第2話 二郎、仲間になる。

三階の教室から階段を一気に駆け下り、そのまま全力疾走でジョーは校庭を走り抜け、あっという間に鉄棒についた。僕は、というと下駄箱でハアハア膝に手をついて休憩中。走るのは嫌じゃないけど、普段しないからだ。だいたい、いきなり一緒に来いと言われても、なぜ僕まで行かなきゃいけないのか分からない。しかもジョーは足が長いから、走るのだってものすごく速いじゃないか。とはいえ、僕の鞄は鉄棒の脇で、ジョーの足元に投げ捨てられている。僕は靴に履き替えると、歩いて校庭を渡った。鉄棒の前には、隣のクラスの二郎が普通の顔をしてジョーと話をしている。僕と二郎は、三、四年生の時に同じクラスで、割と仲良くしていた。二郎の本名は林慶太。こいつもアニメとかが大好きで、映画の話で僕達はすぐに意気投合した。ジブリの『風立ちぬ』がリリースされた時、慶太はアニメの主人公、堀越二郎に憧れて、自分も飛行機設計士を目指すと言い出した。それで、二郎そっくりの白い着物と紺の袴姿で、学生帽まで被って学校に登校してきたものだから、その日からあだ名が二郎になった。慶太の家は、お父さんは考古学博士、おじいさんは元外交官の数学博士、おばさんは生物学研究者、っていうわけで、やたらとスペックの高い学者さん一家。だからかもしれないが、慶太はワンテンポ普通の人とはズレていて、いつでも自分の研究したい事ばかり考えている奴。思えば、堀越二郎の前はエジソンに憧れて電気の研究をするって言っていたし、その前はチキ・チキ・バン・バンを一緒に見て、カラクタカス・ポッツみたいに発明家になるって騒いでいた。ちょっと、偉人伝とかに影響されやすいのが玉にキズなんだけど、空手は今や黒帯、ピアノも都のコンクールで3位、勉強は学年トップ。でも、そういう難しい事を、がむしゃらに頑張るのではなくて、サラリと真面目にやってのける、けれど全然イヤミな感じがしない。クラスで一番身長が低くて、細くて、頭の後ろはいつも寝癖のまま現れて、丸くて赤いお洒落なメガネをかけている、そのルックスのせいかもしれない。全身着物の二郎ルックで登校した時だって、誰に何てからかわれようと、本人は至ってご満悦だった。言葉遣いまで昭和初期バージョンに切り替えていて、皆を困惑させた。体育の時間に先生に袴は動きにくそうだから脱ぎなさいと言われた時すら、いえ、僕はこのままでやらせていただきます、と言って深くお辞儀をすると、袴のまんま鉄棒、それに徒競走をしていた。それでも鉄棒の逆上がりを連続で三回したり、プロペラまわりをクラスのお手本として見せたり、徒競走だって袴を履いてるのにぶっちぎりの一位だった。一日のほとんどは、それが何であれ〈研究〉の妄想に没頭しているから、女子からは完全に謎の生物と位置付けられている。基本的に無口な上に、人の話は一切聞いていない。そんな二郎が、普段見せない笑顔でジョーとその妹と楽しそうに話をしている。しかも、英語でだ。僕は鉄棒まで三メートル位に近づいた時、思わず立ち止まった。なんで会話が英語なんだよ?!その時、僕に気づいたジョーが振り返って言った。

「トント!遅いぞ。」

「あれ、翔君、久しぶり。」

二郎は抑揚の無い声で言うと、左手の小指、人差し指、親指を立ててアイラブユーのサインをした。これは、一年前、僕らが五年生になるにあたり、クラスが別れちゃったから、まあ話をする機会も減るだろうし、遠くからでもお互いに友達だということを忘れないようにというサインだからね、と言って二郎が取り決めた挨拶だ。僕がその時、男同士でアイラブユーは変なんじゃない?と聞くと、二郎は、いいんだよ、ハワイでは皆これが日常の挨拶だ、男女は関係ないんだという返事をした。それで、お互いを見かけると、遠くても、近くでもフラダンサーみたいにサインを作って手を振りあうようになった。

