DOLLed up for you おしまい

 ほぼ同時。扉が開いて、言葉が飛び込んでくる。


「《BLASTふきとべ》!」


 それは、金槌が釘の頭を叩くより、ほんの一瞬だけ早かった。指向性を持った突風が、先生の軽い肢体を吹き飛ばした。先生はそのまま窓を割って、外に放り出された。


「先生っ? ――っ!」


 咄嗟に立ち上がろうとして、弟子は釘に挙動を制された。痛みを堪え、どうにか半身だけを起こす。その頃には乱入者――パンドジナモスの魔導師とその弟子が、彼の隣に立っている。


「だから言ったろう。期限までに終わらせろと。あぁあ、これで私は完全なる悪役だ」


 などと嘆くような風情でぼやくが、その実まったく何も感じていない顔である。


「おい、弟子。ククラの弟子をこの場から動かすな。どんな手を使っても構わん」

「はい!」


 そうして、パンドジナモスの魔導師は、割れた窓から外に飛び出ていった。その弟子は振り返り、ククラの弟子を見下ろす。


「そういうわけですので、どうぞ大人しく――」

「second daughters, third daughters, get up!」

「「yes, my mom!」」

「っ?」


 四方から、甲高い少女の声の合唱が響いた。パンドジナモスの弟子はびくりと肩を震わせた。空気がざわりと蠢き、常識から外れる。ククラの弟子は声を張り上げた。


「あらゆる手を使って先生を守れ!」

「「I see!」」


 瞬間、戸棚から五十二体のビスクドールが一斉に立ち上がり、我先にと窓枠を飛び越えていく。ひとりでに動く人形たちの波を、パンドジナモスの弟子は呆然と見送っている。すぐに、はたと我に返る。が、出ていってしまった人形を呼び戻すことなど出来ようもなく、


「ククラ!」


 と、咎める声を上げれども、ククラの弟子は、それで止まるような男ではない。


「first daughters, get up!」

「「yes, my mom!」」

「この男を俺から遠ざけろ!」

「「I see!」」

「くっ、《CAN NOT TOUCHるな》!」


 飛びかかってきた人形の群れと、パンドジナモスの弟子の魔法が、真正面からぶつかり合った。斥力が発生する。人形が四体ほど砕けて、パンドジナモスの弟子は入り口付近まで押し戻される。

 その間に、ククラの弟子は、手の釘を無理やり引き抜いた。相当に痛かったが、そんなこと気にならなかった。


「行かないと……」

「《BURNINGもえろ》!」


 突如として噴き上がった炎が、彼の行く手に壁を作った。彼はお構いなしに突っ切ろうと手を伸ばすが、なぜだか、炎に触れても熱くないのである。その代わり、それ以上奥へは行けないのだった。どうやら、空間あるいは進路という概念を燃やされているらしい、と察して、振り返る。パンドジナモスの弟子の、その生意気そうな目と対峙する。


「なぁ、退けよー」

「いいえ、そういうわけにはいきません。先生の命令ですので」

「そう、じゃー――マチルダ、リリー、飛びかかれ」

「はぁい!」

「分かったわ!」


 呼ばれた二体が、軽快な返事とともに、パンドジナモスの弟子へ飛びかかる。が、その小さな手は、彼に触れる直前で、空中にぴたりと押し留められる。


「無駄ですよ。僕の魔法を破れるわけがありません」

「マチルダ、リリー、自爆しろ」

「「はーい!」」


 指令は淡々と下され、人形は弾け飛んだ――パンドジナモスの弟子の目の前で。思わず怯んだところに、すかさずククラの弟子が飛びかかる。人形が触れないなら、自分が行けばいいだけの話だ。タックルを掛けて突き飛ばし、床に押し倒す。マウントをとり、怪我をしていないほうの手で、顔を殴る。二、三発思い切り殴ったところで、集中が途絶えたのか、炎の壁が消えた。

