第42話 とある新人アイドルと駆け出しマネージャーの話
結果的に就業時間中に寝てしまったわけだけれど、宝耀さんが起こしてくれたから2時間程度のロスで済んだ。この日の仕事はデスクワークだけだったからよかったものの、僕が休んだ分だけ他の人間への負担が増えるから、今後同じ手は使えまい。
夜になると、以前のように宝耀さんが僕の部屋にやってきていた。
僕は、自分に負けたのだ。
結局また、宝耀さんに『枕』になることを求めてしまった。
大事なクリスマスライブで体調不良になって本道さんや宝耀さんに迷惑をかけたらマズいから、という言い訳が、僕を甘やかした。特に、ライブの主役である本道さんには自分でも気づかないうちに気に障ることを言ってしまっていたみたいだし。
「なんか、ごめんね。僕の意思が弱いせいで」
「いいんですよぉ、元々わたしはきょーしろさんのことが嫌で一緒に寝ないって言ったわけじゃないですからね」
僕の隣という『定位置』にいる宝耀さんが、寝返りをうってこちらに体を向けてくる。
「ふふふ、ていうかわたし、きょーしろさんのことちゅきちゅき大ちゅきなんで、これからはきょーしろさんが眠ったらなにするかわかりませんよ?」
ベッドサイドのスタンドの明かりだけという薄暗い部屋の中で、宝耀さんの笑みだけがひときわ輝いて見えた。肘を付いて、寝ているこちらを覗き込んでくる姿は妖艶ですらある。
そういえば、そうだった。
そもそも僕は、マネージャーとアイドルが恋愛関係に発展することを警戒して、『不眠はもう治った』とウソをついたわけで。不眠症の件が結局は解決されていない以上、僕は宝耀さんとの関係性に気をつけ続けなければいけないのだ。
しかも今の宝耀さんは、スタジオでレッスンするアイドル仲間からいらん知識を付けられている様子。以前よりずっと厄介になっている。
宝耀さんは、僕を助けた対価を要求することはなかった。『枕になって助けてあげるのでわたしと恋愛してください』みたいなことは言ってこなかったのだ。
つまり宝耀さんは、純粋な善意でこうしてくれているかもしれないわけで。
「宝耀さん、悪いんだけど、僕はやっぱりマネージャーとして、君と恋愛するわけにはいかないんだよ」
だから、宝耀さんに対する態度を変える意思がないと伝えるには、罪悪感があった。
「え~? なんですか~、ここまでしておいて~」
宝耀さんはやたらと体をくねくねさせながら、ヘビみたいに絡みついて来ようとする。マズい。これ以上体の接触を続けられたら僕のSON値が急上昇してしまう。
僕の腕をおっぱいで挟もうとするんじゃないよ。……これ、ちょっと指先動かしたら宝耀さんのセンシティブポイントに触れる可能性あるぞ。
「今の僕にできるのは、ここまでなんだ」
僕は、拳を強く握りしめた。
「――だから代わりに、誰にも言ってないこと教えるよ。宝耀さんにだけは、知っておいてもらいたいんだ」
「なっ、なんですか!? きょーしろさんが誰にも言ってないことって! それめちゃめちゃ気になるトピックじゃないですか!」
「……まあ、ただの悩み相談みたいなのなんだけどね」
「お悩みを相談してしまうなんて、ついに……きょーしろさんが心を開いてくれるんですね!」
「宝耀さんの中では僕はどれだけ心を閉ざした人なの……」
宝耀さんは僕に応えることなく、いそいそと僕の左腕を引っ張って、腕枕の状況をつくりあげていた。
「横になってると身長差が関係なくなるからいいですよね!」
ひょっとして宝耀さん、ずっと身長差気にしてたのかなぁ。
胸元に心地よく柔らかい感触を覚えながら、僕は話すことにした。
「僕は、宝耀さんが初めてのマネージャーってわけじゃなくて。以前、千田木乃実ってアイドルの子のマネージャーをしていたんだ」
今度はマネージャーとしてアイドルを応援する側になる、と決めてひよこオフィスに入社した僕は、木乃実のマネージャーになった。ひよこオフィスの母体である『パーフェクトプラン・プロダクション』の女優だった木乃実は、アイドルに転身するかたちで移籍してきたものの、卑屈になることなく一生懸命アイドルを全うしようとしていた。けれど今は、芸能界を引退して地元へ帰っている。マネージャーとして、売れっ子になるまでサポートができなかったことを、僕は今でも悔やんでいる。初めてマネージャーについたアイドルだったから、その分思い入れも強かったのだ。
