血濡れの獣と死の重み
数日前から虎丸の様子がおかしい。
僕の姿を見付けると子供のように目を輝かせて近寄ってくる虎のような小さな犬のような…
そんな彼女の顔から笑顔が消えたのは数日前の事。
下層街区の支援していた内の1人を亡くしたそうだ。
僕にも面識がある子供らしい。
あの日、何があったかは話してくれなかった。
『リョウジが死んだの。だから赤い紐を結んでブレスを回収しに行っただけ。ただそれだけ』と、何か文字が彫られている血塗れの鉄塊を見せてくれただった。
『それだけ』その一言にどれだけの出来事が含まれているのかは知らない。
だが、感情をほぼ失った僕でも胸糞悪い出来事だったという事だけは感覚で感じる。
"あの"特務機関スサノヲの副官を務める虎丸が表情を曇らせ、すぐ後ろを歩く僕にも気付かずにいる程には。
何故彼女が上の空なのかは聞かない。
だがこのままだと今まで任務をこなしてきた際に作った敵に殺されかねない。
好敵手が僕以外の何処の馬の骨か分からない奴に殺されるのは勘弁して欲しい。
…まぁ虎丸に限ってそんなことはないと思うが
そう考えながら、虎丸の背中を追う。
彼女の向かう先は、見覚えのある道。
あの日、僕を無理やり連れて行った下層街区へと向かっていた。
トン…トン…トン
一定のリズムを刻みながら階段を降りていたのだが途中で彼女は立ち止まった。
虎『ひ…っぐず…っ』
少々驚いたが、彼女は例のブレスを握ったまま涙を流していた。
何故人が死んだだけで泣くのかが分からない。
でもあと少しでこの違和感の理由がわかりそうな気がするんだ。
だから今、こうして後をつけている。
ガンッ
虎『んで…ッなんでこうなるんだよ…ッ』
生身の腕でコンクリートの壁を殴る鈍い音が周囲に鳴り響く。
サイバネ化された左腕で殴ればいいものを…
手の甲、折れたに違いない。
虎『また…ッ守れなかった…!みんなにどう説明したら…ッ』
陽だまりの様な笑顔が歪み、涙と鼻水でグシャグシャになっている。
嗚咽にも似た声を漏らし、心の底からの悔しさとリョウジを守れなかった自分への怒りを呟く。
『みんな』というのは下層街区の人々にだろうか。
地区にもよるが、ここの下層街区の人々は互いに身を寄せ合い、支え合いながら生きているのが分かる。
自分もこんな暖かい地区で育ちたかった…なんては思わない。
虐げられて生きて来たからこそ今の自分がいるということが分かっているからだ。
虎『はぁー…ッはぁー…っく』
声を上げて泣いていたせいか呼吸が荒くなり、壁に手を着いたまま下を向いている。
灰色の地面にポタ、ポタと濃いシミを広げていく。
再び歩き始めるが酸欠を起こしているのか、足取りは酷く重たく上体は揺れ動く。
ズッ…
目の前で彼女の脚がもつれ
頭から地面に向かってスローモーションで落ちていく。
D『虎丸!!!!!』
頭より先に体が動いていて
気づいた時には小さな体を腕の中に抱き留めていた。
虎『なん…で?』
瞳に涙を浮かべたまま酸欠のせいか、彼女の顔は青白く唇は青紫に変色していた。
D『虎丸、ゆっくり呼吸して下さい。脳に酸素が回っていません。このままじゃ死にます』
虎『すーー…はぁ…すーー…はぁ…』
言われるがままゆっくりと呼吸を始め、その手はDinosebの服をぎゅっと強く握っている。
D『もっとです、ゆっくり吸って、吐いて。
そうです。やればできるじゃないですか』
何度か繰り返し深呼吸をさせ、落ち着かせようと彼女の背中をさする。
虎『はぁ…助かった。ありがとうジノちん』
D『落ち着きましたか?』
