02
「お、来たか」
二人の来訪に気付いたマスターが声をかけてくる。
酒場の中はまるで時が静止したように穏やかな空気が流れていて、いつもの面子がいつもと同じ場所で思い思いの時間を過ごしている。
いつ来ても変わらぬ光景。街の酒場のような賑やかな雰囲気はないが、アルドはこの独特な空気感も嫌いではなかった。
「やあマスター。オレたちに用事があるって?」
「ああ。それなんだが……」
マスターが答えようと口を開いたその時、
「あ、あのう……」
と、別の声が割り込んでくる。振り向くと、二人の背後に年端も行かない少女が立っていた。
(あれ……こんな子、ここにいたっけ?)
違和感を覚えるアルドをよそに、マスターは少女に愛想のない顔を向ける。
「どうした?」
「その……なにか飲み物を……」
少女の要求にマスターは「ふぅ」と溜息をつく。
「飲み物なら、さっき水をやったばかりだろう」
「お水……」
少女は何故か気を落としたようにうな垂れる。
「でも、他のひとたちは水じゃなくて美味しそうなの飲んでるよ……?」
「贅沢を言うんじゃない。バーってのは大人のためにあるもんだ」
「もうマスター、子供相手にそんな意地悪なこと言ったらダメだよ!」
フィーネがマスターを嗜めると、少女の前で膝をついて視線を合わせて優しく微笑んだ。
「ねえあなた、私のおすすめのジュースがあるから一緒に飲む?」
「ジュース……?」
少女は不可解そうな視線をフィーネに向け、そして言った。
「でも、みんなが飲んでるのってお酒でしょ? わたしも同じのを飲みたい」
「お、お酒!?」
予想外すぎる答えにのけぞるフィーネ。アルドも慌てて割って入る。
「だ、ダメに決まってるだろ! 子供がお酒なんて……」
「ひぃっ! ご、ごめんなさい!」
気が弱い性格なのか、語気を荒げたアルドに怯えるように少女が涙目で後ずさる。
「ちょっとお兄ちゃん! そんな怒ったらかわいそうでしょ!」
フィーネに嗜められ、アルドは「あ、ごめん!」と素直に謝る。
とはいえ、酒場で酒をリクエストする少女など前代未聞だ。態度からして冗談を言っているようには思えないが……。
と、そこでアルドがあることに気付く。
「マスター、もしかしてオレたちを呼んだのって……」
マスターはこくりと頷きを返す。
「察しの通り、その子のことだ。つい最近ここに流れ着いてな」
「流れ着いたって……この子一人で? 家族とかは?」
「それが、ここに来る前の記憶を失っているようでな。どこから来たのか、どういう経緯でここへ流れ着いたのかも覚えていないらしい。いわば〝時空の迷子〟ってやつだ」
「そんな……」
フィーネが悲痛そうに顔を歪める。
この場所に来たということは、現実世界の時間の流れから何らかの理由で切り離されてしまったということだ。エルジオンで迷子になっていたあの少女とは深刻さが違う。
「なあマスター。この子をどうにかして元の場所に戻してやることはできないかな?」
「ふっ。お前ならそう言うと思っていた」
アルドの提案に、髭に隠された口元を緩ませる。
「お前たちを呼んだのは元よりそのためだよ。その子の記憶を取り戻す手伝いをしてやってほしい」
「……! ああ、もちろんだよ!」
「頼んだぞ。これはお前たちにしかできないことだからな」
「オレたちにしか……?」
マスターの口ぶりにどこか引っかかるものを感じたアルドだったが、掻き消すように首を振る。
自分たちが力になれるというなら願ってもない。
「でも、意外だな、マスターがわざわざオレたちにそんな頼みごとをしてくるなんて」
「確かに、本来ならこの場所へ来る者たちにこちらから干渉することはない。それが彼らの運命の導きであり、魂の望みだからな。だが、この子の場合は少し事情が違っていてな」
「事情が違う?」
「ああ……いや、これは言葉で説明するべきではないだろう。お前たち自身で確かめてくれ」
「……? ああ、わかったよ」
