悪夢

石燕 鴎

第1話 夜眠る

 夜眠るとその間の記憶はない、というのは至極当然のことである。それは人間だけではなく、獣もそうだ。しかし、眠っている間様々な映像を見ることがあると思う。それは夢というもので、起きた途端にすぐにその世界は消えてなくなる極めて曖昧模糊なものである。その世界は、脳が作り出した幻影であり記憶の破片であろう。


 俺は子供の時分より、変な夢を見たためししかない。東京に星が落ちてくる夢、俺の母親が実は牛であった夢、父親が死んだ夢―俺の身近なものが題材になることが多かった。そして、この夢というものは記憶を忘却のかなたへとやる効果があるようで、俺にとってそれは恐怖の対象であった。子供だった俺は、夢を見るのが恐ろしくて一晩中起きていることもあった。そのときの景色は三十になった今でもよく覚えている。かいまきの中でも凍えるほど寒く、空では星が静かな輝きを放っていた。あの晩に俺は「俺はこの先、きっと様々なことを忘れる」ということを心のどこかで悟った。それ以来、俺の夢や記憶の空白、忘却というものに対しての恐怖心というものはなくなった。その恐怖心というものも忘れてしまったのかもしれない。しかし、最近その恐怖がぶり返してきたのだ。


俺は毎日夜九時には眠る。朝、長屋で目覚めるといつもの天井が俺の視界に入る。俺が身を起こすと最近妙なことが起こっている。俺の足には土がついているのだ。勿論、俺には出かけた記憶はない。しかも、そういうときは必ずと云っていいほど俺の布団の下に何かものが隠してある。軍人が書かれた面子、円本、おはじき等々俺にとってはどうでもよいものである。今日も俺の足には土がついている。足を軽くはたき、土を落とすと、息を深く吸い布団をめくる。そこにあったのはくしゃくしゃになった十円札であった。


金は初めてのことだ。しかも十円とは大層高価な額ではないか。俺は必死に記憶をたどる。昨日はどうだ。俺は何をしていた。昨日何食べたか。確か朝は鮭の握り飯、昼は蕎麦、夜は梅干し茶漬け。そんなことはどうでも良い。行動だ。朝は散歩をして、昼は仕事、夜は酒を飲んで寝た。その間、誰かから何かを盗ったりした記憶は勿論ない。酒を飲んだあと、俺は布団に入った。間違いなくごろりと寝転がった。そのあと俺は欠伸をして目を閉じた。俺は、人間は眠ったあとは記憶がない。俺は眠っている間、何をしていた。

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