第44話 ド新人邪道アイドルと踏み出すこれから
どれだけ揉めても、本番になるときっちり仕事をしてみせるのは、本当に宝耀さんの美点だと思う。なんだかんだで、プロ意識がとても高いアイドルだ。
無事、五体満足で宝耀さんの前座ライブに立ち会えた僕は、舞台袖でパフォーマンスを見守っていた。
クリスマスライブにやってくるお客は、本道さん目当てなわけで、開演時間になるまでは時間を潰すなり物販でグッズを購入するなりするので、チケットが売れた分だけ客席が埋まっているわけではないのだけれど、宝耀さんが前座をしている時点ですでに8割くらい席が埋まっていた。これは、宝耀さんも見ておこうと思ってくれたお客がいる証拠だ。
前座なだけに、ステージ演出なんてゼロに近かったけれど、宝耀さんはパフォーマンスだけで会場を沸かせていた。元々声はいいし、レッスンのおかげでダンスもできるようになっているし、見栄えもするからね。
木乃実の歌を歌う宝耀さんを見ていると、涙が出そうだった。
木乃実のマネージャーをして、二人三脚で駆け回った時のことが蘇ってくる。
もちろん、宝耀さんと木乃実とでは、ぜんぜん違うタイプのアイドルなのだけれど、僕にはダブって見えた。
しんみりした感じになるのも、その2曲までだった。
「――本道永澪アイドルの前説を担当する宝耀海奈なんですけどもね、名前だけで覚えて帰っていただければと思いまーす」
余った時間をMCで繋いでくれる。
これをキッカケにイベントの司会のお仕事でも来たらいいんだけど。
「さて、わたしの名前より大事なのがこの本道永澪アイドルのグッズ。わたしが今ぶんぶん振り回してるこの特製本道タオル、通販では送料別の2500円ですが物販コーナーではなんと2000円、送料もタダ! このライブ、演出にこだわりまくりなんでぶっちゃけグッズを完売させないと赤字になる可能性がありまーす。高いものを中心にバンバン買ってくれないと、これっきりのライブになっちゃうかもでーす。ライブ終了後も物販は開いてるので、ぜひぜひ~」
そういう世知辛い裏事情を明かして同情を買ってもらおうとしなくていいんだよ。
「海奈さんはどうなりたいんですかね、お笑い路線に行きたいんでしょうか」
僕の隣で、同じ光景を見ていた澤樫が言う。
「盛り上がってくれているみたいだから、まあいいですけど」
澤樫は、物販の売れ行きがいいことに満足しているようだ。
そうこうしていると、出番を終えた宝耀さんがこちらにはけてきた。
「きょーしろさん、どうでしたか、わたしのライブは!」
「うん、よかったよ」
永澪相手だと揉めやすい宝耀さんが、きっちりメインへバトンを繋いで見せたのだ。物販へ誘導したのだっていいことではあるし、ちゃんと褒めないとね。
宝耀さんは満足げに微笑み。
「この調子で後半もがんばっちゃいますね!」
「後半?」
「売り子やるんですよ! ライブ終わったあとに!」
宝耀さんはすでに、売り子用のハッピを用意していた。
演者の宝耀さんが売り子までする必要はないのだが、してはいけないこともない。演者が物販に立って直接ファンとやりとりすることだってあるわけだし。
「宝耀さん、永澪のためにそこまでやってくれるんだね。ありがとう」
あれほど揉めていたライバルが相手でも、ひよこオフィスの仲間として一丸となってくれている。宝耀さんの精神的な成長を目の当たりにしているようで、感動すら覚えてしまった。
「そりゃやりますよ。だって、わたしが売り子をやれば、お会計のたびにわたしを売り込めるんですよ? 本道永澪アイドルのファンを全員推し変させてやるのです!」
本心から期待していた僕は、膝から崩れ落ちそうになる。
まさかそういう理由で永澪に協力的になっていたとは……。
「まあ、お手々を握ってにっこり微笑めば、チョロいファンなんて一発っすよ。みーんなわたしのファン、熱狂的な『カイナニスタ』になるに決まってますので」
「不純な動機があるなら売り子やらなくて結構よ」
呆れた顔の澤樫が、宝耀さんからハッピを取り上げた。
せっかく澤樫からも前座を褒められたっていうのに、宝耀さんは台無しにしちゃうんだものなぁ。
舞台袖の通路が、騒がしくなり始める。
永澪の出番が近づいているのだろう。
