小早川秀秋の覚醒
「西軍の兵が向かって参ります!」
十月六日、前田軍による越前攻撃の期日。
昨日吉川軍三千が到着し一万三千となった天満山の東軍にその様な報が届いたのは、まだ夜も明けきらぬ寅の刻(午前四時ごろ)であった。
「数は、大将は誰だ」
「およそ三万と思われます。大将の方は申し訳ありませんが未だ暗いゆえ」
「わかる範囲でよい」
「違い鎌の旗と中白旗しか見えませんでした、他にも種々あるようですが」
「わかった、それで十分だ。よいか、早急に皆を起こし食事を取らせよ!戦はおそらく一刻(二時間)後だ!」
忠勝は怪訝な表情になりながら体を起こした。
違い鎌、つまり小早川秀秋が大将とはどういう事なのだろうか。確かに秀秋は一万五千の手勢を持っているが、関ヶ原で右顧左眄を繰り返していたような臆病な人間であり、それを差し引いても十九歳の若輩で戦場の経験に乏しく、大将としては余りにも不足である。
家臣の平岡頼勝や林正成、松野重元にでも指揮権を丸投げするつもりなのだろうが、それらとて一万五千を率いられる器とは到底思えない。中白旗、つまり黒田が加わっているのは寝返ったからには成果を上げろと言う戦場の常識に基づいた配置だが、それが未だ腰の定まっているように思えない秀秋の下で働けるのだろうか。現総大将である秀家か歴戦の勇士である義弘のいずれかが大将となってやって来ると思っていた忠勝はこの西軍の人選に疑問を覚えた。
(何を考えている?確かに前田は迫っているが何もこんな日に攻撃をかける事はあるまい……我らが前田によって兵が少なくなるところを叩こうとしている、だから先に攻撃をかけてやると言う考えならば的外れもいい所だぞ)
家康は佐和山城の防備をかなり堅固と認識していたし、忠勝もそう思っていた。家康自身城攻めはあまりうまくないと自負していたが、そうでないとしても何せ攻城戦は暇がかかる。その間に冬になれば遠くからやって来ている東軍が不利になるは明白である。
(まさか先の天祐による勝利を実力だと勘違いしているのか!?フン、随分と舐められた物よな……)
正直な話、西軍がこんな日に攻撃をかける理由はどこにもない。
あるとすれば「越前と天満山の二ヶ所でいっぺんに大勝利を得て一気に形勢を傾かせる」だろうが、今の西軍にそこまで無謀な事をする必要はない。長期戦になれば自分たちが有利である事はわかりきっているはずだ。
「この本多平八郎を甘く見た事、後悔させてやろう!」
要するに西軍は今の東軍など秀秋で十分だと思っているのだ、そう解釈した忠勝の頭に静かに血が上っていた。
「よいか、西軍の腰抜け金吾めにこの天満山を抜かせるな!」
卯の刻(午前六時)、忠勝は準備を整えた兵たちに向けて檄を飛ばした。金吾とは中納言が兼帯する職掌の通称であったが、ここではまるで腰の据わっている様子のない若造である秀秋に対しての蔑称として忠勝はその名称を使った。
「敵軍が丸山に迫っています!」
その最中に忠勝は思わぬ報告を受けた。天満山の北東にある丸山は天満山共々関ヶ原への街道を挟み込む位置にある絶好の要害であり、まずこちらの敵を排除すると言う作戦は十分考えられた。
丸山に逗留する堀尾・中村軍は合わせて六千。頼りにならない数ではないが、三万の西軍からすれば少数である。
「誰が攻撃しているのだ!」
「違い鎌です!他の旗は見えません」
秀秋自らが丸山を攻撃していると言うのか。確かに秀秋勢は一万五千、六千の堀尾・中村軍を攻略するのには十分な数である。
忠勝はしまったと言いたい気分になった。未だこんな日に攻撃を仕掛けた理由は理解できないにせよ、確かに西軍に焦って進軍する理由は余りなかった。
まず丸山を確保し、続いて天満山、そして松尾山から桃配山と言う手順で攻撃を進めても全く問題はなかったはずである。
西軍の狙いは自分たちではなく、丸山だったのか!確かに六千の兵しかいない丸山ならば秀秋でも落とせるだろう、そしてその程度の時間ならば残る兵で天満山からの攻撃も防ぎ切れる、それこそが西軍の策だったのか!
