第9話 8

 それから僕らは動物園を巡って満喫し、日もやや傾いた頃、家に帰ることになった。

 乗った車の後部座席で、騒がしい夏の街並みを見ながら、僕は一人さっきまでのことを思い返していた。

 動物園、本当に楽しかったなぁ。

 松橋と出会ったことを除けば。

 まあ、ユイリーと一緒にいれば些細なことだけど。

 それにしても、動物飼いたいなあ。あんな大きな動物でもなくてもいいから、犬とか猫とか飼ってみたいけどな。

 でも、今いるマンションは動物はたしか飼えないんだよな。あんなに大きなマンションだから、動物ぐらい飼ってもいいと思うんだけど。

 あーあ。ペットほしいなあ。

 短くため息を吐き出した時。

「どうしましたっ? 悠人様っ?」

 前部の運転席から、麗しい少女の声が飛んできた。

 ユイリーだ。

 あ、うん。少し声を整えて、

「動物園で動物を見ていたら、家でペットが飼いたくなって……。でもうちのマンションじゃペット飼えなかったような気がするし……」

「臭いとか気になる住人もいらっしゃるようですしねっ」

 ユイリーは振り返らず、前の方を相変わらず向きながら応えた。

「いい方法ないかなあ……」

「ありますよっ」

 僕の独り言とも愚痴とも言える返しに、銀髪の少女人形はあっさりと応える。

「えっ?」

「仮想世界に接続して、動物のいる世界へ行けばいいんですよっ」

「ブレインダイブ?」

「そうですっ。電脳で仮想世界に接続してしまえばいいのですっ。さっそく行ってみますかっ?」

「えっ?」

「じゃあ、行きますよー。仮想世界創造……。ロケーション:アフリカ・サバンナ……。創造完了……。できましたっ! レッツゴー!!」

「ちょっ、ま……」

 あまりにも展開が速すぎるんですがっ!?

 僕が抗議というか突っ込む暇も与えず、目前が真っ白な光りに包まれたかと思うと、体の感覚が消失した。

 そして、その感覚が元に戻った時。

 目の前には、広大なアフリカのサバンナが広がっていた。

 カラッと乾いた暑さと陽光、そして風が肌を刺す。

 なんて暑いんだろう……。でも、日本とは違った種類の暑さだ。

 太陽や空の色も日本とは違って、独特の色を帯びていた。

 そのサバンナの黄土色の大地に、僕は立っていた。

 えっ、マジ? ここ、アフリカのサバンナ?

 左右を見渡してみる。

 あれ、キリンの親子か。あっちにはヌーの群れもいる。

 空には鳥が飛んでる。

 動物園で見たのと同じ生き物たちが、この大地で歩き、飛んでいる。

 すごい、本物のサバンナだ!

 仮想世界なんだよな。これ。

 でも、ここまで本物そっくりな世界だなんて……。

 これがユイリーのサーバの演算力なのか?

 首を傾げたときだった。

「悠人様ーっ」

 後ろの方から声がした。

 ユイリーの声だ。

 この仮想世界の説明でもしてくれるのかな……。

 って。

 うわっ!?

