霊媒師、その正体

僕はひとまず秦汪軒の中を捜索することにした。

戸口のほか、外に出れる可能性があったのはトイレの窓だったが、

それも開くことはなかった。

「塩津さん、くつろいでないで戸でも窓でも蹴り破ってもらえませんかね 」

塩津は煙草に火をつけると天井を仰ぎ、ふぅっと紫煙を吐き出した。

「やなこったね。そもそも無理だ。力尽くじゃ破れねぇよ 」

「はぁ?なんでそんなことが言えるんですか?試してもない癖に 」

塩津は僕を一瞥してからガラス戸へ向かうと、ガラス戸に左足を蹴りこんだ。

その衝撃に店全体が揺れた。

しかし、ガラス戸にはヒビ一つ入っていない。

「ほらな、無理だ。言っとくが俺の蹴りはコンクリも砕けるぞ 」

誇張ではないだろう、その巨躯から繰り出される前蹴りには凄まじい迫力があった。

「俺は今回、今夜に限ってだけお前の新人教育係だ。不本意ではあるが課長命令なんでね。こいつは実地研修、本来なら俺が手本を見せてやるところだが、相手がお前みたいなロクデナシとなりゃ話は別だ。なんせ俺は、お前を課の一員とは認めてないわけだからな。俺は一切手を貸さない。てめぇで乗り切れ 」

自分の顔が次第に青ざめていくことが分かった。

塩津は本気で言っている。

このわけのわからない状況をこの男は静観しているつもりなのだ。

いっそ僕が野垂れ死にでもすれば僥倖とでも考えていそうだ。

野垂れ死に?死?死ぬ?

僕はこのまま秦汪軒に閉じ込められたまま死ぬのか?

そんなことがあり得るのか?

「お前、さっきまでのお喋りが嘘みたいだな。察してるか?わかるか?はっきり言ってやるよ。この状況を何とかしないと…お前は死ぬ 」

こいつは本当の本当の本当に僕を見殺しにする気だ。

僕は事の重大さを再認識した。いや、ようかく芯から理解した。

だが、状況は塩津も同じではないのか?

「し、塩津さんだってこのままここから出られなきゃ…」

「俺はお前なんぞよりよほど頑丈で忍耐強い。お前がくたばった後にゆっくり出るさ 。よかったな、初任務で殉職だ。ごみ溜めのクズ詐欺師のまま死ぬよりいいだろ」

最早塩津の嘲りは僕の耳に届いていなかった。

どうする?どうしたらいい。

「そうだ!外に連絡を!助けをよべば! 」

僕はポケットからスマホを取り出した。

警察!警察に電話を!いや、僕も今は警察組織の一員だが、ほぼ民間人だ。

塩津がこの調子である以上、万代課長のことも信用できない。

後先を考えるよりも110番通報だ。

「無駄だぞ、お前の私物は一度うちで全て回収しただろ。そのスマホも俺含め特事課の連中にしか繋がらんようにしてある 」

塩津はいちいち僕の挙動を面白がっているように見える。

呆れた表情で僕の慌て振りを眺めている。

ダメだ。僕はこの非現実的な状況に混乱している。落ち着くんだ。状況を整理しろ。

僕はゆっくりと呼吸を整えると机の上の、まだ水の残っているコップに手を伸ばした。

水はぬるく黴臭かったが、構わず一気に飲み干した。

まずい水を体が拒否したのか、思い切り咽た。

なんだこの水。入店した時に一口飲んだ時は普通の水だったはずだ。

水が腐ってる?体感より時間が経過しているからか?

「塩津さん 」

「なんだ。手は貸さんと言ったろ 」

「そうじゃないです。それはわかってます。そんなことではなくて…水がまずいんです 」

「は? 」

「今は真冬です。この店内も肌寒い。入店したのが午後二時、今が午前一時だとしても11時間しか経っていない。多少温くなることがあったとしても…こんな、水が腐るなんてことはないでしょう。」

「つまり何が言いたい 」

「こんな非現実的な状況ですから、これは憶測でしかありません。ですが、入店からの実際の経過時間は11時間どころではないのかもしれません。少なくとも二日三日は経過しているんじゃないでしょうか 」

