋は、

「そうか……。大変だったな」

 自分を納得させるかのように言い、それから、

「そちらのアンドロイドは?」

 と訊いてきた。

 突然話を切り替えてくるな。

 まあ、いいか。

「彼女はユイリー。僕のリハビリやお世話をしてくれているレンタルオートマタだよ」

「オートマタ、ね。シノシェアか」

 僕の応えに一人うなずくと、松橋くんは自分を紹介するような声で、側にいた女性を紹介した。

「彼女は芽実めぐみ。俺の彼女だ。一緒に暮らしてる」

 へぇー。こいつリア充かよ。

 こいつ敵だ。パブリックエネミーだ。

 芽実と呼ばれたロングヘアーにメガネの女性がお辞儀をする。

「結婚は?」

「まだだよ。でも、いつかはな」

 む。

 ははーん。こいつ、近いうちにプロポーズする気だな。

 感の鋭い僕にはわかる。

 僕の察しを感じたのかどうかわからないが、松橋くんは少し慌てたような顔をして言った。

「こんなところで話すのも何だから、座れるところで飯でも食いながら話そうぜ、悠人」

 そういえば腹減ってたな。

 立ち話するのもなんだし、こいつと飯でも食いながら話するか。

「うん、わかったよ、松橋」

 そう返すと、僕たち四人は歩き出した。

 でもなんかおかしいな。

 シノシェアか、って言ったよな?

 それに「オートマタ」、じゃなく「アンドロイド」と言った。

 オートマタというのはアンドロイドのシノシェアにおける言い方で、製品名だ。

 それをアンドロイドと呼ぶのは……。

 普通の人間か、逆に他のアンドロイドメーカーの人間だ。

 うーん、なにかがもやもやする……。

 なんだろうな……。

 他愛もない話をしながら、ちらっとユイリーを見た。

 彼女のその顔は、いつもの表情豊かな顔つきではなく、アンドロイド、オートマタらしい、無表情さ無機質さそのものだった。

 なんかユイリーが怖い……。

 一体ユイリーに何があったんだ?

