第32話 いざ撮影

 撮影日になる。

 都内にある小綺麗なスタジオの中に、うちの所属アイドル2人とそれぞれのマネージャーがいた。


「なんですかここは。水着の撮影だから南国へでも行くのかと思ったんですが」


 宝耀さんはいきなり不服そうだった。


「まあ、あんまり予算もかけられないからね」


 本道さんがいるとはいえ、あくまで弱小事務所のすることだから、あまり大掛かりな撮影を行うことはできない。予算をかけずに売上を出せるのが、ひよこオフィスアイドルカレンダーのメリットでもあるわけで。

 このスタジオには、南国をイメージしたセットがあった。

 セットとはいえ、ちゃちな造りではなく、写真越しなら本当に現地に行ったように見えるくらい精巧なものが揃えられている。

 本道さんは、澤樫と一緒に、カメラマンと何やら話している。


「あの女、さっそく権力者に尻尾振ってますよ。やらしい女ですねえ」

「宝耀さんだってさっき挨拶回りしてたでしょ」

「あれはちょっとお話してただけですよ。こび売りに行ったわけじゃありません」


 スタジオ入りしてから僕と一緒に挨拶回りをするつもりだったのだが、宝耀さんは駐車場で偶然スタッフに出くわした時点で挨拶をしていた。『おう、今日は頼むな』みたいなやたらと大物風を吹かせたような雰囲気で挨拶したものだから僕はヒヤリとしてしまったが、現場の人間には好評なようだった。やっぱ年配の人間は若い女の子に弱いのかなぁ。

 本道さんと宝耀さんは、女性スタッフに連れられて別室へ向かった。水着に着替えるためだ。もちろん僕がくっついていくわけにはいかないから、ここで留守番をするしかない。宝耀さんがヘンに絡んでないといいけど。まあそうなったら、女性マネージャーの特権として一緒に着替え用の部屋に向かった澤樫が止めてくれるか……いや、また宝耀さんが投げ飛ばされるかもしれないな。撮影前に体に傷ができるようなことはしないと思うけど……宝耀さんは本当に失礼をぶっこむ時あるからなぁ。

 少々不安な気分になりながら待っていると。


「どうも、為田さん」

「あっ、どうも。今日はよろしくお願いします」


 顔見知りのカメラマンに声をかけられたので、僕も頭を下げた。

 この鳥谷とりたにさんはベテランのカメラマンで、現場で一緒になることが多かった。確かな腕を持っている人だから、きっと宝耀さんと本道さんの魅力を存分に引き出した写真を撮ってくれることだろう。山登りが趣味、みたいな格好と恰幅がいい見た目と違って、とても繊細な写真を撮ってくれるのだった。去年のカレンダーは、別のカメラマンの人が担当していたのだけれど、本道さんのソロということもあってか僕としてはちょっと煽情的な印象があった。


「さっきのあの子は新しく入った子だよね?」


 鳥谷さんが言う。


「そうなんですよ。面白い子ですよ」


 僕は、これまでの宝耀さんの活動について、軽く話した。

 宝耀さんのエピソードは、この業界で長く活動している鳥谷さんにとっても興味が引かれるらしく、ふんふん頷きながら聞いてくれていた。

 これは、宝耀さんのためのいい売り込みになったかもしれない。宝耀さんがどれだけ魅力ある被写体か知ってもらえれば、撮影の熱も1段と上がるわけで、普段以上のクオリティで撮ってくれるだろう。


「まあ、元気そうでよかったよ」


 僕の話を聞き終わった時、鳥谷さんが言った。


「そりゃ、うちの宝耀は元気だけが売りなところありますからね」

「違う違う、為田さんが、だよ」

「僕がですか?」

「木乃実ちゃんが辞めちゃってしばらくは、為田さんもすっかり元気なくなっちゃってるように見えたからね」


 鳥谷さんに対して、僕はどう返事をすればいいのかわからなくなってしまった。


「いい子だったんだけどねえ。でも、この業界でやっていくにはちょっといい子すぎたのかもしれないね。少しくらい図太くて鈍い方が向いてるよ。我が強すぎるのは、うちらが仕事する上じゃ勘弁してくれって感じだけどな」


 鳥谷さんが続ける。


「……それも含めて、アイドルの資質ですからね。木乃実の幸せは芸能界にはなかったんですよ。きっと地元で、幸せに暮らしてますよ」


 鳥谷さんにではなく、自分に言い聞かせるように、僕は言った。


「そうだな。この場に居続けることだけが幸せじゃないもんなぁ」


 じゃ、また、と軽く会釈をした鳥谷さんは、撮影の準備のためにアシスタントが待機している一帯へ向かった。

 鳥谷さんはああ言ったけれど、1人のアイドルが辞めてしまったことなんてなんとも思っていないように見えた。

 薄情と言いたいわけじゃない。仕事で関わった女の子がいなくなってしまうことなんて、この業界ではよくあることだ。いちいち気にしていたら精神が保たないし、プロとしてやっていけない。

 そんなことは、わかっているのだけれど。


「……でも、僕がもっと上手くやっていれば――」


 木乃実は今もアイドルを続けられていたかもしれない。

 そんな考えが頭をよぎった時、僕はまたも自分を追い込みそうになっていたことに気づいて、さっさと昔の思い出を振り払おうとした。

 撮影開始まで、あと数分だ。

 宝耀さんが姿を現さないかと期待して通路の向こうに視線を向けるのだけれど、騒々しいピンク頭の女の子は未だやってくる気配がなかった。

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