第17話 夢(1)スマイルエッグ
母は明るい笑みを浮かべて、子供達の顔を愛し気に眺め、言った。
「お母さんは病気よ。治らない。いつか死ぬ。
でもね、人間はいつか死ぬし、大抵は順番から言って、お母さんがあなた達よりも先に死ぬ。
だから、お母さんはそんなに怖くはないのよ」
それでも子供達は不安を隠し切れずに母を見つめ返した。
「最後の時まで、お母さんは楽しむわ。お父さんやあなた達との時間を大切にして、精一杯生きる。そして、精一杯愛する。
だから、お母さんがこの世から消えても、お母さんがあなた達を愛している事を忘れないで。
ちょっとは寂しくても仕方ないかな。でも、いつまでも泣かないで。笑ってちょうだい。お母さんはあなた達の笑顔が大好きなんだから」
それで、蘇芳は無理矢理笑顔を浮かべようとして失敗し、おかしな顔になった。浅葱は泣きながら笑うという器用さを見せたが、まだ小さい萌葱が泣き出したのに釣られて、泣き出した。父も穏やかな笑みを浮かべて妻と子供達を見守っていたが、たまらず涙を浮かべた。
そしてとうとう、一家全員、抱き合って、泣き出した。
その次は、突然、葬儀の場になった。
祭壇に並ぶ2つの箱。笑う父の写真と母の写真が飾られた祭壇には花が溢れ、全員が真っ黒の服を着てそれに手を合わせる。
萌葱は浅葱と蘇芳と並んで座りながら、考えていた。
あの箱のふたが開いて、
「ああ、よく寝た」
とか言いながら母も父も起き上がって来るんじゃないか、と。
しかし同時に、そんな事は起こらないとも理解している。
親類達はひそめたつもりの声で、相談という押し付け合いをしていた。
「3人一緒でないと嫌、か」
「うちは認知症手前のおばあちゃんがいるし、狭いから無理よ」
「俺は出張もあるし、転勤も多いし、その、かわいそうだろ」
「正直子供の学費とかで、生活がかつかつだ。引き取るのはな。養育費として遺産を貰えるなら、そうしてもいいが」
「何言ってるのよ。養育費を兄さんのところの生活費に充てるだけでしょ」
「きれいごとはいい。一番の問題児は、あの子だろう」
「薄気味悪いわ、何となく」
「怖いんだ」
その相談の結果、作ったような愛想笑いを浮かべ、彼らは言った。
「蘇芳君は20歳だし、マンションで自活できるな。学費や生活費は、遺産や保険金でやっていけるはずだし。浅葱君も18歳だから、大丈夫だろう。
萌葱君は8歳だけど、しっかりしてるから。その、どうしてもなら、福祉に相談して、な。
おじさんのところも他の家も、家は狭いし、生活にゆとりがあるわけでもないからなあ。
あ。バラバラでいいなら、まだな。蘇芳君の大学はうちからも通えるし、浅葱君も近くの大学に入ればいいし。養育費を預かれるならいいぞ」
「あら。うちだってそれならいいわよ。家が焼けた跡を更地にして売ってもいいし、マンションにしてもいいわねえ」
そう言って牽制し合う彼らが、嘘をついているのを萌葱はわかっていたし、蘇芳や浅葱も、丸わかりだった。
「弟たちは俺が面倒を見ます。幸い遺産も保険金もありますので」
蘇芳が冷たい笑みを浮かべて答え、浅葱が敵を見るかのように彼らを睨みつけ、萌葱は何の感情も浮かべる事無く、ただ視線をそらして座っていた。
うそつきばかりだ。
あなた達はみんな、うそをついている。
気付くと目の前には見慣れたカーテンと机があった。
「ああ。夢か」
萌葱は枕元の時計を見た。目覚まし時計が鳴る23分前。なので、アラームをオフにして、起き上がった。
両親の死ぬ数日前と、葬儀の日の記憶だ。こうして時々、夢に見る。
(今日は高山さんに会って、被疑者の供述を視る事になってるからかな)
萌葱はそう考え、改めて兄達に感謝した。いつも自分は、蘇芳と浅葱に守られている。薄気味悪いと嫌悪されても、不思議ではないのに。
「よし!」
萌葱は立ち上がると、部屋を出た。
真っ白なワイシャツを着た蘇芳と、寝癖を何とかしようと手で抑えつけながら来た浅葱が、相次いでダイニングに入って来て言った。
「今日の朝飯、いつもより豪勢だな」
「今日はトーストとコーヒーだけじゃないのか?」
朝、洗濯機を回すのは早く起きた者がやり、出勤時間が遅くて済む蘇芳が干す。取り入れるのは、蘇芳か萌葱になる。
そして朝食はトーストとパンなので、何となく誰かがやる。
萌葱は制服の上につけたエプロンを外して、座りながら答えた。
「ああ、うん。まあ、卵が特売でたくさん買ったし、トマトが傷む前に食べておいた方がいいし、その、蘇芳兄も浅葱兄も、仕事があるからしっかり食べた方がいいかと思って」
自分で、うそではない、と思う。感謝していると今唐突に言うのも変だから、誤魔化したと言うのが正しい。
蘇芳も浅葱も大人しくテーブルにつき、
「ゆで卵が笑ってるぜ」
「ウインナーがこいのぼりだ」
と、サラダの上に乗せた、目と口を付けたゆで卵と飾り切りをしたウインナーを見て表情を緩める。
「いただきます」
「今日は高山さんに頼まれた件で被疑者に会うから、遅くなるかも」
「気を付けろよ」
「何かあればすぐに行くから、電話するんだぞ」
「うん。ありがとう」
3人は笑い、そして慌ただしく朝食を食べた。
萌葱は思った。両親の死の真相に辿り着くためなら、この能力でも刑事でも、使えるものは何でも使ってやる、と。
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