 なにか言おうと思ったけれども、喉に何かが引っかかったように、何故か声が出ない。

 彼女に声をかけるのが怖い。

 なぜだ。なぜなんだろうか。

 そう思いながら、僕らは目指す目的地、動物園内のレストランへと向かっていた。

 真夏なのに、吹く風は冷たかった。


                         *


「いらっしゃいませ。四名様でしょうか?」

 レストランの入口にて、優しい声で呼びかけたのは女性型アンドロイドの店員だった。

 彼女は笑みを見せてそう問いかけてきた。

 僕にとっては彼女の笑みは仕事ではあるけど人間的な笑みに思えるけど、ユイリーに言わせれば、これもプログラミングされた、感情はない笑みというのだろう。

 でも、人間のものよりずっといい笑みだ。

 広々とした店内には、あちらこちらで人間やアンドロイドが座って食事を取ったり談笑したりしている。

 それはいつの時代にも変わらない営みで、暖かいものがあった。

「こちらへどうぞ」

 指し示された席に僕らは座る。

 指定された席は、一面のガラス張りの窓際で、そこから動物園の風景がよく見えていた。

 ケージの中の動物たちが思うまま動き、それをカップルや子どもたちなどが眺める、動物園にはよくある風景だ。

 いい景色だなあ……。

 僕とユイリーが隣同士で座り、松橋と芽実がその対面に座る。

 木目調だけど、木とは異なる素材で創られた椅子とテーブルだ。

 椅子は自動式ではないけど、軽く動かしやすかった。

 見た目人間と変わらない女性型アンドロイドがお冷とおしぼりを持ってきた。

「メニューはこちらをどうぞ」

 そう言うと、軽快な足取りで去っていった。

 と同時に、テーブルにホログラムスクリーンで表示されたメニューが浮かび上がる。

 どれがいいかなあ……。

<悠人様>

 視線と指でメニューをめくっていると、隣から声がした。

 ただし、声に出すのではなく、通信によるものだ。

<なに?>

 通信で尋ねるなんて、なにか意味があるのかよ。

 僕も口には出さず、通信で返すと、彼女はこう言ってきた。

<悠人様っ。少し気になるので、以降の悠人様の会話をこちらの判断と制御で行ってもよろしいでしょうかっ?>

<? どういうこと?>

<具体的には悠人様の脳と声帯をインタラプトして、悠人様が喋っているように見せかけて、私が会話しますっ。無論、悠人様がどうしてほしいかは考慮いたしますがっ>

<僕が喋っているように見せかけてユイリーがしゃべるだって? そんなこと……>

 と通信で言っていると、僕の口と喉が勝手に動き、

「じゃあ、僕はミートパスタのセットで」

 と声に出していた。

 !?

 何も考えてないのに僕の口から言葉が出た!?

<ユイリー!?>

 と言おうとするが、声には出ず、通信になってしまう。

 ちょ、ちょっと待てよ!? 俺の体がユイリーにハイジャックされてる!?

<何がしたいんだユイリー!?>

<この松橋様という人物、少し気になるところがありますので、こちらの情報をできるだけ隠して会話いたしますっ。よって、このような処置を取らせてもらいましたっ。少しの間、辛抱くださいませっ>

 相変わらずのいつもの口調だが、内容はものすごいことを言っている。

 というかユイリー、松橋の何が気になるんだ……?

 そう訝しがる間にも松橋もメニューを選び終えたようで、ホログラフィックスクリーンを閉じると僕に話しかけてきた。

「高校卒業ぶりだな、須賀」

「ああ、そうだね」

「僕」が相槌を打つ。実際にはユイリーがそうさせているのだが。

「お前の高校生時代のことをよく覚えているよ。お前は勉強熱心でさ、アンドロイドやAIのことをよく勉強してたっけ。部活もAI部で。テストもトップクラスで。海外の大学に行ったんだろ?」

「まあ、MITでAIの学士号取ったよ」

「すげえなお前! MITかよ! で、就職は?」

「シノシェア。一年向こうの本社に勤めて、それから日本に帰ってきた」

「へえー」

「僕」は松橋に自分の経歴を言うと、コップを手にしてお冷を飲んだ。

 へえー。

 僕も内心感心の声を上げる。俺、そんな経緯でシノシェアにいるのかよ。

 まあ、病院にいるときに看護師アンドロイドから少し自分のことを教えてもらったけどな。

 感心したあとで、松橋は更に問いを投げかけてきた。

 まるで営業トークというように。

 営業っつうか、友達として近づいてきてマルチ商法勧めてくる奴のトークにも思えるが。

「で、今はなにやってるんだ?」

「僕」は、

「シノシェアのAI開発部門でAI作ってるよ。しがない平社員だけどね」

 と軽く返した。

 ……あれ?

 僕確か、シノシェアはシノシェアだけど、AI・オートマタ統合アーキテクトとか言ってすっげえ偉い地位じゃなかったっけ?

 ユイリー、嘘ついた?

 なぜ嘘を付く?

 ユイリーに何か言おうにも、通信回線は切れていた。

 おいちょっと待てよ!

 そう思う間にも会話は続く。

「そうかー。お前、AI作ってんだな。最近のシノシェアのAIにも関わっているわけ?」

「うん、まあ。秘密保持契約N D Aで言えないこと多いけどね」

「まあ、お互い様だな。俺の会社も似たようなものだし」

「そう言えばお前、どこの会社だよ」

「EDEN《エデン》だよ。お前と同じようなもんだよ」

「EDENかあ。高校からどうやってEDENに」

「いや、普通に大学行って勉強して就職活動してEDEN日本支社の採用に受かって。で、社内で会ったのが芽実って言うわけ」

 そう言って松橋は隣りにいる彼女と見つめ合い、笑いあった。

 コイツラ爆発しろ。やはり人間はいらないな。

 そのタイミングで、給仕アンドロイドが自走カートとともにやってきて、お待ちしました、ミートパスタセットです、と言って僕の前に食事の載った皿やフォークなどを置き、他の二人の分の料理も彼らの前に配膳した。