してやられた気分になった忠勝の頭にかっと血が上り始めた。
「おのれぇ……左京大夫(浅野幸長)殿、丸山へ向かってもらいたい!」
「えっしかしこの天満山の守りが」
「ここはこの本多平八郎にお任せあれ!なるべく声高に喧伝していただき、敵をこの天満山に引き付けてもらいたい!」
「それならばこのそれがしに!」
こうなれば丸山を守りつつ敵をこの要害に引きずり込むしか勝つ道はないと判断した忠勝は幸長に丸山への援軍を要請したが、そこに吉川広家が割り込んで来た。
「仮にも小早川はこの吉川と同じ毛利一門!その始末を自らの手で付けたいのでございます!」
「そうか、なれば貴殿に任せよう」
「ははっ!」
忠勝は広家の出撃を了解した。
「我が手勢は四千五百、それに対し吉川勢は二千ですが……」
「構わぬ、半数いれば弱兵の小早川勢など凌げよう。吉川の旗を見た西軍がむきになって丸山に兵を集中してくれればそれこそ好機」
「集中してくれなければ?」
「それならば問題はあるまい。万が一危なくなればこの本多平八郎自らの手で横腹を付く。その時は左京大夫殿にお任せいたす、松尾山から相模守を呼び寄せても構わぬ」
「そうですか、それでは持ち場へと参ります」
吉川勢の少数なる事に危惧を覚えた幸長であったが、忠勝の説明に納得した様子で天満山の北側、西軍を見下ろせる場所にある自陣へと向かって行った。
さて吉川軍が丸山に到着した頃、丸山では前哨戦と言うべき鉄砲の打ち合いが終わり、いよいよ本格的な戦いが始まっていた。
「小早川軍が前進して参りました!」
「いよいよこれからだな!全軍、堅く守れ!小早川の小僧などに負けるな!」
十一歳の当主に代わり中村軍の指揮を執る当主の叔父・中村一栄の声が丸山に響き渡った。それと同時に中村軍の兵士も雄叫びを上げ、小早川軍に向けて槍を突き出した。
「ひるむな!敵は我らの半分、そんな相手に逃げたら末代までの恥ぞ!」
その一斉攻撃と共に数十人の犠牲者を出した小早川軍だったが、秀秋は督戦の声を上げながら鞭を振りかざした。しかし、どうにも迫力がない。
(やはり小早川金吾め、まだ覚悟ができていないらしいな……なんだこの耳に響く声は!大将がこれでは兵士たちの士気も上がりようがあるまい)
その迫力の聞くに堪えない秀秋の声の上ずり振りに、広家は呆れ果て、覚悟ができていないと判断した。
「何をやっている、あんな小童の軍勢に負けるな!」
広家は唯一負けていそうな声量で勝ってやろうと、さらに声を張り上げてやった。
しかし、それは広家の勘違いであった。
秀秋と言う人は肉体的な問題なのかどうかはわからないが十九歳とは思えないほど地声が高く、上ずっているように聞こえるのが地声だった。
同じ毛利の分家と言えども毛利元就の孫である広家と豊臣家から押し込まれた秀秋では深い付き合いがあろうはずもなく、広家は秀秋の地声の高さを知らなかったのである。
「堀尾殿に伝えてもらいたい!この吉川広家が横を突くと!」
秀秋をなめてかかっていた広家は一気に勝負を決めてやるとばかり、小早川軍の横に回り出した。
「おのれ、この手で斬ってやる!」
「落ち着いてください!吉川などはそれがしが」
「いいや、あいつはわし自らの手で成敗する!堀尾と中村は主馬に任せる!」
広家の接近を知った秀秋もまた、本隊の指揮を重元に任せ自ら吉川軍に向かった。
「おっ、秀秋自ら出向いて来たか!これは好都合、必ず仕留めるぞ!」
秀秋自らの接近を知った広家は胸を躍らせた。ここで秀秋を討てば小早川軍の瓦解、すなわちこの戦いの勝利の確定でもあるからだ。
「臆病者の小早川秀秋恐るるに足らず!突撃せよ!!」
広家はここぞとばかりに手綱を絞り、高らかに軍配を振った。
「裏切り者の広家が来たぞ!何としても仕留めよ!!」
秀秋もそれに呼応するかのように軍配を必死に振り回した。その余裕のない動作と相変わらずの甲高い声が、広家にさらなる余裕を与えた。
しかしその広家の余裕は、秀秋の次の叫び声と同時に吹き飛んだ。
「治部少輔殿が見ているのだぞ!無様な戦いはするな!」
(三成が見ている……?)
