第6話 迷子のお姫様

ロッジに着くと、肉を焼く香ばしい良い匂いがした。僕らがキッチンに行くと、姫とジャッキーがレタスを洗っている。

「おかえり!今日のランチはチーズバーガーよ!」

姫が嬉しそうに言った。ジャッキーは、二郎を見ると、上を指差しながら何か言った。二郎は頷いて親指を立てた。

「二階でピーターが呼んでいるって。彼は、監視カメラの映像解析を任されていて、いつもドローンを飛ばしたりするのも彼の役目らしい。なんかヘルプが必要だから行ってくれって。さあ、行こう。」

「この家、二階なんかあるの?正面からは平屋に見えたけど。」

僕らはキッチンをでて、白い額装の家族写真がたくさん飾られた長い廊下を小走りで通り抜けた。

「ああ、隠し部屋があるんだって。コンピューター系のものはその部屋に全部おいてあるってランスさんが言ってた。なんか、バスルーム内のトイレの隣の、クローゼットに見えるやつがドアらしい。えーっと、確か廊下の左側四番目のドアがバスルームって言っていたよ。」

四つめの扉はティファニーブルーに塗られていて、流木で作られたアンティーク風のリースが掛けてあり、その真ん中にBATHと書かれた板がぶら下がっている。扉を開けると、十二畳くらいはありそうな広いバスルームがあった。ターコイズブルーと白のタイル貼りのシャワーと、ジェットバスの湯船とが別々に離れた所にあって、それぞれが金色の蔦の装飾に飾られて輝いていた。トイレの横に、両開きの赤いクローゼットのようなものがあり、扉が片方開け放してある。

「あそこかな。隠し扉なんて、ワクワクするね。」

僕が言うと、

「そうだね。007みたいだね。」

と二郎も目を輝かせた。扉の内側には小豆色の絨毯貼りの、下に降りる階段と上に登る階段があった。毛足が長くてフカフカと気持ちがいいその絨毯を登っていくと、そこには、バスケットボールのフルコートくらいはありそうな、だだっ広い部屋があった。片側の壁は一面巨大な窓になっていて、そこからバルコニーに出られるようになっている。バルコニーは、家の裏側に面しているので、正面からは見えなかったのだ。奥の壁は床から天井まで灰色の棚になっていて、小型のスクリーン、アンテナ、ネジ、三脚、パソコン、プラモデルの飛行機のようなもの、大小様々のカメラなど、いろんな形の機材が並べられている。ピーターは五つの巨大なスクリーンのあるデスクの前に猫背気味に座っている。順番に画面を切り替えながら、昨夜から明け方の監視カメラの映像をチェックしているようだ。ちょっとアベンジャーズの基地みたいでカッコいい。僕らが来た事に気づくと、手招きをして隣に立つように指示した。画面を覗き込むと、一スクリーンに九つずつ画像が表示されている。それぞれの画像の右上に時間が書かれている。どうやらこれはレッド・クリーク・ランチのあちこちに仕掛けられた監視カメラの映像で、草原、岩、低木を上から見下ろしている写真達。

「何か不審な人や動物が映っていないかチェックするのを手伝うよ。翔君はそのスクリーン、僕はこっちを見るからね。何か見つけたら、ストップ!って言って。」

二郎と僕はそれぞれ折りたたみ椅子を広げてスクリーンの前に陣取った。一度に九枚の写真を調べていく作業は、案外手間がかかる。しかも夜の赤外線映像は、黄色と緑と紫でとっても見にくい。

「暗いうちは、赤外線カメラ機能を使っているから、もし生物がいたら、そこは赤く見えるはずだからね。」

二郎は眉毛をしかめる僕を見ると言った。そして自分の画面を指差し、

「ほら、例えば、これは牛が三頭寝ている。赤いでしょ、温度の高いところが赤く映るからね。」

僕は何も見逃さないように注意しながら、ひたすら岩、草、溝、低木、が繰り返し映るのを眺めていた。右端の時間表示が5:45AMに変わった時、画面は普通の写真のようになった。お日様が出てきたらしい。相変わらず、岩、草、溝、低木、そして時折、牛。また、水。これは湖だろうか。水際に、牛ではない何かがいる。何だろう人影みたいにも見える。

「ストップ!」

僕はそう叫ぶと勢いよく立ち上がって、スクリーンにある一枚の写真を指差した。ピーターと二郎は僕のスクリーンを覗き込み、その一枚の写真をズームインして映し出した。

「オゥ、イッツ、ア、ガール?!」

二郎が驚いて声高に言うと、ピーターは頷いて自分のスクリーンに戻り、女の子らしいものが映っているポイントの地図を拡大表示して二郎に何か説明している。二郎は頷くと、言った。