 振り向いた僕が見たものは。

 アフリカのサバンナにマッチングした、木造の巨大な三階建ての家だった。

 周囲には塀があって、その中には家と庭があり、庭には車のガレージやプールなどもあった。

 その庭で、ユイリーが嬉しそうに手を振っている。

「ユイリー!?」

 なんなんだ、これは。

 僕は慌てて金属製の大きな門の方へと周り、そこから敷地内に入るとユイリーがいる庭へと向かった。

 ユイリーは動物園に出かけたときと同じ白いワンピース姿だった。

 と、そこに、数個の影が走り寄ってきた。

 何かと思ったら……。

 二匹の犬と、二匹の猫だった。

 犬たちは僕の姿を見かけると、僕の足、そして体に飛びついてきた。

 うわくすぐたったい。やめろ。

 でもかわいい。

「ユイリー、これは……」

 犬と戯れたあとに説明を求めた僕に、ユイリーは、

「はい、アフリカのサバンナ仮想世界を生成し、居住用の邸宅も生成いたしましたっ。おまけで仮想ペットも生成しておきましたっ」

 あっさりと答えた。そして、えっへん、どうです、と大きな両胸を更に張って大きくする。

「本当にやったのか……」

「リクエストがありましたのでっ」

「それはいいんだけど、車の運転は?」

「疑似意識を分岐させてあちらの機体で運転中ですっ。あと、車とサーバの自動運転機能もありますので、安心安全ですよっ」

「そうか……。でも、本物そっくりな世界や動物じゃないか。これもサーバの機能?」

「はいっ。これも私のサーバの機能、仮想世界生成機能によるものですっ。様々な仮想世界をクライアントのリクエストに合わせて生成することができますっ」

 え、リクエストに合わせて生成だって?

「でも、こんな家建てろとは言わなかったぞ?」

「動物が住んでいるとは言え、こんな暑いところで外にずっといたら参ってしまいますよっ? さっさっ、入りましょ入りましょー」

「仮想世界だから出ればいいのに……」

 そんなボヤキはスルーして、ユイリーは僕の手を取り、玄関へと導いていった。

 犬たちもついてくる。

 ユイリーが扉を開け、中に入る。僕の現実の自宅よりも広い玄関だった。

 靴を脱いで上がり、リビングがある方へと向かうけど……。

 広いなあ。迷っちゃうよ。

「こっちですよっ、こっちっ」

 ユイリーが後ろから手招いて呼んだ。

 なんだ、そっちの方か。

 呼んだユイリーが行った方へと行くと。

 そこには、現実の自宅と似ているけれども、それよりもずっと広いリビングがあった。

 冷房もガンガン効いてる。外の暑さを忘れるぐらいだ。

「ここがリビングですっ。設計や調度品などは現実の悠人様のご自宅をモデルにいたしましたっ」

「おっ、ソファも同じか」

 そう言いながらソファに座ると、あの形状記憶素材がぽすんっ、と音を立てて、僕を包み込んでくれる。

 ああ、この感触、気持ちいいんだよな。

「ご自宅での設備、機能すべてがこの仮想世界の自宅でご利用になれますっ。無論、わたくしのウルトラスーパー食料プリンタもですっ」

 と言いながらユイリーは台所の方へ行き、何かをしてから戻ってきた。

 それは、緑色をした液体の中で泡がシュワシュワと立ち上っている飲み物がはいったグラスだった。

 グラスを目の前のガラス風のテーブルに置き、ユイリーは隣のソファに座った。

 犬や猫たちは僕らの周りをウロウロしたり、ソファに飛び乗ったりしている。

 とても楽しそうだ。

 さてと。

 この飲み物、今度はどんな味かな……。

 また空き地の味とかそういうのじゃないだろうな……?

 ともかく飲んでみよう。

 覚悟(?)を決めて、グラスを口につけ、飲み物を飲む。

 ……。

 ……。

 あ。

「これ、普通のサイダーじゃん」

 思わず口に出してしまうほど、普通のサイダーの味だった。

 そんな僕を見て、ユイリーはニッコリとした笑みのままで、

「どんな味だと思いましたっ?」

 と問いかけてきた。

 え?

