第34話 水着アイドルが攻めてくる

 宝耀さんと本道さんは、揉め事を起こすことなく撮影用のセットの前に現れた。

 本道さんに迷惑をかけることなく済んでよかった、と安心したのもつかの間。


「ふふん、撮影が始まる前からわたしの圧勝ですよ。これも勝者の余裕です。勝者は敗者に嫉妬することなんてないんですから」


 自信満々にそう言い放つ宝耀さんは、本道さんの前で露骨に胸を張った。残念ながら、着替え用の部屋で一悶着あったらしい。

 宝耀さんは本道さんより胸が大きいことで精神的余裕が生まれているようだ。

 本道さんだって小さいわけじゃないけれど、決して巨乳じゃない。身長で10センチ以上差をつけられているからか、水着になると宝耀さんが勝ち誇る程度には差があった。

 ローカルアイドルを超えた人気を得つつある本道さんと並んでも、宝耀さんは見劣りしてはいなかった。

 真っ白なビキニタイプの水着は挑発的なデザインだけど、宝耀さんの元気なキャラのおかげで健康的な美しさがあった。

 髪型だって、スタイリストさんが気合を入れてくれたのか、ピンクの長い髪を片側だけお団子にした可愛らしい感じになっていて、長身のせいでともすれば威圧感が出かねない宝耀さんを上手く可愛い印象が出るように工夫されている。

 一方の本道さんも、普段は下ろしてある黒髪がゆるい二つ結びになっている。宝耀さんと対象的に露出が少なめなパレオタイプの水着だ。清純派な本道さんが着ることで思わず視線が惹きつけられてしまう魅力を放っていた。

 宝耀さんは、ほんの少し前まで本道さんと乳相撲でも始めそうな勢いで揉めていたと思ったら、僕のすぐ目の前に現れた。


「おや? きょーしろさん、どうしました? なんか考え込んだような顔しくさって」


 そして体を傾けながら、僕を下から覗き込んでくる。

 格好が格好なので、腰をかがめると大きな胸が水着から零れそうになってしまうのだが、僕がドキッとしてしまったのはそのせいじゃない。

 僕の異変を見抜かれたと思ったからだ。


「なんでもないけど?」


 木乃実のことは、宝耀さんには関係のないことだ。巻き込むわけにはいかない。


「えー? そうですか~? なんかむっつり思いつめたみたいな顔してましたよ~?」


 宝耀さんはアヒルみたいに口を尖らせたコミカルな表情をしているのだけれど、そうは思えないくらい鋭かった。いったい何故だ。


「僕の顔はいつもこんな感じだよ」

「ウソですねぇ」


 ドヤ顔の宝耀さんは、僕の顔を両手で無遠慮に挟んだ。腕を大きく動かしたせいで、胸元がふるっ、と震えた。


「きょーしろさんが悩んでいることくらいお見通しですよ。だってわたしは、毎晩きょーしろさんと肌を合わせる仲ですからね、実質もう半分くらいはきょーしろさんですよ、わたし。フュージョンしたようなもんですよね」

「あらゆる意味で宝耀さんと合体した覚えはないけどさ、別に悩みなんかないよ。しいていえば、宝耀さんが問題を起こさずにカレンダーの撮影を終えてくれるかどうか心配になってただけだから」

「それなら心配ありませんよ。ヤツはもう虫の息ですから。これから必死におっぱい体操をしようが追いつけないくらい絶望的な差がありますんで」

「本道さんに胸囲で勝つゲームじゃないから、これ」


 宝耀さんの肩越しには、準備万端な状態の撮影スタッフたちが、『そろそろ始めようぜ』な空気を醸し出していた。


「ほらほら、早く仕事に戻って。せっかく商店街の仕事も、レコーディングも順調に行ってるんだから、ここでも頑張って弾みをつけないと」


 僕は宝耀さんの肩を掴んでクイックターンさせる。艶かしくすべすべな肩だった。変な意識をしないようにしないと。


「ぬぬう、きょーしろさんにはぐらかされてる感がグイグイします」

「仮に僕に悩みがあったとしても、宝耀さんが大活躍してくれたらそんなのなくなっちゃうから」


 宝耀さんを押し込むようにして、セットの前へと連れて行く。

 撮影スタッフに宝耀さんを任せ、とりあえず僕は一仕事を終えた気になっていた。

 まさか、宝耀さんにあんな鋭いところがあるとは思わなかった……。

 それとも、僕が顔に出やすいだけなのだろうか?

