第29話 僕のトラブル回避術

 事務所に出勤すると、ひよこオフィスのメンバーが全員揃っていた。

 元々この日は事務所の関係者全員が揃うタイミングだったのだが、すでに本道さんから話を聞いているらしく、物々しい雰囲気に包まれていた。

 特に、本道&澤樫コンビがいる方面から。


「先輩、どういうことですか? アイドルと恋愛はご法度のはずでしょ? 百万歩譲って部屋が隣同士なのは許しましたけど、同衾は許されませんよ、同衾は……!」


 目が完全にマジな澤樫だった。学生時代の伝説に事欠かない澤樫は、受験勉強の邪魔だから、という理由で、自宅周辺で深夜に騒いでいた不良グループを瞬殺したことがあった。きっとその時も、こんな目をしていたのだろう。


「為田さんは真面目なだけが取り柄なのに、不真面目になっちゃったらそのスーツだけ残して消えちゃうんじゃないかな?」


 澤樫の隣にいるのが、トップアイドル本道永澪だ。澤樫と違ってにこやかな笑みを浮かべているものの、キツい毒を吐いてくるあたり、怒っているのだろう。

 この2人は、マネージャーとアイドルという関係を超えて、姉妹のように仲が良かった。だからこそ、揃ってこうして僕に怒りを向けているのだろう。

 不機嫌極まりない表情をしていても、本道永澪というアイドルは、別格に人目を引く見た目をしていた。

 清楚、を体現したような真っ黒なロングの髪は、どうケアすればそんなに綺麗になるのかと不思議になるくらい輝いている。

 どれだけ白くても不健康には見えず、触れがたく感じさせる神秘的な肌をしている。

 小柄だけれど、頭身のバランスが良く、ちんちくりんな感じにはなっていない。そして、それなりに胸もあった。脚は宝耀さんよりも細い。2人で並んでいると、やっぱり宝耀さんはちとデカいな……と感じるほどだった。別に宝耀さんはゴツいわけではないのだけれど、本道さんの守ってあげたくなるような華奢さのせいで際立ってしまっているのだった。ていうか宝耀さんは、このあとのレッスンのためなのか、三本線の入った黒ジャージのセットアップという格好をしていて、可愛らしさという点では完敗もいいところだった。


「まーまー、落ち着こうよ。とりあえずお兄ちゃんのお話も聞いてあげなくちゃね」


 この場で一番冷静なのは、社長だろう。

 見た目と違って人生経験豊富な社長だから、頭ごなしに叱り飛ばすようなことはしない。


「誤解させてすみません。澤樫も、本道さんもごめんね。実は――」


 僕は、慎重に言葉を選びながら事情を説明する。

 事前にしっかり言い聞かせておいたから、宝耀さんが余計な口を挟むことはなかったのだが、無言を貫く意思表示のためか、両手を合わせてお地蔵さんになっているのはふざけているみたいだからちょっとやめてね。


「――宝耀さんは、上京したばかりでわからないことも多いですし、僕にはスカウトした人間の責任があります。慣れない環境にいるアイドルのメンタル面をケアすることだって、マネージャーにとって大事なことだと思うんです。あくまでご近所さんとして親しくしていますが、それだけです。断じて不適切な関係はありません」

「ソウダー、アリマセーン」


 宝耀さんはあくまで小さな声で、合いの手みたいなノリで拳を突き上げた。動きが、うるさいな……。


「だいたい、宝耀さんじゃ、ほら……ねえ?」

「えっ? 今ディスられました、わたし?」


 どういうテクノロジーが働いているのか、宝耀さんの顔が劇画調になる。


「まあ、それはそうね……」


 澤樫が、完全とは言えないまでも納得の表情をする。


「うふふ、ふふふ」


 社長も、クスクス笑い始めた。


「なんじゃい、貴様ら。我はアイドルぞ? 誰もが恋愛し、憧れ、崇拝するために存在している偶像やぞ? それを……まるで恋愛対象になるわけがない愚物みたいな扱いをするのはなんでなんじゃい。我の存在全否定じゃろうが」


 口調からして、わざとふざけてるのかなー、と思ったけれど、どうやら宝耀さんはガチで不思議に思っているらしい。不服極まりないと思っているのか、修羅の国の登場人物みたいな顔つきをし始めた。その顔面、戻せるよね?


