第28話 修羅場の気配
アラームが鳴るより先に目が覚めてしまった。
というのも、宝耀さんの話し声が聞こえたからだ。
おかしいな。宝耀さんが僕より先に起きることなんてなかったのに。
「――タメダ? タメダなんて人は知りませんねえ……京志郎? ああ、きょーしろさんなら知ってます」
どうやら宝耀さんは誰かと電話をしているようだった。
宝耀さんのプライベートなことだし、放っておこうとしたのだが、僕の名前が出ていることが気になった。
「宝耀さん、どうしたの?」
「きょーしろさん、大変です。頭がやべー女から電話が来てますよ」
「えっ、誰なの?」
「『ナガレ』を自称する謎の女です。こいつぁ、サギの臭いがぷんぷんですぜ」
「いやナガレって名乗ってるんだから謎じゃないじゃん。それたぶん
どうして宝耀さんのスマホに、本道さんが?
「ああ、これ、きょーしろさんのスマホですヨ」
「なんで勝手に僕のスマホで電話してるの」
「鳴ってたからですよぉ! きょーしろさんが気持ちよさそうに眠っていたので気を利かせて電話に出てあげたのにその言い草はなんですか!」
とってもデカい声で宝耀さんが言う。
「きょーしろさんのスマホってわかってもらうために、ちゃんと名乗ってあげたんですからね?」
誤解を加速させるような気遣いを……めちゃくちゃ得意そうにしているけど、褒めて、みたいな顔をするんじゃないよ。
しかしこれは、マズいことになった。
電話を取ったのは僕ではなく、宝耀さんで、しかも朝の時間帯である。
夜通し一緒にいたことがバレてしまう状況なわけで、あらぬ誤解を受けかねない。僕と宝耀さんの家が同じアパートの隣同士なことは、社長も澤樫も知っていることだけれど、不眠症の件は秘密にし続けているから、こうして一緒に寝ていることは誰にも伝えていなかった。
本道さんは、宝耀さんと面識はないけれど、マネージャーである澤樫を通して、僕が『宝耀海奈』という新人をマネージメントしていることを知っているはずだ。担当するアイドルに手を出した不届き者と勘違いされている可能性が高い。
うちの稼ぎ頭から信頼を失ってしまっては、今後のマネージャー生活がとても困難なものになってしまう。
「もしもし? 本道さん?」
僕は、宝耀さんからスマホをひったくるようにして電話を代わった。
『あっ、為田さん? やっと出てくれたね』
どうやら、最悪の展開に陥ったようだ。
本道さんは、アイドルとしてほぼパーフェクトな存在だ。こんなにドスの利いた低い声を出すことなんて、今までなかった。こりゃ大変ご立腹だぞぉ……。本道さんは担当マネージャーに似て真面目で潔癖なんだ。
『為田さんのスマホに電話したのに、どうして為田さんじゃなくて、女の子の声が聞こえてきたのかな?』
「やっぱり誤解しているみたいだね。僕たちは家が隣同士だから、たまに朝食をごちそうしたりごちそうになったりすることがあるんだ。それだけのことなんだよ。本道さんが思っているようなことは一切ないんだ」
本道さんの誤解を解くべく頑張っていると、そばで耳を聞き立てていた宝耀さんが、アイドルにあるまじきシワだらけの渋い顔になっていた。
「昔の女ですか?」
「言い方よ」
『私が昔の女なら、宝耀海奈さんは今の女ってことになるのかな?』
あーあ、宝耀さんがスマホに声が届く位置で変なこと言うから……。
「違うんだ。僕と宝耀さんは本当にマネージャーとアイドルっていう、ただそれだけの関係でね。……そういえば今日、本道さんも事務所に来る日だよね? ちゃんと説明するから」
「ちゃんと面と向かって交際を宣言してあげますからねっ、この泥棒猫ぉ!」
「ちょっ、宝耀さんなんてこと言って――あっ!」
宝耀さんは、僕からスマホをひったくると、さっさと通話を終了させてしまった。
「な、なんてことしてくれたんだよ、これ、僕じゃなくて宝耀さんだってマズイことになるかもしれないんだからね!?」
「ふんっ、きょーしろさんが悪いんですよ。なんですか、年下の小娘相手にヘコヘコして。わたしの時とぜーんぜん対応が違うじゃないですか。まるで爆弾処理班みたいでしたよ!」
「そりゃ、向こうは売れっ子だし……同じ扱いはできないよ」
「むーっ、きょーしろさんはすぐそうやってわたしを末端アイドル扱いしよってからに」
「……僕だって、マネージャーとして宝耀さんを大事にしているのは本当だからね?」
宝耀さんが寂しそうにしていたので、ついついそう言ってしまう。
ややこしい状況になったそもそもの原因は、この部屋にいるように頼んだ僕にあるのだ。
宝耀さんはアイドルになるために上京したわけでもなければ、僕のようなアラサーのくたびれたおっさんの『枕』になりたかったわけでも当然、ない。僕が原因をつくっておきながら、宝耀さんばかり責めるのは筋違いだ。
「僕の目から見ても、宝耀さんはアイドルの活動がんばってるし、近いうちに本道さんみたいになれるよ」
これは多少お世辞を言ってしまった。本道さんは別格だ。そうそう簡単に超えられる壁じゃない。単なるローカルアイドルが全国区の人気を得るなんてこと、そうあることではないのだから。
宝耀さんは口を尖らせてそっぽを向いていて、不満そうにしているけれど、瞳だけはこちらを向いていた。アイドルとしてあるまじき面白い顔になってしまっているものの、一応僕の言い分に何かしら響くところはあったようだ。
「とりあえずほら、あらぬ誤解をされるのは宝耀さんだって嫌でしょ? ちゃんと本当のこと知っておいてもらわないとね。本道さんと対面するのも初めてだしさ、誤解がきっかけに仲良くなるのもいいかもよ」
「友情ごっこはごめんだぜぇ。アイドルは戦争だからヨ、仲良しクラブ気分でやられちゃ困るンだわぁ」
なぜかピリピリのバンカラムードを出して、宝耀さんが腕を組む。
妙な言葉遣いになってはいるけれど、とりあえず機嫌の悪さは収まってくれたみたいだし、早いところ事務所に連れて行った方が良さそうだ。
僕はベッドから飛び起きると、手早く出勤の準備を始めた。
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