抱えられたまま感謝を述べる彼女はまだ微かに震えていて、今にも壊れてしまいそうなほどか弱く見えた。
虎『…ん、もうだいじょぶ』
D『こんなところで何を?』
落ち着いた彼女に何故このような所にいるかと質問を投げかけてみた。
虎『リョウジが…死んだ事をみんなに伝えに来たんだよ』
再び例の銀のブレスを握り、顔を伏せた。
D『例のアレ、ですか』
虎『うん。リョウジは子供たちの中心にいつも立ってた子だから…』
D『確かに、あの少年は色々と要領の良い子でしたね』
虎『だからこそ、居なくなったらみんな心配する。
死んだこと…ちゃんと伝えなきゃって思って』
へら…と力なく笑う彼女。
不思議な感覚だった。
D『人はいつか必ず死ぬじゃないですか。
死ぬ度に泣き腫らして酸欠起こして階段から落ちるようなヘマして…あなたの身が持ちませんよ』
虎『…ッ!そうだね。君、そういう奴だったよね』
ふるふると肩を震わせ、Dinosebの腕の中からするりと抜け出した。
虎『助けてくれてありがとう。もう大丈夫だからほっといて。』
D『…?何を怒ってるんですか?』
いつもなら強制的に目を合わせてくる彼女が目を合わせようとしない。
どこかピリピリした雰囲気を纏い、拳を握りしめていた。
虎『…うるさい。今後僕に話しかけないで』
D『…は?何を今更。虎丸が…』
虎『名前で呼ぶなッ!!!!!』
珍しく虎丸が声を荒らげDinosebに向かって自棄をも含むような怒りの矛先を向けた。
虎『バード商会所属のDinoseb・D・Blood owlくん。僕は特務機関スサノヲの副官。百目鬼虎丸。
君の様な低級傭兵が軽々しく名前を呼んだり話しかけていい人物じゃない。今すぐにここから立ち去れ。』
D『急に何を言い出すんですか。今更そんな事言われても』
彼女の雰囲気がガラッと変わった。
獣のような鋭い眼光に冷たい口調。
今の今まで名前で呼び合っていた仲だった。
虎丸は涙と鼻水で濡れた顔を振り払い、つかつかと階段を降りながら首元のジッパーを口元まで上げた。
向こうから土足で心に踏み入って来ようと近付いてきて
それなのに急に他人のように振る舞われたら、さすがのDinosebも腹の虫が収まらない。
急ぎ虎丸の背中を追いかける。
D『虎丸。待って下さい。なんなんですかさっきから。』
虎『………』
問い掛けには応じない。
ただ無言で彼女は歩くだけだった。
D『虎丸!!!!!』
虎『ッチ うるさいなぁ!!!!!』
その瞬間、バサッと音を立てて風鬼扇が展開された。
D『今ここでやるつもりですか?閉所ですよ』
虎『構わねぇよ、潰すだけだから。』
眉を顰め、風鬼扇を扱うためにサイバネ化した左腕へのチャージを始める。
D『へぇ。そうですか。潰す…ねぇ?』
虎『…何?』
顰めていた眉が不機嫌そうにピクっと動いた。
D『なぜそんなに怒ってるのか聞いてるんですよ』
虎『君には分からない事だよ…というか分かり合えねぇわ。』
怒りからかいつもの明るく人当たりのいい彼女の言葉使いが崩れ、獣を丸出しにしていく。
虎『命は尊く、弱者は強者に守られ、強者は弱者を守る、それが俺の中の掟だからだよ。
んな事言ったってわかんねえよな?』
D『分かりませんね。少しあなたとは感覚が違うようで…まぁ、感情なんてほぼ死んだも同然なので。
人はいつか死ぬ。弔いなんて何度しても同じこと』
虎『ッ…Dinoseb・D・Blood owl…!』
彼女の声とは思えないほどの地に響くような声と共に、風鬼扇から繰り出された鎌鼬のような風がDinosebの服や顔を切り裂いていく。
