なぜ猫は箱に入ったか
はじまり
1
十年前の日付で受理した彼の行方不明者届を、何度も見てしまう。
(見間違えてはいねぇけど……やるせねぇな)
牧野成介は、日課としている早朝のジョギングの時、駅前で見かけたのだ。十年前に行方不明となった人物を。駅舎の防犯カメラの映像も見に行って、きちんと照らし合わせた。間違いなく、十年前に行方をくらませた学生が、十年分歳を取った姿だった。
彼の家に伝えに行ったが、家族の対応はあまりにも冷たかった。三年前に失踪宣告をしたのだから、もういいのだ、きっとあなたの見間違いだろう、と。そうはっきりと言われてしまった。
全国の行方不明者の数は、届け出がされているだけで、年間八万人を超える。その内のほとんどは見つかっているが、見つからない者も数千人単位で存在する。届が出されていない場合を含めれば、相当数になるだろう。
(あの怪我でどうやって、何処に行ってたんだろうな)
失踪した時、彼は交通事故に遭った直後で、松葉杖をついていた。そんな状態で、誰にも見られず遠くまで行くのは不可能だから、すぐに見つかるだろう――などと高を括っていたのだが、当時は結局見つけられなかったのだ。
『事故の影響で両腕の感覚を失い、得意としていたピアノを弾けなくなった。そのショックで自殺に踏み切ったのだろう』
その結論を真っ先に出したのは、彼の両親だった。
牧野は深く嘆息する。
(親ってのは怖いな……そのつもりがあろうとなかろうと、簡単に子どもを死に追いやれちまう。一番密接に生活を共有してるからだろうな。――うちの娘は良かった)
昨晩も「近寄んなハゲ!」と罵られたことを思い出す。その瞬間は確かに怒った。けれど、今は違う。
(罵れるくらいが丁度いいよな。――万一俺に殺されそうになったら、すぐに離れられる……殺す気なんて微塵もねぇけど)
一体何が娘を追い詰めるのか、分からないのだ。親の心子知らずと言うが、逆もまた然り。子の心は親には分からない。
(さて、と。問題はこっちの男だよな)
牧野は頭を切り替え、もう一度防犯カメラの映像に目をやった。
そこには二人の男が映っている。片方は、この町で十年前に失踪した男性。もう一人は、それよりさらに若い青年。かろうじて二十歳に届くか否か、というぐらいの青年だ。
(これは誰だ……?)
彼の身元を知るために、ここ数十年の行方不明者リストを漁ったり、近隣の中学高校を回ったりと、出来うる限りの手を尽くした。しかし、一向に判明しない。
(この町の人間じゃない、か?)
だとしたら、どうしてこの町からの失踪者と一緒にいるのだろうか。
彼の失踪に関係しているとしたら――あるいは、青年もまた失踪者だとしたら――はたまた、失踪先で偶然出会ったのだとしたら――いろいろな可能性が脳裏をよぎる。
放っておいてはいけないような気がした。
全国単位の行方不明者リストを漁る。もし、届け出がされていて、ビラが作られているとしたら、一年から十五年前ぐらいだろう。
次々にチェックして回る。藁山の中から針を探すような作業に、少しだけ嫌気が差したが、そうも言っていられない。既に、彼らが乗ったと思われる路線の各駅の警察には、情報を流してある。こちらが出来ることといえば、可能性をひとつずつ潰していくことだけだ。
といえども、それだけにかまけていられるほど、警察は暇じゃない。仕方がなく、通常の事務仕事やら何やらの合間に、ちまちまと確認作業を進めていく。
確認を始めた、翌日の昼のことだ。
「いた……!」
牧野は発見した。間違いなく、防犯カメラに映っている青年だ。五年前に行方不明者届が提出されており、ビラも作成されている。当時の年齢は十五才。学生証のものだろうか、新品の学ランを着て、やや緊張した面持ちで直立する写真と、自然な表情で写っている顔のアップが並んでいる。
失踪場所は二つ隣の県だった。
牧野は即座に電話を取った。
2
五年前の九月、何の前触れもなく失踪した少年が、二つ隣の県で目撃された、という連絡が来た。
高橋|肇(はじめ)はすぐに映像を確認し、届と照合した。
(あぁ、間違いない!)
少年は、取り立てて目立った特徴の無い、普通の男の子だった。家庭内でのトラブルも無く、友人関係も良好、先生や近隣住民からの覚えも良くて、失踪する原因がまるで見当たらない、と、当時は誰もが困惑したのである。本当にごく普通の、穏やかで平凡な少年だったのだ。
遺書はもちろん、書き置きも無かった。学校に提出していた日記を見ても、何かに思い悩んでいるような様子は見られなかった。
そうなると、犯罪に巻き込まれたのかもしれない、という見方が優勢になった。しかし、どこの防犯カメラを見ても、誰に話を聞いても、それらしき不審人物は確認できなかった。
それどころか、その日の彼の下校する姿すら、どこにも無かったのである。
一時は、神隠しだなんだと騒がれるまでに至った。
(生きていたとは……!)
