本多正信の嘆息

「お願いです!どうか、どうかこの秀忠に先鋒を!」




 翌日、ようやく家康に面会を許された秀忠はひたすら家康に平身低頭していた。


「軽々にそのような事を申すでない!お前は自分の立場をわきまえていないのか?」

「いえ……なればこそ!」

「よいか、お前はわしの何だ?後継者だろうが」




 家康は軽く咳払いして、改めて厳しい目線を秀忠に向けた。


「いいか、後継者が軽々しく戦場に出れば西軍はどう考える?敵将の後継者であるお前を狙い将兵は勇んで向かってくるだろう。しかも向こうはただでさえ治部少輔の突撃のせいで勢い付いている。お前に万が一があればそれは即天下の屋台骨が揺らぐ事を意味しておるのだぞ、わかったならば後方に控えておれ」


 秀忠は家康の正論に納得する頭脳と、その中に込められているまだ自分が後継者として期待を持たれていると言う感情をもって素直に了解した。


「わかり申した」

「お前は大戦の帰趨が決まってから出陣すればそれで良い。お前の上田城での失態は初陣の人間に多くを求めすぎたわしの失態でもある、それ以上気に病むな」


 天下の狸親父も、この時はただの親父になっていた。


「……それで治部少輔の首級は」

「もう返したわ」

「それがしには見る資格はないと言う事でございますか……」

「いやそういうことではない、平八郎ですらその迫力に呑まれかかったほどの代物だ、お前が見ては士気が萎えてしまうだろうと思ってな」


 この家康の言葉は半分本当であり半分嘘だった。


 先程も言った通り家康は既に秀忠の事を許しているのだが、だからと言って何もなしでは諸将を納得させる事はできない。そこで大戦に間に合わなかった罰として敵大将の首級を見せないと言う罰を与える事にしたのである。


 その一方で自分や忠勝でさえ怯んだ三成の首をただでさえ打ちのめされている秀忠に見せれば、将として立ち直れなくなるのではないかと言う危惧もあった。

 要するに、家康は対外的には自分の後継でも公正に遅延と言う罪に相応の罰を与え、対内的には秀忠の心と名に付ける傷を最小に抑え込んだのである。家康は、あくまでも強かだった。




※※※※※※※※※




 さらにその翌日の九月二十二日、家康が攻撃軍を組織した。大将は松平忠吉、副将に井伊直政。他に福島正則や黒田長政などがくっつき三万という編成だった。


「此度の戦で天満山を落とす」


 東軍は退却した西軍を追跡しなかったため、西軍本陣であった天満山はいまだ西軍が抑えていた。


「将の数と顔ぶれは」

「大将はどうやら大谷吉継で、平塚為広、戸田重政、小西行長。それに吉川広家と宇喜多軍の明石全登がくっついている。数は大谷らが八千、吉川が三千、明石が四千だ」

「一万五千……我らの半数ですか。しかし油断はなりませんな」


 直政は慎重だった。


「治部少輔のあの暴発が予想外に西軍の連中を勇気付けているらしいな」

「しかしそれがしも治部少輔の首を見たのですが、治部少輔の首から発せられる覇気に思わず声を失いました」

「えっ、赤備えの長が見慣れた敵将の首に恐れおののいたのか?冗談はやめよ」

「いや、これは間違いなき真実でございまして」


 一方で、忠吉はやけに強気だった。


「先に言ったように治部少輔のせいで敵は意気が上がっている。それに対し敵将に呑まれた軍勢である我らが挑みかかって勝てると思うのか?」

「しかし下野守(松平忠吉)様もご覧になったのでは」

「ああ見た。しかし首級は首級だろ?今さら何ができると言うのだ?」


 直政は頼もしく思うと言うより、呆気に取られた気分になった。自分よりはるかに経験豊富なはずの家康すら三成の首級に怯んでいたと言うのに、なぜ忠吉が平然としていられるのか訳が分からなかった。