「ハーイ、こんにちは。」

二郎のすぐ横に立っているのは、クルクルふわふわの金髪に近い茶色い髪をポニーテールにした女の子。二郎と同じくらいの身長で、肌が真っ白、大きい目、ピンク色の頬に赤い唇。僕は思わず、

「白雪姫。」

と声に出して言ってしまった。

「白雪姫は、黒髪だったと思うよ、翔君。」

二郎はクックック、と口を押さえて笑った。

「トント、紹介しよう。俺の妹、ヘンリエッタだ。」

ジョーは彼女の肩を抱いて横に並んだ。

「四年二組です。」

ヘンリエッタはニカッと歯を見せて笑いながら、ピースサインをした。

「それで、二郎、友達なの?この子と。」

「ヘンリエッタ、だ。トント、言えないのか?」

僕は口をへの字にして、人をからかうジョーを睨んだ。

「確かに、ちょっと難しいかもね。ねえ、ヘンリエッタ、これから〈姫〉って呼んでもいいかな?プリンセス、っていう意味の日本語なんだ。」

二郎が優しく微笑みながらいうと、彼女は

「もちろんオーケーよ!」

と言って、満面の笑みを見せた。

「え、それで、二人は友達なの?」

僕は二郎と姫を交互に見つめながら、もう一度聞いてみた。

「イエス、ケイは私のボーイフレンド!」

姫は二郎の腕を掴んでグッと引き寄せた。

「い、いや、一昨日、叔父さんの乗馬クラブでたまたま出会って、学校も一緒だって事がわかったから友達になったんだ。今日は学校に初めて登校するっていうから、放課後に校内を案内してあげていたのさ。彼女の担任の先生からも、僕は英語が話せるからよろしく、って頼まれてさ。でもお兄さんがいるなら心配ないね。」

二郎はずり落ちたメガネを押し戻しながら、顔を赤くした。こんなに社交的に女子に接している二郎を、僕は初めて見た。しかも英語がペラペラで、乗馬クラブって、なんだよ、そんな事までこいつ出来るのか。そう言えば、夏はよく家族でいなくなっている。海外にでも行っているんだろうと思っていたけど、乗馬とかしに行くのか。僕の頭は、明らかにちょっと混乱していた。四年生の終わりの時に知っていた二郎となんだか雰囲気が違っていたからだ。

「ケイのことは、妹から聞いていた。一昨日、素敵なジェントルマンに出会ったって言って、ウキウキと乗馬クラブから帰ってきた時に。でも俺は今初めて会ったんだ。そうだ、トント、いいニュースだ。ケイも冒険クラブに入ってくれるってさ。いいか、でも部長はお前だぞ。どんな本を読みました、どこに行きました、来週何をします、とかそういう活動報告は、全部お前の仕事だ。わかったな。」

ジョーは人差し指で僕の肩を小突いた。

「楽しそうじゃない、冒険クラブ。僕もちょうど、何も部活動していなかったから、先生に何か入りなさい、って言われた所だったんだ。嬉しいな、また翔君と映画の話ができる。」

「ミー、トゥー!!!私も、入れて!ジョー、いいでしょ?」

姫はジョーのポロシャツの端っこをぐいぐい引っ張っておねだりしている。ジョーは明らかに嫌そうな顔をしながら、僕を指差した。

「部長に聞いてくれ。」

「ね、いいでしょ、私四年生だよ!ケイがいるなら私も!」

どうやら、二郎にはとんでもないファンが出来てしまったらしい。一体乗馬クラブでどんな技を見せたんだ。それとも、この優しくて柔和な感じが自分の兄さんと違うから惹かれるのか?そう言えば、二郎は姉さんと妹がいるから、実は女子の扱いに慣れているのか。じゃあ今までクラスメイト達を無視し続けてきたのは何だったんだ。

「ねえ、翔君、大丈夫?」

僕が頭を抱えて黙っているのをみて、二郎が心配そうに顔を覗き込んだ。

「ああ、うん、何でもない。ちょっと考え事してた。」

僕は心の中を読まれないように、自分の鞄を拾うと、

「じゃあ、僕は塾があるから、また明日ね。」

と言って、走って逃げた。

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