鉄道警察からは、彼らが降りた駅が判明したと連絡が来ている。その駅を中心に捜し回れば、いずれ見つけられるだろう。
高橋は、少年の家族にそのことを伝えるべく、署を飛び出した。
3
少年の母親は、以前より随分と体調を持ち直した様子で家から出てきた。その彼女に、微かな希望を見せて、もしまたそれを失わせることになったらどうしよう、と懸念が少しだけ鎌首をもたげる。
しかし、意を決してことの次第を告げる。
「え……? うちの子が?」
彼女はしばし呆然として、続ける言葉を見失っていた。視線が宙を彷徨って、壁から天井、反対の壁、そして床へと辿り着き、高橋を改めて捉え直す。
「本当に? 見つかったんですか?」
「えぇ。ここからは少し離れていますが、確認されました。急ぎ、捜索の手配を進めております」
「っ……」
感極まったように両手で口を押さえ、目に涙を滲ませた母親が、深々と頭を下げる。
「ありがとうございます……! どうか、どうかお願いします! うちの子を、家に帰らせてあげてください……!」
高橋はまだ若く、所帯も持っていない。だから、親が子を思う気持ちというものは、想像は出来るものの実感を伴わないのである。それでも、この引き裂かれた親子のために、何か自分に出来ることがあるのならば、と思うのだ。
「はい、出来るだけのことを致します。もし彼から連絡があったら――」
その時、インターフォンが鳴った。
「あら……お客さん? どうぞ」
高橋は脇に寄って、扉を開いてやった。
背の低い、少し太った男が、にこにこと緩い笑みを浮かべて立っている。不審者のようにも見えるが、高橋はその容姿だけを見て、恵比寿様みたいだ、などと思う。
「こんにちはー」
間延びした口調で男は挨拶をする。
「えっとねー、あのー、なんだっけ?」
「先生! お仕事ですわ! 記憶の破壊です!」
玄関の外にいた若い女性が、尖った声を出す。怒られているのにもかかわらず、男はへらへらとした態度で頭を掻く。
「あー、そうだったねぇ。仕事だ、仕事ー」
「あの、どちら様でしょう……?」
と恐る恐る尋ねたのは、少年の母親である。けれどその常識的な問いに、彼は答えなかった。
「
パチン、と指を鳴らす音。
4
警察官が首を傾げながら、住宅を出てくる。不可解で仕方がない、という顔をしているのを見て、カタレフシの弟子は仕事の終了を確信した。
「先生、これでおしまいですわ」
「……んー? 何がー?」
「だから、仕事が! お仕事が終わったのです!」
カタレフシの魔導師は、ゆらゆらと前後左右に揺れながら、しばらく考えこんで、
「――……あぁ。そうだったねぇ。仕事に来たんだったー」
「思い出してくださいました?」
「うーん。思い出したよー。で、次はどこに行くんだっけー?」
「もう終わりました! 帰るんです!」
「あー、終わったんだー。そっかー、じゃあ、帰ろうかー」
ゆったりとした独特のテンポで歩き出す。
それを追い越して先に帰ってしまいたいのを抑えながら、カタレフシの弟子は先生の後に続く。内心では――朝からずっとそうだったのだが――苛立ちが沸騰し続けていた。
(まったくもう、協会からの依頼とはいえ、パンドジナモスの弟子の不手際を、どうして私たちが始末してやらなくちゃならないのかしら。エレオスの弟子の方はまだ許せるわ、でもパンドジナモスの弟子は本当に嫌! 辛気臭くて凡庸で、すぐめそめそするんですもの!)
高いヒールがコンクリートを削るような音を立てる。
(家族だって、本当に普通でありふれた、どこにでもありそうな平凡な家じゃない。親がいて兄弟がいて、普通に話して普通に過ごせる――あぁ、なんて――)
カタレフシの弟子は強く頭を振って、言葉を吹き飛ばした。
(――まったく、あんないい家庭に育って、どうして魔導師なんかになるのよ! 一体何が不満だったって言うのかしら! あぁ、そういうところも、本っ当にムカつくわ!)
そんな調子であったから、彼女の先生がぽつりと
「パンドジナモスらしい家だったねー」
と言ったのには目を剥いた。
「はぁっ? あれのどこがパンドジナモスらしいと仰いますのっ? “万能”からは程遠い家だったじゃありませんか!」
「いいやー。あれほどパンドジナモスに相応しい家は、なかなか無いよー」
眉をこれでもかと言うほど顰める。
そんな彼女を歯牙にもかけず、先生は続ける。
「魔法は欲望から生じるものだから、ねー」
おしまい
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