第33話 昔々……でもないこと

 5年前の話だ。

 今度はファンとしてではなく、プロとして『応援』しよう。

 そう決意して、僕はひよこオフィスに入社することになった。

 そんな僕が初めてマネージャーとしてついたアイドルが、千田木乃実だった。

 彼女もある意味では、『新人』のアイドルだった。

 元々は、『パーフェクト・プロダクション』に所属していた女優だったのだ。

『パー・プロ』は、アイドル部門のひよこオフィスと違って芸能事務所の大手なので、当然のことながら競争が激しい。引退や事務所の移籍を選ばなかった女の子が、それでも芸能界で生き続けたいと考えた時、うちでアイドルとして再デビューすることがある。

 とはいえ当時の木乃実は18歳で、まだまだ可能性があり、売れるのに充分な素質だって持っていた。

 木乃実本人にも、アイドルとしてやっていく熱意があったのは救いだった。

 都落ち、という感覚で腐っていた状態からのスタートだったら、新人マネージャーだった僕にはとても務まらなかっただろうから。


「――今日から為田さんのお世話になる、千田木乃実せんだこのみです!」


 初対面で、木乃実は明るく挨拶してくれた。

 地毛らしい栗色の髪は肩のあたりまで長く、サラサラふわふわした髪質で、瞳は大きく澄んだ茶色で、身長はそれなりながらバランスの取れた体つきをしていた。脇役ではなく堂々の主演を張れそうな見た目だった。

『パー・プロ』から「格下げ」の扱いを受けた女優とは思えないくらい、魅力的に見えた。


「為田さん、『このみん』って呼んでくださいね!」


 初対面の挨拶から突如としてアイドルぶりっこモードに切り替わった時には、驚かされたものだ。リアクションすら忘れた。


「あっ、18歳じゃやっぱりこのキャラはキツいですか?」

「いや、そういうことじゃなくて、可愛かったけどさ、突然始まるからちょっとびっくりしただけ」

「なんだ。そうだったんですね」


 挨拶の時の堂々とした態度はなんだったのだろうと思えるくらい、木乃実は安堵した様子を見せた。


「アイドルの子って、もっと若い時からこの業界でがんばってるから、転向組のわたしじゃ手遅れなのかなって思っちゃって」


 思えば、この時から、彼女の明るさの裏にある繊細なところが見えていたのかもしれない。


「千田さんだって18歳なんだし、まだまだこれからだよ。今どきのアイドルは、30近くなっても活躍している人もザラだし、年齢なんて気にすることないよ」


 僕の本心だった。学生時代に地下アイドルを追っかけていた身としては、18歳なんてまだまだ若手だ。


「そうそう。木乃実お姉ちゃんはのびしろいっぱいだよ、びよびよ~なんだよ、だからしっかり育ててあげてね、京志郎お兄ちゃん」


 木乃実を本社から引っ張ってきた張本人の社長も、期待していた。

 5年前のひよこオフィスのスタッフで今も残っているのは、社長と僕だけだ。

 当時は僕以外にも2人のマネージャーがいたのだが、今は別の業界で働いている。社長を信じることができず、見切りをつけて去っていった。あの頃はまだ本道さんもブレイク前の15歳の女の子で、単に可愛いだけのアイドルの卵だったから、みんな弱小事務所の将来に不安を覚えたのだろう。あの頃に澤樫がいれば、持ち前の体育会系精神でもっとまとめ上げられたのだと思うのだけれど、澤樫が入社するのはひよこオフィスのマネージャーが僕以外に去ったあとだった。

 こうして木乃実は、ひよこオフィスの新人アイドルとして入ってきたわけだけど、まだまだ何も知らなかった僕は、自分のやり方を通せば、この『都落ち』してきた女優だって、人気アイドルにすることができるのだと固く信じていた。

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