マスターの正体を知っているアルドがこう言うと奇妙な評価となってしまうのだろうが――
マスターは考えの読めない人物だ。すべてを見通しているのではと思えることもあれば、まるで世界に関心のない世捨て人のような言葉を口にすることもある。いつも飄々としている上、サングラスと口髭で顔を覆っているため、表情も読みにくい。
いったいマスターは何を知っているのだろう。
考えたところで詮無いことはわかっている。それでも、何となくではあるが……自分にとって、いやフィーネにとっても、何か重大な意味のあることなのだろうと、そんな気がした。
「でも、記憶を取り戻すって、どうしたらいいんだろう?」
フィーネがもっともな疑問を口にする。
仲間の中にも過去の記憶を失っている者は数名いるが、どうすれば記憶が戻るかなんて共通の正解はないだろう。
しかしマスターは「なに、簡単なことだ」と事もなげに言った。
「お前たちが冒険で辿ってきた場所に連れて行ってやればいい」
「オレたちが辿ってきた場所?」
「ああ。その中にその子がいた場所があれば、何か思い出すかもしれないだろう?」
アルドは改めて少女を観察する。
見た目からすると五つか六つくらいだろうか。両手で大事そうに猫のぬいぐるみを抱えている。
服装は幾何学的な模様が入っている丈の短い橙色のオーバーオール。どちらかというと古代やアルドの時代ではなく未来の人々が着ている服に近いように見えるが……さすがに身なりだけで判断するのは難しそうである。
やはりマスターの言う通り、各時代を巡ってみる他はなさそうだ。
「なるほど、わかったよ。じゃあさっそく行こうか。ええと……君、名前は?」
アルドが声をかけると、少女は椅子からぴょんと飛び降り、アルドの顔をじっと見据えた。
「ねえ、おにーちゃん」
「ん? どうした?」
「リリね、おにーちゃんとどこかで会った気がするの」
「……へ?」
意表を突かれ、思わず頓狂な声を上げてしまう。
「会った気がするって、オレと君が?」
「う、うん。いっしょに遊んだような気がするんだけど……」
「……いや、ないと思うよ。オレ、人の顔は忘れない方だから、そんなことがあったら覚えてるはずだ」
「そ、そう……」
アルドの返答に少女は残念そうにうな垂れる。その表情を見て、アルドは妙な既視感に襲われた。
(でも……確かにこの子、どこかで見たような……?)
「あ、わたしの名前だよね。リリだよ。それだけはおぼえてるんだ」
少女が言い、アルドは思考を中断する。
「リリか。オレはアルド。よろしくな」
「私はフィーネ。よろしくね、リリちゃん」
「う、うん。アルドさんにフィーネさん……やっぱりなにも思いだせないや。人違いだったみたい」
落ち込んだ様子の少女に、フィーネは優しく微笑みかける。
「大丈夫! きっと全部思い出せるよ。ね、お兄ちゃん?」
「ああ。じゃあとにかく行こうか。でも、どこから回ったらいいかな」
「とりあえずお前たちの時代から回ってみたらいいだろう。そうだな……月影の森なんてどうだ?」
「月影の森? どうしてだ?」
マスターの提案にアルドが首をひねる。
普通に考えるなら、人の住む町を回った方がいいのではないか。月影の森に記憶を取り戻す手がかりがある可能性は低そうに思える。
「あそこは時空の歪みが生じやすい場所だからさ。それはお前たちが一番よく知っているだろう」
「ああ……なるほど、そういうことか」
時空の穴――次元の歪みが生み出した、異なる時空を繋げる扉。
少女がどこから来たのかはわからなくても、時空の穴に飲み込まれたことは間違いない。手あたり次第に町を回るよりそちらのアプローチの方が効果的だとマスターは言いたいのだろう。
「よし。じゃあ、まずは月影の森に行ってみようか」
「あの、つきかげのもりって?」
少女に訊き返され、アルドは「ああ」と頷く。
「オレが最初に時空を超えた場所だよ」
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