第2話 岸青年の来訪
俺は布団の上で必死に脳を動かす。金はさすがにまずい。どうにかしなくてはいけないと頭のなかで何かが警鐘を鳴らしている。そのときだった。俺の部屋の扉を小さくたたく音がする。俺は急いで布団を直し、乱れている寝間着の襟首を整え、重い音がする扉へと向かう。何度も扉をたたく音が聞こえる。俺は深呼吸をして一拍置いてから引き戸を開けた。そこに立っていたのは、つい最近この長屋に引っ越してきた岸青年であった。
岸青年は俺と同じくらいの年の頃で、身の丈は俺よりほんの少しだけ高い。どことなく陰気な雰囲気を醸し出している男で、引っ越してきたときに挨拶をほんの一言しただけでそれ以外に付き合いはない。そんな岸青年がなぜ俺の部屋に来たのか。俺は岸青年の伏せた長いまつ毛と西洋人形のように濃い顔立ちをまじまじと見る。岸青年は分厚い唇を静かに開いた。
「あ、あの……。二個隣に住んでいる岸ですが、その……あの……」
この青年は何を云いたいのだろうか。俺はふつふつと頭が煮えたぎるような感覚に襲われる。腕を組み、指を規則正しく動かしていると岸青年は顔から耳まで赤くして目をぎゅっと瞑った。まるで俺が岸青年を苛めているようだ。俺は弱者ぶる岸青年に腹が立った。
「何の用だ」
俺が苛立ちも隠さず、岸青年に冷たく云い放つと、岸青年は教師に怒られた児童のように身を震わせた。長屋の住民がそれを横目に通り過ぎていった。
「あ、あの……昨日の晩に僕の十円札が……その……無くなって……あの、何かご存知ないかなって……思いまして……」
十円札。俺の頭のなかに今朝の風景が甦る。俺の布団の下にあった身に覚えのない十円札。あれはひょっとして岸青年のものであったのだろうか。俺の鼓動は徐々に速度を上げていく。まるで心臓が口から飛び出そうな気分だ。俺は手に冷や汗をかいていた。正直に云った方がよいのか。いや、ここで俺が十円札が布団の下にあったなどという話をしてみれば俺は泥棒。確実にお勤めすることになる。それは厭だ。俺は不機嫌そうに彼にできるだけ冷たい声をかける。
「俺が泥棒だと思うのか」
「イエ、そんな……。めっそうもない。失礼いたしました……」
岸青年は俺の冷たい声に飛び上がると、頭を下げ、後も振り返らず自分の部屋へと入っていった。俺の握りこぶしは震えていた。
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