DOLLed up for you はじまり

はじまり



 先生の体重は軽く、まるで人形のようだ――彼女に馬乗りにされるたび、弟子はいつもそう思う。先生の細くて硬い指が、弟子の喉を締める。弟子の顔が歪む。それをうっとりと眺め、先生は満足げに笑う。

 彼らの間に言葉はない。先生は淡々と暴力を振るう。すると、肉を打つ音や、骨が割れる音や、皮膚が焦げる音が鳴る。それに応じて、弟子が呻いたり、喘いだりする。時折弟子は、


「先生」


 と呼ぶ。が、それだけだ。その言葉に意味は無く、単なる呻き声のバリエーションの一つでしかない。

 部屋が暗いのは電気を点けていないからだ。窓から射し込む月光が、なんとも白々しい。

 先生はふいに手を放した。気道が解放されて、弟子が咳き込む。


「今日は、目を潰してみようかしら。それとも、指を落としてみましょうか」


 ぽつりと零された独り言は、まるで今晩の献立を決めかねているかのように軽薄だった。

 先生はいつもこうやって、気に入らない人形にそうするように、弟子の体を痛めつけるのである。近頃はそれが度を越して酷く、遂に刃物や火まで使うようになっていた。弟子は、痛いのは嫌いだが、先生を楽しませることが出来るならそれで良い、と思っている。だから、さっきの独り言にも、


(目をやられたら、先生のお顔が見えなくなるなぁ……それはちょっと嫌だけどー……まぁ、それはそれで、しょうがないかー)


 ぼんやりと思うだけなのである。

 先生は、すぐ傍にある机へ手を伸ばした。机上には様々な道具が置かれている。本来は人形を作るための道具である。彫刻刀や、絵筆、紙やすりなど。しかしそれらの大半は血に汚れていた。無論、弟子の血である。


「これかしら。それとも、これ? うぅーん、迷うわ」


 先生は小首を傾げて、道具を吟味している。そんな様子も愛おしい、と弟子は思うのだった。


「そうだわ、いっそ私の指で――」


 その時、扉が開いた。先生と弟子は反射的にそちらを見た。この家には先生と弟子の二人しかいないはずである。なのに何故、扉が開くのか。

 そこには二つの影がある。一方は小柄で、もう一方は普通の大きさ。逆光になっていて顔はよく見えない。しかし、


「お楽しみ中に失礼。伝言があって来た」


 隠そうともしない傲岸不遜な態度が、彼の名を雄弁に語っている。


「――……パンドジナモス。あなたがここに来るなんて、珍しいじゃない。どういう風の吹き回しかしら」


 先生は不機嫌を露わに言った。しかし、先生の嫌悪感などどこ吹く風とばかりに、パンドジナモスの魔導師は室内に入る。


「仕方がないだろう。上に言われたんだ」

「あなたが上に従ったの?」

「最果ての森の黒山羊を怒らせた、ペナルティだとさ」

「――あぁ、この間の、集会の。災難だったわね、必要もないのに関わった所為で」

「まったくだ」


 先生の厭味ったらしい言葉を、万能の魔導師は風のように聞き流した。


「伝言は二つ。一つは、再来週の集会の件だ。ここに通知書を置いておくぞ」

「もう一つは?」


 万能の魔導師は、ククラの先生をじろりと見た。彼の顔には酷薄な笑みが浮かんでいる。鋭い眼光が、すべてを見通しているかのように、薄闇を切り裂いていた。


「分かっているくせに。――期限は、明日だ」

「っ!」

「もし明日中に片付けられなかったら、その時は私が、もう一度ここに来るからな」

「……さい」

「ん?」

「出ていきなさい! 今すぐ!」


 先生は怒鳴り、彫刻刀を投げつけた。それは万能の魔導師に向かって真っ直ぐ飛んでいった。しかし、


「《STOPとまれ》」


 万能の魔導師が一言そう呟くと、彫刻刀は空中でぴたりと静止した。そうして、彼は呆れたように笑う。


「言われなくとも、帰るよ。仕事は終わったし、人形の工房に長居するのは自殺行為だからな」


 無愛想に踵を返した魔導師に、彼の弟子が丁寧に頭を下げてから追従する。扉が閉じる。気配が無くなる。彫刻刀が落ち、床に突き立った。

 興醒めしたように、先生は音もなく床に下り、部屋を出ていった。弟子は溜め息を空に吐く。月光はやはり白々しく、彼の顔を蒼白に照らし出している。





 先生は翌日になっても私室から出てこなかった。それ自体はよくあることなので、弟子は食事だけ用意して、彼女を放っておく。

 やることもないので仕方がなく。弟子は机の前に座り、引き出しの中から綺麗な彫刻刀を出した。


(今日でゾフィーが完成してー……これで、三周かー)


 彼が一人で人形を作るようになり、これが七十八体目になる。人形には、頭文字がアルファベット順になるように名前を付けていき、Zまで行ったところで前に戻る。一周目はアビーからゾーイまで作った。二周目はエイダからザラ。三周目はアデルからゾフィー。

 彼は慣れた手つきで、最終調整をしていく。五年前に弟子となってから、ずっと人形を作り続けてきたのだ。魔法を授かり、本格的に作るようになったのは三年前からである。


(三周終わる頃には、一人前だって言ってたけどー……どうなんだろうねぇ……)


 本音を言えば、一人前になどならなくて良いと思っている。いつまでも先生に習っていたいし、先生の弟子でいたい――先生が人間でなくとも、構いやしない。

 弟子は知っている。自分の先生は、先代のククラの魔導師が、その技術のすべてをつぎ込んで作った人形である、と。それも、その人形は、魔法をひとつ授けるたびに、弟子へ暴行を加えるようプログラミングされているのだ――いずれ、ほとんどの魔法が受け継がれた頃には、弟子の方が暴行に耐え兼ね、自然と人形を壊すように。