 そして、ごゆっくりと一礼し、僕らの前から去っていった。

 さて本来なら楽しい食事タイム……、ではあるが、体の制御をユイリーに奪われているがゆえ、勝手に手が動き、フォークやスプーンを取って食事を口にするという、僕(の意識)にとっては地獄とも言うべき時間だ。

 そりゃ、サラダやスープやパスタの味は感じられるけどさ。

 自分で食べた気がしないよ。

 って。

 EDENか。

 シノシェアと同じく、AIやアンドロイドを開発している会社で、独自のシンギュラリティ突破AIも保持しているということらしい。

 ただシノシェアと違うのは、シノシェアはユイリーのような先端技術試験機などをどんどん作る会社に対し、EDENは実用的なアンドロイドやその周辺機器を作ることで知られている。いわば手堅い会社らしい。

 また、自分のところで作るアンドロイドには自主開発の光量子コンピュータを採用するなど、自給自足感の強い会社らしい。

 らしいというのは、これも病院にいたときに読んだ電子書籍とかで知った話だからなんだけどね。

 松橋はEDENなのか。

 んー。

 ユイリー、松橋がEDENにいることを知っててこういうことしてるのか?

 内心首を捻っていると、セットのコーンスープをスプーンで飲んだ「僕」が松橋に問いかける。

「松橋、EDENで何してるんだよ?」

 その疑問はもっともだ。この僕でも問いかけるぞ。

 注文したカレーを一口口に入れた松橋が、よく噛んでから口を開く。

「営業だよ。まあこっちでも営業の主流はAI、AC《人工意識》に取って代わられてるけどな。もっぱらAIによるセールスのサポートって感じだよ。AIがAIに売る。そんな時代だしな」

「AI同士で経済サイクルが成立しちゃってるからね……」

「僕」は苦笑した。

 店内は冷房が効いており、外の暑さを感じさせない涼しさがあった。

 それ以上に、僕の体は冷えていた。

 ジャケットやワイシャツの温度調整機能のせいだけじゃない。

 そういう冷たさがあった。

 僕らはそう言い合うとしばらく黙って食事を食べ続けていたが、先に食べ終えた松橋がごちそうさま、というと、僕に向かって問いかけてきた。

「須賀、そのユイリーってアンドロイド、本当に介護用か?」

「ああ、ちょっとね」

「僕」はフォークでパスタを食べる手を止めると、ユイリーの方を向いて応えた。

「レンタルした会社が何故かよこしたんだよ。高度先端技術試験機の最終評価試験にと」

「そんな高級機をリハビリに? 別の目的はないのか?」

「レンタル会社にもユイリーにも聞いたけどそういう目的は特に無いみたいよ。なんでそんなことを聞くんだ?」

「つうか気になることを聞いたんだ。シノシェア絡みで」

「気になる?」

「僕」が首をひねる。

 そんな僕に畳み掛けるように松橋は言葉を続ける。

「シノシェア、というかその保有する超高度オーバーシンギュラリティAIの<パンテオン>ではいくつか計画を進めているらしいんだ。その一つが『ホモデウス計画』と言って、進化した人類を生み出そうというものらしい」

「ホモデウス?」

「知ってるだろ。ユヴァル・ノア・ハラリの本ぐらい」

「今では古典だろ。科学技術の発展の結果、人間はホモデウスと呼ばれる神になるって内容の。それがどうしたっていうんだ」

「そのホモデウスを、生み出そうとしているらしいんだシノシェアは」

「へえ……。初耳だ」

「僕」はそう言うと止めていた手を動かし、パスタを口の中に入れた。ミートソースの味が舌によく広がっていく。

「お前、知らんのか」言いながら松橋はカレーに付いてきたコーヒーを一口飲んだ。「やっぱり末端なんだな」

「もし知っててもNDAがあるから言えないよ。で、どんな風にして生み出すんだよ、そのホモデウスを」

「具体的には、人間の脳と超高度AIのコンピュータをリンクさせ、人間の意識を両方に同期して人間の意識のレベルを超高度AIレベルまで引き上げると同時に、人間を不老不死にするという計画らしい」

