GOD BLESS YOU はじまり

はじまり



 魔導師にも一応、職務というものが存在する。

 魔法や神秘といった人智を越えた現象の収集・保存、およびそれらの研究・分析、そして秘匿・継承である。どこか学芸員に近しいものを感じる。実際、それらの違いは、外に開くか、内に閉じるか、という点のみだ。

 イホスの弟子は、一人で駅前の繁華街を歩いていた。黒いマントを羽織り、大きな三角帽子を被っている。昼間にそんな格好をしていても悪目立ちしないのは、今日が十月三十一日――いわゆるハロウィーンの日だからである。

 少年は、唯一本物の魔法使いでありながら、他の仮装する人々に違和感なく溶け込んでいた。

 彼のポケットの中で、小さな端末が振動した。少年がそれを取り上げ、ボタンを押すと、


『おう、俺だ』


 イホスの魔導師の声が聞こえてきた。


『どうだ、見つかったか?』


 少年は「いいえ」のつもりで、マイクの部分を三度叩いた。


『そうか。なら――あー、ちょっと待て、今、パンドジナモスの弟子が探してる。――えっとな、お前が今いるところから、真っ直ぐ北に向かって歩け。そっちの方にいるンだとよ。――北、分かるか?』


 今度は二回、マイクを叩く。


『よし。じゃあ、頼ンだぞ』


 通話が切れる。

 少年は少しだけ辺りを見回して、それから間違わず北へと足を向けた。

 群衆が彼の小さな体を飲み込む。





 少年は、先日パンドジナモスの魔導師が語ったことを丹念に反復した。


(それは影のような男。背が高くて、全身真っ黒。白い仮面を着けていて、僕ぐらいの子どもを狙って、話しかけてくる。――『魔法を教えてあげようか』って。それに頷いたら、連れていかれる……)


 都市伝説の一つとして囁かれている話だ。問題は、それが事実で、その上、原因が魔導師であったということである。


「ラトリアの魔導師だ。何十年か前、失踪しただろう。そいつが、ハロウィーンの集会の時を狙って、子どもを誘拐しているというわけだ。私たちに見つからないよう、せせこましくな。大方、儀式にでも使っているんだろう」

「あァ、そんなやついたっけなァ」


 イホスの老人は面倒くさそうに相槌を打って、それからふと姿勢を正した。剣呑な表情になる。声のトーンがぐんと下がる。


「おい、まさかとは思うけどよ」

「そのまさかだ」


 パンドジナモスの魔導師は平然と頷いてみせた。老人は持っていた湯飲みをテーブルに叩き付け、彼を睨んだ。


「うちの弟子を囮に出せってか? あァ?」

「上の命令だ、諦めろ。私に吠えたところで意味はないぞ」

「……」


 老人は思い切り舌を打った。


「これまで散々ほったらかしてきたってのに、年頃ンのが入った途端これかよ、クソッ」

「ま、所詮協会のやることだ」

「当然、お前も来るンだろうな」

「あぁ、そういう依頼だ」


 そう言ってパンドジナモスの魔導師はニヤリと笑ったのだ。


「安心しろ。私が付いている限り、失敗は万に一つもあり得ない。打てる手は全て、抜かりなく打ってある」


 自信に満ち溢れた彼の顔と、申し訳なさそうな老人の目は、少年にとって何より信頼できるものだった。

 とはいえ、実際に一人になった今、多少の恐怖は感じている。


(見つけたら、すぐ報告。絶対に、近寄らないこと。もし話しかけられても、絶対に頷いたり、付いていったりしないこと)


 “ラトリア”とは“崇拝”だとパンドジナモスの魔導師は言った。神を崇め、拝み、その力を借り受ける魔法の使い手だと。だから、イホス――音とは、関わりが深い。人間が神に捧げられるものといえば、命の次に音楽が挙げられるからだ。

 ゆえに、


(……イホスの弟子だとばれたら、危険を覚悟すること……)


