お姫様と僕
槇鳥 空
第1話 事の始まり
プロローグ
乾いた熱い風が頬を打つ。目の前には何層にも波のような曲線を描いてどこまでも広がる赤い大地。地平線に沈みかけたオレンジ色の太陽が、あちらこちらにそそり立つ煉瓦色の岩壁に影を落とす。吸い込まれそうに、ひたすら続く空。あたりには建物も、木も、草も、水もない。僕は今、天に手が届きそうな高い岩山の上で、栗毛の馬に跨っている。時折強く吹き付ける砂混じりの風に、馬のたてがみが揺れる。そして、僕の胸には、腰まである長い黒髪の、まつげがすごく長い、キラキラした瞳のナバホ族のお姫様が持たれかかり、僕を見つめている。僕は左手で手綱を握り、右手で彼女の背中を抱いている。二週間前までは、東京で普通の小学生六年生をやっていた僕が、なぜ今アメリカの世界遺産のど真ん中で白黒の西部劇みたいな事になっちゃったのか、と言うのを話せば長くなる。だけど、これは遠い夢じゃなくて、誰にでも起こり得る冒険だっていう事を証明するために、初めからお話しよう。
1. 事の始まり。
まずは、きちんと自己紹介をしておこう。僕は岡村翔、東京都在住、小学六年生。身長は普通。クラスの真ん中くらい。体重も、普通。痩せてもないし、太ってもいない。もっと筋肉があったほうが女の子からモテるのか、と野球部とかサッカー部の連中を見て思うこともあるけど、スポーツはそんなに興味なし。運動神経は、自分では満足している。どうせリレーの選手とかに選ばれても大変なだけだし、期待されるのもどうかと思う。かといって、跳び箱六段が飛べないくらい運動音痴っていうことは無い。趣味は、読書と映画鑑賞。最近読んだ本で気に入ったのは、チャールズ・ディケンズの『ピクウィック・ペーパーズ』とか、マーク・トゥエインの『ハックルベリー・フィンの冒険』とか。あと、映画ではジャッキー・チェンの『80デイズ』が面白かった。まあ要するに、〈私立に行くお金も家には無いから中学受験はしない〉ので、高校受験をなんとなく目指しながら、毎日塾に通っている合間に、いろんな冒険の想像をするのが唯一の楽しみってわけ。僕の父さんは普通のサラリーマン、母さんは主婦だけど、僕が学校と塾に行っている間にパートタイムでお弁当屋さんで働いている。一人で家にいてもつまんないし、という理由らしい。僕の父方の祖父さんは、北海道に住んでいて、教会の牧師さん。母方の祖父さんは、熊本に住んでいて、神道の神官さん。両方のおじいちゃん達は、僕が唯一の後継者だから立派な大人になるようにと、色んな本をくれる。日本書紀、聖書、羅生門、C.S.ルイスのナルニア国物語、バニヤンの天路歴程などなど。それらも、僕の部屋の本棚に並んでいる。もちろん、並んでいるっていうだけで、全部読んだわけでは無い。そんなところかな、ひとまず僕の興味は知ってもらえたと思う。
そんな僕の冒険心に火がついたのは、学年が変わった時に新しい担任の先生にこんな事を言われたからだった。
「お前さ、中学受験もしないのに、クラブ活動もやらないのか?」
田代先生は、体育の先生だから、塾に行くからという理由でスポーツもやらない僕を何気なく良くは思っていなかった。
「毎日塾で忙しいのはわかるけど、それは皆同じだろ。サッカー部をやりながら、塾に行っている奴だっているんだ。」
先生は、クラス委員長君がお気に入り。そりゃあ勉強もスポーツもできるやつなんてそうそういませんよ。比べられても迷惑です、と言いたかったけれど、余計な事は言わない方が賢い者と思われる、と何かで読んだから、はあ、とうなずくだけにした。
「そうだ、お前、六年生なんだから、自分で何かクラブを発足したらどうだ?とは言っても、まあ皆は四年生から色々やってるからな。仲間を見つけられるかどうかだ。そこでな、相談がある。」
「え、相談、ですか?」