塩津は先ほどまでとは少し異なる表情で僕を見た。

「お前、急に冷静になったな 」

「えぇ、詐欺師たるもの、如何なるイレギュラーが起こっても冷静に対応しなければなりませんから。先刻までの僕の醜態は目に余るものでしたが、切り替えます 」

これは本心、本音だ。僕は霊媒師ではない。人の心を読み操る詐欺師。

それが僕だ。だが、今の僕に塩津を操ることはできない。

ましてやこの場には塩津以外に人間がいないのだから、心を読み操る力も、

ついでに僕のもう一つのおかしな能力についても、役に立たない。

「今、この場で大事なことは観察、分析、それから… 」

「なんだ、とうとう認めやがったか詐欺師。化けの皮が剥がれやがったな 」

「黙っててください。手を貸さない、助言もいただけないならあなたはそこでくつろいでいてください。僕は死なない。僕はここから生きて出る。僕にはそれができる 」

「なんだそりゃ…自分を奮い立たせてんのか 」

塩津は三本目の煙草に火をつけた。

「みたいなもんです。これは自己暗示。本来は長期的にやって効果を発揮するもんですがね。人に暗示を掛けるのは得意ですが、自分にだって暗示を掛けなきゃ詐欺師なんてやってられない。僕はね塩津さん。ヤクザや半グレ、ヤバイ連中だって嵌めてきたんです。こっちだってまともじゃ戦えない 」

塩津はまたしても、ふん、と鼻で笑った。

「まともじゃない…ねぇ…ならうちの課の適正はあるのかもしれんな 」

「何か言いましたか?言いたいことがあるなら、皮肉でもなんでもこの際はっきり言ってください 」

「さっき黙っててくださいって言ってたろうがお前。なんでもねぇが…二階は調べたのか 」

二階…確かに店の外観を思い出してみれば平屋ではなかった。だが、ホールにも厨房の奥にも階段らしきものは見当たらなかった。

外階段か?であれば二階に上がるにはどの道、外に出なければならない。

店の正面からは外階段は見えなかったように思う。

店の裏手側か?裏手側…裏…店の裏口戸はないのか?

僕は今一度厨房に入った。

厨房の隅に積まれた段ボール、棚、すべてずらしてみたが、

やはり裏口らしき扉は見つからなかった。

僕は溜息をつき、厨房の床に座り込んだ。

まぁ仮に扉が見つかったとしても、その扉も開くとは限らない。

そういえば、店主はどこへ行ったんだ?

この店の戸は正面のガラス戸しかない以上、僕らの横を通って出ていくはずだ。

店主が外に出たとしたら、僕らが気付かないはずがない。

もちろん、この店の中にもその姿はない。

「塩津さん 」

「なんだ、腹でも減ったか 」

「そりゃね。それどころじゃありませんけど。てゆうか二階にあがる階段なんてありませんでしたよ 」

塩津は首を傾げた。

「この狭い店内、見渡せばそのくらい一目でわかるだろ。マジで探してたのか 」

どうやらからかわれていたらしい。

こいつはこの危機的状況を理解しているのか?

「もうそういうのはいいですって。それより階段がないのはおかしくありませんか?店の外観はどう見ても二階か三階建てだったでしょ。外階段ですかね? 」

塩津はもう何本目かわからないが…煙草に火をつけて煙を胸一杯すいこんで

深呼吸のように深々と吐き出した。

「まぁお前に一個一個質問されるのも面倒だから、多少のヒントはくれてやる。

俺が1週間前にこの店に食いに来た時にゃ、その厨房の奥に階段があった。

二階に上がったことはないけどな 」

「一週間前にあった階段が今はない?」

「そうだな。それから店主ならたぶん帰ったぞ。俺達が時空を超えてる間にな 」

時空を超えてる間に…午後二時から午前一時になるまでの間、僕らは一体何をしていた?呆けていたのか?そんな客を放置して店の主が帰るか?

「お前はクズ、ゴミ、せこい詐欺師だが、幾分かの気概は持ち合わせてるのかもな…この店に起こっている異常、その正体を知りたいか 」

どういう風の吹き回しか、塩津は僕に助け舟を出してくれるつもりのようだ。

「それは…是非、お願いします 」

「やなこった。央子にでも聞くんだな 」

間髪入れずの塩津の言葉に殺意を覚えた。

とはいえ、この化け物に掴みかかったところで死期が早まるだけなのはわかっていたので盛大に舌打ちをかますだけで堪えた。

もういい、こんなやつ相手にするものか。そんなことよりも“央子にでも聞くんだな”か。

久良岐央子…央子さんなら…僕を助けてくれるかもしれない。

僕は逸る気持ちを抑えながらスマホを取り出した。

「やっほー。レージくんじゃん。どしたのー?あの脳筋バカにいじめられちゃったのー?」

電話口の央子さんの平和そのものの間延びした声に僕は安堵の溜息を洩らした。


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