治部少輔、つまり三成が見ていると言う秀秋の言葉を聞くや、広家の心の苛立ちが急激に高まった。
「豊臣家を見捨てる者がどうなるか、我らは治部少輔様に代わって教えねばならん!進め、進めーっ!!」
さらに畳みかけるように叫び声が轟き、広家の理性はいよいよ振り切れた。
確かに、忠勝や広家が思っていた通り秀秋は臆病者だった。
しかしそれだけに、三成の豊臣家を守りたいと言う執念の突撃に家康や広家、いや正則や長政以上に強い衝撃を受けていた。
豊臣家に敵する真似をしたら末代まで三成に祟られる、そう思い込んでしまった秀秋にとって広家はまさに豊臣家に逆らった大馬鹿者であった。
それだけに秀秋は本気そのものであり、兵士たちにもその本気振りが伝染していた。
甲高い声は地声であり、余裕がないように見えたのは三成に見られているのに無様な真似をする事などできなかったからである。
(三成めっ……とうとうどちらかが全滅するまで終わらない戦にしおって!!)
広家にしてみれば、こんな戦とっとと終わってほしかった。天下人が豊臣か徳川かとかはどうでもよかった。なるべく少ない犠牲で戦が終わり、毛利家が安泰ならばそれで良かったのだ。
しかし今の秀秋を見る限り、今の西軍に東軍に寝返ったり戦場から逃げ出したりするような奴がいるとは思えない。そして東軍にはまだ五万を越える強兵徳川勢が残っている。そんな両軍が激突すれば犠牲はさらに増えるだろう。
そんな流れにしてしまった三成の存在が、広家は憎くてたまらなかった。
「おのれぇーーーっ!三成の手駒めが!!今すぐ治部少輔の元へ行かせてやる!!」
広家は遂に堪忍袋の緒が切れた。広家は強引に馬を走らせ自ら先頭に立ち槍を振りかざした。
「危険です!後方にお控えください!」
「黙れ!お前たちはまさかあの臆病者の率いる弱兵に震えているのか!?」
「そんな!」
「だったら進め!!」
広家の目には、もう秀秋以外何も映らなくなっていた。
「少し間を開けろ!あんな奴とまともに当たるな!鉄砲隊!」
一方で、秀秋は意外に冷静だった。怒り狂っている軍勢と真正面からぶつかってもいい事はないと言う戦場の一般論を振りかざし、わざと少し兵を後退させた。
何だかんだ言っても豊臣家の親族としてしっかりと兵法を叩き込まれているだけに、秀秋も兵法の初歩だけは体得していた。
もっとも、ある程度戦場に熟達している相手ならばこんな生兵法が通じる事はなかっただろう。
だが、今の広家にはこれで十分だった。
「隙あり、突っ込め!!」
「いけません!!」
「敵が道を開いたのに黙っている奴があるか!!」
広家が馬廻り衆の諌止を無視して単騎で突入したと同時に、百近い砲口が広家に向けられ、一斉に火を噴いた。
「ぐはっ……!」
それでも懸命の馬術で本人は左足に一発受けただけで済んだが、馬の方が十発近い銃弾を受けて広家共々横倒しになってしまった。
その衝撃で広家は腰の骨を折り、立ち上がれなくなった。
「吉川侍従!今からでも間に合う、西軍に戻れ!私が備前中納言殿に取りなす!どうか頼む!それとも私ではだめなのか!?」
いくら戦う力を失ったのが明白とは言え、あれほどまで自分に向かって敵意を剥き出しにしていた、西軍を裏切った広家に向かって投降を勧める秀秋のお人好し振りに吉川軍の兵士は呆れていた。
今の秀秋にとっては三成こそが絶対無二の存在であり、三成に逆らわないでくれればそれでよかったのである。
「ふざけるな……その首叩き落としてやる……」
「もう無理だ、見ればわかる!いいから私を信じてくれ!」
「うるさい!!三成の手駒の助けなど借りるかっ……!あの三成などのっ……」
しかし、秀秋の過ぎたお節介と言うべき降伏の誘いもここで終わった。
「バカなっ、治部少輔殿に逆らう奴があるかっ!それなら死んでもらうしかない!!撃て、撃てーっ!!」
山崎の戦の起こった年、つまり秀吉が天下人へ向けて大きな一歩を踏み出した年に生まれ何不自由なく十九年間生きて来た秀秋は素直でお人好しだった。
戦前彼を支配していたのは豊臣家に対しての背徳と強い徳川軍に攻撃を受けたらどうしようと言う二つの恐怖だったが、今は豊臣家の守護者たる三成に対しての恐怖だけだった。
三成に従えば味方、逆らえば敵。その一文だけが、今の秀秋の頭脳を支配していた。
秀秋がそう叫ぶと同時に兵士たちは再び銃に弾を込め、必死に立ち上がろうとする広家に向けて鉛玉を浴びせた。
「三成…めっ…」
そして鉛玉は槍を杖代わりにようやく体を起こした広家の全身にめり込み、広家は槍にもたれかかるように崩れ落ちた。
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