「ここからそんなに遠くない所に小さな池があって、そのほとりに、古い馬小屋の廃墟がある。もしかしたら、そこに誰かいるのかもしれないって。とりあえず、バルコニーに出てドローンを西の方向に飛ばそうって。」

僕は背中がぞくぞくするような妙な緊張感を感じた。ピーターは急いで棚からカメラを搭載した小さなヘリコプター型のドローンと、その操作用機材、スマートフォン、そしてノート型パソコンを持ってバルコニーに出た。テキパキとそれを飛ばす準備をしながら、ピーターは無線機でランス叔父さんに連絡を取っている。僕たちもバルコニーに出た。かんかん照りの太陽に照らされたタイルばりの床から熱気が跳ね返って、なんだか鉄板の上を歩いている気分だ。右手にはさっき僕らがいた馬小屋とデイジーの遊び場の牧草地、左手にはどこまでも続く黄金色の草原が見渡せる。

「ピーターが池の方角にドローンを飛ばすから、僕らはパソコンの画面に何か他に怪しいものがいないか見ていてって。ランス叔父さん達は、馬でしか行くことの出来ない崖付近に子牛たちが落ちてしまっていないか探しているらしい。夕飯まで帰ってこられないから、ドローンでこの人影を見つけたらジープですぐに探しに行けってピーターに言ってる。ジープだと十分もかからない位に近いはずだってさ。」

二郎は横で二人の会話を聞きながら僕に説明してくれた。ドローンの映像は、風に波打つ乾いた草原をひとしきり映した後、池に到着した。僕も一緒に空を飛んでいるみたいな気分になる。池の周りをぐるりと一周すると、高度を下げて馬小屋の廃墟に近づく。腐りかけた古い木製の屋根の半分は壊れて無くなっている。竜巻に吹き飛ばされたのかもしれない。屋根の下にゆっくりと侵入すると、ふっと影で暗くなった。柱にぶつからないように注意しながら高度を下げると、そこに長いお下げ髪の、姫より少し小さい位な女の子が横たわっているのが見える。

ピーターは眉毛を上げて僕らの方を見ると、

「レッツ・ゴー・レスキュー・ザ・プリンセス!」

と言ってドローンを引き返させた。僕達は階段を駆け下り、キッチンを抜けて外に出た。その時、ピーターは姫にも一緒に来いと言ったらしくて、姫は慌ててエプロンを外すと、水と氷とシリアルバー、リンゴ、オレンジジュースを入れた小さなバスケットを手早く用意して、僕たちと一緒にジープに乗り込んだ。


ジープは、ロッジの裏にある砂利道を進むと、低いゲートの前で一旦停止して、細い鉄パイプを何本か並べて作られた溝の上をゆっくりと渡った。なんとなく道のようになっている砂利と赤土の部分をピーターはスピードを上げて車を走らせている。ただの草原と思っていたけれど、遠くから見ると気づかなかった起伏が結構あって、後部座席の僕らは車が大きく揺れるたびに、お互いに頭や肩をぶつけあい、なんだかおかしくて顔を見合わせてはケラケラと笑った。窓の外を見ると、大きな鷹が真っ青な空をぐるぐると旋回している。何度見上げても、この空の大きさに慣れない。こんなに障害物が何もないだだっ広い空を見ていると、飛行機が操縦できたら楽しいだろうな、と思う。どこまでも遠くに行かれそうで。あまりにも激しく揺れるので、姫は嬉しそうに二郎の腕に掴まっていて、二郎は頬を赤らめて窓の外を眺めている。池が見えてきた。写真では小さく見えたけれど、実際には直径二十五メートル位はありそうな円形の水たまり。周りには立ち枯れたような茶色い低木が生えていて、ちょっとしたオアシスになっている。ピーターはジープを廃墟の馬小屋の前に停めると、運転席からヒョイと飛び降りた。僕らも後部座席から飛び降り、ドキドキしながら馬小屋へと向かった。足元にあった乾いた低木から、突然小さな狸のようなものが飛び出してきて、僕は思わず二郎に飛びついた。

「大丈夫、ただのグランド・ホグだよ。」

二郎はそう言って笑った。正午を少し過ぎた頃だったので、太陽が赤土に反射して、上からも下からもジリジリと高い熱を感じる。時折吹き付ける風は、ドライヤーの熱風のようだ。馬小屋の屋根が壊れていない部分が、かろうじて影を落としていて、僕らが見つけた少女はその下で壊れた樽の木材の上に横たわっていた。背丈が少し姫よりも小さい位の、華奢な色黒の女の子だ。長い黒髪は二つに腰まであるお下げ髪にされていて、鮮やかな青と黄色のジグザグ模様が入った、白い織物のドレスを着て、ターコイズ色のビーズに、赤のビーズで鳥模様が描かれた美しいベルトをしている。足には、布をぐるぐる巻きにしたように見えるブーツを履いている。相当歩いたのかもしれない、ブーツの麻布のような生地が、赤土で真っ赤に染まっている。姫は水と氷とタオルを持って、少女に近づいた。