 ただでさえ魔導師の魂は一般人のそれに優越するのだ。ましてイホス、さらに少年の年頃となれば尚更――


「生贄とするに相応しい」


 ――そう言ったパンドジナモスの口調には、どんな感情も混ざっていなかった。


「囮としても最上だ。たとえ罠だと勘付かれても、奴は出てくるだろう。間違いなくな」

「おい、パンドジナモス!」

「変に隠した方が危険性は増す。で、どうだ、少年? やる気のほどは」


 少年は、そんなことを尋ねられるとは思っていなかった。問答無用でやらされるものだとばかり思っていた。だから、少しだけ面食らった。

 けれど、


「――」


 頷いた。自分が何かの役に立てるのなら、と考えた。パンドジナモスには、先生にも弟子にも助けられたことがあるのだし、と思った。魔導師の弟子になったのだから、これぐらいはするのが当然なんだろう、と察した。

 何より――たとえ囮であっても――自分の働きが求められている、そのことが嬉しかった。


(……うん、大丈夫、がんばろう!)


 少年はぎゅっと両の拳を握りしめた。

 日が徐々に傾いていく。

 やがて世界の明るさは、暗さに負けて追いやられていく。

 それに比例して群衆の年齢層が上がっていく。しかし熱気は衰えることなく、むしろボルテージを上げていく。

 夕日がビルの壁面を橙色に染め上げ、地に落ちる影は昼間のそれよりも濃く、重い。

 少年ぐらいの年頃の子が、保護者らしき大人と連れ立っていないのは、珍しさを覚えるようになる時分となった。日が完全に落ちれば、警察に声をかけられるのも時間の問題だろう。

 少年は意識せず早足になった。





 古びたビルの影の中に、その男は立っていた。


(見つけた……!)


 彼こそがずっと捜していた人物であると、少年にはすぐに判別できた。話に聞かされたとおり、背が高く、全身真っ黒で、細長い影のような男であった。顔には白い仮面を着けている。見るからに怪しい、しかし今宵だけは、仮装だと許される格好。

 少年はすぐさま連絡を取ろうとポケットに手を伸ばした。が、男がしゃがんだのを見て動きを止める。

 男の前には少女が立っていて、男はその子と目の高さを合わせたのだった。少女は少年と同じくらいの年齢で、魔女の仮装をしていた。男はその子の肩を掴んでいる。少女は、目の前にいるのが恐ろしい存在だと薄々勘付いているような、しかし、怖いもの見たさの心理に負けたような、そんな純粋な瞳をしていた。彼女の仮装が本当の仮装でしかないことを、少年はよく理解していた。

 少年はパッと走り出した。突然の動きについていけなかった三角帽子が、ふわりと街路に落ちる。行き交う人々の足と足の隙間を潜り抜けて、一気に少女に駆け寄る。体当たりをするように飛び付いて、男の手を引き剥がす。そうして、少女の腕を掴むと、半ば引き摺るようにしながら走った。

 走りながら、少年は、右手の人差し指を立てた。そして、彼女の腕を掴んだ自分の左手と、額を、交互に何度となく叩く。決められた拍数で、奇妙なリズムを刻むと、ふわりと金色の光が舞った。

 少年は少女の方を見て、意識的に口を動かしながら、考えを伝えた。


(「逃げて」)

「え?」

(「たくさん走って、逃げるんだ。できるだけ――ええと、その――あの、明るいところに。人がたくさんいて、お店があって、賑やかなところに行くんだ。いい?」)


 少女は目を白黒させながら、曖昧に頷いた。

 少年は路地裏に入ったところで立ち止まり、彼女の手を放した。同じように立ち止まってしまった少女の背中を押す。


(「ほら、走って! 早く、早く!」)


 少女は、狐につままれたような顔をしていた。けれど、少年の剣幕に押されて、走り出す。何度も少年の方を振り返りながら走っていった少女が、路地を通り抜け、向こう側の明るい通りに消えるのを見送って、少年はほっと息をついた。

 それから、はたと思い出す。


(まっずい、連絡、忘れてた!)


