第三章 石田三成の膨張

石田三成の膨張

「大した男よな」

「大殿様、あまりまじまじと見る物では」

「何を言っている、首実検は総大将の役目であろう」


 家康は直政が持ち込んで来た大谷吉継の首をまじまじと眺めていた。難病により皮膚の所々が剥がれ落ちたその顔はとても正視に堪えない物だったが、家康はまるでひるむ気配がない。


「最悪だ……」

 家康の右側で吉継の首級を見つめる正信の顔には全く覇気がなかった。左側から見ていた直政も覇気に乏しい顔をしていたが、それは赤備えの半数を失った失態による自責の念と、生で見る吉継の顔の爛れ具合に対する怯懦の心に起因する物であった。

「最悪だな……」


 一方で譫言のように最悪という言葉を吐き出していた正信の心を支配していた物は、自責の念でも怯懦の心でもなかった。


(これでますます我らの大義名分は薄れてしまう……そして福島大夫らの気力はいよいよ底を尽くかもしれぬ。挙句、それほど強くもないと思われていた西軍が精鋭・井伊の赤備えと互角に戦ってしまった……ああ、どうすればいいのだ)


 三成とその仲間が豊臣政権の簒奪を云々と言う東軍の大義名分は、三成本人に加えその三成第一の盟友である大谷吉継の死によりほぼ成り立たなくなった。

 自然、目標を失った福島正則らの無気力ぶりはさらに深刻となるだろう。しかも、此度の戦いで吉継と平塚為広・戸田重政は己が兵二千を犠牲にして井伊の赤備えの半数を討ち破ると言う大きな戦果を挙げた。徳川軍の強さを信じていた東軍の兵士たちの心を揺るがすには、十分すぎる結果である。そして当然の如く、西軍の兵士たちの士気は高まるだろう。


「ふん、確かに大谷刑部は見事な男と言えるでしょう。しかし、その一方でとっとと尻をまくってしまった小西や明石らがのうのうとしているようでは、西軍の内部崩壊も時間の問題でしょうな」


 直政の強がりとも言うべき台詞に、正信は無意識のうちに首を振った。

(吉川侍従が寝返ったのだぞ……よくもまあ二千の犠牲で済ませたと言うのが正解ではないのか?三万対一万五千の中で一万五千から三千もの寝返りが出れば普通ならば全滅だろう?それがなぜたった二千の犠牲で、一万の兵を無事に逃がす事ができた?)


 事前に読み切っていた。正信にはそれしか答えは思い付かなかったが、それにしても手際が良すぎる。

 これでは西軍は敗戦した所で「寝返りがあったのだから仕方がない」としか世間は取らないだろう、そして東軍は「寝返りがあったのにこの程度の戦果か」と世間から侮られるだろう。

 言うまでもなく、この世評はますます士気に跳ね返ってくる。いくら兵が精鋭でも、士気がなくては戦に勝てるはずがないのである。



「万千代、残念だが赤備えは傷付き過ぎた。天満山は平八郎に任せてもらいたい」

「はっ」


 直政は若干肩を落としながら家康の元を去って行ったが、その失望はあくまでも赤備えの半数を失ってしまった事だけに起因しており、内心では正信がこうも深刻な悩み方をしているのを全く理解できていなかった。それだけに、正信に対しての視線は一段と冷たかった。


「大殿様……」

「弥八郎。お主の危惧はわかるが、今は治部少輔と刑部少輔の死・そして天満山奪取と言う勝利を世に喧伝すべき時ではなかろうか」

「それは無論心得ておりますが……」




 この時正信の頭の中に、秀吉の事が浮かんでいた。


 多くの武将は見栄もあって簡単には逃げない。しかし足軽から太閤の地位に上り詰めるまで幾多の危機を乗り越えて来た秀吉にとって、戦場で最優先とされる事は勝つ事でも功績を挙げる事でもなく、生き延びる事であった。いくら大きな功績を挙げても死ねばそこまでで、生き残ればまだ機会が巡って来るかもしれないのだ。だから、秀吉は逃げる事を躊躇しなかった。

