イレイサー【オチまで5分以上】

 レンガ造りの家が並ぶヨーロッパ風の街並み。バーチャルの中で理想の生活を送る。水と乾燥食料をソファの横に用意して、男はもう一週間はゲーム『イカロス』の中にこもっていた。

 VRゴーグルの向こうには、無限の世界が広がっている。

 メッセージが一件届いた。

【ルールブックさん。昨日はアボカリプス討伐お手伝いいただきありがとうございます! 最後ルールブックさんが決めてくれなきゃ負けてましたよ!】

「朝飯前だ。口座への入金はいつになる?」

【仕事があるので、今週末の土曜でお願いします!】

「わかった」

【また予定が合えばお願いします!】

「こちらこそ」

 男はゴーグルを脱いだ。ソファの横に置いてある2リットルのペットボトルに入った水を一気に喉の奥に注ぐ。乾燥食料『プリフェ』を噛み砕くと、また水を飲んだ。

 強モンスター討伐協力依頼、それにドロップしたアイテムを仮想通貨『カロン』に変換することで、今月は120万円相当の稼ぎ。プリフェと水さえあれば、最低限の健康は維持することができる。男の体は細身ではあったが、死に瀕しているほどの痩せ具合ではなかった。

 もう一度男はVRゴーグルを装着した。メッセージが一件届いている。

【運営から、一件のプレゼントが届いています】

 男はメッセージに添付されているアイテムを開封した。

【『イレイサー』を入手しました】

 男はそのアイテムの使用方法を確認した。

【イレイサーを使用すると、イカロスワールド内のオブジェクトをなんでも消すことができます】

「なんだ? なんでも消せるアイテム? なんで運営はこんなものを……」

 そのときは、別に必要ないアイテムだと思っていた。

 しかし、半年ほど経ったとき、男はトラブルに遭遇した。

「口座への入金が遅れている。どういうことだ?」

【すみません、ちょっと仕事が忙しくて】

「そうやってもう一ヶ月は入金が遅れている。払えないなら運営にトラブルとして報告して、もう次の依頼は受けないことにするが」

【それだけはやめてください】

「なら、今日中に入金しろ」

【金がないんです】

「なら交渉の余地はないな。運営に報告させてもらう。取引もここまでだ」

【うるせえな! 引きこもりニートのくせによ!】

【ゲームの中でモンスター倒してるだけで偉そうにしやがって!】

「それで稼げているのだから、職業として成立している」

【現実世界ではただのオタクだろうが!!】

「面倒なやつだ。自分もたいして変わらない境遇だろうに。そんな中、効率的に稼いでいる俺のことが気にくわないんだな」

 運営に報告したが、メッセージの相手はいまだにイカロスワールドでVR生活を送っているらしかった。男の脳裏に例のアイテムの存在が浮かんだ。

 男はメッセージでトラブルの元となったプレイヤーを寂れた酒場に呼び出した。

「お前、あんなことがあったのに、のうのうとここで遊んでいるらしいな」

【だからなんだよ。別にいいだろ】

 その男性プレイヤーには反省の色は見えなかった。

【ルールブックさんがイレイサーを使用しました】

 コンソールログにその文章が表示されると、男性プレイヤーの姿は消えていた。使用したにもかかわらず、『イレイサー』の数は減っていなかった。消耗アイテムではないらしい。

 それから男は、気に食わないことがあると、イレイサーを使用するようになった。絶対不可避のトラップ、どうしても倒せない伝説級モンスター。ドロップアイテムは手に入れることはできなかったが、ひとりで倒したという噂が広がって、ますます協力依頼が舞い込むことになった。

「あのモンスターがいるせいで、クエストのクリアタイムを更新できない」

【ルールブックさんがイレイサーを使用しました】

「あのプレイヤー、また争いを起こしているのか」

【ルールブックさんがイレイサーを使用しました】

「あのプレイヤー、俺より協力依頼が多いな」

【ルールブックさんがイレイサーを使用しました】

「今度の依頼はただモンスターを倒すだけでいいのか」

【ルールブックさんがイレイサーを使用しました】

「この宿屋、なんだかサービスが気に食わない」

【ルールブックさんがイレイサーを使用しました】

「この道具屋、品揃えが悪い」

【ルールブックさんがイレイサーを使用しました】

 男はイレイサーを使い続けた。

「随分と閑散とした世界になったな。元からこんなだったか?」

 男の見ている世界には、もはや男ひとりしか残っていなかった。

「こんな何もない空間にプレイヤーがいても仕方ない」

【ルールブックさんがイレイサーを使用しました】

 男はVRゴーグルを外し、鏡で自分の姿を眺める。

「この世界にこんな男がいても仕方ない」

 男は首を吊った。

【ルールブックさんがログアウトしました】






『イカロスプロジェクト』と表示された大画面の前に、金髪と黒髪の白衣を着たふたりの男性が座っていた。

「また失敗っすね」金髪の青年がいった。

「せっかく現実の記憶を忘れて一昔前の生活を体験できるゲームなのに、ゲーム内で規約違反のファンタジーゲームを作りだす輩が出てくるのはなぜなんだろうな」

「禁じられたら、無駄なことでもやりたくなるもんなんすよ。ゲーム名を同じにしてるのなんて、完全に当て付けでしょ」

「そういうものなのか。しかし、お前の言う通りだったな。たったひとつのアイテムをひとりのプレイヤーに渡すだけでファンタジーゲームを壊滅できた。全プレイヤーのデータを消去するのは経費がかかりすぎる。それが少し干渉するだけで規約違反の全プレイヤーをログアウトさせられるとは」

「ま、天才っすから。次はどんなゲームを作ります?」

「みんな揃って同じ行動に出たからな。今度は首を吊るゲームでも作ってみるか」

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