 ククラの弟子は素早く立ち上がり、窓に駆け寄った。そのまま飛び出そうとして、


「《STOPうごくな》!」

「っ!」


 体がぎしりと音を立てて固まる。彼は舌を打った。

 パンドジナモスの弟子は、よろよろと立ち上がり、切れた唇の端を指先で拭った。


「諦めてください、ククラの弟子。僕の先生の邪魔はさせません」

「……その魔法、授かったんだねぇ」

「えぇ。あなたを止めるのに、必要になるだろうから、と。おかげさまで超突貫の習得作業になりまして、昨日は大変でした」

「へぇー、それは災難だったねぇ」

「まったくですよ。この魔法は、加減を間違えれば、一言で相手の生命活動を停止させますから」

「随分と、怖い魔法だなぁ」

「えぇ。ですから、これ以上抵抗しないでください。あなたを殺す必要が生じれば、僕はそうします」

「……さっすが、万能の工房は合理的だねぇ」


 ククラの弟子は皮肉っぽく笑った。


「じゃあさー、パンドジナモスの弟子?」

「なんです?」

「必要があったらさー、お前、先生を殺すんだな」

「は?」

「俺には、それは無理だなぁ……」

「何を言って――」


 不穏な言葉。パンドジナモスの弟子は詰め寄ろうとして、自分の足が動かないことに気が付く。足元を見やるが、何も無い。彼は目を凝らして――足首に、細い糸が巻き付いているのを発見する。


「これは……?」

「人形の工房には長居をするな、ってぇ、先生に教わんなかったぁ?」

「――っ!」


 パンドジナモスの弟子の顔色が変わった。その頃にはもう、手も動かなくなっている。彼は唾を飲み込んだ。


「っ……で、ですがその魔法は、ククラの秘術……っ! 弟子であるあなたが扱えるはずがありませんっ! 授かったのだとしたら、それは――」

「そー、授かったんだよぉ。人間を人形に書き換える魔法」


 ククラの弟子は背中越しに、軽薄な声で肯定した。


「掛かるまで長いのが欠点だけどぉ、防ぎようがないっていうのは、良いところだよねー」

「っ……」

「お前はもう操り人形だ。さー、魔法を解け」

「――」


 パンドジナモスの弟子の目から光が消る。同時に、魔法も消え去った。

 ククラの弟子は振り返りもせず、窓から飛び出す。





「先生っ!」


 庭の至る所に、人形の残骸が散らばっている。砕かれ、焼かれ、どれも悲惨な状態だ。ククラの弟子は、それを辿って走った。

 やがて、庭園の真ん中に出る。ぽっかりと開けた広場。月明かりを背に、パンドジナモスの魔導師が立っている。差し向けた人形は、一体残らず砕かれたらしい。周りに破片がばら撒かれている。彼の手が、先生の腕を掴んでいた。先生は、上半身と、掴まれている一本の腕以外、ほぼすべてを失っていた。


「先生……――っ!」

「ふむ、まぁまぁ頑張ったのか、我が弟子は。とはいえ、負けるようではまだ駄目だが」

「先生を放せ!」

「言われずとも。ほらよ」


 パンドジナモスの魔導師は、無造作に先生を放り投げた。ククラの弟子は慌てて、先生の体を抱き止めた。先生の体は下半身が完全に欠損していたが、空虚な胴体の中に固定された心臓は、まだ脈を打っていた。頭部は半分ほど抉れており、脳味噌が覗いていたが、もう半分はまだ生きている。


「とどめは残しておいてやった」

「っ――」

「だが、まだ間に合うとは考えないことだ。よく見ろ」


 パンドジナモスの魔導師に言われ、弟子は立ち上がりかけたのを制される。


「心臓を完全に割った。今は、私の魔法で、かろうじて繋ぎ止めてやっている状態だ。私が魔法を解けば、そいつは壊れる。あとは、私が壊すか、お前が壊すかというだけの違いだ」

