第四章 小早川秀秋の覚醒

前田利長の混迷

「なぜ、こんな事に……」


 家康の前で本多忠勝は沈鬱な表情で頭を下げていた。


「…………………使い捨てか」

「使い捨てですか……?」



 その忠勝を見つめながら沈黙を保っていた家康がようやく口に出したその言葉に、忠勝の顔は一気に濁った。




「ああ、向こうからしてみればわしは治部少輔をぶん殴るための道具に過ぎなかったのだろう。その役目が実質上終わった今、わしには価値を感じておらんのだろうな」

「そんな!」

「まあ、わしもわしで福島らを道具扱いしていた面があるからな、お互い様としか言いようがあるまい」


 確かに家康は自らが天下の主となるにあたって邪魔な存在である石田三成を潰すために福島正則を道具扱いし豊臣家滅亡と同時に滅んでもらうつもりだったが、正則もまた宿敵である三成を殺す名目を得るための道具として家康を用いていた、と家康は言っているのだ。


「……詰まる所、治部少に続き大殿様まで自らの手で潰せばもう自分たちに抗える者はいないと言う……」

「ああそうだ」

「しかし備前中納言、小西や長束などがまだ」

「彼らにはこの武勲を楯に恩を売り、口を封じるつもりなのだろう。自分たちは血を流して戦って来たのだ、お前たちのような後ろで震えているだけの連中とは違うと、本気でそう信じておるのだろうな。そして血を流して来た自分たちこそが豊臣家を治めるにふさわしいと考えておる。

 その結果、まず豊臣家の脅威となるであろう徳川家を潰しておこうと考えたのだろうな」


 三成を殺す事だけを考えていた正則や長政が、その目標を失った。

 その結果魂の抜け殻になっていた彼らが縋れたのは、三成殺害の為だけに唱え続けて来たお題目、「豊臣家を守る」しかなかった。

 その結果、彼らは徳川家康と言う豊臣家を脅かしかねない戦国の巨人の元を離れ、三成を失い豊臣家を脅かす事ができなくなった西軍の元に平然と参じる事ができたのである。


「バカな……それで西軍連中は」

「正則は責任者として得物を取り上げたが、それ以外は全部そのまま受け入れたそうだ」


 いくら役目が終わったからとは言え、総大将と仰いだ人間をその役目が終わるや見捨てるなど、武士の風上にも置けない振る舞いである。

 いくら豊臣家にしてみれば家康は所詮他人とは言え、余りにも家康をなめているとしか言いようのない正則の振る舞いに、挙句そんな人間をあっさり受け入れた西軍の度量の広さと言うよりお人好しっぷりに、忠勝は完全に言葉をなくした。


「…………これで我が軍は数で不利となった。丸山は押さえているとは言え奴らは近い内に反撃に来るぞ」


 福島正則・黒田長政・加藤嘉明他一万九千が西軍に奔り、輝政も自らこそ逃げ延びたものの配下の池田軍四千五百の内無傷で逃げ切れたのは二千にも満たず、康政も家康直属軍を含めれば千近い死傷者を出してしまった。

 山内・藤堂・吉川・細川は素早く逃げたためほぼ無傷であったが、それでも合わせて二万三千近い兵を失った東軍の戦力は八万行くか行かないかまで落ち込んでしまった。一方で西軍は十万を越えている。


「……奴らは天満山を狙うと?」

「天満山を取り戻せばこの戦を振り出しに戻す事ができる」


 天満山には忠勝勢と浅野幸長軍、忠勝に付属する徳川軍の一万しかいない。いくら要害とは言え、この戦力では守り切れるかどうか怪しい。


「それがしがいる限り落とさせはしませぬ!」

「だからあるいは取り戻さないと言う方向もある。我が軍は江戸から出てきている。石田軍は佐和山、宇喜多にしても岡山だ。補給路の長さが違う以上、長引けば西軍の方が有利となる」


 三河吉田の池田、遠江掛川の山内、甲州の浅野、遠江浜松の堀尾、駿河府中の中村などが東軍に残っているが、池田軍は損耗がひどく今は吉田からの補給を待っている状態であり、他に名を挙げた四名を合わせても一万前後である。

 そして丹後の細川、伊予の藤堂、安芸を本拠とする毛利から降って来た吉川は領国と分断されていて補給は期待できない。そして、秀忠にくっついている信州の大名たちは上田の真田昌幸を除けば残りはほぼ全て徳川軍である。

 時はすでに十月、暦の上では冬であり、あとひと月もすれば本格的な冬となる。そうなれば中山道は無論東海道も箱根と言う難所があり、いよいよ物資の輸送は困難となる。いくら兵が勇敢であろうとも、物資がなくてはいかんともしがたい。


「……そのような」

「消極的と思うか?だがな、それも戦術よ。何せ西軍の現総大将は宇喜多秀家、つまり太閤の養子。太閤の得意戦術を受け継いでいたとして不思議はあるまい」


 日干し作戦。難攻不落の三木城を落とす時に使った秀吉の得意戦術である。今回の場合東軍を日干しにするのは無理だが、それでも例えば食料を減らさねばならないような事態になると士気に関わる。あるいは火薬が届かないとなると、鉄砲も撃てなくなる。そうなると戦いは不利になる。

 無論関ヶ原にたどりつくまで占領した城にある程度の物資は蓄えてあるだろうが、それとて八万の兵に供給できるほどあるはずもない。

 さらに言えば、西軍にはまだ小西行長や長束正家と言う有能な文官が残っている。三成とは器が違うにせよ文官としては有能な彼らがいる限り、西軍の物資が途絶えると言う展開は考えにくい。


