第43話 クリスマスライブ

 クリスマスライブの当日になる。

 ひよこオフィスのスタッフとして、僕は開場前のライブハウス内にいた。事務所のこれからがかかっている大事なライブだから、社長を含めたスタッフが全員この場に立ち会っている。

 すでに本道さんのリハーサルが始まっていて、そろそろ仕上げに取り掛かろうかという段階だった。

 僕はその光景を、舞台袖から見守っている。

 場数をこなしている本道さんだから、ライブ当日だろうと緊張している様子はなかった。もちろん、気を抜いているという意味ではなく、普段よりずっと気合が入っていて、近づくのを躊躇うようなピリピリとしたオーラをまとっていた。衣装に着替える前のジャージ姿だろうと、一切気を抜いていない。

 僕の不手際のせいで、本道さんの機嫌を損ねたんじゃないかと心配だったけれど、杞憂だったみたいだ。

 リハーサルを終え、本道さんが舞台袖に引っ込んでくる。


「…………」

「ど、どうしたのかな?」


 僕の前で立ち止まり、しばらく無言で見つめられては、そう訊ねるしかない。またなにかやっちゃっていそうで内心では少しビクついていた。

 多忙な本道さんのスケジュールの都合上、一緒にお出かけして以降、今日まで直接顔を合わせることはなかった。

 苛立ちを引きずっているかもしれない本道さんから何を言われるのか不安だったのだが。


「なんか、為田さんスッキリした顔してるなって思って」

「ああ、本道さんの大事なライブだからね。ちゃんと見守れるようにしっかり寝てきたから、そう見えるんじゃないのかな」

「……ホントにそれだけ?」


 本道さんが、真剣な顔で見上げてくる。

 大事なライブを前にして、そしてコンディションも万全らしい本道さんを相手に、もしかしたら余計なことは言わない方がよかったのかもしれない。


「……木乃実のことなんだけど」


 けれど、僕はそう切り出すことにした。

 社長を除けば、本道さんは今のメンバーで唯一、木乃実と面識がある人だ。

 そして、僕が今も木乃実のことで悩んでいるのを気にかけていた人物でもある。

 本道さんには、言っておかなければいけないと思った。

 そうしないと、本道さんは今も僕が木乃実を失った後悔に囚われ続けていると思ってしまうだろうから。


「本道さんが言った通り、僕は千田さんがいなくなって後悔してたんだ。ここ最近は、ずっとそのことで気にしてた。だから、調子が悪い日だってあったかもしれない。……でも、もう大丈夫だから。千田さんのためにも、僕はふさぎ込んでちゃいけないって気づいたんだ」

「どうして、急にコノちゃんのこと話す気になったの?」


 本道さんが訊ねてくる。

 誤魔化しを許しそうにない、本気の顔だった。

 どうしよう。

 ……木乃実を吹っ切れたのは、宝耀さんのおかげだと伝えるべきなのだろうか?

 どうも本道さんは、やたらと宝耀さんを意識しているらしいし、言わない方がいいかと思ったのだが。


「どーせ、海奈ちゃんのおかげなんでしょ?」


 本道さんの方から先にそう切り出してきた。


「うん、まあ、いい相談相手になってくれて」


 そう言うと、本道さんの眉がピクリと動いた。

 マズい。なんだかほんのり闘気をまとっている。僕、またなんかやっちゃいました……? でも本道さんから切り出してきたことだしなぁ。


「ほら、宝耀さんは、今僕がマネージャーしてる子だし、前にマネージャーしていたアイドルの子のことも知っておいた方がいいと思って。……その流れで、前に本道さんが言ったように今も千田さんがのことを気にしてるって相談したんだ」