「どんなって……」

「どんな味だと思いましたかっ? まさか、ゲテモノな味とでも思いましたかっ?」

 うっ。

 図星を指され、思わず何も言えなくなってしまう。

 こんなとき、どう言えばいいんだろう。

 えーと。

 えーと。

 ……。

 僕が言いよどんでいると、ユイリーが、ぽん、と手をたたき笑った。

「わかりましたっ! 悠人様は、ゲテモノなお味がお好きなのですねっ! 次からは食料用プリンタでそういうものをお作りいたしますねっ!」

「そんなわけ無いだろっ!!」

「じゃあ、どんな味がよろしいのですかっ?」

「こういうのでいいよ、こういうのでっ!」

「ふふっ、そんなに怒らなくてもっ。つまり、このサイダーは美味しかったというわけですねっ?」

「そ、そうだけど……」

「じゃあ、そういえばいいじゃないですかっ。このひねくれ者さんめっ」

 そう言ってユイリーは近づくと、僕の頭をデコピンした。

 いてっ。

 僕の顔を見てふふ、と笑ったユイリーは僕から離れると、

「ともかく、この仮想空間は、悠人様のご自宅をアフリカのサバンナへと持ってきましたっ。ペットもご一緒ですよっ」

 言いながら目の前のホログラフィックスクリーンをつけた。

 そこにはアフリカの大地が広がっていた。

 画面は次々と切り替わり、ライオン、キリン、サイ、カバといった動物たちがサバンナで生活している様子を映し出していた。

 まるで本物のアフリカだ……。

 こんなところに、いつでも行けるんだな……。

「この動物たちが、僕の一人のものなんだな」

「はいっ。この仮想空間に行けば、いつでもアフリカの動物たちをペット感覚でご覧になれますからねっ」

「ありがとう、ユイリー」

「どういたしましてっ」

 僕がお礼を言って、そのままアフリカのサバンナの様子をホログラフィックスクリーンで見ていると。

 ふと、太ももに重みを感じた。

 僕がすぐ下を見ると。

 いつの間にかはいってきたのか、黒猫が僕の膝にちょこん、と乗ってきていた。

 ははっ、なんとかわいい奴め。

 喉を撫でる。

 黒猫はそれに応え、喉を気持ちよさそうにごろごろさせ、膝の上にぺたんと座った。

 本当にかわいいなあ……。

「猫、気に入りましたっ?」

「うん、ユイリー。犬も気に入ったよ」

「なら良かったですっ。電脳インタラプトで必要なときには現実世界でも呼び出せますので可愛がってくださいませっ」

「わかった、ユイリー」

 言いながら僕は黒猫の背中を撫でながら、食い入るようにホログラフィックスクリーン越しの、アフリカの大地を眺めていた。

 後で外に出て、このアフリカの大地を散歩するか……。

 どんなに気持ちいいことか。

 動物たちも、かわいいだろうなあ……。

 ……。

 んー。なんか、眠くなってきたな……。

 少し、休むか……。

 ……。

 …………。


                        *


 気がつくと、背中にソファとはまた違った質感の柔らかさを感じた。

 先程のアフリカの空気感と違う、人工的な冷気が、肌を撫でる。

 目を開くと、いつも見た白い天井がそこにはあった。

 ここは……。

 僕の家。現実の「須賀悠人」の家の、寝室か……。

 あのあと、眠っちゃってたか……。

 ログアウト、したんだな……。

 でも、なんでここに……。

 ぼんやりとした頭のまま、しばらくぼーっとしていると、

「……悠人様」

 そばで優しく僕を呼ぶ声がした。

 呼ばれるがまま、横になったまま声がしたほうを向くと。

 僕のお世話をしているレンタルメイドオートマタが、目を細めながら僕を見つめていた。

「ユイリー……」

 はっきりとしない意識のまま、名前を呼び返す。

「僕は、いつ……?」

 眠気が取れないまま、疑問を投げた。

 僕はいつ帰ったんだろうか。

 その意味を読み取ったのか、ユイリーは、優しげな表情で応える。

「仮想世界でいつの間にか眠っておられたので、ログアウトした後、ご自宅までそのまま。あとは従者オートマタの助けを借りて、寝室までお運びいたしましたっ」

「そう……」

 僕は曖昧な返事をした。

 なぜだか眠くてしょうがなかった。

 このまま眠り続けたいほどに。

 その意を汲み取ったのか、ユイリーは微笑みを保ちながら、

「眠いのですね。では、もう少しおやすみになっては。夕食は、起きてからにいたしますねっ」

「う、うん……」

 言い返しもできないほど、僕は眠気に包まれていた。

 おやすみ、ユイリー。

 僕が口にしたかしなかったかわからないまま、僕は再びまぶたを閉じると、深い眠りに落ちてゆく。

 その直前。

 数匹の猫が鳴き、数頭の犬がそれに追随して吠えたような気がした。

 ……お前達、これからよろしくな。

 

 そして、僕の意識は暗闇に落ちていった。


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