第35話 モチベを上げるのも技術のうち
水着カレンダーの仕事は、つつがなく終了した。
宝耀さんは大事な局面では真面目になってくれるから、撮影中に本道さんと揉め事を起こすことはなかった。
そんな風にして、仕事をこなしていったある日。
「――クリスマスのライブ、海奈お姉ちゃんも出演することになったから」
事務所で、社長が言った。
天気の話でもするみたいに言うので、僕は思わず聞き逃してしまいそうになった。
「……社長、今なんて?」
「だからぁ、みんなの前でお歌を歌うんだよ。海奈お姉ちゃんが。あ、おさえてある会場はここね」
社長がタブレットに表示させていたのは、県内でも屈指の規模を持つライブ会場だった。2000人はラクラク収容できるレベルで、とてもじゃないが現時点の宝耀さんには釣り合わない規模と言えた。
「ていうかここ、クリスマスに本道さんがライブすることになっている会場ですよね?」
社長が突然話を振ってきた時はなんだと思ったけれど、本道さんがクリスマスライブをすることは僕だって知っていた。
「そーそ。海奈お姉ちゃんにはね、前座やってもらおうと思って。かっこよくいえば、オープニングアクトってやつだよ。2曲歌ってくれればそれでいいから」
社長としては、上り調子の宝耀さんを売れっ子の本道さんにくっつけて更に売り出したいらしい。社長から認められたことは僕としても嬉しく思えた。
しかし、当然不安はあるわけで。
「2曲っていっても、宝耀さんの持ち曲なんてせいぜい1曲なんですけど……?」
「カバー曲やカラオケでもオーケーだから、これから練習すればいいよ。その辺は京志郎お兄ちゃんの判断で好きにして」
「僕、音楽に関しては門外漢ですけど」
「そこは、元ドルオタのお兄ちゃんが、ファンのことを考えて盛り上がる曲を選んでくれればなんの問題もないでしょ?」
そう言わてしまうと、反論もできなかった。
これは、宝耀さんにとって大きなチャンスに違いないのだから。
できません、無理です、なんて理由で断るのは論外だ。
「わかりました。全力を尽くします」
「よかった。協力できることがあったらなんでも言ってね。こっちで手配してあげちゃうから」
本道さんの成功で、本社の『パー・プロ』もある程度協力的になってくれているから、傘下の音楽事務所に助力を頼むこともできる。
お膳立ては整っているわけで、あとはどうやって宝耀さんを本番までに仕上げるかだ。
まずは宝耀さんにとても大きなチャンスがやってきたことを報告しないとね。
★
その後僕は、宝耀さんがレッスン用に利用していたスタジオへ向かった。
仕事のない日でも、宝耀さんはこうして着々と実力を積み上げている。ちなみに、立場上宝耀さんはまだ『研修生』の肩書が外れていなかった。でもこの調子だと、正式にアイドルとして活動が始まるのももうすぐだ。
木目の床に、壁の一面に張り付いた鏡。バレエの練習に使っていそうな場所だった。まあ実際にダンスのレッスンのために宝耀さんはここにいるわけだけど。
宝耀さんは、ジョギングでも始めるような格好でそこにいた。
クリスマスにライブやるってよ、と伝えると、宝耀さんは喜びで大ジャンプした。
「本道さんの前座でね」
そう伝えた途端、スーパーマンパンチを床に叩きつけるかたちで着地する。
「なぜわたしが、本道永澪アイドルのオマケなんですか!?」
宝耀さんは、キラキラの汗を流しながら白目をむいて威嚇してきた。
「そうやってためらいなく変顔するせいかな」
本道さんはどんな時でも完璧な決め顔だからね。
「変顔じゃありません。わたしの怒りを表明する顔ですよ。ぬんっ」
「だから鼻の穴広げなくたっていいから」
「きょーしろさんねー、美少女のことよく知らないみたいだから言いますけどねー、ちょー可愛い顔保つのも疲れるんですヨー。たまにはラクな顔させてくださいや」
「変顔しなければいいだけでしょ」
普通にしていれば充分なのに。
「きょーしろさんにはわからないんですよ。カオがある人間の気持ちが。きょーしろさんはいいですよね。前髪で目が隠れてる半分のっぺらぼうなんですから」
「そんなエロゲ主人公みたいな髪型してないんだけど……」
「冗談ですよ。実際は『エ』と『ロ』と『イ』で似顔絵が描けちゃうくらいかんたんなカオしてますもんね」
そういう宝耀さんは、丸書いてちょん、で全部を表現できるような表情で不満そうにしていた。
「宝耀さん、本道さんのクリスマスライブはね、2000人もお客さんが来る場所でやるんだ。前座とはいえ、2000人の前でそんな顔しないでね?」
「それはきょーしろさんとあの女の態度次第ですよ。わたしの機嫌取りに精一杯励みなさい。ライブをぶっ壊されたくないのならね……」
「ドヤ顔で脅してるところ悪いけどさ、そうすることでぶっ壊れるのは宝耀さんのアイドルとしてのキャリアだよ」
冗談じゃなくて本当にやりそうなのが宝耀さんの怖いところだ。
「宝耀さん、これはチャンスなんだよ。前座とはいえ、宝耀さんがいいライブをすれば、本道さんのファンが流れ込んでくるかもしれないんだよ?」
「きょーしろさんもですか?」
「えっ?」
「わたしがあの女以上にキラッキラになったら、きょーしろさんはわたしを推しにしますよね?」
宝耀さんが何を言っているのか、理解しかねた。
僕は宝耀さんを人気者に押し上げるべく尽力するマネージャーなのだから、宝耀さんに熱意を注力して当たり前の立場だ。
「推すもなにも、僕は前から宝耀さんのために頑張ってるよ」
「ぐぬぅ、なんですかこのビジネスライクな考え方に根ざしたわからず屋さんは……」
マズい。ついさっきまでは半分くらいは喜びの感情を出してくれていたのに、今は不満の割合の方が大きくなってしまっているように見えるぞ。
そんなに僕は、本道さんを贔屓しているように見えるのだろうか?