 慌てて携帯端末を取り出し、あらかじめ登録されていた番号を呼び出す。

 左の耳元で響いていたコール音が一回で終わり、イホスの魔導師が『何かあったかっ?』と、やけに切迫した調子で言ったのが聞こえた。

 それと同時である。

 右の耳元に冷たい吐息が掛かり、ラトリアの魔導師の大きな骨張った右手が後ろから伸びてきて、少年の左の頬をひたりと包んだ。

 びくりと全身を硬直させた少年から、端末をそっと抜き取って、男はそれを放り捨てる。それはカシャン、と軽々しく石畳に転がる。その音は少年に、繋がれてもいない命綱が断ち切られたと錯覚させた。


「先程の光――あなたは魔導師の弟子ですね」


 男の声はやけに高く、抑揚というものを全く持ち合わせていなかった。一昔前の機械音声のようである。

 少年は、何とも言い表せない恐怖に凍り付いていた。自分に触れる男の手は、かつて自分を虐げたどの大人とも違っていた。その手に暴虐の思惑はない。軽蔑や侮蔑の意思もない。むしろ少年は敬意に似た何かを感じ取った。しかし、それ以上に、怖い。何か分からない、何かが怖い。恐怖の正体が分からないのは少年が子供だったからではない。たとえ言語学者でも、同じ状況に陥れば、“名状しがたい”以外の言葉を失うだろう。


「素晴らしい」


 と、男は呟いた。


「いまだ幼き無垢なる魂でありながら穢れたる工房に身を置いているとは。あぁ、何たる不安定、何たる矛盾か。美しい。素晴らしい」

「……」

「どちらの工房の方ですか」


 少年は口を堅く引き結んだ。どちらにせよ話せないのだから、答えようはないのだが。


「パンドジナモスの弟子でしょうか。彼が弟子を取ったという噂は聞いたことがありませんが私の知らない内に取っていてもおかしくありませんからね。あぁ、噂といえばイホスの工房――」


 反応してはならない、と少年が思った時には、すでに拳を握りしめていた。

 男が感嘆したように吐息を漏らす。


「最果ての森に踏み込んだ少年をイホスの工房が迎え入れたと音に聞きました。あなたがその少年だったのですね」


 あぁ、何と素晴らしい、素晴らしいことなのでしょう――と、男は天を仰ぎ、少年を抱き締めた。少年は、背筋が粟立つ感触というものを生まれて初めて味わった。それは、寒さに震えるのとはまた違うのである。


「あなたでしたらどのような神もお喜びになられることでしょう……そしてあなたもまたこれからこの上ない歓喜に出会えるのです。神と一体になる幸福を享受することができるのはこの世に唯一人あなただけ――あぁ、何と素晴らしい、何と喜ばしいことか……!」


 そう言って男は涙を流しているのだった。仮面の縁を伝い落ちた雫が、少年の首筋に当たる。氷のような飛沫が少年に突き刺さる。

 少年はもう何も考えられなくなっていた。助けを呼ぶ手段は無く、拘束を外す方法も無い。何かあったとしても思い付けるわけがなかった。少年はすっかり男の影に飲まれ、委縮していた。人間らしい温もりを一切持ち合わせていない男の体が、少年から体温を奪っていく。


「早く早く早く早く私の工房に戻らなくてはなりませんね。あなたを神の御許へ早く連れていって差し上げなくてはなりません。神もきっとお待ちなさっていることでしょう」


 男は少年を抱え直し――右手で口を塞ぎ、左腕で少年の両腕を押さえ込むようにして――立ち上がった。少年は狼狽え、地面から離れた足を滅茶苦茶に振り回したが、男はびくともしない。


(だれか……だれか、たすけて……! 先生、先生……っ!)


 もう夜は降り立った。しかし路地の向こうは光に満ちている。少年はその光に酷く恋い焦がれた。

 少年の未練を断ち切るように、男は暗い方へと踵を返す。

 そこに、少年の命綱が立っていた。


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