第1章 事案ファイル 壱
歪みの中華料理店
塩津さんに連れられ、僕は「泰汪軒」という中華料理店を訪れた。
オフィス街を抜けた外れにある個人経営と思しき寂れた店だった。
昼時を過ぎているとはいえ、店内は閑散としており、客は僕と塩津さんの
二人だけだった。
店主と思しき高齢の男性は、愛想がいいとは言えず、なんとも居心地の悪さを感じていた。
ましてや一緒に飯を食う相手が仏頂面の塩津さんときたもんだ。
いや、この際”さん”付けはもういいだろう。
僕のことが気に入らないのはわかる。だが、塩津のこのあからさまな態度はいっぱしの大人としてどうだろうか。
店内の二人掛けテーブルについてからもずっと腕を組んで僕を睨みつけている。
注文しねーのかよ。
「このお店、塩津さんの行きつけですか? 」
僕は嫌々ながらも塩津に歩み寄ろうと考え、特に興味もないことを尋ねた。
塩津は腕を組んだまま黙っている。
この野郎、人が大人な対応をしてやっているのに相変わらず…
「おい、あんたら何も注文せんなら出てってくれ 」
カウンターの向こうから店主の不愉快そうな声が聞こえた。
僕はカウンターの方へすみませんと一声かけてから、唐揚げと醤油ラーメンを、
塩津は麻婆豆腐(特盛)を注文した。
「塩津さんてやっぱよく食うんですねぇ。羨ましいっすよそのガタイ 」
塩津が僕を無視したとて、僕までそれに付き合う必要はない。
僕は努めてあっけらかんとした態度で彼に接することを決めた。
どうせ今回も無視されるだろうが…こういう一見気難しい相手には、だからこそ
しつこく絡むことが大事なのだ。
そうすればそのうちに心を開く、何故ならこの手の仏頂面野郎は…
「ここの麻婆豆腐はまずい 」
「は? 」
ようやく口を開いたかと思えば…なんだそれは。
「まずいことがわかっていて注文したんですか? 」
「辛いだけで旨味もクソもない、具が少ない。豆腐が冷たい 」
ただのクレームじゃねぇか。こっちの質問に答えろよ。
「にも関わらず、この店の看板メニューだ 」
塩津はぎろりと僕を睨みつけた。先ほどの睨みとは違う。いやに凄みがある。
塩津の目や表情から読み取れる感情は、気に入らないとか虫が好かないとか嫌いとか、そういうことでない。
こいつは…軽蔑だ。
「お前も、この麻婆豆腐と同じだ。素人以下のくそまずい料理の癖にいっぱしの料理を気取ってる 」
僕は塩津の言わんとすることがわかった。
「いかさまの、偽物の、ちんけな詐欺師が俺の前でヘラヘラするな。殺すぞ 」
塩津は苛立ちを隠すつもりもない様子で、体を大きく揺すった。
巨体が揺れたものだから、机がぐらついた。
「やめてください。コップが倒れます 」
「お前、霊媒師を“演じて”いくら稼いだ?お前のくだらん嘘を信じた哀れな人々をどれだけ苦しめた?」
僕は観念した。こいつの僕に対する侮蔑、軽蔑の念は、いわゆる人並みの社交術で打ち崩せる類のものではない。であれば…
「それは流石に聞き流せない侮辱ですね。僕は詐欺師でもなければ嘘つきでもない。
本物の霊媒師です。あなたの言う“哀れな人々”を苦しめるどころか救ってきました 」
僕は塩津を真っすぐに見つめながら、努めて誠意が籠もっている“様な”声色で言った。
伝わるだろう。僕の誠意が。今のが本心だと、お前は信じるはずだ塩津。
ふん、と塩津は鼻で笑うとコップの水を一息に飲み干した。
「浴野、お前はつくづく…救えないクズだ 」
塩津の目には変わらぬ軽蔑の色が見て取れた。
僕は唖然とした。
何故誠意が伝わらない?僕の言葉を信じない?
塩津には僕の能力が効いていないのか?
「お前が本物の霊媒師なら、ここで証明してみろ 」
塩津はそう言って立ち上がった。
「飯は…どうするんすか。まだ注文来てませんよ 」
「いつまで待っても来ねぇよ。時計見てみろ 」
僕は塩津に言われるがまま腕時計を見て息を呑んだ。
「これ…どういうことですか? 」
泰汪軒に入ったのは午後二時頃だった。しかし今時計の針は…午後一時?
「時間が巻き戻ってる?なんてわけないか…僕の時計に何か悪戯しましたね? 」
「馬鹿か。詐欺師の癖にお粗末な頭だな。時間は進んでる。今は“午前”一時だ 」
僕は店の戸口を振り返った。ガラス戸の向こうは暗闇だ。
「そんな馬鹿な 」
僕は戸口まで駆け寄りガラス戸に手を掛けた。
「なんすかこれ…びくともしない! 」
慌てる僕と対照的に、塩津はカウンターにもたれ掛かり、落ち着いた様子で腕を組んでいる。
「塩津…さん!説明してください!この状況を! 」
塩津は僕の取り乱した様子を満足気に眺めている。
「お前、霊媒師なんだろ?怪奇現象の一つや二つ、てめぇで何とかしてみろよ」
塩津はにやりと笑った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます