第15話 まずい状況

 この柔道家のような筋骨隆々の男が雷のような声で俺たちを詰問する。俺たちはこの教団の細かい教義的なものについては殆ど知らない。被害者の会の会長から渡された経典集の様な小冊子には呪文の数々が書いてあるものの、具体的な教義の記述については皆無だったからだ。

 だからこのおっさんが聞いてくる内容については全くわからない。その上その迫力に関して俺たちは只々圧倒されるだけだった。斎藤が口を開く。


「この方達は恐らく新しいカーシャーヤを忘れてしまったのでしょう。それで古い物を着用されておられるのではないでしょうか」


 おっさんは斎藤に向き直り厳しい視線を送る。少し声量を落とした声で厳かに語りかける。


「貴様。私は信徒としての心構えの話をしている。古い版のカーシャーヤでアシュラムを動き回る事は許されぬ。新しい信徒には見分けがつかぬだろうが私はそうではない。私だけではない他の上位の者共もそうだ。見ればすぐに分かる。貴様。貴様はアムリタヤーマの第2を言え」


「マハーカッサパ=グル、非礼をお詫び申し上げます。アムリタヤーマの第2。それは『グルに従いグルに伏せる』ことです。これは導師様への帰依を意味すると教わりました」


「そうだ。故に『常に新しいカーシャーヤを着用せよ』との仰せがあったら、絶対にそうせねばならないのだ!」


 再び雷のような叱責が飛ぶ。この支部全体を揺るがしているのでは無いかと思うほどにビリビリと響き渡っているように感じる。そのあまりの大声のせいで実際に反応して何事かと人が集まってくる。教団衣、どうやらカーシャーヤと言うらしいが、それの水色に近い青色の教団衣を来た人達がおっさんの後ろに5,6人集まった。

 さらにその後ろに俺たちと同じ(おっさんからすると違うものらしいが)白い教団衣を来た信者が何事かと覗き込んで来る。それを青色の教団衣を着た信者がやんわりと追い返すのがここから見て取れる。


「貴様ら。その古いカーシャーヤを着た3人!特別な修行を行う!お前たち、この者共を地下の特別室に連行しなさい」


 おっさんが青色の信者に指示を出す。青色の信者の一人が仲間を呼び、さらに青色の信者が増える。この小さな数畳の部屋を恐らく10人程度の信者が取り囲んでいる。桜井は全身に力を込めていかにも臨戦態勢といった感じがするが、俺も含めて他の人間は多勢に無勢で明らかに反抗する意思を失していた。


 おっさんは俺たちに背を向けて一度外に出る。それと入れ替わるかのようにぞろぞろと青色の教団衣を着た20代から50代くらいまでの幅広い年齢の男たちが部屋ににじり寄るように入ってくる。明らかに警戒しており、取り押さえるかのような構えで寄ってくる。


「吉岡、やめとけ。あまりにも数が多すぎる」


「でも……!いや、わかりました。……おい、さっさとしろよ」


 吉岡は挑発するように、あるいは自嘲気味に信者たちへ吐き捨てる。吉岡の身体能力であればもしかしたら相手が2,3人であれば切り抜けられたかも知れない。そしてそのままどさくさに紛れて斎藤を連れて逃げられたかも知れない。斎藤が抵抗しなければだが。しかし今の状況下はどう考えても逃げることは不可能だ。一時的に捕まっておいて隙をみて逃げた方が良さそうだ。


 信者たちは俺の吉岡への忠告を聞いても油断なく厳しい表情でこちらに歩いてくる。そして両脇を固めるように俺たち一人につき2人以上が両腕を掴んで連行しようとしてきた。腕を後ろに回すように押さえつけて前へと歩かされる。ふと斎藤の方を見ると険しい顔つきで俯きながら立ち止まっている。


「そこのお前。お前も特別室へ来るんだ。不信心者がどういう事になるのか見せてやる」


 信者達に指示を出している黒いローブを着たおっさんが斎藤を指差して呼びつける。斎藤は無言で首を縦に振って黙々とついて来る。


部屋を出て1階ロビーを抜けてからしばらく廊下を歩く。おっさんが集団を先導し、しばらくは蛍光灯に照らされていた場所をぞろぞろと歩いていたが、そのうち蛍光灯が切られた廊下に入った。恐らく普段は人通りが少ないのだろう。極端に暗くなり足元や先が見えづらい。しかしその奥の突き当りに扉があるのがぼんやりと見える。どうやらそこを目指して俺たちは歩かされているようだ。


「そこで待て」


 おっさんが信者たちに指示を出し、俺達は停止させられた。おっさんは懐からなにやらジャラジャラと鍵の束を取り出してその一つ一つをチェックしている。ようやくその内の一つを選び取って解錠し扉を開ける。ギィという鉄を引きずるような重い音を立てて扉が開く。中は真っ暗で何も見えない。


「この者たちを中に入れろ」


 おっさんの命令と共に押し込まれるような強引さで暗闇の中に押し込まれる。俺は蹴つまづいて部屋の中に倒れてしまった。冷たく固い床に腕と肩をぶつける。衝撃を吸収しない固い床のせいで直接的な鈍痛が走り少しの間動けなくなる。

 俺のすぐ隣で同じく押されて倒れた三山のくぐもった痛みの声が聞こえる。この信者共は教団上位の人間から命令されれば手荒な事もいとわないらしい。


「お前達にはここで特別な修行を受けてもらう。おい……明かりをつけろ」


 パチという音と共に部屋の蛍光灯が点滅しながら点く。周りを見渡してみるとコンクリートの打ちっぱなしの部屋で、床も壁も天井もコンクリート製のまるで倉庫の様な場所だ。

 だが一部異様な箇所がある。縦に細かく差し込まれた鉄製と思われる棒が部屋を横断するように等間隔に並び、その一番端の壁との間にやはり鉄製の扉が備え付けられていることだ。つまるところ、これは檻なのだ。