D『おや?こんなもんですか?百目鬼さん。』
怒りと闘志を煽るように防毒マスクの下でヘラっと笑って見せた。
だがここは下層街区へと繋がる閉所的空間。
風鬼扇を使うには少々狭すぎる。
十分に風が発揮されていない。
御前試合でSUとのバトルで見せたような迫力は一切感じられず、完全に怒りに任せて扇を扱っているようにも見えた。
D『夜梟の焉——飛太刀』
ガッ
梟の様な啼き声と風切り音と共に虎丸が宙を舞う。
虎『…!?』
御前試合と同じ、虎丸がDinosebを負かせた体術と酷似する技で敢えてお返ししてみた。
『以前の虎丸に戻って』と、何故かそう思うが故の飛太刀だった。
他にもこの風を止める技は数多とあった。
たが虎丸とDinosebが出会うきっかけとなった御前試合のこの技ならと飛太刀を食らわせたのだ。
ガコンッ
地面に叩きつけられた音がする。
背中から思い切り地面に叩きつけられた彼女は口から血を吐き出しそこに蹲っていた。
虎『ガ…かはっ…ヒュー…ヒュー…』
空気が漏れるような音が喉から発せられ、呼吸がままならない。
恐らく叩きつけられた衝撃で肺付近の肋骨が折れ、肺に刺さっているのだろう。
それでも彼女は立ち上がる。
虎『鬼太鼓ぉぉぉ!!!!!』
護國・鬼太鼓を両手に握り、Dinosebへと突進する。
口の周りは吐いた血で汚れ、白い肌には脂汗が滲み
、見るだけでも苦しいというのがわかる。
D『もう…やめましょう。
夜梟の焉——終食』
その瞬間、虎丸の動きが止まった。
メリメリと音を立て彼女の腹に食い込むDinosebの貫手。
虎『かは…っ』
ビチャビチャ
吐き出された血液が地面に叩きつけられ、Dinosebの背中を濡らす。
そのまま虎丸は膝から崩れ落ち、意識を失った。
D『やれやれ…怒りで我を失うとはあのスサノヲの副官として情けない。
しかし…何故怒り狂ったのかが僕には分からない…』
自分が虎丸に放った言葉を反芻してみたけれど
Dinosebには分からないのだ。
途端、胸を何か細い針のようなもので突き刺されているような感覚に襲われる。
D『…?なんだ…?』
胸の当たりを手でさすり、痛みの原因がわからず困惑する。
D『とりあえずこんな所に放置していく訳にも行きませんし、この猛獣をどこか安全な場所に運びますか…』
そう言ってDinosebは虎丸を横に抱いた。
※俗に言うお姫様抱っこ
D『軽っ。小さな体にどこからあんなゴリラの様なパワーが…』
ぶつぶつと何かを呟きながら来た道を戻る。
D『マルファス』
フィィィンと音を立てて近付いてくるドローン。
マルファスだ。
下層街区の方を見張らせていて、今しがた合流地点に来るように指示していた。
マ『どうしたご主人』
D『虎丸を怒らせた。』
内蔵スピーカーから陽気な機械音声が流れる。
マ『あの虎の姐さんを?
ご主人…なにか悪いことでもしたのか〜?』
はぁ〜とため息のようなものが聞こえ、機械なのにそんな音出るのか…?と頭に浮かぶ。
マ『温厚な虎の姐さんを怒らせたってんなら、ご主人相当な事したぜ?』
D『そんなにか…?』
マ『大方、虎の姐さんの大切なものとか馬鹿にでもしたんじゃねえか〜?』
D『…あ』
何かを思い出したかのように立ち止まる。
マ『なんだ?心当たりでもあったのか?』
D『…死んだものを毎回心を痛めながら弔う理由がわからない…と言った』
気を失った彼女の顔を見つめ、そうマルファスに話す。
マ『あちゃ〜…そりゃあ虎の姐さんも怒るわ
だってよ、姐さん孤児だったんだろ?