「そ、そうですな。仰られてみればその通りです。さすが下野守様、見事な豪胆ぶりに感服仕りました」


 直政は柄にもなく動揺しながら、これまた柄にもなく追従の言葉を口にした。しかし、それでも直政は冷静さを失っていなかった。


「なればためらう事はあるまい、進軍するぞ」

「お待ちください、是非福島大夫らにも下野守様のお言葉を」

「なぜだ」

「式部から聞いたのですが、大夫がひどく打ちひしがれているとか」

「私もその話は聞いている。よかろう、大々的に治部少恐るるに足らずを宣言しよう」


 忠吉の笑顔が直政にはどうしても不安を掻き立てた。






 

「命あっての物種という言葉がある。治部少輔にはもう何もできないのだ。確かに治部少輔の首級には私も慄いたが、治部少輔にできたのはそこまでだ。大将を失った軍勢などに何もできはしない、もはや我々の勝利は決していると私は考えている。みな、気合を入れて西軍の残党を叩き潰して頂きたい!」


 忠吉は豊臣系諸将の前で高らかに声を上げた。


「確かにそうでしたな」

「もはや治部少輔はただの亡骸。恐れる事はありませんでしたな」

「実にありがたい言葉。我が父も貴殿らの働きに強く期待している。出陣は明日だ、よろしくお頼み申す」


 忠吉は福島正則と黒田長政の賛同の言葉に気をよくし、満足そうに頷いていた。しかしその姿を見た直政の心の中に、計り知れない不安が芽生え始めていた。

(声量と文面だけは勇ましいのだがな……)

 正則の声の音量は大きく、文面も忠吉の力強い言葉に同意するこれまた勇ましい物だったが、肝心の覇気が全く感じられなかった。

 しかし直政が見た所、忠吉はそのあまりにも安っぽい芝居に全然気が付いていない。

(そうだ、気が付いていながら我らに不安を持たせないために自信満々に振る舞っているのだ、そうに決まっている)

 直政は必死にそう自分に言い聞かせようとしたが、その声は心の中で空しく響くだけだった。しかし、これが初陣である二十歳の忠吉にそこまでの期待を抱くのは正直な話酷である。

 あるいは、口では正則らを褒めるような事を言いながら心の中では魂の抜け殻のようになった正則らをあざ笑っており、その心の中の思いが表出してしまったという見方もできなくはない。

 だが正直それはそれで情けない話であるし、義父でもある直政の心理として忠吉にそんな事をして欲しくないと言うのもあるだろう。だがそう考慮するとどうしても、忠吉が正則や長政の落胆ぶりに気が付かないほどの痴れ者であると言う結論に向かってしまう。家康がこの忠吉の駄目っぷりを知れば、秀忠の失態により近付きかかっていた忠吉による徳川家相続の夢は断たれてしまう。それだけは直政としては避けたかった。


(……まあ、元より天満山を一日で抜くなど無理だろうな。何度も小競り合いを行う事によってじんわりと士気を高めていくしかあるまい)


 直政は忠吉に気付かれぬように溜め息を吐いた。正則も正則で未だ三成に打ちのめされており、忠吉も忠吉で三成を軽く見すぎている。どちらもよい結果を生み出せるように思えて来ない。




「申し上げます、榊原式部様より書状が届いております」


 直政がそんな不安を抱えながら自陣に戻って間もなく、康政が書状を寄越して来たと言う話が直政の元に飛び込んで来た。

 当てのまるでない相手から届いた書状に困惑しながら開いた直政の目に飛び込んだのは、余りにも短い文章だった。




「佐州コノ情勢ヲ不安ニ思フナリ 式部」



 