と、そこまでは、特に躊躇いなく話せることだった。
けれど、ここからは、澤樫にも本道さんにも話せなかったことだ。
「千田さんは、続けようと思えばアイドルを続けられたんだ。まだまだ若かったし、人気者になれる下地は十分にあったからね。見た目もいいし明るいし素直だったし。……まあちょっと押しの弱いところはあったけど、そのおかげで共演した先輩からは可愛がられていたし、後輩からは慕われて、子役あがりだからその時から知ってる熱心なファンもいて。だから、もう少し長く芸能界にいれば、絶対に成功できるはずだったんだ」
「でも、その人、それだけの人なのにどうしてやめちゃったんですか?」
宝耀さんは僕を心配するような口ぶりだった。
「限界だったんだよ。僕の方が」
「きょーしろさんがですか?」
宝耀さんは不思議そうにする。そりゃそう思うよね。千田木乃実が限界を感じたから芸能界をやめて田舎に帰ったんじゃないの? って普通なら思うはずだから。
「千田さんが売れるために、あの頃の僕はできることをしたんだ。それこそ、ほとんど寝る暇もないくらい駆け回って、営業したり千田さんのサポートしたりね。千田さんはよくやってくれてたよ。頑張ってたし。……でも、この業界は頑張れば売れるってものでもないからね。なかなか結果が出なくて、僕の方が先に音を上げちゃったんだ」
新人アイドルとはいえ、木乃実は子役からのキャリアがあるから、歳は下でも業界では僕よりずっと先輩だった。経験も根性もあったから、頑張っても売れない、という厳しい立場に置かれようともめげることはなかった。そんな熱意や根性があるからこそ、ローカルなアイドルに転身してまで芸能界で生き続けることを決めたのだから。
逆に、新人マネージャーの僕には耐性がなかった。
頑張っても空回りして、結果が出ない焦りのせいで、仕事にも精彩を欠くようになってしまった。悪い連鎖が始まっていった。
「結局、千田さんが引退しちゃったのは、僕のせいなんだよ。僕が力不足な上に人間的にも未熟で、プロに徹することができなかったから、やめなくていい芸能界をやめることになったんだ」
木乃実の才能を潰したのは、僕のせいだった。
誰よりも頑張っていた木乃実を差し置いて、結果が出ないことに焦った僕だけが傷ついて後ろ向きになって、疲弊していった。
絶対にそんな姿を表にはしないようにしていたのだけれど、未熟な僕は、日に日に疲労が重なることで、隠す余裕もなくなり、仕事に精彩を欠くようになっていた。
仕事の仲間として、ずっと近くにいた木乃実が、僕の異変に気づかないわけがなかった。
木乃実が、社長に僕を切るように頼むようなことがあったら、木乃実は今でもアイドルを続けていたかもしれない。そうするべきだったのだ。この業界に必要なのは、木乃実の方だったから。
けれど、木乃実は優しすぎた。
僕の力不足を、自分の責任として背負い込んでしまった。
木乃実は、引退する理由を話してはくれず、『私の分も、ここでがんばってね』とだけ言って去っていった。
たとえば、マネージャーになったのが僕ではなくて、あの頃はまだ入社していなかった澤樫だったら、木乃実を失うことなく済んだ。体育会系出身でメンタルが強い澤樫なら、僕みたいになることはなかったに違いない。
アイドルを応援するつもりで入った業界なのに、一番応援するべきアイドルを1人潰してしまったのだ。
本当なら責任をとって僕もこの業界を去るべきなのだろうけれど、当時から少数精鋭だったひよこオフィスから1人でも抜ければ、他のスタッフに対する負荷が増えてしまうので、今まで続けてきた。僕みたいな人間でも拾ってくれた恩から、僕はひよこオフィスに愛着があった。社長も、辞めろ、とは言わなかった。代わりに、また1人辞めていって空きができた本道さんのマネージャーをするように言われただけだった。
僕の話を、宝耀さんは黙って聞いていた。
こんな情けない話を聞かされたら、僕を好きと言ってくれている宝耀さんからだって見放されてしまうのではないかと恐れたのだが。
「だいじょうぶですよ。わたしがきょーしろさんを好きな気持ちは変わりませんから」
恐れを中和するような穏やかな声が、心地よく耳に響く。
