最終章 徳川家康の断罪

徳川家康の断罪

 慶長五(1600)年十一月三日。内大臣徳川家康は大坂城に入った。







「秀頼が為よう働いてくれた」

「ははっ、しばらくはこの家康にお任せを。豊家の為、秀頼君が為、しかるべき処置を施させていただく事、どうかお許しくだされ」







 淀君や秀頼への会見もそこそこに切り上げ、家康は大広間に東軍将たちを集めた。







「お揃いになられました」


 やがて、次々と家康についていた豊臣系大名たちが大広間に集まって来た。徳川直属の将の姿はない。


「皆、来てくれたか……礼を申すぞ」


 池田輝政・浅野幸長・山内一豊・藤堂高虎・細川忠隆、仙石秀久・森忠政・京極高知・石川康長と言った信州勢、それに美濃の小大名たち。







(何なんだあいつらは……)







 そして、福島正則・黒田長政・加藤嘉明と言う二度の裏切りを行った連中。


 高虎や一豊は彼らを白眼視していたが、向こうは一向に気にする風もなく肩で風を切りながら大広間に入り込んで来た。




 豊臣家を支えるのは俺たちなのだ、家康など老いぼれに過ぎないと言わんばかりのその厚顔な振る舞いに、高虎は内心腹が立って仕方がなかった。

 だが実際、彼らの裏切りがなければこうして大坂城に入る事は叶わなかったであろう。それがわかっているだけに、尚更腹立たしくて仕方がなかった。




「さて……」


 家康がその二文字を口にするや、いよいよこれから論功行賞が始まるのだという空気を感じた諸将が一気に固くなった。


「まずは、皆が一番気になる人物から発表するか」


 家康のもったいぶるような口ぶりに高虎らが戸惑う一方、正則は目を輝かせていた。

 やはり豊臣家の柱石は俺なのだ、家康も無視できるはずがないのだ。そう言わんばかりの得意満面の表情が正則の顔に貼り付いていた。




「石田治部少輔であるが」

「えっ」


 しかし家康の口から出て来た誰も予想し得なかった名前に、正則は思わず驚きの声を上げてしまった。


「ちょっと大夫殿」

「いや失礼……ですが」

「お気持ちは察しますが、どうか落ち着いて聞かれよ」


 まあ東軍将の論功行賞のはずのこの場でいきなり石田三成の名を出されば驚くのは当然であろうと言わんばかりに、家康の言葉は穏やかで丁重だった。


「さてその治部少輔であるが、治部少輔の嫡子隼人正重家に尾張・三河二ヶ国七十五万石を与える事となった」




 だが、その穏やかな調子のまま放たれた言葉の破壊力は凄まじかった。




「ええっ!?」

「なぜ、なぜそんな事に!?」

「それでは拙者はどうなるのですか!」


 家康のありえない言葉に、当然の如く座は一気に混乱した。


「安心せよ、吉田侍従には遠江を丸々与える」

「それがしはどうなるのです!!」


 確かに遠江は三十五万石で吉田侍従こと池田輝政の旧領国である三河吉田と比べると倍近かった。

 しかし、だからと言って三成の子に度外れた厚賞を与えると言う事の説明になる訳ではない以上、輝政が反応するのはごもっともだった。

 そして、三成を出し抜いたつもりだった、尾張の清州に領地を持っていた正則も叫んだ。




「そなたにやる土地などない!!」

「なっ…!?」




 輝政に対しては温和な顔でやんわりと答えていた家康が、突如修羅の形相になって怒鳴り声を上げた。




「そなたや長政、嘉明のような卑怯者にくれてやる土地などどこにもないわ!!三人とも御家断絶の上斬首だ!!」




 そして家康がその激昂のまま下した厳罰に、座の混乱はわずかに高まった。




「なぜそうなるのです!我らの手により内府殿はこの戦……」

「黙れ!貴様らは一体何のために戦っておったのだ!?」

「それは無論豊臣家を守るため!」

「ふざけるのも大概にせい!!この天下無双の狭隘者どもが!!」

「どういう意味です!」


 正則と長政、そして嘉明は必死に反論した。高虎などは何がどういう意味ですだ


「わしとて、おぬしらが西軍に走った事を咎める気はない。だがな、なぜ一旦西軍に走っておいて平然と東軍に戻れたのだ!?」

「それは……」

「治部少輔殿の栄光が嫌だった、そうであろう!?」


「治部少輔……殿?」


 治部少輔こと三成を家康が敬称を付けて呼んでいる、それこそが家康の三成に対する評価を端的に示していた。




「治部少輔殿がいなくなるや西軍に付き、治部少輔殿のお陰で勝てたと豪語する西軍を目の当たりにするや東軍に舞い戻る。これが治部少輔殿を踏みにじらんとする真似でなくて何だと言うのだ!?」

