第14話 人の命をセンチメンタルに利用する

 これは、ネット上の誹謗中傷を苦に自殺された女性プロレスラーの木村花さん関連の記事で、ある方が書かれていたものです。


 人の命をセンチメンタルに利用する


 とある、左翼系の女性団体の言動に対して、かなりの批判が集まっておりまして、その中の一つに、こういう表現があったわけ。


 助けてあげられなくてごめんね。


 そのもととなる表現は、一言で言えば、このようなもの。

 一見もっともらしく、相手を思いやっているようにも思えるのだが、無関係な社会活動団体がそんなことを言えば、遺族は、どう思うか?


 ありがとう、お気持ちだけでもうれしいです・・・(???)


 そんな気持ちになど、なるわけ、ねえだろが、ボケ!

 オドレら、何様のつもりじゃ、失せろ!

 となるのが、オチやで。


 この表現を見て、自分自身の人生で出会った人たちのことを思い出してみた。

 なるほど、そういうことか!


 その手の人たちは、当時高校生の年齢の私に、まあ、いろいろ言ってくださいました。その多くが、まさに、上に述べた言葉どおりのものだった。

 もちろん、そうでないものもあったけど、ほとんどが、そうだった。


 憎くて言っているのではない、為を思って言っているのよ!


 こういう言動が得意な女性がいた。

 そういう人物の言うことだけあって、内容的には聞くべきものなど、当時の私には、もはや、なかった。

 その人は私が小学生のころから、実に愛情深く接してくださって、そのことには感謝している。

 だが、それとこれとは、話が別だ。


 そうそう、大学に合格後、ある時、養護施設にいた某児童指導員の男性に対して、私は、こんなことを言ったことがある。


 ためを思って言えば何でもいいというものではない。

 ためを思おうが、内容がなければ聞く必要も価値もない。

 だが、金儲けのつもりで行っているようなことであっても、聞くべき内容があれば、当然、聞くまでのことですよ。


 これを聞いたくだんの男性指導員氏は、その表情が引きつっていましたね。

 なにやら、言い返してきたのは覚えているが、もはや、私に対して上から目線でものを言える能力も資格もないということがはっきりと言い渡されたような気持になられたようにも、思えた。

 それも、そのはずだ。

 彼自身が、人の人生、ここで言うのは入所児童だった私ってことになるけど、その人生を、センチメンタルに扱っていたし、その手合いの人物の典型だったのだから。


 人の人生を、ましてや人の命をそういうセンチメンタルなものに利用しようとする手合いは、特に偽善がはびこりかねない世界には、一定数、いるものです。

 悲しいが、それが、現実です。

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