 佐州と言えば本多正信である。本多正信がこの情勢を不安に思っている、そう康政は直政に向けて言いたい、要するにただそれだけの書状なのである。


「そうか、本多佐州はこの情勢を不安視しているのか…」



 直政はそうつぶやくと同時に、この極めて短い書状に込められた康政の本意を悟った。


「腸の腐った奴」だの「同じ本多でもあ奴とは全く別」だの言いふらしている康政や本多忠勝ほどではないにせよ、直政も本多正信を嫌っていた。


 敵大将が失われこちらの主力軍勢が到着したと言うのに、その浮かれこそすれ戸惑う状況ではない所で不安にかられている正信を、忠勝も康政も直政も理解できなかった。



 要するに、何をためらっているのだ直政、ここで怯めばあの臆病者の本多正信と同じだぞと康政は直政に向かって言い放っているのだ。


(そうだな、敵を目の前にして怯むなど武将のする事ではない。大夫や甲斐守(黒田長政)は未だに治部少輔に打ちのめされているようだが、下野守様の言う通り治部少輔にはもう何もできないのだ。恐れる事など何もない)



 直政は勇気をくれた戦友に頭を下げながら、書状を懐にしまい込んだ。




※※※※※※※※※




「はぁ……」


 一方で、武闘派達の嫌悪を一身に請け負っている本多正信は本陣の一角でその表情を歪ませていた。目の下にはいくつもの隈ができており、正直見るに堪えない物だった。


「大丈夫ですか父上」

「正純、お前は右手に何を持っているのだ!」

「大殿様から佳酒を父上に届けるようにと」

「返して来い!」


 右手に徳利を持ちながら入って来た息子に対し、正信は声を荒げた。そして家康の命と言う絶対の文句にも正信は耳を貸さない。


「私は大殿様から直々に」

「大殿様も要らぬ事を……諾と言っても否と言っても私の立場は悪化する、いや私の立場なんかはどうでもいいが」


 諾と言えば家康から酒を贈られるほどひいきされていると言われ、否と言えば権勢と信頼をよい事に家康に逆らっていると言われる。それが正信は苦しくてならなかった。


(この戦に勝てばその瞬間豊臣家の世は終わり徳川家の世が来る、そんな単純な物ではないのだぞ……この戦の発端を忘れたのか?)


 そもそも、この戦は豊臣家の内部対立から始まったのである。福島正則ら豊臣家の武官たちが、半ば一方的に豊臣家の石田三成ら豊臣家の文官たちに対して恨みを抱いた事が大元の原因なのだ。

 それを正さんとして立ち上がったはずの徳川軍が、それと同じ事をやっていては話にならない。


(太閤殿下は俸禄の多寡を見誤ったかもしれぬな……確かに治部少と大夫の働きの度合いを考えれば禄高を同じにするのは間違ってはいない。だが治部少は本当にそれだけの禄高を欲していたのか?そして大夫はなぜあいつと同じだと言う不満を抱いたのではないか?徳川はその二の舞を演じてはいけないはずだ)


 三成は己が知恵によって身を立てた男であり、その知恵を発揮させる機会を与えられる事を何よりも好んだだろう。一方で正則は戦場で血を流して身を立てた男である。自らの身を危機にさらして生きて来た相応の功績を欲していただろう。

 その二人に同じ二十万石を与えたのは、秀吉の失態だった。この処遇に三成はともかく、正則は安全な所でぬくぬくとしていた三成と同じかと不満を募らせただろう。




 一方で徳川家の武官の筆頭井伊直政は十二万石であり、本多忠勝・榊原康政も十万石をもらっていた。

 それに対し正信は三万石である。正直、このあたりが一番良い比率なのではないかと正信も思っていた。だが、それでもまだ三人は不満を募らせている。


(私がいなくなればそれでいいなどという、大夫と同じ思考に陥るなよ。そうなれば徳川の御家は終いだ)


 自分の焦燥が、家康はともかく康政たちにまるで伝わらない。その辛く重い現実に、徳川の知恵袋は頭を抱えるばかりであった。

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