GOD BLESS YOU おしまい


「よぉ、ラトリア。相変わらず辛気臭いなお前は」


 少年の耳は、仮面の下で鳴った小さな舌打ちを捉えた。


「……パンドジナモス。あなたが私を見ていたことには気づいていました。ですから私は私の神に祈りあなたの目を潰し足を壊すよう希ったはずなのですが」

「あぁ、潰れたのは私の弟子の目だ」


 パンドジナモスの魔導師は平然とそう言った。それはまったく何も感じていない、どこまでも平淡な声音だった。むしろ、二掛ける三の答えを言わされた小学生のような、微かな苛立ちを含んですらいた。少年は再び、ぞくりと背筋が粟立つのを感じた。

 彼の言葉に目を剥いたのは少年だけでなく。


「まさかあなたは今もまだ襲撃され続けているご自分の弟子をそのまま放置してこちらに来たのですか」

「そうだが」

「……相変わらずあなたは何と薄情な。それでも本当に人間なのですか」

「襲撃している張本人がそんなことを言うとは」


 と、彼は鼻でせせら笑った。それからニヤリと唇の端を吊り上げる。


「いいか、物事には優先順位というものがある。今回の最優先事項はお前の確保だ。それ以外はどうでもいい」


 ラトリアの魔導師の腕に力がこもる。


「何て非道な」

「何とでも言え」


 短く答え、パンドジナモスの魔導師は無造作に歩み寄ってくる。


「近付かないでください。この少年がどうなっても――いえ、あなたが相手では人質も意味を成さないのでしょうね」


 ところが、男の言葉と裏腹に、パンドジナモスの魔導師はぴたりと歩みを止めたのだった。肩を竦め、溜め息をつく。

 ラトリアの魔導師は動揺したように声を震わせた。


「珍しいこともあるのですね。あなたが他人の命を気遣うだなんて」

「お前は本当に、私を何だと思っているんだ」


 鋭い眼光。


「私は、必要のないことは一切しない。必要のあることは全てする。……そいつに何かあってみろ、イホスの爺が黙ってないぞ。そうなったら、この先に差し障る」

「つまり見捨てても問題ないのであれば見捨てるということですね」

「そういうことになるな。だが、それが、どうした?」

「――人の身でありながら神の領域に至ろうとした非人間よ。その驕り昂った蝋の羽を捥がれる時は今である。神よ我らが神よ、この祈りを」

「《ROBよこせ》」

「っ――」


 ひゅ、と音を立てて男が息を吸いこみ、それきり声を失った。パンドジナモスの魔導師が無造作にこちらに近付いてくる。ラトリアの魔導師が少年を強く抱きしめた。少年は身をよじり、命綱に手を伸ばそうとする。

 あと一歩、というところだった。

 みしり、と骨の軋む音が路地裏に響き、彼の動きが止まる。

 少年は目を瞠った。パンドジナモスの魔導師の、その小柄な体に、どこからともなく現れた黒い影のようなものが纏わりついている。その色は建物の影よりなお黒く、なお暗く、そして彼の腕を、足を、首を、胴を、ぎりぎりと音が鳴るほど強く縛り上げていた。


「はぁ……これだからパンドジナモスは嫌いなのです」


 ラトリアの魔導師が嘆息し、少しだけ腕の力を緩める。


「あなたには決して理解できないことだと思いますが静謐なる祈りとは言葉なくとも通じるもの。そして神の御前ではあなたの“万能”など児戯に等しい。無力を痛感し慎み弁えなさい、ただの人間よ」

「……」

「我らが神は汝を決して逃さず決して許さず汝に永劫の苦痛と汚辱をお与えになることでしょう。それが神を侮り辱めたあなたへの罰。もう二度と自らを“万能”などとは謳えないように神の御許で反省と研鑽を積み重ねなさい」


 饒舌に語る男の声が、少年の耳には入ってこなかった。それほど、少年は絶望していた。万能で、最強で、いつも不敵にニヤリと笑って、どんなことでも言葉一つで現実にしてしまう魔導師が、今目の前で力なくこうべを垂れている。その光景が信じられなかった。そしてその光景が意味するところを少年は否応なしに理解するのである――即ち、自分はもう助からない、と。

 イホスの魔導師は移動手段を持っていない。魔法の性質上、“帰る”ことは出来るが、“行く”ことは出来ないのである。それに合わせて年齢が年齢だ。普通の移動で間に合うとは思えない。

 それでも、


(先生、先生!)


 少年は何度も心の中で呼んでしまう。絶望を打ち消すほど強く、何度も何度も叫んでしまう。


(僕はまだ生きていたいよ、先生! あの時とは違うんだ、もう二度と、死にたくはないんだ! 先生! 先生……!)


