本多忠勝の頑迷

「何とお詫びを申し上げればよいのかわかりませぬ……」

「その必要はない、あんな事態が起きればこうなるのは仕方がない事だ」


 忠勝と入れ替わるように、榊原康政が家康の天幕に入って来た。


「しかし……」

「これで勝負がついたわけではない。そなたはよくやった」

「なぜに奴らは……!」

「元より治部少輔を殺す事だけが目当てだった連中だ。治部少がいなくればわしなど用済みなのだろう。そんなと思うかもしれんが、おそらくそれで間違いないだろう」

「すると連中は次に豊臣家を脅かすは治部少の眷属ではなく、大殿様であると!」

「ああそうだ。しかし所詮奴らは近視眼的な視点で集った身。治部少と言う水清すぎて魚の棲めない男に率いられていた連中と反りが合うはずもない、数ほどの脅威にはならぬであろう。むしろ西軍の団結を壊すぐらいの可能性もある」


 家康の康政に対しての言葉は極めて温かったが、それがむしろ康政の心をささくれ立たせていた。盛りの付いた猫のように必死に喰ってかかって行く康政の手を、家康は必死に握り続ける。


「ですがその、これからどうすればよろしいのか……」

「西軍はこの勢いに乗り天満山の奪還を図るだろう。しかしその時こそ好機。天満山に迫る敵を派手に叩けば勢いを削がれた敵は一気に意気消沈する」

「なればこの康政を!」

「小平太、残念ながらそなたの軍は傷付き過ぎた。どうか平八郎と浅野、吉川に任せてもらいたい」

「吉川ですと!?」


 そして吉川の名を聞かされるや、康政の憤懣がついに限界を越えてしまい、目の前で鳴いていた猫がむしゃぶりつく猫になってしまった。


「そんな!藤堂や山内、細川ならばわかります!ですがなぜに裏切り者の吉川などに!」

「だからこそよ。徳川や浅野、細川ならば最初から敵だからそれほど西軍にとって腹の立つ存在ではない。しかし裏切り者である吉川を放置すれば西軍の立場はない」

「それでは我らは福島らを放置しろと!?西軍の首脳陣連中は手柄を示せとばかり福島らを天満山に差し向けてくるのではないですか!?」

「わしはそうは思わん。先にも言ったように治部少輔は清廉すぎる男であり、それに集った兵も同じような物だろう。だとすれば手柄を示させるよりまず監視するだろう。その結果敵はおそらく備前中納言か島津維新斎を大将に据え、福島らはその軍勢の配下として一人が加わる程度だと思うている」

「ですがそれとて……!いや、奴らを誘き出すために吉川を使うとして、お言葉ですがもし攻められなければ……」

「備前中納言は人が良いので、信頼できる人物の発言に素直に耳を貸すだろう。重臣の明石掃部(全登)か、島津維新斎かわからんが、いずれにしても歴戦の士ゆえこの絶好機を見過ごす判断は取るまい」

「なればこそ、吉川で引き付けた所にこの小平太でとどめを!」

「ならぬ!!」



 必死にごねる康政にそれでも丁重に対応していた家康もついに堪忍袋の緒が切れてしまったのか、急に怒鳴り声を上げた。



「戦はお主一人でやる物ではない!万千代の赤備えと同じように傷付いたそなたの軍勢でできる事など高が知れておる!我が手勢ならば貸せんぞ、わしとて無限の兵を持っている訳ではないのだからな!」

