第39話 正統派アイドルとお出かけ

 本道さんをスタジオに送り届けたあと、僕はデスクワークを片付けるために事務所へ戻った。

 この日は、澤樫も社長も出払っていた。弱小かつ少人数な事務所なので、スタッフ総出で外回りをしないといけないこともある。

 その代わり、珍しく本道さんが事務所にいた。売れっ子の本道さんだけど、2,3時間しか眠れないレベルのハードスケジュールではないから、オフの日になると仕事がなくてもひょっこり事務所に現れることがある。


「為田さんっ」


 デスクでノートパソコンと向かい合っていると、ご機嫌な本道さんが声をかけてきた。


「こってるう?」


 その上、僕の肩を揉んでくる。絶妙な塩梅でとても気持ちがいいが、大事なアイドルに余計な労働をさせるわけにはいかない。


「本道さん、することなくてヒマなら、こんなとこじゃなくてお出かけでもした方が有意義なんじゃない?」

「えー? 為田さんは私のこと邪魔なの?」

「そうじゃないけどさ、わざわざこんな窮屈なところでオフを過ごさなくてもいいでしょ。どこかで羽伸ばしてきたら?」


 ただでさえ、大事なクリスマスライブを前にして根を詰めているのだろうし。

 本道さんは、いつでもニコニコしていて、どんな時でもアイドルの鑑な振る舞いをしているけれど、良くも悪くも真面目なところがある。

 木乃実がいなくなったあと、ほぼ一人でひよこオフィスを支えてきた自負があるからか、積極的に休もうとしないのだ。


「為田さんと一緒なら、どこへでもお出かけしちゃうよ?」


 本道さんは、僕の座っている椅子を回転させて、強制的に向かい合わせにさせてきた。


「僕はまだ勤務中なんだけど」


 キーボードを叩く姿勢を維持したまま、僕は言う。


「アイドルの面倒を見るのもマネージャーの仕事でしょ? どっか行こ」

「マネージャーは別にお守りじゃないんだけどね」

「海奈ちゃんと上手くいってないんだから、為田さんだって気分転換が必要だよ」

「何故それを……いや、本道さんには関係ないでしょ」

「あるよ。だって、為田さんのせいで海奈ちゃんの機嫌が悪くなっちゃったら、私のライブがぶっ壊されちゃうかもだよ」

「宝耀さんもそこまで常識知らずじゃないはずだけど」


 とはいえ、確信を持って言い切れるわけじゃない。

 宝耀さんの機嫌を損ねてしまったことは何度かあるものの、ここまで拗れるのは初めてなのだから。大暴れしてライブを台無しにすることは絶対ないけれど、気持ちが入らずにいまいちな前座になり、メインの本道さんに上手くバトンを渡せない状況になることは充分有り得る。

 宝耀さんのマネージャーとして、というより、ひよこオフィスの人間として、本道さんのライブは絶対に成功させないといけない。うちみたいな小さい事務所に所属しているアイドルが、クリスマスに何千人規模の会場で単独ライブができるなんて、快挙と言ってもいいくらいなのだから。

 宝耀さんをその大事な前座に起用した社長だって、期待しているに決まっている。

 宝耀さんがへそを曲げているのは、僕のプライベートでの失態が原因で、仕事とは関係ない。それなら、なんとしても宝耀さんの機嫌を取り戻さないといけない。

 そのためにいっそ僕の方が、本道さんにくっついて気分転換をした方がいいのかもしれない。幸い、今すぐに終わらせないとマズいほどデスクワークを溜めているわけじゃないし。


「わかったよ。ちょっとの間なら、本道さんに付き合えるよ」


 そうこなくっちゃね、と本道さんは喜んでくれた。


 ★


 本道さんは、弱小事務所のローカルアイドルながら、とても忙しい日々を過ごしていた。

 一応高校には通っていたけれど、アイドル活動に比重を置けるように、それほど偏差値が高くないところに進学していた。もっとも、あまり偏差値が低すぎる学校でも、それはそれで余計な問題に巻き込まれかねないので、そこそこ勉強ができる程度のところを選んでいた。

 部活動に入ることはなく、放課後のクラスメイトとの交流もほとんどなく、高校時代の本道さんは青春のほぼすべてをアイドル活動に捧げてきた。

 だからなのか、本道さんはあまり『遊び』を知らなかった。

 お酒が提供される場に出入りできる年齢にも関わらず、遊びに耐性のない本道さんが、魑魅魍魎のヤカラに騙されることなく今も清純派で売ることができているのは、高いプロ意識と持ち前の賢さのおかげだろう。