「へぇー」

 そうなんだ。そういう計画があるのか、シノシェアには。

「僕」もセットのコーヒーを飲んだ。

 僕がコーヒーカップを置くと同時に、松橋は少し前傾姿勢になって一度ユイリーの方を見ると、声のトーンを一段低くして告げた。それは怪談で幽霊が出た時を告げるような声だった。

「で、その試験及び実験用のオーバーシンギュラリティAI一号機の名前というのが……、ユイリーって言うらしいんだ」

「は?」

 は?

 外面の僕と内面の僕が同時に声を上げた。もちろん、内面の僕は心のなかでだが。

 ユイリーが、オーバーシンギュラリティAI、だって?

 確かに色々外部サーバとか3Dプリンタとかオプションは多かったけど、ユイリー、そうだったのか?

 内心呆然とする僕をよそに、外側の「僕」がすかさず問いかける。

「ソースはどこだよ?」

「ユイリーという名称はネットの噂話程度のレベルだが、シノシェアではホモデウス計画用の専用オーバーシンギュラリティAIを建造中あるいは建造を完了しているらしい」

「建造してるって……」

「タイプはどのようなものか不明だ。なんでも、一説には従来のオーバーシンギュラリティAIをネットワーク化したクラウド式とも、ナノマシン式とも、固定式のオーバーシンギュラリティコンピュータを多数分割・可搬式にしたモバイルクラウド式とも言われているらしい」

「へぇ……」

「ユイリーのコンセプトはオーバーシンギュラリティAIとの融合者、ホモデウスを一人と限定し、無数のAI・ACと様々なデバイスのサポートによる『たった一人だけの国家』というものらしい。将来的にはサーバ群を宇宙に打ち上げ、小惑星などに着陸させてスペースコロニーを建造し、そこで独立する話だそうだ」

「結局、噂話レベルじゃないか……。信用できないな」

「しかし建造していることはほぼ事実だ。あとは実際に人間との融合実験を行うだけだとも言われているが」

「が?」

「実はここで問題があってな」

「なんだよ」

「融合する相手の問題だ」

「相手?」

「そう、相手だ」松橋はそこでコーヒーをまた飲んだ。カップの中身が空っぽになったらしく、置くとコトン、という音がした。

「人間をホモデウス化するには当然融合する相手がいる。しかし、人間とオーバーシンギュラリティAIの融合には倫理的な問題がつきまとう。それが今までホモデウス化が行われなかった原因の一つでもある」

「……」

「しかし、ホモデウス化専用のオーバーシンギュラリティAIを建造したということは、その実験を実行する意志はシノシェアにはあるということだ。あとは融合する人間がいるかどうかの問題だが……」

 そこで松橋は腕を組んだ。そしてユイリーの方をじっと見つめた。

「そんなときに、噂のオーバーシンギュラリティAIと同じ名前のアンドロイド──いや、シノシェアではオートマタという名称だったな──のユイリーを連れたお前に出会った。……お前、事故ったんだよな?」

「あ、ああ」

「飛躍がすぎるかもしれんが、お前、ホモデウスじゃないだろうな《・・・・・・・・・・・・・・・・》?」

「僕」はそう言って顔をしかめ訝しがる松橋を見つめる。

 数秒の間が流れた。

 次の瞬間。

 僕は自分でも驚くような大きさの声で爆笑した。

 わずかに残っていた僕のコーヒーとお冷が揺れた。

「……本気でそう思っているのかよ!?」

 笑いを収めると「僕」は冗談でしょ、というような声で松橋に言った。

 しかし松橋は大真面目な顔を崩さずに、僕に応える。

「いや、あり得んことではないぞ。お前のアンドロイドのユイリー、先端技術実験機と言うが、どんな先端技術を試験してるか、わからんのだろ? ならばその試験が、ホモデウス化に関わるものだとしてもおかしくはない」