「……」

「合理性重視で情緒を解さない私だが、これぐらいの気遣いはするんだよ。感謝しろ」

「……それは、気遣いとは言いませんよー」

「ん? じゃあ、何て言うんだ?」


 ククラの弟子は彼を睨みつけた。


「嫌がらせ、です」

「ふっ、ははっ! そうかもしれないな! 悪いね、私は、人が嫌がることをするのが大の得意なんだ!」


 まったく悪びれることなく一笑に付して、彼は庭園のベンチに腰掛けた。それきり、口を閉ざす。面白そうに唇を弧状にしたまま、ククラの師弟を見物している。

 弟子は、石膏と針金と本物の皮膚で出来た先生の体を、そっと地面に横たえた。そして、先生に向かい合った。先生の目を覗き込んだ。本物の眼球が埋め込まれた、人形の目を。


「先生――」


 そう、弟子は知っていたのだ。自分の先生が人形であることも。生粋の人間嫌いであった、先代ククラの魔導師が、生涯弟子を取らず、技術の一切を人形に託して世を去ったことも。そして、最後の魔法――死者の蘇生とも程近い、一人の人間をそのまま人形に作り替える魔法を授かるには、その人形を壊さなくてはならないことも。知っていたはずなのだ。

 ただ、それに期限があると、弟子は知らなかった。だから、自分が耐え得る限り、ずっとこのままでいられるのだろうと、漠然とそう思っていたのに。パンドジナモスは現実を突きつけ、無慈悲に、容赦なく、決断を迫る。

 しかも、先生が壊れることは、もう、覆らないのである。


「……ひっどいなぁ……本当に……」


 必要なことだと、分かっていて、それでも手が動かない。先生は自分に、どうして私を憎まないのか、と聞いたが、それは彼の方が聞きたいことだった。どうして自分は先生を憎めなかったのだろう、嫌えなかったのだろう――愛してしまったのだろう、と。

 弟子は地面に両手をつき、こうべを垂れた。どうしても、先生を壊したくない。けれど、他人に壊されたくもない。壊さなくてはならないなら、せめて自分の手で――と、思えど、思うだけである。奥歯を強く噛み締める。

 その時である。油の切れたゼンマイ、或いは噛み合っていない歯車が、無理やり動いたような音がした。


「――す、て、き――」

「っ……先生?」


 かろうじて言語機能が生きていたらしい。先生は途切れ途切れに、鈴のようだった声にノイズを混ぜて、言葉を紡いだ。


「最、高、ね――あな、たの、その、顔――今、まで、で、一、番、すて、き、だわ」

「先生……」

「もっ、と、見せ、て――もっ、と、苦、しん、で――」

「っ……」


 先生は、今までで一番、幸せそうに微笑んでいた。

 弟子はおもむろに先生の心臓へ手を掛けた。もっと苦しめと先生が言うのであれば、そしてそれが先生の幸福ならば、最も苦しいことをしてやろう、と自暴自棄気味にそう思った。先生に空けられた穴で、血塗れになった手が、先生の心臓を濡らす。先生の眼球に、ぽたり、と、透明な雫が落ちて、まるで彼女が泣いているかのように錯覚させた。


「あぁ――最、高、だわ――最、高、だわ――」


 少し体重を掛けただけで、先生の心臓は軋んだ。人間と違い、柔らかくない。魔法で加工されているからである。しかし、耐久性は高くない。そしてやがて、ぱきん、と小さな音を立てて、心臓は砕ける。命と呼ぶには軽すぎる音だった。弟子の手の中で、先生が壊れる。

 先生は物言わぬ残骸になった。周りに散らばっている物たちと、大差ない、それらより比較的原形を留めているというだけの、ただの物体になった。魔法は完全に解けたが、元から現実のものである人形の残骸は、粉になって消えたりなどしない。

 壊れた人形の奥から染み出した金色の光が、弟子の胸の中に吸い込まれていった。


「代替わりは完了だな」


 何の感慨も覚えていない、無機質な声が、ベンチから立ち上がった。


「立会人は私、パンドジナモスの魔導師だ。三日以内に上に報告しておけよ」


 彼はそれだけを一方的に言い捨てて、立ち去った。

 ククラの魔導師は人形になった。石膏と針金で出来たビスクドールのように、胸の中がすっかり空っぽになっている。空洞に、夜の音が木霊する。そうして、目から次々に滴り落ちて止まらない液体に、どんな成分が含まれているのかを、ぼんやりと考察していた。

 月はどこまでも白々しく、人形たちの遺骨を照らしている。



おしまい

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