「せっかく為田さんとお出かけなのに。社用の車を使うなんてどうかしてるよ」


 帰りに宝耀さんを迎えに行くために、事務所の車を使ったことを、本道さんはあまりいい顔をしなかったけれど、最近の本道さんは世間にも徐々に顔が知られてきているので、公共の移動手段を利用して変に注目されるよりはずっといいはずだ。


「それにここ、海奈ちゃんがいつも乗ってるとこでしょ?」

「宝耀さんは助手席に乗りたがるからね」

「なんか海奈ちゃんみたいに、なにも考えない子になっちゃいそう」


 本道さんは、憂鬱そうにため息をついた。初めて出会ったのが15歳の時だったせいか、ずっと子どものようなイメージがあるのだけれど、ふとした時に大人な表情を見せて時折ドキリとさせられてしまう。


「そんな宝耀さんを菌かウイルスみたいに……。じゃあ後ろの席使う?」

「ここでいい。為田さんのこと見れるし」

「僕にそんなエンタメ性、ないでしょ」

「あるよ」

「僕の生えかけのヒゲを見るのがそんなに楽しいかな?」

「為田さん、ヒゲないじゃん」


 つるっつる~、と言いながら、本道さんが人差し指で僕の顎先をなでなでしてくる。

 うーん、やっぱり僕の前だと、なんか距離感がおかしくなるんだよなぁ。


「運転できなくなるから」

「じゃあ、あそこに一旦停めちゃえばいいよ」


 首を捻って指先攻撃を回避していた僕に、本道さんが指を向けた先には、お城のような建物があった。


「本道さんらしからぬ下ネタギャグだねぇ……」

「本気だよ?」

「はいはい。どうせお城があるとこ行くなら、千葉の宗主国ランドの方にしようね」

「それ、為田さんからデートのお誘い?」

「違うよ。大事なアイドルを恋人扱いするわけないでしょ。澤樫がオフの日に一緒に行ってきたら? ライブが終わったら、年明けまで少し暇ができるんだし」


 本道さんは、宝耀さんと違って熱いファンも多数抱えているから、露骨にデートとわかるような場所に2人きりでいるのはとてもマズい。週刊誌のネタにされかねないレベルの人気と知名度はあるわけだし。


「海奈ちゃんとは一晩一緒に過ごしちゃうのに」

「まだそのネタ引っ張るの……? もう疑惑は晴れたでしょ」

「だって、未だに2人は隣同士の部屋に住んでるんでしょ? 完全に疑いが晴れるわけないよね」

「5年の付き合いがあっても、本道さんは僕を信用してくれないかぁ」


 ひたすら真面目すぎるあまり、彼女ができ……いや、つくらなかったくらい硬派な僕のことをまだご理解していただけていないようだ。

 ちなみに、ほんの少し前までほとんど同棲状態だったことは、本道さんには話していなかった。余計な誤解を招くだけだからね。


「付き合いっていっても、マネージャーをしてたお仕事だけの関係でしょ。真剣にお付き合いしたわけじゃないんだから、信用するほど為田さんのことわからないよ」

「そうかなぁ。たんに本道さんが僕に無関心だっただけじゃないの?」

「関心しかないんだけどなぁ」


 ハンドルを握る僕の左腕を、やたらとサワサワしてくる本道さん。


「今、運転中だから。事故って僕がぺしゃんこになるのはいいけど、本道さんまで傷つくリスクがあることはしないでね」


 本当、どうしてこの子は僕の前だとやたら手のかかる妹になるのだろう? 後輩の澤樫ですら、上手く付き合っているのに。これは完全にナメられているな。澤樫みたいにアスリートのバックボーンがあるわけじゃないから、僕には迫力や威厳がないんだよね。元ドルオタのバックボーンでは、制御するのに何の役にも立ってくれない。


「とりあえず街まで出てみようか。宝耀さんを迎えに行かないといけないから、あまり遠くまでは行けないしね」

「そうやって、すぐ海奈ちゃんのことばかり」


 本道さんは、ぷいっ、とそっぽを向いて窓に視線を向けてしまった。

 マネージャーだから宝耀さん中心になるのは仕方がないことだと思うのだけど、本道さんはどうしてそう不機嫌になるのだろう? 本道さんには澤樫がいるわけで、澤樫は本道さんのためによく働いている。不満に思うことは何もないはず。

 宝耀さんに続いて、本道さんともなんだかギクシャクしてきた。

 もしかしたら、本道さんが僕の前でだけやたらと手がかかるようになるのではなく、僕の言動が本道さんを嫌な気分にさせているだけなのかもしれない。

 マネージャー生活も6年になるというのに、僕は新人の頃からちっとも成長できていないのだろうかと不安になるのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る