「だからといって僕がホモデウスだなんて……」

「事故の時手術受けたんだろ? それに最近のAI技術者の常として脳にナノマシン製の計算機埋め込んでいるのは常識だし。計算機同士のリンクは容易に行える。なら、手術のときにオーバーシンギュラリティAIとリンクしてもおかしくはない」

「じゃあこのユイリーはどんな役目があるってんだよ?」

「考えられるのは、ホモデウスとなった人間のサポート及び監視用だ。それにさっきも言ったとおり、<ユイリー>の形態として分割可搬式サーバというのが説としてある。その運搬及び防犯用としても考えられるな」

「でも彼女は僕のリハビリが終わるまでのレンタルだって……」

「それが本当の契約かわからんしな。須賀、お前の脳がいじられている可能性がある以上、俺と話しているお前が本物だという確証すら持てん。シノシェアには疑似人格OSの技術もある」

 それから松橋は僕をじっと見つめ、何かを告発するような口調で告げた。

「言っててなんだが、お前、本当に須賀悠人なのか?」

 その言葉に「僕」は言葉が詰まった。

 ……ように思えた。

 同時に僕は思った。

 僕は本当の僕ではないのかもしれない。

 でも……。

 次の瞬間、僕は言った《・・・・・》。

「……僕は僕だよ。僕以外の何者でもないよ」

 僕は内心驚いた。

 今までユイリーによって自分が制御され、自分の意志では何も言えなかったけれども、その瞬間、僕の口から僕の言葉が自然と流れて出ていた。

 だって、そう信じるしか無いじゃないか。

 僕は須賀悠人だ。そう言うしか無い。

 記憶はなくても。

 確信がなくても。

 僕は僕だと。

 そう言うしか無いんだ。

 僕が自らの意識でそう応えたあと。

 僕らはただ黙っていた。

 僕は松橋を見つめていた。両目尻の筋肉が張り詰めているのを感じていた。

 松橋も僕を見て、唇をかみしめていた。その目は僕を睨みつけているようにも思えた。

 僕らの間には、ピリッとした空気が張り詰めていた。

 周囲の会話や物が立てる音、動物園の方から聞こえてくる喧騒が僕らを支配していた。

 やがて。

 口を開いたのは松橋だった。

 突然彼は、自分の腕時計を慌てた素振りをして見るなり、

「おっと、もうこんな時間だ。午後はアンドロイド専門店に行って、家で使うアンドロイドを探さなきゃならないからな。ごちそうさま。また会おうな」

 そう言うと、椅子から立ち上がって通路の方へと出た。

 そして、僕とユイリーに一礼をする。

 今までの会話がなかったかのように。

 彼女の芽実さんも倣って一礼をすると、二人で手をつないでレジの方へと向かっていった。

 ごまかしやがって。

 ……。

 誰が、誰に、だろうか。

 一つため息をつくと、僕は隣りにいる美少女オートマタを見た。

 彼女が見せていたさっきまでのアンドロイドらしい無表情な顔は消えていた。

 ユイリーの表情は、いつもの人間味あふれる美貌へと戻っていた。

 それも、そうなんだろうな。

 僕が彼女に、ユイリー、と言おうとしたときだった。

「申し訳ありませんっ。悠人様っ。セキュリティ上の観点から、あのような措置を取らせてもらいましたっ」

 そう言って彼女は頭を下げた。

「ユイリー……」

 僕はただそう言うしかなかった。

 彼女は顔を上げると、言葉を続けた。

「あの松橋さんはおわかりのように、弊社シノシェアグループのライバル企業であるEDEN社の営業でしたっ。今回悠人様に近づいたのは、人間による諜報活動、ヒューミントのためだと思われましたのであのような措置を取らせていただきましたっ」

「じゃあ、松橋がいたのは、偶然じゃなかったと」

「いえ、おそらくは偶然でしょうっ。松橋さんの個人情報を調査しましたが、彼が動物園でデートし、そのあとでアンドロイド専門店に向かうのは当初のスケジュールどおりだったと思われますっ。そこにシノシェアのオートマタを連れた悠人様を見かけたので、偶発的に近づいたのではとっ」