僕はなんとなく嫌味を言われておしまいかと思っていたので、ちょっと驚いた。先生は古びた木製の机の引き出しをガタガタと左右に揺らしながら開けると、名簿を取り出した。そして、一番下に手書きで付け加えられた名前を指差した。
「えーっと、奥村ジョーって書いてありますね。」
僕は意味がわからなかったので、名簿を見つめたままじっとしていた。
「明日くる、転校生だ。そいつと一緒に、新しいクラブ活動を発足してほしい。なんだか、ずっとアメリカにいたらしいんだが、お父さんが東京にある大きい会社の本社で重役さんになったとかで、戻っていらしたそうだ。おととい挨拶にご家族でいらしたんだが、明るい面白そうな子だ。座席も、隣同士にしてやるから、仲良くなれよ。じゃあ、ヨロシクな。俺は野球部の方にかかりつけだから、とりあえず二人で相談して、何をするか決めたら、この用紙に記入して俺の机に置いといてくれ。」
そういうと田代先生は僕に一枚の紙を手渡し、さっさと教室を出て行った。用紙には、クラブ名、内容、活動日時と見出しがあるだけ。時計を見ると、もうすぐ三時半。今夜の塾は夜七時半から八時半まで。さっさと家に帰って映画でも見よう。僕は足早で家路についた。
その晩、僕は妙な夢を見た。巨大な翼を持った、真っ白なペガサスに乗って、雲一つない空を飛んでいる夢。ペガサスは、すごい速さで飛んでいるのだけど、乗っている僕は風も感じない。ただ、ふわふわと心地よいマシュマロの上に寝転んでいるような感触。上を見上げると、ペガサスの翼と青い空以外は見えず、下を覗くと、真っ平らな荒野が広がっていて、前方は見えなかった。そして、僕はペガサスの背中に一人ぼっちではなかった。でも、一緒に乗っていた三人の顔は見えなかった。
翌朝、奥村ジョーがクラスに現れた。ジョーが入って来た途端、女子達が歓喜の悲鳴をあげた。本当に、つまらない少女漫画みたいな反応を女子はするものなのだ。僕は机に肘をついたまま、目だけでクラス内の反応を見回した。
「やばいね。マジかっこいい。」
「背高い〜。」
「モデルやってんのかな?」
「日本語喋るのかな?英語もっとやっておけば良かったー。」
ヒソヒソ、ザワザワ女子達が浮き足立つ中で、ジョーは先生にぺこりと一礼をして、黒板の前に立つと、普通の日本語で言った。
「奥村ジョーです。東京生まれですが、四年間親の仕事でテキサスに住んでいました。よろしくお願いします。」
なんか、お行儀の良い奴だな、というのがジョーの第一印象だった。もっとも、それは僕の大間違いだったのだけれど。
その日の放課後、僕は昨日見始めたローン・レンジャーのテレビシリーズのDVDを塾の前にあと三話くらいは見終わるつもりで、さっさと帰ろうとノートを鞄に詰めていた。その時、教室の端で僕の隣の席に座らされて一日中退屈そうにしていたジョーが僕の方を振り向いて言った。
「おい、それで、どうすんだ。クラブ活動。田代先生から言われてんだよ、岡本翔と決めろって。お前が岡本だろ。」
僕は一瞬忘れていたその課題に、はっと目を見開いてジョーを見つめた。ジョーの瞳は、緑色がかったグレー。高い鼻。明るい茶色の髪は、耳にかからないくらいに短く切られている。すっと長い首。濃紺のジーンズを履いた梯子みたいに真っ直ぐで長い脚。半袖の白いポロシャツから出た筋肉質の腕は、こんがりと日焼けしている。
「君の瞳、カラコン、じゃないよね?」
我ながらアホらしい質問をしてしまった事を後悔しながら、僕は慌ててクラブ活動用の用紙を机から取り出した。
「いや、髪も地毛。染めてない。小学生だぞ。そんなに驚く事かよ。面倒くさいな、日本人てやつは。アメリカじゃそんな事聞かれた事ないよ。」
ジョーはチッと舌打ちをして首を傾げると、両手を広げてうーんと背筋を伸ばした。
「それで、お前、趣味はなんだ。」
ジョーは机の上に両足を乗せ、腕を組み、椅子をギコギコさせながら僕を睨んだ。
「え、僕?特にないよ。まあ、読書と、映画鑑賞かな。」