「三成めは我が父を陥れた卑劣な男!そんな非道な真似をする男が称賛されるなど絶対に認められませぬ!」

「長政!確かにそれは正当な怒りであった、しかしならばなぜ治部少輔殿の軍に頭を下げたのだ……?治部少輔殿では豊臣家は守れないとでも言うのか……?」

「そうです!あんな卑劣な小手先だけの男に…男に…!!」


 どうして三成でなければ駄目なのか、自分たちでは無理なのか……家康だけでなく、秀吉にもそう嘆願するかのような調子で長政は涙声を上げていた。


「とにかくだ、治部少輔殿をそういう小手先だけの人間としか考えぬと言う事自体、治部少輔殿にそなたらとほぼ変わらぬ石高を与えた太閤殿下の目を信じていないと言う何よりの証拠であり、豊臣家に対する重大な不忠である。しかもその不忠を忠にすり替える為に二度の寝返りを繰り返すとは、愚行という言葉すら生ぬるい!もはやこれ以上の説明は不要であろう、この不忠者たちを引き立てい!」

「なぜだ、なぜだぁぁ!?」


 だが家康はもちろんその一方的な嘆願に耳を貸す事無く、三人を徳川の手の者によって縄にかけさせた。


 それでもなお必死に抵抗し喚き散らす三人に、家康を含む全ての者が軽蔑に満ちた視線を送っていた。







「……失礼、いささか頭に血が上ってしまったようであるな。貴公らも豊臣家に不忠を働けばあのようになる事を心得ていただきたい。無論、徳川が同じ真似を犯した時には容赦なくああしてくれれば幸いである」


 三人がいなくなっても未だ騒然としていた大広間で、家康は元の温厚な顔と声色で諸将に語りかけた。そこには先程までの修羅の顔はない。


「では改めて恩賞のほどを発表したいが、よろしいか?」


 そして、改めて家康は東軍の将に対しての恩賞を述べ始めたのである。本来ならば井伊直政辺りにやらせる仕事を、家康は自ら行っていた。


 よく取れば誠意を示すため御自らこんな仕事を請け負っているとなるが、悪く取ればこれはこの家康自らの指示であるから文句など言わせないぞと強圧的になっているとも取れる行為である。

 しかしこの時、悪意で取る人間は一人もいなかった。家康自らが発する気に、一分の濁りもない事を誰もが感じ取っていたからである。




 そして、東軍の各将には以下の恩賞が与えられた。







 池田輝政は、先に述べられたように遠江一国三十五万石へ移封。

 浅野幸長は、甲斐に加え京極高知領であった信濃の伊那を加増され三十万石。

 藤堂高虎は、南伊勢で二十万石。

 山内一豊は、出雲一国十五万石。

 細川忠隆は、米沢で三十万石。

 石川康長は、柳川で十六万石。

 森忠政は、西美濃で二十万石。

 仙石秀久は、加藤嘉明の旧領を与えられ十万石。

 京極高知は、駿河で十五万石。

 美濃の小大名たちは、美濃国内で二倍の加増。




「これからも太閤殿下と秀頼君、何より豊臣家そのものに忠義を尽くしてもらいたい」


 大名たちは一人一人丁重に頭を下げて大広間を後にした。家康は相変わらず温和な表情で微笑んでおり、先程の激昂はどこへやらと言う有様である。


 そして、それがかえって意志の強さを示していた。



※※※※※※※※※




「信玄公に挑んだ時の家康公とは、ああだったのかもしれぬ」




 論功行賞を受けた高虎は、廊下でこんな事をつぶやいていた。


 二十八年前、三方ヶ原にて甲斐の虎と言われた武田信玄の大軍に無謀とも言える戦いを挑んだ時の家康がどんな顔をしてどんな人物であったか、無論高虎は知らない。


 しかし、当時最強と言われていた武田軍団に戦いを挑んだ時の家康は、きっと今の時のように混じり気のない気を放っていたのだろう。




 何が家康をそんなにさせたか、高虎には確信は持てなかった。


 だが、当てはあった。家康をこちらの方向へ持って行った、三成よりももっと大きい存在に。

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