 また、なぜか部屋の扉付近に水道の蛇口とホースが置いてある。他にも部屋の檻の外の壁にはロッカーが置いてあった。おっさんがそのロッカーを開けて中から何かを取り出す。それは六角柱の木製の棒だった。ただの六角棒だったが、握りの部分にバンテージの様なものが巻いてある。

 正直戦慄した。多分、というか、ほぼ確実にこの六角棒の使い方は俺たちをぶん殴る為のものだろう。ここは危険だ。というかこの教団はマジでヤバい教団だった。信者たちの後ろで恐る恐る見ている斎藤の顔が青ざめている。


「お前、前に来い」


 おっさんが斎藤に指示して部屋の中に来させる。斎藤は青い教団衣を着た信者達を縫うように前に部屋の中に入ってくる。


「おい、お前たち、この者たちを取り押さえろ。逃がすなよ。……お前はそこで不信心者がどうなるか刮目しろ!」


 おっさんの怒号が響き、信者の群れが再び俺たちをガッチリと取り押さえる。手を後ろ手に回されて無理矢理に立たされおっさんの前に並ばされる。おっさんの後ろでは斎藤が不安そうな顔で俺たちを見つめている。そしておっさんはまず俺の前に立って六角棒を振りかぶり、思いっきり俺の頭に振り下ろした。


「喝ッ!」


 ガン!という音を立てて目の前の視界が大きく一瞬揺れる。口内で歯と歯が激突し、耳や鼻や目から出血したかのように頭蓋骨内部の液体が一気に撹拌され、電気が走ったかのように全身がビクっと強張る。

 そしてそれから激痛が頭を走り抜け、熱した鉄を押し付けられたような熱感がじんわりと打ち付けられた付近を覆うように広がる。視界が白むようにぼやけて視線を合わせられない。


「この野郎!なんて事しやがる!」


 隣で拘束されている吉岡が叫ぶ。


「喝ッ!」


 俺は2人がかりで拘束されているせいでふらつく身体を倒すことも出来ず、第二撃の準備すら出来ずに横っ腹に六角棒を叩きつけられた。筋肉を押し潰し断裂させようと瞬間的に身体にめり込む六角棒の勢いに内臓が反射的に飛び上がり、思わず俺は嘔吐した。腹部の痛みと筋肉の物理的な損傷のせいで呼吸すらうまく出来ずに気絶寸前まで肉体的精神的に追い詰められた。


「この者を放り込め!次!喝ッ!」


 俺は力ずくで引きずられ室内にある檻の中に放り込まれる。受け身を取ることも出来ず背中からコンクリートの床に落ちた。背中と後頭部を打ち付け慣性力で摩擦を受ける。

 俺の隣にいたのは吉岡のはずだ。吉岡の叫ぶ声が聞こえる。しかしそれもどんどん遠くなっていく。俺は自分自身が意識を保つ限界にいた。その瀬戸際にいるせいで時間的感覚が狂っていく。痛みと意識の混濁を受け入れるがままになっていた。


 わずかに開いた目蓋から見える視界には、吉岡が打たれ俺と同じ様に檻の中に突っ込まれる場面が映る。そして今度はまた他の誰か、もう誰なのか判別も難しいが、理不尽かつ強烈な暴力の前にさらされているのがわかる。とてつもなく痛く、とてつもなく眠い。


「これで終わりか。おい、牢屋に鍵をしろ。次はお前たちのその汚れた身体を聖水で洗い流す!」


 おっさんの声がする。何やら準備をしている。もうわからない。檻に施錠する音が聞こえる。眠りたい。

 その時だった。大量の水が檻の中に発射された。非常に強い勢いで顔に水が掛けられる。いや、掛けられ続けられた。鼻や口に大量の水が侵入し思わず背を向けて手で顔を覆う。まだ俊敏に動ける体力と気力があったらしい。非常に冷たい水が向けた背に強い力で浴びせかけられる。恐らく入り口にあった水道はこのためにあったのだ。


 しかし明らかに普通の水道の勢いではない。防災訓練で使うような消火ホースから出るような勢いだ。1秒でも同じところを浴びせかけられると冷たさよりも痛みが走る。俺を散々水で濡らした後は他の3人にも同様の事をしていた。今の俺にはやめろと叫ぶことすら出来ない。絶望的無力感と強烈なストレスの前になすすべなく壁に向かって膝をついた。


「マハーカッサパ=グル。どうかおやめ下さい!こんな事を日常的にされているのですか!」


 斎藤がおっさんにすがるように質問する。出来れば俺たちが殴られる前に止めに入って欲しかった。もう俺は斎藤だけでもさっさとここから逃げて欲しい気持ちでいっぱいだった。


「さほどすることはない。不信心者はそう多くないからな。お前もこうなることのないように修行に励むのだ。わかったな!」


「はい。マハーカッサパ=グル。ナマステ」


「お前達はここでしばらく反省しろ!」


 おっさんはそう言い残して部屋から出ていった。信者達もそれに続く。俺は斎藤が「すまん」と言った気がした。


 室内の電灯のスイッチが切られ、扉が閉まると室内は本当に真っ暗になった。ガチャンという音と共に部屋のドアが施錠される。俺たちはこれからどうなるのだろう。解放されるのはいつになるのだろうか。数時間後か数日後か。絶望感で頭がまったく働かない。


「絶対に償わせてやる……」


 吉岡だろうか。おっさんへの復讐の決意表明が聞こえる。俺たちと同じ様に痛みに耐えながら、そうする事で必死に自分を保っているのだろう。当の俺はそれすら出来ずに横たわる事しか出来なかった。

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