妻の愛を勝ち取れ/5

 鋭利なスミレ色の瞳は穴があくほど、颯茄の顔を見つめて、首をかしげると、銀の長い前髪がさらっと落ちて、両目があらわになった。


「?」


 不思議なものでも見つけたように、右に左に首を傾げながら、無言でどんどん近づいてくる。


「…………」


 パーソナリティスペースを完全無視な顔の急接近。これを外でやっていないことを、妻は祈りたいのだった。またキスするのかを思うほどそばにきて、


「お前、俺の前に誰に会った?」

「え……?」


 そんな質問をされるとは思っていなかった颯茄は、ぽかんとした顔になった。蓮は妻の肩を強く揺すぶる。


「正直に答えろ」


 答えないと、永遠に追及される。鋭利なスミレ色の瞳と冷静な水色のそれを、颯茄は脳裏で重ねた。


「光さん……だけど……」

「ふ〜ん」


 聞いてきたわりには、気のない返事。用済みというように、蓮は颯茄から手を離した。かがんでいたのをやめた夫の顔を見上げる、意味不明な限りで。


「ん?」


 蓮の心の内に、あの紺の長い髪を持ち、冷静な水色の瞳の夫が鮮明に浮かび上がった。愛する夫の名前をつぶやく。


「光……」


 そして、晴れ渡る空の下で草原の風に吹かれて、無邪気に微笑む子供みたいな笑顔になった。何が起きているのかさっぱりな妻が、今度は首をかしげる。 


「何だか嬉しそうだな……?」


 その前で、黒のゴスパンクファッションはすうっと消え去った。開け放ったままの、掃除用具入れの前で、颯茄はキョロキョロする。


「あれ、瞬間移動した? 道に迷ってた? 今」


 扉を閉めながら、二人の夫の関係を考える。


「っていうか、光さんと何かあったのかな?」


 消えたはずの黒のゴスパンクファッションは、白のチャイナドレスミニに、すぐに連れ戻された。


「ルール違反ですから、蓮は取っ捕まえましたよ〜」


 女装教師に捕まった、人気絶頂中のアーティスト。マジボケして、瞬間移動をした蓮だった。


 さっきまであった無邪気な笑みは嘘みたいになくなっていて、今はただただ怒りで、蓮の綺麗な顔は歪んでいるだけだった。


 ピンヒールのお陰で、二メートル越えの背丈になっている月命がニコニコの笑顔を妻に向ける。


「颯はまた隠れてください」


 ――そんなことよりもである。


 しゃがみこんで、妻の手は勝手に伸びてゆく。ミニスカートの下に出ている曲線美を持つ足に。あの感触はどうなっているのか、気になるところ。


「どんな感じで……?」


 結婚指輪と銀のブレスレットをした手につかまれ、颯茄は無理やり立たせられた。


 怖いくらいの笑みを近づけて、月命は一字一句離して言うからこそ、恐怖が増す言い方をした。


「おや〜? 鬼がここにいますから、君は速やかに、か・く・れ・て・ください〜」


 颯茄は背中に悪寒が走り、ぷるぷるっと首を横に振り、


「あぁ、はい!」


 瞬間移動をすることも忘れ、深緑のロングブーツは慌てて、廊下へと走り去っていった。女性らしく内手首にしている、月命の腕時計は、


 十四時五十五分五十二秒――。


 短針は日に二度訪れる、三にかかり始めていた。


    *


 颯茄はやけに壁ばかりが目立つエリアを歩いてゆく。


 やっと出てきたこげ茶のドアの前に立って、妻のAラインワンピースはやる気満々でドアノブに手をかけた。


「よしよし! 今度こそ、この部屋で……」


 思ってもみなかった景色が広がっていた。


「っ!?!?」


 目の前には二種類の青。上の青には白い十字がゆらゆらと浮かんでいた。下の青は動いていて、見る見るうちに近づいてくる。颯茄はドアを押していた手を慌てて引っ込めようとした。


「閉めて、閉めてっっ!!」


 だが、遅かった。大理石と水色の絨毯は一気に変色してしまった。妻はがっくりと肩を落とす。


「あぁ……やってしまった……」


 ブーツの深緑がさらに深い緑に染まっている。もう同じ失敗を二度としないように、ドアは絶対に開けず、妻はそれを凝視したまま中を検証する。


「飛んでたのはカモメ。真正面から波がザバーンと迫ってきて……今私がいたのは……海? それとも砂浜かな? とりあえずそれは置いておいて、ドアまであっという間に波が近づいて……」


 一生懸命閉めたのだが、間に合わなかった。廊下に押し寄せた波。妻は掃除するであろう誰かに、頭を丁寧に下げた。


「すみません。廊下が水浸しになってしまいました……」


 隠れんぼ中であり、掃除をしている暇がなく、そのまま放置して、妻は再び乾いた絨毯の上を歩き出す。


 ブラウンの髪の背後で、不思議なことに浸水は綺麗に消え去り、元の平和な廊下が広がった。

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