「そうか、お前、オタクか。外で遊んだりしないのか?アメリカの学校で習ったぞ。日本で社会問題になっている、ヒキコモリ、っていうやつか?昼休みだって、その席で本読んでたよな。暗いのか?友達いないのか?」
君は随分偉そうに、失礼な事ばかり言うね、と言いかけたけど、やめた。ケンカになったらとても勝てそうにない。引っ越し早々、知らない生徒とクラブ活動を発足しろなんて無理を言われてイラついているのかもしれない。怒れる拳笑顔に当たらず、ここは笑顔で対応だ。
「いやいや、今日は一九五〇年代の、白黒のローン・レンジャーを見ているところでさ。あれ、そういえばジョー君はテキサスにいたんだっけ?確か、ローン・レンジャーもテキサスだったような。」
僕は人差し指と中指で削ったばかりの鉛筆をブラブラ揺らしながら、天井を見上げた。
「ハイヨー、シルバー!」
ジョーはそう叫ぶといきなり椅子の上に飛び乗り、片足を机の上に立てると、両手で腰から拳銃を引き抜くように構えて、バーン、と言うと僕の指の間にあった鉛筆を蹴り飛ばした。
「俺がローンレンジャー、お前はトントだ。キモサビ、って呼べよ。」
そう言って、銃に見立てた指先をフッと吹き消した。そうして、ハッハッハ、と声高に笑うと椅子から飛び降りてきて、僕の背中をバシバシと叩いた。
「冒険クラブだ。」
「え?」
僕は一瞬何がおきているのか分からず、眉をしかめてジョーを見上げた。
「お前、優柔不断だろ。だから決めてやった。冒険クラブにするぞ。俺もローンレンジャー、大好きだ。話が合うじゃないか。楽しくなりそうだな。よし、書け。」
「え?書けって、何を?」
僕がオタオタしていると、ジョーはさっき蹴り飛ばした僕の鉛筆を床から拾い上げ、手渡した。そして、トントン、と机にある紙切れを指差し、言った。
「これに決まってるだろ。クラブ名。冒険クラブ。ほら、早く書け。お前、すごい字が綺麗じゃないか。俺はダメだ。漢字とか全然ダメなんだ。だから、お前が書け。」
冒険クラブ、と呟いて書きながら、僕はそれはとっても楽しそうだなあと思った。
「活動内容。一、あらゆる冒険に関わる書物の読書、および映画鑑賞。二、その実践。以上。」
あまりにも短かったので、僕は思わず口をポカンと開けてジョーを睨んでしまった。
「何を間抜けな顔をしてるんだ、トント。こんなもの、いいんだよ短くて。形式だけさ。これで田代先生も満足、お前の成績表もオッケーだ。感謝しろ。」
「トントって呼ばないでよ。翔だ。」
「なんだよ、ジョーとショーじゃ似すぎだろう。お前、インディアンのトントみたいな顔してるじゃないか。ジョニー・デップのトントじゃないぞ、白黒のトントだ。」
言い争うだけ不毛だな、と思ったので呼び名については好きにさせる事にした。
「もう一つ、活動日時、どうする?」
「うーんそうだな、お前毎日塾って言ってたけど、一番暇な日は、何曜日だ?週に二日くらいは会わなきゃ様にならないよな。」
ジョーは腕組みをして、顎を触りながら、窓辺を行ったり来たりして考えている風にしている。
「そうだねえ、火曜日は図書室集合、金曜日は課外活動、って書いとくのでどう?」
僕がそう言うと、窓の外を眺めながら、親指を立ててオッケーサインをくれた。
「何見てるの?」
ジョーが窓の外の何かに釘付けになっているので、僕は活動報告用紙を先生の机の上に置くと、ジョーの隣に立って窓の外を覗いた。
「妹。見ろ、見えるか、鉄棒のそばに立ってる金髪の、あれ妹なんだ。四年生。誰だよ、隣にいる男は。」
ジョーの声は本気で苛立っている。そうか、兄貴というのは、妹に変な虫が付くのを嫌がるものなのか。一人っ子の僕にその気持ちは全く分からない。
「あー、あれは。隣のクラスの、二郎。あ、それはあだ名なんだけど。」
と、僕が説明している間に、ジョーは僕達の鞄を掴んで廊下に走り出た。
「トント、行くぞ!一緒に来い!」
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