本多忠勝の絶望

 大広間から豊臣系大名たちがいなくなると、家康は小姓たちと共に今度は徳川軍の武将たちが待つ屋敷へと足を運び、すぐに将たちを呼び付けた。




 まもなく、屋敷の広間に井伊直政・榊原康政・本多忠勝・大久保忠隣の四名が集った。




「福島らに何かあったのですか?」


 真っ先に口を開いたのは井伊直政だった。


「ああ、除封の上に打ち首を言い渡してやった」

「なるほど……」

「驚かぬのか?」

「いえ、一度西軍に走っておきながらのうのうと戻って来るような恥知らずには妥当な罰かと」


 康政の物言いに家康はあからさまに顔をしかめた。


「どうかなさいましたか」

「いやなんでもない、これから今後の方針についてお前たちに諮りたいのだが」

「何なりと」


 直政だけは落ち着かない様子で、家康の挙動をチラチラと眺めている。


 実はこの時松平忠吉は、未だに石田重成の元にいた。客ではなく文字通りの人質であり、大事な娘婿の命を思うとどうにも落ち着けなかったのだ。



「まず徳川家の事だが、わしは隠居する」

「えっ」

「どうした?思ったより驚いとらんな」

「いや……正直に申し上げますればそろそろと…」

「やはりそう思っていたか……まあよい、とにかく徳川の跡目は秀忠に譲る事に決めた」


 そんな中真顔のまま家康の口から放たれた爆弾発言に、皆わずかに動揺した。


 家康は既に五十九歳、しかも日の本を二つに分けた大決戦を戦い抜いた直後であるだけに、四人ともそろそろこの辺りでと言う思いはあった。



「江戸中納言様ですか、しかし今すぐと言う訳ではございますまい」

「いや今年中にのつもりだ」

「えっ!?」



 今度は四人とも先ほどよりも大きく動揺した。


「おや、なぜそんなに驚く?」

「いやその……」

「まあ、この話はいったん仕舞いにさせてくれ。他にも色々諮りたい事があってな…………」

「はい……」


 本当はなぜこの時期にとか聞きたかったのだが、家康にそう言われては四人とも黙って話を聞くしかなかった。


「十人衆の事なのだが」

「十人衆ですか……?」


 そのつもりで居住まいを正した所にさらなる爆弾を投げ付けられ、四人の口は大きくこじ開けられた。


 秀吉の最晩年に作られた制度として有力大名たちを集めた五大老と秀吉子飼いの行政担当官である五奉行が存在し、両名を合わせて十人衆と呼ばれていた。


「此度の戦役で五奉行の一人石田三成が失われた。その後釜を考えねばならぬ」

「後釜……でございますか」

「どうした?大事な五奉行の筆頭が失われたのだ、考えなければならぬ問題であろう」

「はい……」


 直政たちは正直五大老や五奉行などという役職に価値など認めていなかった。秀吉の最晩年に慌てて作り上げた、豊臣政権の虚飾そのものとしかとらえておらず、正直そんな物に拘泥する家康の気持ちが分からなかった。