「昔のお話をするだけでこーんなにドキドキしてる小心者のきょーしろさんのこと、嫌いになれるわけないじゃないですかぁ」
宝耀さんの頭は、ずっと僕の胸元に乗っていた。
「……その小心者のせいで、大事な仲間を1人潰しちゃったんだけどね」
それくらいの憎まれ口を叩かなければ、この場ですぐに宝耀さんのことを抱きしめてしまいそうだった。
自分への罰の意味も込めて宝耀さんに話すことにしたのに、嫌われるどころか満たされた気持ちになってしまっては意味がない。
木乃実にだって、悪い気がした。
「きょーしろさんだけが、そんなになにもかも抱えちゃうことないんですよ」
宝耀さんは、遠い位置にあった僕の右手を取る。抱え込まれて、宝耀さんの重みを感じるようなかたちになった。
「その女だって、きょーしろさんが悩みまくっちゃうことを望んで辞めたわけじゃないですよ」
「千田木乃実さんね。せっかくここまで話したんだし、ちゃんと名前覚えて」
変なところでブレないんだな……。
「その女、でいいんですよ。きょーしろさんに変なトラウマ植えつけた極悪人が! わたしのきょーしろさんですよ!」
「僕は宝耀さんのものじゃないけどね」
ぷんすかして木乃実への憤りをあらわにしているような宝耀さんだけど、本気で怒っているわけではないようだった。その代わり、腕に続いて脚が僕の体に絡んできた。完全に絡め取られて逃げられないよ、これ。
……でも、宝耀さんの言う通り、僕がこのまま責任を感じて、やがては潰れていきそうなことになるのを、木乃実が望んでいないことはわかる気がした。仮にも、僕は木乃実のマネージャーとして公私ともに近くにいたわけで、誰かを恨むような性格ではないことは知っている。
僕が沈み続けるのを、木乃実は望んでいない。
不思議なことに、宝耀さんから言われるまでそのことに気づけなかった。
木乃実といる時間は当然ながら僕の方が長くて、宝耀さんは面識すらないっていうのに。
「きょーしろさんは変な心配してるかもですけど、わたしなら心配ないですよぉ」
宝耀さんの頭の先が僕の鼻先に近づく。お風呂上がりというわけではないのに、甘く安らぐ匂いがした。
「きょーしろさんと離れたいなんて思えませんから」
宝耀さんの気持ちは、どうあっても変わらないらしい。
「わたしが田舎に帰る時があるとしたら、きょーしろさんも一緒です」
「ご両親への挨拶に連れて行こうとしてない?」
やたら積極的に迫ってくる宝耀さんだけれど、マネージャーを続ける限り宝耀さんの気持ちを受け入れるわけにはいかない。
「……昔、マネージャーをしていたアイドルに何があったのか、宝耀さんには知っておいてもらいたかったんだ。そういうことだから、僕は宝耀さんと恋愛するわけにはいかないんだよ」
宝耀さんがうちのアイドルである以上、一個人としての私情を入れるわけにはいかない。
まだまだ未熟な僕では、これから先宝耀さんのアイドル人生で何かあった時に同じことを繰り返してしまうだろうから。
しばらく無言の時間が流れる。
宝耀さんは離れることなく、僕の体にぴったり張り付いたままでいて。
「これ、このままえっちなことになだれ込んじゃいそうな雰囲気ですね!」
「ならないよ。どう考えてもそんな甘い流れじゃなかったでしょ……」
それはそれでいいかな、という気持ちは、必死で抑えることにした。これ以上宝耀さんに甘えたら、僕はもうこの業界ではやっていけない。
木乃実を犠牲にして踏みとどまった居場所を、失うわけにはいかないのだ。
「冗談ですよぉ。わたしだって聞いたばかりの話を忘れちゃうほどバカじゃないですからね」
宝耀さんが微笑む。
「まー、わかりましたよ。これ以上しつこくしてきょーしろさんに放り出されたくないので。今はただのアイドルでいてあげます」
そう言って宝耀さんは、僕の頭を抱えるように抱きしめてくる。
顔面が胸元へ向かったものだから、次第に眠気が訪れる。
「でも代わりに、きょーしろさんが眠ってる時間だけは、わたしにください」
宝耀さんの柔らかな感触に挟まれているせいか、曖昧な響きとして聞こえてくる。
それくらいならいいかと思っていると、眠気はすぐに訪れた。
これまでよりずっと、すっと晴れた気分になり、いつもより寝付きがいい気がした。
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