「ではどうせよと」

「本陣に控えておれ。この戦は丸山の堀尾・中村勢と松尾山の相州(大久保忠隣)に任せておけ」

「…………はい…………」

「何じゃ、まだ不服があるのか!?」

「いえ………その……」

「あるのならば言え!不満を抱えたままでは肝心な時に役に立たんわ!」


 康政は叩頭していた頭を勢いよく上げ、気力を振り絞るような表情で勢いよく口を開き始めた。


「その策は……大殿様がお考えになられたのですか?」

「当たり前だ!!」

「本当に大殿様お一人で……」

「当然であろう!!それでまだ何か不満があるのか!?」

「ございませぬ」

「それならば下がれ!此度の敗戦の屈辱は酌んでやるから、今はその屈辱を力に換えて次なる戦に備えよ!わかったな!」

「ははっ!」


 康政が猫背になって天幕から姿を消すや、家康は深い溜め息を吐いた。




「よいぞ……」


 家康のその言葉と共に天幕の陰から姿を現したのは、やはり猫背の本多正信であった。


「全く、あやつらがあそこまで凝り固まっておるとは……」

「この一大事、そのような暇はないかと」

「この福島の寝返りと言う事態を平八郎や万千代、小平太が深刻に受け止めているのならば…………な」

「徳川の強さを疑う訳ではございませぬが」

「ああそうだ。だがな、この戦いはどうだ?徳川の強さを示せたか?」



 石田三成の一人の突撃を誰一人止められなかった関ヶ原、赤備えの半数以上が弱兵のはずの大谷軍に痛い目を見せられた天満山、榊原軍の半数がやられた佐和山。

 いずれにしても徳川がその実力を見せたとは言えない戦ばかりである。


「福島らがわしの元を離れたのはむしろそこにあるのかもしれん……頼りにならぬ、とな」

「問題はこれからです、これからどうするかです」

「どうすべきと思う」

「大殿様はどうお考えなのですか」

「わからんから聞いておるのだ」


 忠勝や康政の前では一言も吐かなかった弱音を正信には遠慮なく吐き出している。それが忠勝らが正信に対しての憎悪を増幅させている原因である事は家康もわかっているが、それでも他に戦略面で頼る事の出来る人物はいないのだ。


「福島らにとって、治部少輔とは何なのでしょうか」

「仇敵であろう」

「ええ、だからこそ何としても勝ちたいはずです」

「死人にどうやって勝つのだ」

「ですから、この戦の功績を、つまり豊臣家を脅かす我が徳川を倒したのは治部少輔ではなく自分たちだと言う事にすれば」


 打倒徳川の旗を掲げたのは確かに三成だがそれを実際に達成したのは自分たちだ、そういう展開になれば三成が志半ばで失敗したのに対し自分たちはやり遂げた、だから自分たちの方が三成より偉い。正信はそれが福島らの理屈だと言っているのである。


「なるほどな……」


 もし、この正信の話を康政や忠勝が聞けば世迷言と一笑に伏しただろう。いや、あるいはこんなふざけた話を家康に吹き込んで許せぬとばかり怒りに任せて斬りかかったかもしれない。そんな話を、家康は納得しながら聞いている。


「わかった、佐州よ。その筋での工作を頼む」

「かしこまりました」


 正信は三成が死んで以来、最も明るい表情をしながら家康の元を去って行った。




※※※※※※※※※




「しばらく防備に専念せよか……」

「確かに、この状況では攻めるのは困難ですからな」


 天満山に戻った本多忠勝は、浅野幸長と共に家康の書状を開いていた。


「しかし大殿様はそれがしに、西軍はこの天満山を攻めない選択肢もあると申された」

「兵糧攻めですか」

「ああ、そういう事だ。しかしそれがしにはどうも理解できん。貴公ならばお分かり頂けるか?」

「一応はわかりますが、今回は条件が余りにも」

「だな」


 浅野家は秀吉の正室、おねの実家である。当然、秀吉の得意戦法である兵糧攻めの威力をよく知っている。今回の場合日干しに追い込むのは無理としても、食糧に差が出れば兵たちの士気にも差が付く。

 と言っても長い補給路と雪により東軍の補給が滞るのには相当な期間がかかる。


「やはり、この天満山をいずれ」

「そうだ、いずれ取りに来よう。その時こそが勝負だ」

「しかしその……」

「前田が気になるか?」

「ええ」

「大殿様は六日に来ると仰られていた」

「六日ですか……その時に挑んできてくれればありがたいんですが」


 全軍で来ないだろうにせよ、現状西軍は十万なのに対し天満山を守る本多・浅野軍は一万、丸山の堀尾・中村軍と松尾山の大久保軍を加えても二万行くかどうかである。無論桃配山には家康の本隊が待っているが、家康の手を煩わせるのは忠勝としても屈辱的な話である。