(まー、先代様は、想定してなかったんだろうけどなー)


 まさか、人形を愛し、暴行に耐えきってみせる男が弟子になるなど。

 人形は自壊することが出来ない。それは、この工房における不変の決まりである。よって、弟子が壊す気にならない限り、先生は壊れない。

 とはいえ、修行が終わってしまったらどんな手を使われるか分からない。だから、ここ最近、あれこれと理由を付けては人形作りをさぼっていた。都合の良いことに、先生から暴行を受けることも多く、さぼる理由には事欠かなかった。

 しかし、遂に完成してしまう。眼を嵌め込み、ウィッグを付け、服を着せる。最後に、彼女の頬へそっと口づけをする。顔を離し、髪を撫で、話しかける。


「――おはよう、ゾフィー。気分はどーお?」


 するとゾフィーはパチパチと瞬きをして、微笑んだ。


「good morning, mom! バッチリだわ」

「そう、それは何より」

「ね、それで、あたしは何をしたらいいの?」

「うーん、今のところ、やることは無いかなぁ。必要になったら呼ぶから、それまでは眠っててくれるー?」

「分かったわ。それじゃあ、おやすみなさい」

「うん、おやすみー」


 ゾフィーはすっと瞼を閉じ、それきり動かなくなった。ただの人形となった彼女を、戸棚の七十八番目に座らせる。これで総勢七十八体のビスクドールが揃ったというわけだ。その一体一体に、魔力が籠り、魂が宿っている。呼べば動くし、命じればそうする。七十八人の家来がいる、ということと大差ないのだ。

 しかし彼は、さしたる感慨を覚えるわけでもなく、むしろ溜め息をついた。


「――……さて、と」


 起きた時間が時間だったから、作っている内に夜になっているのもおかしな話ではない。色の薄い月が、冴え冴えと夜陰を払っている。彼は、一般に比べれば随分と遅い夕飯を摂ろうと、部屋を出ようとする。

 その扉が先んじて開く。

 この家には先生と弟子の二人しかいないのだから、弟子が開けたのでなければ、それは先生が開けたのである。


「先生、どうかなさいましたか?」

「三周、終わったのね」

「……えぇ、まー、一応」

「そう」


 先生はつかつかと室内に入ってきた。


「座りなさい」


 端的な命令に、弟子は粛々と従った。ソファに座る。

 彼が腰を落ち着けるか否か、というタイミングで、先生は手にしていた木製の椅子を、彼の頭めがけて思いきり振り抜いた。

 粗雑な造りの椅子が壊れて、破片がばらばらと散らばる。弟子はそれにまみれながら、床に倒れた。先生は、仰向けに倒れた弟子の、胸の辺りを踏みつける。ヒールのある靴で体重を掛け、踏みにじる。弟子が無様な呻き声を漏らす。

 やはり、言葉はなく。先生はひたすら彼の頭を蹴り、腹を殴り、手を踏んだ。そうして笑顔を浮かべる。弟子はただ、痛みに苦悶する。

 ふいに、先生は暴行の手を休めた。弟子に馬乗りになり、耳元へ口を寄せる。


「――ねぇ、あなたって、どうして反抗しないの?」


 この場に言葉らしい言葉が流れたのは、これが初めてのことだった。


「どうして、やり返さないの? どうして、何もしないの?」

「……先生」

「このままだと、もう、一周してしまうわ。これは一周したら終わりなのよ。だって、だって殴ったわ。蹴ったわ。踏んだわ。焼いたわ。折ったわ。剥いだわ。刺したわ。締めたわ。そうしたら、次は――」


 先生は言葉を止めて、立ち上がった。戸棚の奥から、五寸釘と金槌を取り出す。再び、弟子の胸の上に座る。彼の手を床に押し付ける。その中央に釘の先を添え、金槌を振りかぶる。


「――貫くの」

「っ!」


 釘が手の平を貫通し、獣の雄叫びのような悲鳴が上がった。弟子は全身から冷や汗を噴き出して、痙攣するようにのたうった。反射的に貫かれたその手を動かしてしまい、金属と肉がこすれて一層痛む。全身が震える。

 暴れる彼の上に器用に腰かけたまま、先生はにっこりと笑う。


「ねぇ、これでも駄目? もう一本必要かしら?」

「――っ、――っ」

「困ったわ。これで駄目だったら、次は、もう、壊すしかなくなるのだけれど」


 鈴を転がすような声で言いながら、先生はもう一本の釘を、弟子の胸元に添えた。心臓の位置だ。金槌を振り上げる。


「私、あなたの苦しむ顔を見るのが大好きだわ」

「っ……えぇ、知ってます」

「それを見たいがためだけに、あなたを痛めつけていたのよ」

「はい、そーですね」

「あなたのことなんて何も考えていないわ」

「はい」

「あなたなんて死んだって構わないのよ」

「はい」

「ねぇ、どうして」

「はい」

「どうして、あなたは私を憎まないの?」


 弟子は、苦痛に歪んだ顔で、にんまりと笑った。


「俺も、だからですよー……俺、先生の、楽しそうなお顔が、大好きなんです……それを見られるなら、死んだって構いませんよ」

「そう。なら、死ぬほかないわね」

「はい、そう思います」

「次は、壊す。壊したら、おしまいね」

「そーですねぇ」

「壊すのよ」

「はい」


 弟子は目を閉じた。柱時計が十二時の鐘を鳴らし始めた。低い音が床を震わせる。先生は、振りかぶったままでいた金槌を、振り下ろす。



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