 答えの出そうにない逡巡をしていると。

 肩にほんのりとのしかかる重さとともに、耳元に吐息を吹き込まれた感触がした。

 思わず軽く悲鳴を上げて振り返ると、にこにこ顔の本道さんがいた。

 とっくにセットの前でスタンバイしているものと思っていたのに……。

 いくら可愛い女の子と接する機会が多い仕事だからといって、本道さんは別格だ。間近で見ると、本当に心臓が飛び出しそうになっちゃう。


「びっくりしちゃったね~、為田さん?」

「なにが?」

「海奈ちゃん、あれで結構鋭いよね」

「そうだね、宝耀さんみたいな子でも、僕が上手く撮影を終えられるか不安でいることを感じ取れたんだろうね――オゥフ!」


 変な声が出た。本道さんが突然僕の脇腹を突っついたからだ。


「為田さん、あんまり溜め込むと、今度は為田さんがダメになっちゃうんだからね?」


 本道さんが言う。顔のそれぞれのパーツが丸っこい可愛らしい顔立ちに、ひときわ真剣さが混じっていた。

 これ、木乃実のことだよなぁ。


「……平気だよ、僕は。もう迷惑をかけるようなことはないから」


 本道さんは……木乃実がまだひよこオフィスに在籍していた頃を知っている。


「いざとなったら、本道さんに悩み相談すればいいんだしね」

「あー、為田さんったら、海奈ちゃんだけじゃなくて私にまでウソついてる~」


 ジト目の本道さんが、僕の頬を突っつく。この子、今日はやたらと僕をつんつく突っつくな。


「どーせ、私のことなんてそこまで信頼してないんでしょ? 名前呼びから名字呼びに格下げする程度の女だもんね」

「今日の本道さんは重いなぁ……」

「違うよ。為田さんが私を遠く遠くに距離取ろうとしてるから、私がぐんぐん近づかないといけなくなってるだけだよ。もっと信用してほしいなぁ。だって――」


 本道さんは僕の腕に抱きつく。


「――元カノだもんね?」


 上目遣いの視線が僕を捉えた。

 清純派として売り出していて、どちらかといえばロリな顔立ちとは不似合いなくらい妖艶な雰囲気を放つ。


「こらっ、めちゃくちゃ語弊を招く言い方するんじゃないよ。君のマネージャーをしてたってだけでしょうが! 澤樫が入社してくるまで!」

「わー、為田さんったらヤボなんだ」


 ついさっきの妖艶さはなんだったのかと思えるくらい、本道さんは無邪気に微笑む。


「仕事中はもちろん、プライベートだってたくさんお世話してくれたんだから、もう付き合ってたようなものでしょ?」

「違う違う、ぜんぜん別物だから」


 変なところで宝耀さんみたいなこと言うなぁ。

 これじゃ僕がマネージャーであることにかこつけて次々とアイドルに手を出す鬼畜野郎みたいじゃないか……。ドルオタ上がりの僕が、ファンを裏切るような行為をするはずないのに。


「私は、京志郎のこと彼氏だと思ってたんだけどなぁ」

「君、僕のこと『京志郎』なんて呼んだことないよね?」


 あと泣き真似やめて。そういうことすると、悪者になるのは僕なんだから。


「ふんだ、海奈ちゃんには、下の名前で呼ばせてるのに」

「呼ばせてるんじゃなくて、宝耀さんが勝手に呼んでるだけだよ」


 本道さんは、売れっ子にも関わらず素行がよくて、スタッフや周囲の人間にも優しいのだけれど、どういうわけか僕のことだけは弄り倒そうとする困ったクセがある。ていうか、とても子供っぽくなる。

 まあ、それも仕方ないことなのかもしれない。新人だった僕と初めて会った時、本道さんは15歳のこどもだったのだ。成人した今でも、その時の感覚で接したくなる時があるのだろう。出来が良くて生意気な妹が兄をいじるようなものだ。


「じゃあ私も今日から為田さんのこと『京志郎』って勝手に呼ぶね」

「やめてよね。今更僕を名前呼びするなんて、みんなから一体何があったんだって誤解されちゃうでしょうが」

「だったら、何かあったんだって思わせておいたらいいんじゃない?」

「マネージャー失格な不貞行為をしてるって真っ先に疑った君がそれ言う?」


 いつになく聞き分けのない本道さんと押し問答していると。


「コルルァ! なーにヒトのマネージャーにおっぱい押しつけとんじゃ!」


 髪を逆立てた(両手で物理的に)宝耀さんが迫ってくる。

 片足で跳ねながら。


「きょーしろさん、ほらほら、こっちの方がぷるぷるですよ~、揺れ度高いですよ~」

「なんか猫の前で猫じゃらし振ってるみたいなこと言うけど、別に僕、無類のおっぱい好きじゃないし、大きさで人間を比較するようなことしないから」

「あの、先輩も海奈さんもいい加減にしてくれませんかねえ? ナガちゃんまで巻き込んで……」


 怒り全開な表情で割り込んできたのは、ずっとスタッフと一緒に打ち合わせをしながら撮影が始まるのを待っていた澤樫だ。

 後輩に叱られるという、先輩としてあるまじきことをしてしまった僕は、より小さくなってスタジオの隅から撮影の様子を見守るのだった。

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