「アーユー、オーケー?」

姫は少女の腕をポンポンと叩いた。すると、少女はうっすらと目を開けて、少し微笑んだように見えた。生きているとわかると、ピーターはすぐに少女を抱きかかえて後部座席に寝かせた。姫が少女を支えるように、後部座席の前に屈み込んだ。ピーターはすぐにエンジンをかけ、二郎は助手席でジャッキーさんとランスさんに無線で連絡を取っている。僕は姫に言われた通りに、同じく後部座席の前に屈み込んで、揺れた時に少女が座席から落ちないようにした。僕は何度もドアやら座席に肩と頭をぶつけたけれど、時折少女が苦しそうに眉をしかめたり、小さな声で呻く度に、神様、どうかこの子が大丈夫でありますように、と心の中で祈った。熱中症の可能性があるからね、と言って、姫はタオルで巻いた氷を少女の頭に当てて、水をボトルから少し口に注ぎ込んだ。すると少女は小さく咳き込んで、再びうっすらと目を開けた。姫はしばらく英語で何か話しかけていたけれど、ピーターさんに何か言った後、僕らに向かってこう言った。

「この子、英語が通じない。もしかして、どこかのインディアン・リザベーションから来たのかしら。ねえ、ケイ、どう思う?」

無線機での連絡が終わった二郎は、振り向いて少女を見つめると、

「そうだね、どう見てもネイティブ・アメリカンの装束を着ているし。僕も流石にナバホ族とか、チェロキー族とか、スー族とかそういう名称は知っているけど、言葉に関しては何も知らないなあ。あとで調べてみよう。せめて、何族の子かわからないかなあ。」

二郎は、二言三言ピーターと言葉を交わすと、また振り向いて言った。

「ピーターは、このあたりで一番大きいのはナバホ族で、そのリザベーションはニューメキシコ州からユタ州にかけて広がっているって。もしかしたら、違法移民にさらわれた所を逃げ出したとか、移動中にキャラバンから落ちて置いていかれたとか、何かこんな所で一人になってしまった理由があるはずだ。まあまずは良く休ませて、意識がちゃんとしてきたらコミュニケーションを取ってみよう。」

ピーターがジープをロッジの裏口に停めると、すぐにジャッキーさんが飛び出してきた。二人は少女を客間のベッドに寝かせた。ジャッキーさんは僕らを指差し、追い払うような仕草をした。

「男子は出て行ってちょうだいってさ。」

二郎は頷くと、僕の腕を掴んで部屋を出た。

「え、僕だって心配なんだけど。」

と言うと、

「バカだな、お前。体洗ってあげたり、着替えさせたりしなきゃいけないのに、男子が部屋にいたら何も出来ないだろ。」

と僕の頭を小突いた。

「昼ごはんのハンバーガーが出来ているから、ピーターと三人で先に食べていて、だって。ランス叔父さんたちは夜まで帰れそうにないらしい。」

キッチンに並べられたハンバーガー達は、僕の顔の大きさほどもあった。僕と二郎はとても丸ごと一つ食べきれないから、半分こすることにした。熱風の中を散々ジープで走ったせいもあってか、僕のお腹はペコペコ、喉もカラカラだったので、肉の中にチーズが練り込まれて栄養満点の巨大なハンバーガーと山盛りポテトフライ、そして手作りのレモネードが今まで食べた食事の中で世界一美味しく感じた。しばらくすると、姫が部屋から出てキッチンにやってきた。

「私もお腹ペコペコ!」

「ねえ、どう、あの娘?」

僕がポテトフライを頬張りながら姫に聞くと、

「うん、とりあえず服が泥だらけだったから、着替えさせて、寝かせてる。少し水分もとったから、ひとまず大丈夫そうだよ。あとで起きたら、お風呂とかできると思うって。でも、今日は土曜日、明日は日曜日で役所は開いていないから、明日教会で知り合いのナバホ族の人にどうするべきか聞いてみようってことになったの。警察への届け出とかは、叔父さんが帰ってきたらやるってさ。」

そう言って、嬉しそうに二郎の隣に座った。

「そっか、大丈夫そうなら、良かった。」

僕はホッとしたら、急に疲れて眠くなった。横を見ると、二郎も眠そうに目を擦っている。

「何よ、二人とも、時差ボケね。食べ終わったなら、キャビンに戻って昼寝してきたら?夕飯までは寝ていていいって、ピーターが言ってるし。」

僕らはその言葉に甘えて、キャビンに退散する事にした。

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