主役が登場する前に、口をとがらせて不満顔の宝耀さんを引っ張って、楽屋へ向かおうとすると。
「――京志郎くん」
メイクと着替えを終え、準備万端な永澪がいた。
「すっごいでしょ、永澪お姉ちゃん。もう永澪しか勝たんってゆーやつだよね」
その背後には、ドヤ顔の社長がいる。会心の出来な『我が子』に、親バカっぷりが炸裂していたけれど、僕も社長に同意だった。
永澪の格好は、クリスマスという時期に合わせて、赤と白を基調としたゴシックなテイストの衣装だった。2次元な感じが強い意匠でもきっちり着こなすあたり、非凡な感があった。
永澪が着る衣装は、事前に知っていたけれど、いざこうして着ているところを前にすると、想像を上回る印象を受けた。
「京志郎くん、どうかな?」
永澪が訊ねてくる。どこか恥ずかしそうにしていた。冬場の衣装とは思えないくらい露出あるからね。腕や膝、そして胸元がわりとざっくり開いていた。
そしてどうやら、永澪の僕の呼び名は『京志郎くん』で固定されてしまったらしい。この際もういいけどさ、澤樫のことは『茅桜さん』とさん付けなのに、澤樫より先輩の僕は君付けでなんだか年下感があるのは釈然としないものがある。
「いいんじゃない? これでまたファンが増えそうだね」
この日のライブは、ライブストリーミングでも配信される予定だった。抽選に外れたファンへの救済措置であり、県外のファン向けのものでもある。この集客力なら、次また大掛かりなライブがあるとすれば、もっと大きな会場でやることになるだろう。
「誰が京志郎くんですかオラァ! わたしの許可を得ずにねごと言ってるんじゃないですよ」
宝耀さんが割り込んでくる。
「海奈ちゃんの許可なんて1番いらないよね」
返す刀で、永澪も退くことをしなかった。
「ほらほら、本番前に揉めない。衣装もメイクもぐちゃぐちゃになっちゃうでしょ」
永澪のために会場を盛り上げたと思ったらこれよ。
僕は2人を引き離し、永澪を澤樫に託す。
宝耀さんをライブ用の衣装のままでいさせるわけにもいかないので、一旦楽屋まで引き上げることにした。この会場は設備が整っているから、楽屋にもモニターがあって、会場の様子が見える。大事な瞬間を見逃す心配はない。もちろん、せっかく会場にいるのだから、直接目で見て見守りたい気持ちはあるけれど。
楽屋には人が出払っていて、僕と宝耀さんしかいない状況だった。
鏡台の前の椅子に座った宝耀さんはやたらとリラックスした格好をし始める。ぐでんとした座り方で、完全にだらけモードである。
「きょーしろさん。そろそろわたしのことも名前で呼んじゃう時期じゃないですか?」
「どういう時期なの、それ」
「だってぇ、あの女を名前で呼んで、どうしてわたしを呼ばないんですか? おかしいやろが」
「突然西の言葉になる方がおかしいよ」
構うことなく、宝耀さんは衣装のまま、僕に絡みついてくる。
衣装とはいえ、かなりの薄着だから、まるで肌のままぴったり密着されたような気分になった僕は。
「汗、くさっ」
「くさくないでしょうが!」
ひらひらな衣装をバサバサして風を送ってくる宝耀さん。
ライブ終わりの宝耀さんは、短いながらも全力のパフォーマンスにより、多少汗をかいていた。
「女の子が汗をかいたら独自の体臭と混じってフローラルな素敵な香りがするんですよ! わたしはアイドルなんですからなおさらいい匂いがします! しますよね!?」
「わかったわかった、腕を極めながら言わないで」
アイドルからチキンウイングフェイスロックをされるなんて前代未聞だよ。
まあ、実際臭くはなかったわけだし。
「いいですか、わたしは『海奈』です。海奈と、呼びますよね!?」
「わかったわかった、呼ぶから……」
そう返事をすると、宝耀さんはようやく技を解いてくれる。
名前呼びに変わる瞬間って、こういう武力行使で起きるものじゃないと思うんだけどな。
宝耀さんは、僕を壁際のソファまで押し込んで座らせると、しれっとした顔で膝の上に座ってきた。今後、家の外ではアイドルとマネージャーの距離感をしっかり意識するように言い聞かせておかないと。
「海奈……これでいい?」
仕事の関係で女の子の名前を呼ぶことにはもう慣れたけれど、こういう改まったかたちだとなんだか恥ずかしい。ただでさえ宝耀さん……いや、海奈は僕のプライベートにまで侵食してきているからなおさらだった。