 ラトリアの魔導師の不気味な高笑いが路地裏にこだまする。

 その時だった。

 歪な反響音の中に、


「パンジー、爆発しろ」


 とん、と一滴の雫が落ちた。


「yes, my mom!」


 と、高らかに応えたのは確かにパンドジナモスの魔導師の声であった。次の瞬間、黒い影に縛られ微動だにしていなかった人影が、パッと顔を上げ、にっこりと笑う。

 そして、爆ぜた。

 強烈な閃光と爆風に、少年は反射的に目を瞑った。爆発の衝撃で吹き飛ばされ、男の腕の中から放り出される。宙を舞った少年は、地面に叩き付けられることを本能的に察知して、身を固めたのだが、


「おーっと。無事かー?」


 受け止められ、少年はゆっくりと目を開いた。のったりとした喋り方。陰気な顔。少年の知っている人間だ。知っている人間がいて、手足が自由に動かせるというだけで、少年は涙が出そうになった。

 ククラの魔導師は少年を地面に下ろした。


「こっちはいーよー」

「あぁ、こちらも終わった」


 傲岸不遜な声が応える。少年がそちらを見ると、地面に倒れたラトリアの魔導師が、金色の光に包まれて、どこかへと消えるところだった。


「本部に送った。ククラ、ご苦労だったな」

「本当だよー。一日で等身大の人形を作れなんてさー。しかも壊すこと前提で」

「手間賃は上に請求してくれ。渋ったら私を呼んでいいぞ。交渉してやる」

「そいつはどーもぉー」

「さて、では戻るか」


 と、振り返ったパンドジナモスの魔導師が、少年の顔を見てふと苦笑した。彼がそんな風に弱々しい表情を浮かべるところなど少年は初めて見たので、度肝を抜かれた。けれど彼は何を言うでもなく、すぐまた元の顔に戻って口を開く。


「《MOVEうごけ》」





 ビルの屋上に着いた途端、強烈な焦げ臭さに鼻を刺され、少年は眉をひそめた。


「おう、戻ったか!」


 イホスの魔導師が立ち上がり、少年たちを迎え入れた。少年は途端に、胸がいっぱいになって、老人に飛び付いた。


「おうおう、よく頑張ったなァ、弟子よ」


 声が出るなら大声で喚きながら泣きじゃくっているところだった。

 イホスの魔導師は、まるで自分の孫にそうするかのように、少年の背中をさすりながら、パンドジナモスの魔導師を見た。


「パンドジナモス、何をぼーっとしてやがる。早く、お前の弟子をみてやれよ」

「ん? あぁ……」


 彼はなんとも煮え切らない返事をした。目線の先には、倒れこみ小さく蹲っている青年がいる。生々しい血だまりが、屋上を点々と彩っていた。

 彼は少しの間、黙って立っていた。が、やがて、ずかずかと歩み寄る。


「おい、弟子。生きているな?」

「――せん、せい……」


 青年は両目を手で押さえたまま、ゆっくりと顔を上げた。頬には涙のように血が伝っていた。食い破られたような傷跡が全身に付いていた。皮膚と肉が欠けている。そこから溢れ出した血が、服を斑に染め上げている。


「……イホスの、お弟子さんは?」


 青年の第一声はそれだった。


「ラトリアの魔導師は、どうなりました?」

「万事つつがなく終了した。お前が心配するようなことは何一つとして無い」

「そうですか……良かった」


 パンドジナモスの魔導師は、大きな溜め息をつく。


「しかしお前は、一体なんだその体たらくは。私の弟子ともあろうものが、そんな無様な格好を晒していいとでも思っているのか」

「……すみません」

「まぁいい。目が見えないなら丁度いい。エレオスのところへは明後日行く」

「え? では、その間は……」

「お前は何だ?」

「え?」

「お前は何者だ?」

「ぼ、僕は、魔導師の――パンドジナモスの魔導師の、弟子、です」

「だったら、自分でどうにかできるな。万能ならば、目などなくともどうにもできる。見えないならば探ればいい。私たちの魔法なら、目の代わりを果たすことなど造作もない。――信じ、思い込み、決め付けろ。お前が世界を見るんじゃない、世界がお前に教えてくれるんだ」


 そう言って、パンドジナモスの魔導師は、指を鳴らした。すると、金色の光がふわりと漂って、青年の胸元に吸い込まれていく。

 青年はしばし呆然とした後、呟くように宣言した。


「――《TELLおし MEえろ》」


 金色の光が辺りに飛び散り、一瞬で消える。


「半径一メートルくらいか」

「――あ、はい。たぶん、それくらいです」

「明後日までに範囲を広げられるだけ広げろ。逆もまたできるようになれ」

「はい」

「よし、では行くぞ」


 パンドジナモスの魔導師は颯爽と踵を返した。イホスの魔導師たちの脇を抜け、ククラの魔導師の前を通り、屋上からビルの中へと続く扉に手を掛ける。

 青年は彼の先生を追って、よろよろと歩き出した。イホスの魔導師たちに近付いた時、はたと気が付いたように足を止め、一礼する。


「イホスの魔導師さん、先程はありがとうございました」

「いや、大したことも出来ねェで、悪かったな。大丈夫か?」

「はい、平気です」


 血塗れのまま、青年はニヤリと笑うのだ。やはりその顔は彼の先生にそっくりである。

 それから彼は少年の方を見て、申し訳なさそうに眉尻を下げた。


「すみませんでした」


 少年は何を謝られたのか少しも分からなくて、首を傾げた。


「話せないということがどんなにつらくて、どんなに怖いことか、僕は全く理解していませんでした。声が出なくなって、初めて気が付くなんて――申し訳ありません。本当に」


 少年は目を瞬かせた。そんなことを言われたのは生まれて初めてだった。

 少年の驚きには見向きもしないで、青年はもう一度一礼し、立ち去っていく。

 魔導師たちの集会場所に繋がった扉の向こうへ、二人の姿が消える。


「パンドジナモスは、あーいう奴らなんだよねー」


 夜の帳が街を覆い隠す。

 少年は背中を震わせた。



おしまい

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