第2話 予兆

 教室にベルが鳴り響く。高田聡太こと、自分にとって最後の前期試験が終了する。微積分演習のテスト。内容は恐らく単位はなんとか取れると感じていた。出席率は良くないもののテストの点だけは良いからだ。それは自分の頭が良いのではなく単純に何が出題されるかほぼわかっているからだ。

 自分は木星寮の寮生である。自分らだけがアクセスすることが可能なアカシックレコード、神様文庫とも呼ばれる先人が溜め込んでいるテスト用の過去問の束たちが自分ら寮生の進級率を上げていた。


 これではダメ人間になってしまうと思いながらも神様文庫を使うことをためらうことは無い。これがあるから不真面目でもちゃんと次の学年へ進級し、だらだらと青春を浪費していられるのだ。

 今日も斎藤さんが共同部屋でスーパーファミコンのマリオカートの歴代記録を抜こうと頑張っている姿を肴に酒でも飲んで、やいのやいの冷やかしてやろう。うるさそうな顔をしながらもそれに負けじと操作に集中している斎藤さんの極めて人間的な表情を見ると妙な味があって中々面白い。

 自分が先輩に対してとても失礼な事を言っているのは承知だが、斎藤さんはそれくらいで怒る人ではない。


 大学の正門から外に出て徒歩で10分。木星寮アルファ棟の玄関からスリッパに履き替えて2階の部屋に一度戻り、高校時代のジャージに着替えて共同部屋へ向かう。

 再び玄関をくぐりベータ棟との間にある一軒家風の「本部棟」へと向かう。本部棟は正式名称だが、自分自身も含めて皆この建物のことをただ単に本部と呼ぶ。本部玄関を開けるとすぐ左に寮母さんの窓口、右側に郵便物や宅配物が集積整理されている運営委員会事務室がある。

 自治寮ゆえ学生たちが自分で運営しているが、やっていることといえば毎週する寮内の掃除の監督やトイレットペーパーやゴミ袋の購入、ゴミの分別の監督など生活に密着したものだ。

 例えば入寮希望者の審査などは大学の学務部が行っている事であって、運営委員会が口を出せるような話ではない。


 また寮生会合という年2回ある全寮生強制出席の会合で出席者の人間たちと議論を重ねて次はこうしようとか、これは今後はやめようとか、お前はこの寮に相応しくないから今すぐ出ていけなどと言い合うのも仕事のうちである。

 その寮母さんの事務室と委員会事務室に挟まれた廊下の向こうには10人ほどが入れる大風呂がある。この大風呂施設のお陰で毎日清潔なお湯に心ゆくまでつかることが出来る。

 ここまでの規模の風呂になると保健所の検査対象になるらしく、汚いまま使用しているのがバレた場合、2週間くらいの間閉鎖されることになるらしい。なので毎日風呂当番が洗剤とデッキブラシで洗っている。

 この風呂当番は毎日変わるので全ての寮生が年に4回ほどやることになる。当番を忘れた場合は裁判委員によって寮則に則り罰を言い渡される。


 玄関から見て寮母さんの事務室の後ろには階段があり2階の共同部屋へと繋がっている。こちらも二部屋に分かれている。ゲーム部屋と麻雀部屋だ。どちらも15畳ほどの広さで、ゲーム部屋にはテレビと各種ゲームハードとソフトがある。大体ゲームかニュースがテレビには映っており、ゲームをやっている場合は誰かの叫び声が聞こえる。あとは部屋の端に漫画が詰まった棚が置いてある。

 一方、麻雀部屋には手積みの麻雀卓が2卓設置してあり、いつもジャラジャラと誰かが麻雀を打っては叫んでいる。共同部屋は誰がどれだけ叫んでも苦情が来ない。近隣にも学生向けアパートや一般宅はあるが、共同部屋の壁が厚いのか外からだと微かに叫び声らしきものが聞こえる程度だ。騒ぎ盛りの大学生にとってはとても都合が良い。


「斎藤さん、来ましたよ!」

 勢いよくゲーム部屋の引き戸を開けて斎藤さんを探す。ゲーム部屋には数人の人間がまばらにくつろいでいるが斎藤さんの姿はない。テレビ前に置いてあるソファーには誰も座っておらず、テレビからは夕方のニュースのラーメン特集が流れるがままになっている。

「斎藤はいないよ」

 4年生の桜井さんが寝転んだ状態でエロ漫画雑誌をつまらなそうに読みながら答えてくれた。桜井さんと斎藤さんは同い年で二人ともよく一緒にいる所を見かける。自分よりも斎藤さんのことをよく知っているだろう。

「アレ?珍しいですね。今日は5限無いですよね?」

 桜井さんはエロ漫画雑誌から目を離し、こちらに顔を上げてから神妙な声で言う。

「なんとだな……アイツはサークルに入ったそうだ。それもインド哲学系のサークルだ」

 部屋で思い思いの事をしていた寮生たちが一斉に桜井さんの方へ顔を向けて反応する。


「マジですか」

「なんですかソレ」

「それやばいやつでは?」


 桜井さんはため息をつきながらエロ本を投げ出す。自身の体勢を直し取れなくなったシミがついたカーペットに向かって独り言のようにつぶやく。

「ヤバイやつだろうな……どうかんがえても」

「もしかして毎日のようにマリカを冷やかして見ていた自分のせいですか?」

 桜井さんは首を横に振る。

「違うだろう。そんな男じゃない」

 自分の方に向き直った桜井さんが言う。

「とりあえずアイツの部屋に行って来い。おかしさがわかるから」

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