 言い訳めいたことを口にしてしまうのは、まだまだ僕の精神が未熟だからかもしれない。


「私には……相談しなかったのに? 私だって、コノちゃんとは仲良かったんだけどなぁ。芸能界やめちゃうって聞いた時もすごく悲しかったし」


 本道さんは、芸歴でも年齢でも先輩である木乃実を姉のように慕っていた。アイドルになったばかりの頃の本道さんは、今みたいにたくましくて頼もしくはなかった。もしかしたら木乃実がいなかったら歩道さんは売れる前にやめてしまっていたかもしれない。それだけ親しかったから、どうして自分ではなく宝耀さんに? という気持ちがあるのだろう。


「本道さんは、ライブ前だったし普段も忙しいしもう僕はマネージャーしてなかったしで、相談していいものかどうか迷って。……宝耀さんはほら、その分気が楽だったから。話しやすかったっていうか」

「為田さんからは私をはれもの扱いするんだね。そんなに私、からみにくいかなぁ?」


 本道さんの言うことも、はっきりと否定はできなかった。

 厄介だと思っているわけじゃない。逆だ。一時期僕がマネージャーをしていた頃よりも、本道さんはずっと売れっ子になっていて、うちの事務所の将来を背負って立つ存在になっているのだ。丁重に扱おうとしすぎて、かえって距離が生まれていたことは認めるしかない。


「もちろん、本道さんの方が千田さんとは仲良かったけどさ、宝耀さんは面識がないわけで、だからこそ話しやすかったっていうのもあるんだ。知らないからこそ、気兼ねなく言えたっていうか」


 木乃実を取り巻く人間関係のしがらみに含まれていない、ある意味では外部の人間だったからこそ、言えた部分もある。木乃実と面識がないという意味では、澤樫だって同じなのだけれど、年下の腐れ縁が相手だと、どうしたってカッコつけたがってしまう、素直に悩みを言うことができなかったのだ。

 本道さんは、うつむいたまましばらく黙っていて。


「……まあ、為田さんを立ち直らせちゃったんだから、私からは文句言えないよね」


 小さな声でそう言った本道さんはくるりと僕に背中を向ける。


「ふーん。そ。だったら為田さんは、もうコノちゃんを言い訳にして私に他人行儀にすることもなくなるよね」

「えっ? それってどういう……」


 なんとなく、不穏なものを感じてしまう。


「もう私のことも名前で呼べちゃうでしょ?」


 振り返った時、本道さんの顔に浮かんでいたのは笑顔だった。

 ただし、からかうのが大好きな小悪魔テイストが強めだったけれど。


「前みたいに戻せちゃうよね、為田さん?」


 僕との距離を一歩分縮めて、本道さんが迫ってくる。宝耀さんみたいに長身じゃなくてよかった。本道さんの背丈がもう少し高かったらキスだって可能な距離感でドキドキしちゃうもの。


「いや、うん、まあ……ねえ?」


 これは迷う。

 もちろん、木乃実のことは、かつてマネージャーをした大事なアイドルとしてこれからも心に留めておくつもりだけれど、まだまだ未熟な僕のことだから、また距離感を間違えて自爆して担当しているアイドルを傷つけてしまわないとも限らない。