「虫がいい話だな。西軍とて前田が迫っている事は知っているはず」

「内府殿の事ですから、西軍が攻めて来てくれるような手は打っているのでは?」

「確かに大殿様は手前味噌ながら素晴らしい将だが、いくらなんでもそこまでは……」


 確かに自分たちに向かって来てくれる兵が減るのはありがたいが、普通に考えれば西軍はまず前田軍を撃退し、その後自分たちに挑んで来るだろう。西軍に二兎を追うような余裕はないし、追うような馬鹿もいないだろうと忠勝は考えていた。


「申し上げます、大殿様より使者が参りました」




 そこに響いたその声と共に、「五」の字の旗を差した徳川の伝令が飛び込んで来た。


「ご苦労。それで、大殿様のお言付けとは如何に」

「五日、この天満山に吉川侍従殿が率いる三千の兵が参られるとの事で」

「大殿様が援軍を?……わかりましたと伝えておいてくれ」


 家康が吉川軍を天満山に寄越すと言う知らせに、忠勝は了解しながらも眉間の皺を深くした。




「本多殿、何か……」

「ああ。大殿様が吉川軍を寄越してくれるようだ」

「よかったではないですか」


 援軍来たるの報に脳天気に喜ぶ幸長に、忠勝は厳しい顔面を向けた。


「あの、何か……」

「拙者はこれでも本多平八郎忠勝だ!」

「いえ、それは無論わかっておりますが」

「それが大殿様の手を煩わせてしまっている事が、情けなくて仕方がないのだ!」

「ですがその……この天満山は関ヶ原への西の入り口。重要極まりない要害。さすがに一万の兵では今の西軍を……」

「拙者は身命を賭してこの要害を守るつもりであった。されど……」

「身命を賭してなど!本多殿は内府殿にとって誰より重要なお方!それに軽々しく身命を賭されては困るのでございましょう!」

「軽々しくだと!……まあ、大殿様もそう思っておいでだからこそ援軍を寄越したのであろうがな!」

「申し訳ございませぬ」

「……まあ、確かに貴公の言う通りだ。この戦ですべてが決まるとは思えぬ以上、もう少し命を大事にせねばならぬからな。無用に激昂してしまうとは拙者もまだまだよな」

 忠勝は家康に「そなたたちだけでは天満山を守りきれまい」と判断されたような気分になってしまったのがが悔しかったのだと幸長に向けて頭を下げた。


(吉川侍従か……確かに西軍にとっては裏切り者であり、憎んでも憎み切れない存在であろうな……)


 しかし本音は少し違っており、援軍を派遣された事よりも援軍の人選、正確に言えば援軍の人選をしたであろう人物に対しての憤りが、彼の眉間の皺を深くしていた。



 吉川広家は西軍にとってみれば裏切り者である。そんな裏切り者の旗が、西軍の当初の本拠地であった天満山に堂々と翻っているのを放置すれば西軍の面目は丸潰れである。

 西軍としてみれば、何が何でも広家の首級を挙げねばならない。天満山に本多忠勝がいようが、丸山や松尾山に援護の軍勢が待ち構えていようが。




(本多佐州め、また小手先の策を……!)




 忠勝には、家康がこんな嫌らしい人選をするようにはどうしても思えなかった。


 こんな人の心の隙を付くような嫌らしい策を考えるのは本多正信しかいない、そしてそんな嫌らしい策を家康にやらせた正信が家康を完全に籠絡していると思い込み、正信に対しての不信と怒りをますます強めたのである。


 佐和山攻略戦の時とはずいぶん物言いが食い違っているが、それはその時はこれで徳川の勝利が確定し、戦乱が終わると思っていたからである。


 今回の戦に勝った所で、戦乱はまだ続く。そのまだまだ続く戦の中で、こんな姦計を考え出した正信に大きな顔をされると思うとどうにも我慢がならなかったのである。

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