下層街区の人間を私財投じてまで支援するお人好しだぜ?
何よりもすげー大事にしてるって事はご主人も知ってるだろ?
…って、そういうことを口走っちまったって事は知らねえってことか〜…』
マ『…下層街区の人間は、放っておいても勝手に殺し合ったり病や怪我で死ぬ。
それが毎日だぞ。僕が同じことを経験していたら気が狂いそうだ』
マ『…だからだよ。
下層街区の人間は勝手に死ぬから誰かに弔われることもない
『形見』ってモノも持ってない人知れず死ぬんだ
生きている間死人同然の扱いをされて
辛い思いをしてさ迷っているのに、死んだ後までその魂をさ迷わせない為にも自分と縁…赤い紐を結ぶんだって、その様子じゃ知らねえだろうけど…前、俺に言ってたぞ
その銀色の腕輪も、虎の姐さんが子供たちにあげたものなんだと。』
D『そう…だったのか。』
マ『その銀の腕輪、持ち主の名前を姐さんがその小さな刀で彫ってるんだと。
それは現世で縁を結ぶためにって言ってた。
まぁ俺もよくわからねえけど!
姐さんから聞いて分かることだけご主人に伝えただけだけどな!』
D『そう…か』
何かを考えているかのように空を見上げる。
D『虎丸の、瞳の色だ…』
ピピピ…
マ『ご主人、姐さんの骨折ったろ?
肋骨3本…いや、4本か。肩甲骨まで折れてやがる。
うち2本は肺に刺さってんな…って、お?右手の骨まで…』
ハルファスに搭載された機能を使い、マルファスは骨折箇所をスキャンする。
D『…右手の骨は虎丸自ら折った』
マ『どっちにしろ、虎の姐さんが目覚めたらちゃんとごめんなさいしろよご主人。』
ふよふよと浮かびながらマルファスはくるっとハルファスを旋回させる。
D『あぁ…分からなかったとはいえ怒らせたのは僕だ。それは謝る。』
マ『兎に角、バードでもスサノヲでもいいから姐さん治療しないとやばいぜ。
というかご主人、女の子相手にやりすぎ。
反省してんのか?』
D『まぁ…虎丸の涙とかも見てて、考えればわかるはずの事も分かろうとしなかった僕が悪い。
怒らせたのは僕だけど、怒り狂う虎丸を見て何故か出会った頃の虎丸に戻って欲しいと思ったが故の行動だったんだが…やりすぎたな。』
マ『まぁ…それならいいんだけどとりあえず早く行こうぜ。姐さんが起きて暴れる前に。
その抱き抱えられた状態なら起きた瞬間大暴れだぞ』
D『それは困る。バード商会に連れて行ってもヒューズさんがいるし冷やかされるのも嫌だ。
…スサノヲ?滝丸さんと空丸さんに預けるか…』
頭を悩ませ、苦渋の決断を迫られる。
マ『ご主人、スサノヲに行くのはまずい。
その2人は姐さんに過保護だ。刺されるぞ』
呆れたような声でマルファスはDinosebに忠告する。
D『くそ…もう。背に腹は変えられない。
とりあえずバード商会に連れて行って軽い処置をしよう。話はそれからだ』
マ『おーう!ガッテン承知ぃ!
ご主人、バード商会まで抱えて行くのか?
姐さん重たくねえか?』
D『別に。女ひとりくらいなら抱えて歩いてもノーハンデだ。』
マ『ご主人、なんか変わったな』
D『かわった?なんの事だ?』
不思議そうに首を傾げ
マルファスと虎丸と共にバード商会へと帰る。
後、『女性には優しくと伝えたはずです。止める為とはいえさすがにこれはやりすぎだ』と、バード商会の傭兵にしこたま怒られるDinosebであった。
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