04

「なあ、あんた。リリのこと知ってるみたいだけど、話を聞かせてもらえないか?」

「……ええ。でもその前に、こちらの質問に答えてちょうだい」

 そこで少し間を取り、彼女はアルドの目を正面から見据えた。

「あなたたちとさっきの子はどういう関係なの?」

「ああ……リリは迷子なんだ。しかも記憶を失ってて、それでオレたちが元いた場所を探す手伝いをしてたんだ。詳しく話すと長くなるけど――」


 アルドがこれまでの経緯を説明する間、女性は真剣な表情でそれを聞いていた。


「――そう。あの子は自分の名前以外は覚えてないと言ってるのね?」

「ああ。でも驚いたな。時空を超えるなんて話、すぐには信じてくれないかと思ったけど」

 アルドの仲間たちは別として、普通に暮らしている人たちは時空跳躍の概念など持ち合わせていないのが普通だろう。しかし彼女は特に訝しむ様子もなく、すんなりと受け入れているように見える。

「それは当然よ」と、彼女が事もなげに言う。

「私はこれでもKMS社でプリズマの研究をしている科学者だもの。次元の歪みが時空の穴を生み出すことくらい知ってるわ」

「KMS社の? へえ、まだ若いのにすごいんだな」

「若いって……ふふっ。あなたの方がいくつか若そうに見えるけど?」

 初めて女性が笑顔を見せる。


 それからしばしの間、沈黙が場を充たした。相手が何を言おうとしているかを互いにわかっていて、どちらが先に口を開くかを待っている。


 先に沈黙を破ったのはアルドだった。


「なあ、あんたの名前って、もしかして……」

 彼女はその質問を予想していたように頷いた。

「ええ――私はリリ。あの子と同じ名前ね」

「やっぱり……」

 リリという名前自体はそう珍しいものでもないだろう。しかし、目の前にいる女性は、まるでアルバムの写真を見比べているかのようにリリの面影を強く宿していた。

「つまり、あんたとあの子は同一人物ってことか」

「恐らくね。でも、おかしいのよね。私が子供の頃にこんな経験はなかったもの」

「え? でもそれじゃあ……」

「そう、辻褄が合わないわ。あの子は私、同じリリであることは間違いない。だけど同一人物であるとは考えられない」

「……どういうことだ?」


 リリの言っていることは理解できた。

 アルドの旅の仲間にディアドラという騎士がいる。

 ディアドラも過去の記憶を失っていて、アルドは彼女が記憶を取り戻すまで行動を共にしたのだが、結果として判明したのは、ディアドラが〝過去の自分に会い導くことで姉の命を救った〟という真実であった。

 それは即ち、「未来の自分が過去の自分に会う」という事象が永遠に繰り返されることを意味している。

 つまり、二人のリリが同一人物なのであれば、目の前にいるリリも過去に少女のリリと同じ経験をしているはずなのだ。


「私ね、孤児だったの」

「孤児?」

 突然の告白に動揺するアルド。

 若くしてKMS社の研究者になったという彼女の過去は壮絶なものだったようだが、それと今の状況に何の関係があるのだろう。

「まだ物心つかないうちに母を亡くしてね。それからしばらく父と二人で暮らしていたの。私の五歳の誕生日の日、父も消えてしまったわ。私の目の前でね」

「それは……気の毒に」

 悲痛な身の上話にアルドが顔を歪ませる。

 肉親との別れ。その辛さは身をもって知っていた。

「いいのよ。元より父は家庭を顧みない人でね。母が亡くなった後も研究に没頭してばかり、幼かった私の面倒は他の家庭に押し付けて、愛情を感じたことなんてほとんどなかった。……恨みこそすれ、また会いたいなんて思ってないわ」

 顔色ひとつ変えずに言う。だが、どこか無理をして気丈に振る舞っているようにアルドには見えた。

「……でも、目の前で消えたって、何があったんだ?」

「父は時空の穴に飛び込んだの。自分からね」

「時空の穴に!? しかも自分からって……いったいどうして?」


 そこでリリは深く息を吐き、空を仰ぎ見るようにした。

 浮遊街であるエルジオンでは地上よりも太陽が近くに感じられる。いつもはギラギラとプレートを照らしつけている太陽が、今は雲に覆われていて、薄ぼんやりとした光を地上に注いでいる。

 曖昧な空模様に在りし日の記憶を重ね合わせるかのように遠い目を空に向けながら、リリが口を開いた。


「理由はわからないわ。ただ……唯一覚えているのは、父が時空の穴に飛び込む直前、猫のぬいぐるみを渡してきたことくらいよ。誕生日プレゼントのつもりだったのかしらね」

「猫のぬいぐるみ? それってもしかして……」

「ええ。あの子が抱いていたのと同じものよ。でも、私はそれを受け取らなかったけどね」

「受け取らなかった? どうしてだ?」

「突き返したのよ。なんだか嫌な予感がしてね……ちゃんと戻ってきたら受け取るつもりだったわ。結局、それは叶わなかったけれど」


 なるほど、とアルドは得心する。

 幼い頃の自分に瓜二つの子供が、父が持っていたものと同じぬいぐるみを手にして目の前に現れたのだから、あれほどの狼狽を見せたのも道理である。


「お願い、アルドさん。さっきの子を連れてきて。彼女が何者で、どうして私の前に現れたのか知りたいの」

「……ああ、もちろんだ」


 現時点では二人の関係についてはっきりとしたことは何もわからない。

 だが、大人のリリを見てショックを受け逃げ出した少女のリリ――あの反応は、恐らく何かを知っている。

 いや、何かを〝思い出した〟に違いない。


「待っててくれ、必ず連れてくるから」

「あ、ちょっと待って!」

 と、背を向けたアルドをリリが呼び止める。

「……アルドさん。あなたは子供の頃のことを覚えてる?」

「子供の頃?」

「ええ。たとえば……三歳くらいの時、どこに暮らしてたとか、誰と遊んでたとか」

 リリの質問の意図がわからず戸惑うアルドだったが、正直に首を振った。

「いや、オレもあの子と同じだよ。その頃の記憶はオレにはないんだ。ただ、これは後から知ったことだけど……オレは昔、クロノス博士の家にいたんだ」

 息子としてではなく、飼い猫のキロスとして。その事実だけは伏せて伝えると、リリは「そう……」と嘆息した。

「おかしなことを訊いてごめんなさいね。それじゃあの子のこと、頼んだわ」

「ああ。任せてくれ」


 アルドがフィーネの後を追っていった後。

 一人残されたリリは、その後ろ姿を見送りながら、ぽつりと呟いた。


「アルド……名前は違うけど、やっぱり間違いない。あなたは――」

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