「どうすべきだと……いや増田や長束をそのまま置くつもりで?」

「ああ、構わぬ」

「それは鷹揚過ぎはしませぬか?」

「有能な人材は使うに越した事はないだろう、それに勝手な事はさせないように手を打つ」

「手を?」


 五奉行の内浅野長政と前田玄以は東軍側だったからいいとしても、増田長盛と長束正家は西軍方である。二人を罷免した上で、一体誰を置くと言うのだろうか。




「ああ。治部少輔の代わりとして、本多佐州を五奉行に組み込む」

「ななっ……!?」




 本多正信を五奉行にする。家康が淡々と言い放ったその言葉には、徳川の重臣たちの口を塞がらなくさせるのに十二分な破壊力があった。


「そ、そんな事ができると……!?」

「いくらなんでも図々し過ぎはしませんか!?」

「できる。それが戦勝の軍の総大将の権力の大きさと言う奴だ」

「しかし……!」

「御家の安定の為には必要不可欠である、そう考えたからこその行為である。その辺りをわきまえてもらいたい」

「はあ……」

「とにかくこれはわしの命であるゆえ、どうか聞き入れてもらいたい。頼むぞ」


 家康は丁重な口調で直政たちに理由を説いていたが、それが却って家康の本気振りを示し四人の口をふさいでいた。


「心得ました……」

「うむ、それでよい」

「しかし、大殿様は先ほど十人衆とおっしゃいましたが」


 かろうじてうなずいた直政であったが、それでも話が臓腑に落ちる様子はなく、胸に手をやるのを必死に我慢していたのが見え見えだった。


「ああ、申したな」

「大老の方はどうなるのでしょう」


 確かに、正信を奉行にすると言うだけならば十人衆と言う必要はない。


 大老は家康と前田利長が東軍方なのに対し、宇喜多秀家・上杉景勝・毛利輝元の三人が西軍方である。


「その事だがな、此度の戦にてまるでやる気を示さなんだ安芸中納言(毛利輝元)は大老の座にふさわしくないと考えている」

「それでは代わりに誰を、いや備前中納言(宇喜多秀家)や会津中納言(上杉景勝)はよろしいので?」

「二人とも構わぬ。そして安芸中納言の代わりであるが、島津維新斎になってもらうつもりでおる」


 島津義弘。


 確かに六十六歳と言う年齢・六十万石を越える領国と大老の位を与えるに十分な器量の持ち主であるが、その義弘もまた西軍方であった。


 景勝と秀家が残留して義弘が大老になれば、結局大老の内三名が西軍方であると言う事には何の変りもないのだ。


「これほどまで西軍方の人間を政権の中枢に留めて大丈夫ですか」

「大丈夫よ」

「しかしそうなればいくら大殿様、いや江戸中納言様でも……」

「さあな」

「さあなと申されましても……」




「治部少の息子が何とかするだろう」

「……は?」


 先ほどから必死に喰い下がっていた康政たちであったが、不意に三成の名前を出されて戸惑いを隠しきれなくなった。




「そういえば石田家はどうなったのです?」

「ああ、治部少の息子に尾張と三河をやる事にした」

「そんな、なぜそんな真似を!」

「わしの代わりに五大老をやってもらうためよ」


 まるで息をするかのように、これまでと同じように淡々と言葉を紡いできた家康の口から出されたその言葉は、これまでのどの言葉よりも彼らの精神を動揺させた。


 人が人の命を奪う戦場でさえ、決して揺らぐ事のなかった四人の猛将の心を。


「ええっ…………!!」

「い、石田家が五大老に……!?」

「徳川に代わってですか!?」

「ああそうよ」

「なぜです!なぜそのような真似を……!!」


「徳川が五大老を務められるような器でなく、石田が務められる器だから、それだけよ」


 家康は相変わらず淡々とした調子で答えていた。まるで、四人の混乱を既定路線であるかの如く、芝居の筋書きをなぞるかのように。四人とも手足を振り回し、まるで童子のように家康に迫るが、家康は眉一つ動かそうとしない。


「徳川家の何が不足なのですか、お教えください!」

「さよう、豊臣家の内乱がこの戦の全ての発端であり……」

「このような真似をする豊臣家に天下は任せられぬと!」

「それをなぜ自らの地位を落としてまで豊臣家を盛り立てようと……」




「まだわからぬのか!!」




 そしてこれまで、どんな衝撃的な言葉も淡々と口にして来た家康が、急に嚇怒の声を上げた。


 ————まるで福島正則に怒鳴った時のように。


「全ては御家の安泰の為よ!!」

「あん…たい…ですか?」

「その為には誰かが率先して身を切らねばならぬ、それだけで駄目ならば不満分子を斬り捨てる事も致し方なかろう!」

「では大殿様は豊臣家の為にその御身をお切りになると……?」

「豊臣家だけではない、この徳川家の為にもだ!」

「徳川の為……」




「不満分子と言うか、徳川の内部に不協和音を起こす輩は放り出した。これで徳川は一体となるであろう」

「あっ!?」




 忠勝が驚嘆の声を上げるや、残る三人も一斉に凍り付いた。




「徳川を一体とするための術を、他に思い付く事はできなかった、許して欲しい。そんな事をすれば一大名に過ぎない徳川家の増長甚だしき事を証明するだけなのにな。だから自ら五大老の地位を捨て石田と島津を五大老の地位に就けるしかなかったのだ……」

「大殿様……」

「これからも徳川と豊臣に対し忠勤を尽くしてもらいたい、頼むぞ……」







 家康はそこまで言うと、それきり四人を顧みることなく広間を去った。










「…………佐州………」


 重苦しい沈黙が残る広間で、わずかに忠勝がそう声を上げるや、康政・直政・忠隣の三人は一斉に泣き崩れ始めた。




 もしあの時、正信に手柄を立てさせるわけに行くかなどと言う気持ちにならなければ、西軍を完膚なきまでに叩きのめせていただろう。


 そうなれば当然西軍に属していた連中にあんな配慮をする必要もなかった。もちろん石田三成の子が大老になるなどあるはずもない。

 本当に徳川の天下が来ていたかもしれない。



 その徳川の天下を踏みにじったのは、他ならぬ自分たちだった。




「我々と福島らに何の違いがあると言うのだっ……くそっ!!」




 あの時なぜ家康がわざわざ正信の策と言ったのか、忠勝はなぜ今の今まで気が付かなかったのかと涙に暮れた。


 家康はああやってわざと正信の策である事を言い触らす事によって、今は仲間内で争っている場合ではないと言う事を示したかったのだろう。

 そしてそれと同時に、いやそれ以上にこの非常時に内輪揉めを起こしていては豊臣家と何も変わらないと言う事を示したかったのであろう。







 元々、三成の側に正則を憎む気持ちは欠片もなかった。しかし正則の側には欠片どころか塊のようにあった。







「俺のせいで豊臣家が一体になれないと言うのならば俺は死ぬ。どうか残った連中を率いて豊臣家を守ってくれ」







 おそらくはそれが三成の思案だったのだろう。果たして憎しみの行き場を失った正則たちは西軍に走り、そのまま残った人間たちと手を組んだ。

 三成にしてみれば、自分がかき集めた者が正則に頭が上がらない状態になってもそれでよかったのかもしれない。何より豊臣家を守る事こそが重要であり、豊臣家が秀吉在世の頃のように一体となる事こそが心からの希求であったからであろう。


