妻の愛を勝ち取れ/4

 水色の絨毯の上を、妻のベルベットブーツは現れては消えてを繰り返しながら進んでゆく。とにかく隠れないといけないのだ。やけに壁ばかりが目立つ廊下のドアの前に立った。


「よしよし! ここら辺の部屋に入って……」


 扉を勢いよく中に押し入れたが、妻の前に広がったのは、グレーがかった白で、横向きに何かが空中を飛んでいる風景だった。


「っ!?!?」


 どこかずれているクルミ色の瞳は驚きで見開かれ、慌ててドアを閉めた。永遠を連想させる廊下を右に見て、左に見て、もう一度こげ茶の扉を凝視する。


「あれ? おかしいな。雪景色が見えたんだけど……」


 確かに家の中は冬の装いだが、雪が本当にあっては困るのだ。再びドアを中へ入れたが、やはり見間違いではなく、猛吹雪の雪景色。


「え……?」


 半ば放心状態で、パタンとドアを閉めて、妻はない頭で考える。


「家の中が外? 家の外にあるから『外』だよね? 言葉が迷走してる〜〜!」


 妻は頭を抱えながら、廊下を再び歩き出した――――



 ――――しばらくすると、玄関ではないが、ちょっとしたロビーにやってきた。


「どこ? どこかに隠れる場所?」


 迷い込み、後ろ歩きで右に左に進んできたが、こげ茶で両開きの扉を見つけた。


「あっ! ここは何だろう……部屋じゃないみたいだ」


 颯茄はあちこちから眺めていたが、


「ん? これって、物置?」


 胸元をぎゅっとつかみ、予測をつける。さっきの雪景色の失敗がある。だからこそ、慎重に。


「とりあえず、中に隙間があれば、隠れられる!」


 待っていろ、月命。今度こそは見つからない場所に隠れてやる。


「よしっ!」


 気合いを入れて、金の取っ手をつかんだ。だが、同時に隣り合わせのそれに、綺麗な手が伸びてきた。


「ん、誰?」


 背の高さ的に、夫であるのはわかる。颯茄は扉を見つめたまま、妙に納得。


「あぁ、そうだよね。みんな隠れようとしてるわけだから、重なることもある……」


 ルールは一人で隠れろではない。


「一緒に隠れられるなら……」


 開けるタイミングまで同じで、両開きの扉をそれぞれの手で引き寄せたが、中のスペースを見て、お互い思わずため息をもらした。


「一人しか入れない……」


 ホウキやはたき。綺麗に畳まれた雑巾が何枚も重ねてあるスペース。だが、一人分しか空きがない。譲らなくてはいけない。そういうわけで、相手と話さないと。


「この手誰の?」


 颯茄が振り返ると、そこにいたのは黒のゴスパンクだった。


「蓮!」


 即行、俺さま全開で、奥行きのある声が響いた。


「お前離せ、俺が先だ」


 負けてなるものか。


「私が先」


 肘で押されて、押し返すが始まる。


「俺だ」

「私」


 子供じみた迫合い。


「俺だ」

「私」


 三十七センチも上から、鋭利なスミレ色の瞳がにらみつけてこようと、譲ってなるものか。


 強気だったが、相手の方が上手だった。蓮のアーマーリングをした手は扉をバンと勢いよく叩き、


「っ!」


 颯茄は音にびっくりして、思わず手を離してしまった。


「っ!」


 勝った的に、鼻でバカにしたように笑い、そのまま隠れようとする、潔癖症の夫。最低限の筋肉しかついていない腕を、妻は慌てて引っ張る。


「あの! 蓮?」

「お前、あきめて他のところを探せ」


 手を無理やりはがされたが、妻は中をのぞき込んで、


「掃除道具が入ってるから、汚れると思うんだけど……」


 妻はいつでも夫を想っている。蓮の鋭利なスミレ色の瞳はあちこち見渡し始めた。ゴーイングマイウェイであるがゆえ、一点集中で盲目がちな夫。


「…………」


 どっちも譲らないのなら、こうしようと、妻は思った。


「私が先に入って、私の服を間にして隠れれば、蓮は汚れないよね? だから、私が先に入って――」


 銀の髪が振り返ると、いつも超不機嫌な夫の表情は、無邪気な子供みたいな笑顔だった。


 急変した夫の心のうち。それが何を意味しているのか見極める前に、颯茄の唇に、蓮のそれが押し当てられたのである。


 ――ゴーイングマイウェイなのになじむキス。


 夫のために犠牲になるという妻。俺さまの心は動いたのだ。


 颯茄の結婚指輪をした手は力なく体の脇に落ち、隠れることも忘れて身を委ね、少し遅れて閉じられたまぶた。


 突然のキスの中で、ブラウンの髪には歪みが、ゴスパンクの腕で作られていた。


 唇は離れても、颯茄の視界は、光沢のある黒の斜めチャックだけ。抱きしめられたまま、離してももらえず、銀の長い前髪がブラウンのそれに寄り添い、


「好きだ――」


 耳元でささやかれ、颯茄はそっと目を閉じた。


 ――この男が九年前に生まれてこなかったら、自分は今も、あの本家の縁側で庭を眺めている日々だったのかもしれない。大人の兄弟たちは全員結婚をして、家を出ていた。


 小さな弟と妹とともに暮らす毎日。結婚などどこか別世界の出来事で、大好きな父のそばで娘として生きていくのだと思った。


 ひねくれなところは違うが、父に似て言葉数は少なく、貴族的で落ち着いている男――


「好きだよ」


 約束は約束。ずっと言わなかったし、言われもしなかった。だから、今日こそは。


 いい感じだったが、突き飛ばすように体を離された、両肩はしっかりつかまれたまま。


「っ!」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る