「その照れがなんとも初々しいですねぇ、きょーしろさん」
ぬふふ、と不気味な笑みを浮かべ、僕の耳元でちゅっちゅと口元を鳴らす宝耀さんこと海奈。
「うふふ、わたしのとっても初々しいところも見てみたくないですか?」
「見てみたくない」
「なんで即答で拒否なんですか! もっと興味津々にしてくださいよ!」
「嫌な予感しかしないから」
興味持ったら絶対いらんこと言いそうだもんね。アイドルのイメージ崩壊しちゃいそう。
「ンモー! きょーしろさんったら、それでも男ですか! いつもみたいにわたしのおっぱいにむしゃぶりついてきてくださいよ~」
「それだと僕が無類のおっぱい好きみたいでしょうが。眠るために仕方なく海奈の胸を貸してもらってただけだよ」
「じゃあわたしのおっぱい買い取ってくださいよ! きょーしろさんが好きって言ってくれればタダで大盤振る舞いしちゃうんですから!」
「だから僕はアイドルとは恋愛できないって言ったでしょ」
まあ、海奈から好かれるのは悪い気はしないけれど、将来の宝耀海奈ファンに悪いからね。
モニターには、大歓声を浴びた永澪が映っていた。
モニターを見なくても、観客の大歓声と、それに応える永澪の声がこちらまで響いてくる。
「ぬ。目障りな映像ですね。あれ、切っちゃいましょう。そしてあの女がお歌にうつつを抜かしている間にイチャコラぶっこきまくるのです、きょーしろさん!」
「ダメダメ、ちゃんと永澪のパフォーマンスをじかに見て勉強しないと。今日はよかったけど、海奈はまだまだ永澪の領域には達してないんだからね?」
「そんなぁ。じゃあこのムラムラ盛り上がったわたしの気持ちはどうなっちゃうんですかぁ~?」
変な動物みたいに、海奈は僕の頬に自らの頬を擦り付けてくる。
「どうにもならないよ。ほら、立って」
このまま放っておいたらどんな下ネタが飛び出すかわからないので、僕は海奈を立たせ、手を引いて連れて行こうとする。
「ああ、きょーしろさんと2人きりの空間が終わっちゃう~」
「2人きりにならざるをえない状況は、これからいっぱい来るから心配しなくていいよ」
「ええっ!? きょーしろさんが同棲したい宣言!?」
「違うよ、仕事で一緒になる機会がいくらでもあるって意味だよ。僕は海奈を売れっ子にしないといけないんだから」
楽屋を出ると、全身に浴びるような歓声がいっそう強くなる。
「海奈も、これくらいたくさんの歓声を向けられてみたいでしょ?」
「わたしなら、この程度じゃ足りませんね」
そのわりには、まんざらでもない顔をしていた。
たくさんのファンから支持されたいという気持ちは、当然あるだろう。前座とはいえ、この日は多くの観客の視線と声援を浴びるという経験をしてしまったのだから。
海奈を舞台袖まで連れて歩く。
海奈はいまのところ上手くやってくれているけれど、アイドルとしてはまだまだ成長途中だ。
これからもっと場数を踏まないといけない。
今は順調でも、躓くことはあるだろう。順調なままずっといられるはずがないのだから。
海奈1人では、どうしようもなくなる時だってくるかもしれない。
それを乗り越えるには、僕だってマネージャーとしていっそう成長しないといけない。
僕がしっかりしていなければ、木乃実を失った時と同じことを繰り返さないとも限らないのだから。
木乃実が残してくれたこの業界で、僕は木乃実の分も頑張らないといけない。
「まー、でも安心してくださいヨ。わたしがいれば、きょーしろさんをスーパーマネージャーにしてあげることも可能ですので」
「なに、スーパーマネージャーって?」
「わたしの恋人という特別な栄誉をもったマネージャーのことです」
「ちっともスーパー感ないよね」
「ふふ、わかってますよ。きょーしろさんは塩対応のようでいて、実は照れまくっているということを」
照れたつもりはないのだけれど、そう悪い気はしていない不思議な感覚の僕がいた。
色々不安なことはあるものの。
海奈の、わけのわからない自信に巻き込まれている限りは、これから何があろうとも、どうにかなってしまう気がした。
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