 若い時から逃げるのに慣れていたからやがて逃げ方も熟練の度を増し、自分に従う多くの将兵を生き残らせてきた。いくら鍛え上げられた兵士たちでも、戦場で死にたいと心底から考えている者はほとんどいない。

 死ぬ時は妻子や父母に看取られながらあの世へ旅立ちたいと言うのが偽らざる本音なのだ。自然、多くの兵たちを生き残らせてきた秀吉は兵たちから慕われるようになる。ある意味では、逃げ上手と言う才こそが秀吉を天下人足らしめたとも言えるのだ。


 そして今自分たちが対峙している西軍は、関ヶ原では三成が己が身一つと引き換えに八万の軍を傷一つなく退却させ、此度の天満山では裏切りがありながら大谷・戸田軍二千と引き換えに主力軍一万を無事に退却させた。

 しかも、細川忠興を討ち井伊軍千五百を討ち取ると互角と言っていい戦果を残しながら退却も成功させているのである。これが逃げ上手でないと言えるのだろうか。


(まるで太閤が指揮を執っているかのような采配を、治部少も刑部もやってのけた。二人とももういない、そんな甘い理屈が通用するはずもない。絶対西軍にも太閤の見事な逃げっぷりを思い出す者がいるはずだ)


 無論、家康も西軍の戦いぶり・逃げっぷりが見事な物である事は重々承知している。しかし、それに対峙する東軍の大将としてはその戦い振りが秀吉と同じであると言う訳には行かない。


「何、奴らが太閤と同じなのは逃げ上手と言うことだけではないか。それにその逃げ上手の立役者二人は共にあの世へ旅立ったのだ、それに西軍はもし今度負けたらどこへ逃げようと言うのだ?」

「ですな」


 この時西軍七万五千は三成の居城である佐和山から琵琶湖沿いに陣を構えていた。ここからさらに引くとなるとそれこそ京・大坂であり、京の賢所や大坂城の秀頼・淀殿をこんな大戦に巻き込めばそれこそ破滅だ。正信は相槌を打ってはみたものの、正信の目にかかっている深い霧が晴れる気配は全くなかった。霧の先が勝利なのか敗北なのか、栄光なのか没落なの、生なのか死なのか……正信には、その答えがどうにもわからなかった。





「申し上げます、吉川侍従殿が参られました」

「少し待てと伝えよ。誰か、刑部の首を西軍に渡してやれ、いいか武士の礼を欠くことなく丁重にな」


 そこにまた新たなる客が来た。元より家康に通じていて、そして此度明確に西軍に叛旗を翻した吉川広家である。家康は兵士たちに吉継の首をきちんと西軍に届けるように命じると、広家を招き入れた。




「吉川侍従殿か、此度はすまなかった」

「いえ…………」


 広家の顔には怒りや無念とか言うより、疲労の色ばかりが濃くにじみ出ていた。


「牧野の痴れ者めが、どうやら自分の手で功績を挙げる事ばかりに執着しておったらしい。あそこまでの痴れ者とはこの家康をして読めなんだわ……」

「既に榊原殿に預けにしてあります、そうでしたな」

「ああ、それでどうか許してもらいたい」


 敵に裏切り者が出ると言う絶好の機会にもかかわらず、康成は約定がどうのなどという名目を振りかざしてまともに対応しようとせず、その結果小西軍や明石軍に傷一つ付ける事なく逃げ切られてしまった。

 功名心に駆られて起こした愚行、とてもそうは思えなかった。それならばこの絶好の機会に付け込んで強引に明石軍・小西軍を襲い返り討ちにされたと言う方がまだ筋が通る。その功名心がなした行動が、どうしてあからさまな降参を疑ってぐずぐずし絶好の機会を逸すると言う展開を呼ぶのだろうか。