 だが、本人の望みに反して三成の存在は膨れ上がり、正則らの余りにも脆弱な自尊心を押し潰した。その結果、一体になっていたはずの豊臣家は結局再分裂してしまったのである。




 この愚行と呼んでも生ぬるい醜態を、徳川家は笑える立場であろうか。







 答えは、断じて否であった。







 本多正信の策により、戦は徳川の勝利で決着しようとしていた。




 それにも関わらず、忠勝たちは徳川の勝利より正信の栄光を阻む道を選んだ。




 これが三成がもてはやされる事になるであろう西軍の勝利を嫌がり、西軍から臆面もなく離反した正則らの行いとどう違うと言うのであろうか。




「豊臣家の醜態を見たはずであろう、徳川は二の舞を演じてはならぬのだ」




 その家康の本音を、ついぞ自分たちは理解することができなかった。あれほど家康と一緒にいて、あれほど忠臣を気取っていたのにだ。




「くそっ…くそっ…」




 忠勝は畳に拳を叩き付けながら涙を畳にこぼしていた。他の三人は拳を動かす気力もなくなっていたようで、ただただ泣き叫ぶだけばかりである。




 彼らが涙を涸らしたのは、日付が変わる直前だったとの事である。














 その翌々日の十一月五日、家康は改めて論功行賞を発表した。


 関ヶ原で共に戦った東軍の将については三日に発表した通りである。


 他に結城秀康と共に関東を守っていた蒲生秀行は下野一国を丸々与えられ、それ以外の下野勢は二倍で信濃に移封された。


 福島正則・黒田長政・加藤嘉明の三名は斬首の上御家断絶。

 ただし長政の父黒田官兵衛は隠居料として豊前に二万石の所領の所有が認められた。



 関ヶ原で大きく力を失った堀尾家と中村家は、毛利から取り上げた備後へと共に等禄転封。



 また東軍の地方勢力は雪のせいもあったとは言え全体として働きに乏しく、その為加増も抑えられた。


 まず最上義光は旧上杉領から十二万石を加増される代わりに伊達家に八万石を譲渡する事になり結果伊達家が八万石、最上家が四万石加増されたのみで、越後の堀秀治も筑前・豊前にわずか一万石の加増で移封、溝口秀勝に至っては伊豆への等禄移封であった。他、東北の東軍方大名も全て本領安堵である。




 そして肝心の徳川はと言えば、何の加増もなくむしろ伊豆一国を失っただけだった。

 正信は忠隆に代わって丹後十二万石に封じられたが、徳川の禄を離れる人間の事を数えてもしょうがない話である。







 一方で、西軍将はどうなったであろうか。


 宇喜多秀家は、備中を召し上げられる代わりに播磨を加えられ、備前・美作はそのままで八十万石。

 上杉景勝は、越後を得る代わりに米沢・庄内は召し上げられ、会津と佐渡はそのままで百五十万石。

 新たに大老となる島津義弘は、薩摩・大隅・日向南部に加え肥後南部と日向北部を加増されて九十万石。

 石田三成の長男重家は、尾張・三河二ヶ国で七十五万石。

 大谷吉治は、石田家に代わって佐和山城に二十万石で入る。

 立花宗茂は、豊後一国で三十五万石。

 真田昌幸は、川中島を加増され十八万石。

 長宗我部盛親は、安国寺恵瓊の旧領を加増され三十万石。

 長束正家は、近江領内で十万石。

 立花家にくっついていた九州の大名は二倍で筑前へ、福原直高など豊後に居を構えていた西軍大名は同じく二倍で越前へ移封。

 戦争でこれと言った働きのなかった増田長盛は、五奉行の位を保つ代わりに等禄で旧宇喜多領の備中に移された。

 小早川家は秀秋が大和・伊賀二ヶ国六十五万石に移され、戦前の約束通り秀頼成人まで関白の座を任される事となり、秀包の方は豊前へと等禄転封。


 一方で前田利長は戦時中に獲得した領国を全て没収され、元の百万石に戻った。戦時中に利長が得た領国は全て丹羽長重の物となり、結果丹羽家は戦前の倍の領国を得た事になった。


 また毛利家は輝元の怠業と広家の裏切りの責任を取らされ、出雲・隠岐・備後の三ヶ国を召し上げられ、安芸・石見・周防・長門四ヶ国九十万石に減封、五大老の位も取り上げられた。

 さらに吉川家は毛利の行く先を誤らせた戦犯として名指しで非難され、御家断絶。また、輝元を西軍に引き込みながらそれきり何もしなかった安国寺恵瓊も除封の憂き目に遭った。


 そして、ここに名前が出なかった者たちはほとんどが本領安堵であった。




「……さて、あと一人」




 家康はさらに、もう一人の男を京に呼びつけていた。


 豊臣家を安定させ、戦乱をなくすにあたり、真摯に事に当たってくれるであろう男を。

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