本道さんは売れっ子だ。事務所の人間はもちろん、現場の人間からも大事にされている。そんな本道さんと比べて、まだまだ売出し中の宝耀さんは、自分がないがしろにされているような不安を感じてしまっているのかもしれない。
せっかくのチャンスなんだ。僕の振る舞いで、宝耀さんを不安がらせたらいけないよな。
「宝耀さん」
まだ不満の色が消えておらず、だらけきったアザラシみたいなポーズでいじけまくっている宝耀さんに声をかける。
「僕は、本道さんにも勝てる素材だと思ったから宝耀さんをスカウトしたんだ」
根無し草な宝耀さんを繋ぎ止める意味が強かったとはいえ、何の可能性も感じていなかったとしたら、あの時名刺を渡すようなことはしていなかった。
「僕にとっての一番は、宝耀さんなんだから」
本道さんと潰し合いをする気はないとはいえ、宝耀さんに奮起してもらうためにはこれくらい言ってもいいだろう。
「それは、本心で言ってるんですかねぇ?」
アザラシのまま、宝耀さんは瞳だけを移動させてこちらを見る。
「わたし、上っ面の言葉で綺麗事言われたくらいで心変わりするような安い女じゃないんですけどねぇ」
床に寝っ転がったまま、宝耀さんは体を右へ左へゆらゆらする。ちょっと……ウザいな。動きが。
「きょーしろさんは、たんに出世のためだけにわたしを利用しようっていうだけですよねぇ?」
なんだかどんどん卑屈になっていくぞ……。おまけに声まで低くなっている。
「わたしを……踏み台にして……」
「違うよ、宝耀さんったら卑屈だなぁ」
僕は、転がったままの宝耀さんを抱き起こす。このまま床にくっつけていたらどんどん暗い方向に行っちゃいそうだからね。
「僕は、いちマネージャーとして以上に、宝耀さんにお世話になっているから、なんとしてもその恩に報いたいんだよ。宝耀さんのおかげで僕は眠れるようになって、体を壊さずに済んでいるんだから、それに見合う何かをしたいだけなんだ」
本心には違いなかった。僕は、宝耀さんにちゃんと思い入れを持っている。
「僕と宝耀さんは二人三脚、一緒に頑張っていくべきだと思うんだ。宝耀さんの成功は、僕の成功も同然だから」
「二人三脚で一緒に? まるで、夫婦みたいに……?」
「夫婦……かな?」
話が飛躍したことに一抹の不安を覚えるものの、宝耀さんの瞳には光が戻り始めていた。
「まあ、関係性としては、それに近いところもあるかな……?」
「なるほど。わかりましたよ、。きょーしろさんの気持ちは、よーっくね」
宝耀さんは、すっくと立ち上がる。
表情は晴れ晴れとしていて、卑屈さはもうなかった。
「いいでしょう、ぶっ潰してやりましょうよ。本道永澪が高笑いしていられるのもクリスマスまでです!」
何故か、暴虐の限りを尽くす魔王の成敗を決意した勇者みたいな顔をする宝耀さん。
「僕たちは殺し合いをしてるわけじゃないんだよなぁ」
ライバル意識を持つのはいいことなんだけど、敵対意識は持ってほしくないな。小さい事務所なんだし、ギスギスされても困る。
「待ってろよぉ、本道永澪アイドル! クリスマスライブに真っ赤な衣装を着るのは、サンタさんじゃなくてあなたですからね!」
舌を出して首を掻っ切るポーズをする宝耀さんは、さすがに不謹慎だし先輩である本道さんにも失礼なので、叱っておかないといけなかった。
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