「なればこそ早急に何とかせねば!」

「我らにはまだ前田がおる、前田に越前を攻めてもらわねば」

「ぶしつけながら、前田に期待してよろしいのですか?」


 加賀の前田利長は東軍の中心人物であったが、正直これまでの働きは褒められるものではない。弟の利政が自らが西軍方たることを示す様な怠業状態に入っているのもあったが、それでも利長は二万五千の兵を集めていた。

 にも関わらず、三千の兵しか持っていない小松城の丹羽長重を攻略できず、延々一ヶ月以上かけてようやく人質の交換などを行うと言う、降伏と言うより和議に近い形で小松城に入城する事ができた。

 挙句その三日前に三成は死んでしまっており、利長軍は目標をなくしてしまった。それに小松城の戦いでの戦力損耗もあり、その後の天満山争奪戦・佐和山攻撃の際にも加賀から出てきていない。


「大丈夫だ、加賀中納言は律儀な男。命を違える真似はせんよ」

「そう言えば西軍は越前に兵を向けていないのですか?」

「大谷刑部の長男が敦賀に入っているようだ」


 吉継は天満山で直政に討たれたが、長男の吉治は逃げ切っていた。

 そして壊滅していた自軍に代わって青木一矩や青山宗勝などの小大名や新兵たちをかき集め、敦賀城に四千近い兵を集めて立て籠っていた。


「しかしそれとて数は知れておりましょう、兵を五千ほど置き捨てにすれば」

「だろうな。そこを突くのだ」

「しかし現状では西軍には攻めない選択肢もあるのでは」

「そこで吉川を使うのよ」



 裏切り者を放置しては面目も何もあった物ではない。天満山攻略戦の時は戦いを続けても傷口が広がるだけ、佐和山攻撃の時は後方だったので攻撃が届かなかったという言い訳があったが、挽回の第一歩である天満山奪還と言う機に放置は出来まいと家康は言っているのである。


「して期日は」

「既に使者を加賀中納言にやってある。期日は六日だ」

「六日ですか!?それでは西軍に悟られてしま」

「良いのだ。確かに長引かせるのはまずいが、拙速に走るのも良くない。とすればまずは数を減らす事が肝要だ。西軍本隊を割かせるだけでも前田は十分働いている」


 四千で二万五千を釘付けにするのはとても無理である。西軍はやはりいくらかの兵を割かなくてはならない、前田の働きはそれで十分だと家康は思っていた。実母まで人質に出しているためか、家康は利長に対してずいぶん寛大だった。




※※※※※※※※※




「何がどうなっているのか、どうにも判じかねます」

「治部少輔と刑部の死まではわかりますし、吉川侍従が東軍に付いた事も納得が行っております」

「ですが何をどうしたら福島らが西軍に降るのですか!?」


 しかしその前田軍は小松城で大混乱に陥っていた。東軍の中心戦力と言うより中核であったはずの福島正則・黒田長政らが西軍に降ったと言う情報が入っていたからである。


「とにかく我らは既に内府殿に合流すると決めた身、今さら戸惑ってもどうにもなりますまい!」

「しかしな、ここまで状況が変わってしまうと……」

「どうせよと言うのだ!?」

「もう少し様子を見た方がよいかと…………」


 前田家内部でもこの衝撃的な報告に対し何を今さらと考える者と一旦様子を見た方が良いのではないかと言う者が生まれ、両者の間で対立が起こり始めてしまった。


「我らが参じねば内府殿が危ないのだ!それはつまり芳春院(まつ)様の身の危険をも意味している!」

「ですがその、この状況は明らかに東軍不利。このまま東軍方を続けて良いのか」

「我らは既に西軍方の山口や丹羽を破っているのだぞ!」



 この状況に対し、決断を下すべき存在である利長は何も言わない。どっしりと構えているのではなく、混乱して何をどうすべきなのかわからないのだ。

(何を考えているのだ、福島や黒田は……?)

 誰よりも自分の手で首を刎ねたかっただろう三成の突然の死が、正則の心を大きく揺るがした事は間違いない。しかしだからと言って、その三成がかき集めた軍勢に三成が死んだ途端寝返る感覚は全く理解できない。

 それは結果的に三成の集めた軍勢に勝利をもたらすだけであり、三成の名を高める事になるのではないだろうか。


(そんな事はわかっているはず、だが所詮三成が泉下の住人でありもう何もできないと踏んでいるのではなかろうか……だとしてもそれは三成に対しての敗北宣言だぞ……)


 利長は父のような荒々しさはなく、どちらかと言えば温厚な優等生である。それゆえ理論的で理性的な思考は得意だが、力任せで強引な思考にはついていけない所がある。

 三成がいなくなった、だからもう三成を殺すために借りた家康の力など要らない、自分たちの手で家康を潰せば豊臣家を脅かす大敵が一人消え、更に三成がかき集めた連中も自分たちに頭が上がらなくなるだろう。それが正則たちの思考なのだが、正則にはその行為が三成への敗北宣言に等しい事に気付いていなかった、そして利長は正則が気付いていない事に気付いていなかった。


「早くしないと雪が来ますぞ!さあ、お早く!」

「…………」

「殿!!」

「…………わかった、内府殿の書状には六日とあったな、その日に敦賀城に攻撃をかける、それでよかろう」


 利長は渋々と言った様子で攻撃を決定したが、その顔にはもし何も異変が起こらなければなと言う本音がありありと浮かんでいた。

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