「そういうとこじゃないかなぁ」


 同調者がいた。

 本道さんだった。

 荒々しい劇画タッチな宝耀さんと違って、まるで宗教画のように神聖で神々しい輝きを放つ笑みを浮かべている。


「こらっ、小娘。そういうとこってどういうとこですか。聞こえなかったんでもういっぺん言ってくれますかねぇ? おぉん?」


 宝耀さんが、気の小さいヤンキーみたいなことを言い始めて、本道さんの目の前に立つ。

 事務所の先輩で実績も圧倒的に上の年上が相手でも、宝耀さんはこの調子である。

 一方の本道さんは、身長差がある相手から詰められようが、まったく動揺しておらず。


「ダメだよ、アイドルなら、もっとニコニコしてないと」


 宝耀さんの口元を、指先できゅっと釣り上げた。


「アイドルはね、心の中でどう思ってたって、顔に出しちゃだめなんだよ?」


「きょーしろさん聞きました? この指冷えっ冷え女、とんでもねえ腹黒発言ですよ?」


 と、宝耀さんは言いたいのだろうけれど、本道さんに口の両端を抑えられたままなせいでふがふがとしか聞こえなかった。


「本道さん、宝耀さんだってニコニコしてるよ? 欲にまみれただらしなさがたまに混じってるだけで」

「ちょっ、きょーしろさん、もっとわたしの味方してくださいよぉ!」


 本道さんの笑顔矯正攻撃を振りほどいた宝耀さんが、僕のもとへダッシュで寄ってくる。


「後出しの女の味方ばかりして!」

「いや、僕からすれば宝耀さんの方が後から出てきた存在なんだけど……」

「んもう! ヘリクツ言って! それでもわたしのマネージャーさんですか!」


 ぷんすかする宝耀さんは、僕にしがみつくと、流れるような動作でコブラツイストへと移行する。やめてやめて、体中が複雑骨折しちゃう。背中に当たるおっぱいの感触を感じる余裕もないよ。

 そんな僕らの姿をじっと見ていた本道さんは。


「う~ん、わかった。為田さんの無実を信じるよ」


 どんな邪悪な霊をも浄化させそうな声で言った。


「私も、ちょっと早とちりしちゃったところがあるし」


 本道さんがエンジェルボイスを披露する間、澤樫が特殊な技術で宝耀さんのコブラツイストを解き、僕はようやく痛みから解放された。ていうかこの技教えたの、お前だろ?


「だって2人は、恋人っていうより兄妹みたいなんだもん。そういう距離の近さだもんね」


 本道さんの頬はほんのり赤くて、照れを誤魔化すような笑みを浮かべていた。早とちりを恥じているのだろう。本道さんは今時珍しい清純派ど真ん中なアイドルだ。それが素なのではと思えるくらい完璧にイメージを保ち続けているから、僕と宝耀さんが恋人同士寝起きにイチャついていた妄想をしていたようで恥ずかしくなっているに違いない。


「まー、そんな感じなのかなぁ。僕はいわば、都会のお兄ちゃんと言っていいのかもね。色々面倒見ないといけないんだ」


 兄妹かぁ、これは上手い着地点を見つけたぞ。他でもない本道さんが言い出したことで、澤樫や社長を完全に納得させる説得力だってある。もちろん、兄が妹のおっぱいに顔面をくっつけていないと寝られないなんて狂気の沙汰だから、その辺は言わないけどね。


「ほーん、兄妹ですか、そうですか」


 唯一納得していなさそうなのが、宝耀さんだった。


「ほっほっほ、そう言っちゃいますか、わたしを『妹』って言っちゃいますか」

「なんなのさ、宝耀さん。アイドルにあるまじき、いやらしい笑い方して……」


 まさか、この場で僕の不眠症が治る唯一の方法をバラして台無しにするんじゃないだろうなぁ、なんて不安に思い、どう黙らせるか思案していると。


「わたしの方が『姉』でしょうが! 身長的に言って!」

「そっちかい」

「先輩、どっちがですか?」


 傍らの澤樫が不思議そうにする。


「いや、体重……が上だから姉と主張しているのかなって」

「きょーしろさん!」


 宝耀さんが半泣きですがりついてくる。


「なんで体重のこと言うんですか! 違いますからね、これは筋肉、筋肉が増えたせいで増量しちゃったんです!」


 女子として、アイドルとして、筋肉なら体重が増えても構わないのだろうか?

 とりあえず、僕が宝耀さんに手を出しているという疑惑は晴れた。僕の社会人生活はもうちょっとだけ続くんじゃ。

 けれど、どうしてもみんなに言えないこともあった。

 僕が、眠れない体質になっていることだ。

 話さないことで迷惑になろうとも、この問題は説明するのが難しい。

『宝耀さんの胸に顔面を押し付ければ不眠症が治る』なんて正直に話せば、かえって状況が悪化しそうだ。

 黙ったままでいるのは心苦しいけれど……今はまだ、話すことができそうになかった。

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