 必要以上に距離感を近づけることによる恐れは、今もある。

 だけど。

 僕は、決めたのだ。

 木乃実の分も、僕は立派にマネージャーとしてやっていくんだって。

 変に意識して、大事なアイドルに不信感を抱かせてはいけない。


「ええと、永……澪……?」

「為田さん、私の名前知ってるでしょ。なんかようやく思い出したみたいな言い方しないで。もう一回」


 本道さんからリテイクが来る。人差し指で顎先をつんとされた。


「……永澪?」

「なんで疑問形なのかな? もしかして為田さん、私の名前うろおぼえなのかな?」


 こりゃ、とんでもない鬼監督を前にしてしまったみたいだ。


「永澪」

「うーん、前はもっと親しみこもってたんだけどなぁ」

「永澪!」

「ぜんぜん恋人っぽくなーい」

「調子に乗るんじゃないよ」


 元カノギミックなんてぶっこまなくたっていいんだよ。僕じゃ釣り合い取れないもの。

 ぴこん、と僕は本道さんにデコピンを放つ。もちろん、ライブを前にしておでこに変なあとをつけるわけにはいかないから、軽く弾く力加減だ。

 僕から額を弾かれたというのに、額に手を当てる本道さんは嬉しそうにまにましていた。まさかマゾに目覚めちゃったんじゃないだろうね。


「ふふ、なんか空回って可愛かった頃の為田さんが戻ってきたみたい」

「空回っちゃだめでしょ。マネージャーとして仕事できてない証拠だよ」

「これからも、そういう為田さんでいてね? あと名前で呼んで」


 本道さんは僕の手を取って、華麗なステップで回り込んだ。ピリピリモードは完全に鳴りを潜めていて、ともすればほどよい緊張感すら失っていそうな緩んだ表情をしていた。

 アイドルのモチベーションを上げるのも、マネージャーの仕事のうち。

 それならこれからも、本道さんのことは、以前のように『永澪』と名前で呼んであげるべきだろう。


「為田さんが私を名前で呼んでくれるなら、私も『京志郎』って呼ばないとダメだよね」

「ダメだよ。そこはマネージャーなんだし、今まで通り僕のことは名字呼びでいいよ」


 ジャーマネ、ナントカ取ってこいや! みたいに顎で使われるパシリをさせられるのもシャクだけどさ。


「海奈ちゃんには名前で呼ばせてるのに?」

「呼ばせてるわけじゃなくて――」

「アッー! なにしてるんですか!」


 噂をすればなんとやら。

 聞き慣れた騒々しい声を発しながらやってきたのは、案の定宝耀さんだった。

 アイドルにあるまじき、両拳を握りしめた大股歩きでずんずんこちらに突進してくる。


「こらっ! このおちびはまた人のマネージャーさんを盗み取ろうとして!」


 手癖の悪い子ダヨ! と言いながら、宝耀さんは本道さんから僕を引き離す。


「この女はとんでもないものを盗んでいこうとしました、わたしのきょーしろさんです!」

「僕は宝耀さんのものじゃないし、永澪は某ルパンじゃないよ」

「ほらっ、そこのインターポールに身柄を拘束されるのです!」


 宝耀さんは、近くにいた警備スタッフに永澪を押し付けようとするのだが。


「……今、なんて?」


 振り返りながら耳を引くつかせて、宝耀さんがまたGペンでゴリゴリ描いたような劇画タッチになる。それやめろって言ったよね? アイドルやぞ。


「呼び方……ヘンじゃなかったですか……?」

「な・が・れ、って呼んでくれたんだよ、海奈ちゃん?」


 僕の代わりに答えたのは、天使の笑みを浮かべた悪魔こと本道さんだった。


「よし決めた、折る」

「折る、じゃないでしょうが」


 修羅の顔で永澪の腕を取りに行った宝耀さんを止めたのは、澤樫だった。永澪に向かっていた宝耀さんの腕を曲げて、かんたんに背後を取ってしまう。マネージャーにしておくにはもったいない格闘センスだよ。


「ナガちゃん、探したのよ? ここはいいから、早く楽屋行って。メイクと着替え始めないとでしょ?」

「そーだね。ありがと、茅桜さん。じゃあまたね、『京志郎』」


 優雅に去っていく永澪の背中を見つめる宝耀さんと澤樫が、揃ってアメコミタッチの顔になる。だからさぁ。


「今……きょーしろさんを京志郎って」

「先輩を……京志郎って」


 男の僕以上の戦闘能力を誇る女子二人に囲まれる。


「「どういうことなんですか?」」


 ステレオで詰問される。

 どうしてこういう時だけ結託するかなぁ。

 どうやら万全の状態でライブ本番を迎えるには、睡眠を取るだけではダメなようだ。

 僕の本気の弁解をお見せするときが、ついに来てしまったか……。

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