「じゃあ、ホモデウス計画とやらを訊いたのは……」

「うわさ話だけは聞いていたのでしょうっ。その裏付けなどを取るために、悠人様に聞いてきたのではかとっ。悠人様をホモデウスと疑ったのは、松橋さんの推測によるからではないかと思われますっ」

 そうなのか。僕はそれだけ言うと、椅子から立ち上がり、テーブルの反対側の、ユイリーと相対する席に座った。

 さっきまで、松橋の彼女が座ってた席だ。

 僕は席に座るなり、ユイリーの目を見つめると、問いを投げた。

 それは今の僕にとって、投げかけるべき問いだった。

「ユイリー、さっきの話、本当なのか?」

「何の話でしょうか?」

「ホモデウス関連の話全部だ。君のことも。僕のことも」

 僕の問いに。

 ユイリーはわずかに視線を動かした。

 そして、僕を見つめると笑みを見せ、応えた。

「そんなはず、ありませんよっ。すべて噂話ですし、あの松橋さんの想像にすぎませんよっ」

「根拠は?」

「私は先端技術試験機程度ですので、パンテオンなどのデータに直接参照できませんが、ホモデウス計画と言われているような計画の目的のためのサーバやオートマタの開発は、米国本社でも日本支社のラボでも行われていないと承知しておりますっ」

「なら、良いんだけど」

 そう言って僕は両手をテーブルの上に置いた。

 そしてその両手をじっと見つめる。

 ユイリーはいつだったか、嘘を付くと言った。

 それは僕のためかもしれないし、ユイリー自身の利益なのかもしれない。

 同時にまた、松橋が嘘をついているのかもしれない。

 何のためにという疑問は残るが。

 ユイリーの言う通り僕からなにか情報を引き出そうとしたのか?

 ホモデウス計画とやらの真偽とかを。

 なら、なんでユイリーは……。

「ねえユイリー、さっきなんで僕の体をハイジャックしたの?」

「悠人様の記憶喪失が露見した場合、そこを追求されてNDAを踏み越える可能性などがあったためですっ」

「……んー。それはなんだよ。俺が信頼できなかったってことか?」

「記憶が高校生あたりまで戻っておられるのです。今の話を聞かれても、まったくわからないでしょうにっ」

「それはそうだけどさぁ……」

 僕の心のなかに、なんとも言えないもやもやしたものが溜まっていた。

 それはユイリーに対する不信感でもあるし、自分自身に対する不信感でもあった。

 自分は一体何者なのか?

 根本的な問いがまた蘇ってきて、言いようのない不安が体を重くする。

 そんな僕を見てか、ユイリーは自分の両手をテーブルの下から出した。

 その両手で僕の両手を握りしめた。

 そして、その両手を愛おしげに撫で回しながら母親のような声で告げる。

「悠人様、ご心配はいりませんよ。レンタル終了のその最後の時まで、私が守って差し上げますよ。私は、悠人様が好きですから」

 そう言って微笑んだユイリーの顔に。

 僕の心臓は一瞬高鳴った。

 その言葉が嘘だとしても。

 信じたくなるような。

 優しい声色と、笑み、そして手のぬくもりだった。

 そのぬくもりを、さらに強くするようにユイリーはぎゅっと手を強く握りしめた。

 それからその手を離しもう一度微笑むと、

「さあ、気分転換に動物園巡りの続きをしましょう。まだ見ていない動物もいますし、動物の姿を見れば嫌なことも忘れると思いますよっ」

 彼女は再び僕の手を取り立ち上がらせると、テーブルから通路へと連れ出した。

 ぼくはただ、彼女の言葉と行為に、苦笑してひとつうなずくしかなかった。


 ユイリー。

 君が僕を好きでい続けるならば、僕はこれからも君を信じ続けるよ。

 君の言葉が、たとえ嘘だとしても。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る