「もう少し頭の回る男だと思うて起用したのだが……」

「いえ、もう気にしておりませぬ。それより、どうか毛利家の安泰を」

「わかっている、それはこの家康が保証する」




 清濁併せ呑む器量を持つは家康一人、それが今の徳川家の現実だった。

 三成もまた濁りに堪えられない清廉すぎる男だったが、康政や忠勝、直政と言った徳川の重臣たちもまた同じように清廉すぎる融通の利かない男なのだろう。しかし三成の方は既に亡くなっているのに対し、徳川の重臣たちはいまだ健在である。


「それで刑部は」

「ああ、井伊兵部が討ち取った。惜しい男よな、あんな業病に憑りつかれておらねば、治部少に与しておらねばな……」

「そうですか……それで首級は」

「治部少輔のと同じように西軍にくれてやるわ……盟友と一緒ならば淋しくはなかろう」

「素直に渡すのですか?」

「ああ、それが武士に対しての礼と言う物であろう。刑部の病ならば気にする事はない、これでも健康には気を使っているつもりだからな」

「はあ……」

「だが、彼ら二人がいてこその西軍でもあった。小西は治部少とは比べ物にならぬ器量の小さき男、備前中納言は清廉で好人物かもしれぬが戦の経験は少なき若輩者であり、小早川中納言は尚更だ。唯一手強いのは島津維新斎(義弘)だが、肝心の兵が石田軍より少ない以上恐るるに足りん、そういう事だから安堵して欲しい」

「ですがその……元より治部少輔はただの小才子、治部少輔一人抜けたぐらいでどうにかなる物なのですか?大将ならば備前中納言の方がよっぽど」

「確かに治部少輔だけならばどういうと言う事はなかったかもしれん、しかしもう一人屋台骨となり得る刑部まで亡くなってしまってはな……とにかく、太閤殿下は良き家臣を得た物だ、そしてこんな戦場で失ってしまったのが実に惜しい……」

 時は九月二十四日、関ヶ原の木々はすっかり赤みを増し秋風は冷たく吹いていたが、広家の心は晩秋を通り越して真冬であった。




※※※※※※※※※




(ああ三成め、貴様はどこまで肥大すれば気が済むのだ……?西軍連中の心を鷲掴みにしただけでなく、福島や黒田の心を木っ端微塵に打ち砕き、挙句内府殿にまでこのように称賛され……!)


 広家の父の吉川元春は元より秀吉嫌いであり、息子の広家もまた豊臣家を評価していなかった。その秀吉に対しての悪感情は自然、秀吉の子飼いの家臣に対しての低評価につながった。福島正則はただ粗暴なだけの男、石田三成はただの小利口小才子。それが広家にとって揺るぎない評価のはずだった。

 だからこそ広家は秀吉のいなくなった豊臣家には何の未練も感じず、次代の覇者である徳川家に従う事こそ毛利の御家の為信じ平然と内通者と言う汚れた役目を引き受けたのである。


 それがどうだ。三成は自分の命と引き換えに八万の大軍を無傷で退却させつつ東軍の一将を倒し、あれほど自らへの憎しみに燃えていた福島や黒田の闘志を削いだ。

 広家が東軍への投降を決意したのは毛利家の為だけではなく、石田三成万歳の雰囲気から逃げたかったのもあった。広家自身が三成に対して偏見を抱いているのもあったが、所詮三成のやった事は総大将と言う立場をわきまえない愚行であり、そんな人間を担ぎ上げる西軍に嫌気が差していたのである。


 それが東軍の総大将である家康さえも、三成の死を三成が率いていた軍勢を見捨てた人間の前で堂々と惜しんでいる。

 実力・実績以上に肥大してしまった三成の存在に、広家の心は押し潰されそうに縮こまり、惨めに震えていた。

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